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テンネル侯爵夫人side②
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静かな室内に数十秒間の沈黙がやけに長く感じた。わたくしを見つめるスティールの顔が憐れむような呆れたような表情に見えるのは気のせい?
「……フローラ嬢に、僕が会えると思う?」
「それは……同じ学園にいるのだし、顔を合わせることだってあるでしょう?」
一縷の望みだった。エドガーとの婚約が解消されたのは大きな損失だった。慰謝料を支払うためにいくつかの土地を手放した。テンネル家の資産を思えばそれほどの痛手はないけれど、失ったのはお金では計れないもの。
「見かけたことは何度かあるけど、学年も違うし、これといった用事もないのに軽々しく会いには行けないよ」
「そうかもしれないけれど、挨拶くらいはしないの?」
「遠くから、どうやって挨拶しろと?」
冷ややかなスティールの声にわたくしは一瞬、息をのむ。
こちらの邪な思惑を見透かすように冷淡に見つめ返すスティールに
「困るようなことを聞いてしまったかしら?」
気づかないふりをして平静を装って尋ねてみた。
「困るって……ほどでもないけど。本当に接点はないんだよ。母上の期待を裏切って申し訳ないけど」
「……」
「フローラ嬢にテンネル家の次男ですって自己紹介なんてできると思う? 婚約破棄した相手の身内だよ。僕はとてもじゃないけどできないよ。そこまで厚顔無恥ではないしね」
諭すような物言いにわたくしは詰めていた息を吐きだした。
「そうね。無理な話ね」
確かにスティールの言うこともわかる。
エドガーがダメだったから、それならばスティールでと考えてしまったけれど……この子だったらうまくいくような気はしたのよ。お互いに気が合えば新しく縁を結べるのではないかという思いもあったから、半ば強引に帰国をさせた。もちろん、次期当主としての自覚を促すためでもあったのだけれど。
「フローラ嬢はいつもマクレーン伯爵令嬢をはじめ数人の令嬢方に囲まれているし、誰から声をかけられても、にこやかに話に応じてくれるから、親しみやすくてとても謙虚な方だと言われているんだ。マクレーン伯爵令嬢とフローラ嬢は学園においては尊敬と羨望を集めている別格の存在なんだとクラスメートが教えてくれたよ」
「そう……なのね」
大人の強かな狡賢さは子供には通じないのか、意図して気づかないふりをしているのか、他人事のように淡々と告げるスティール。
「それに、婚約解消した時に僕のことが俎上に載らなかったということは、ブルーバーグ侯爵家はテンネル侯爵家を必要と見做さなかったってことだよね」
「……」
絶句。わたくしは二の句が継げなかった。
ストレートに言いすぎだわ。頭の片隅ではわかっていても、蓋をして考えないようにしていたのに。
権勢を誇る二大侯爵家。
この二家がなければ国はもたないと言われるほどに国全体に様々な影響を与えている。そしてブルーバーグ侯爵家との婚姻関係は、さらに国の発展に寄与するだろうということで他の貴族達からも概ね歓迎されていた。
今回の婚約解消で表立って非難はないものの、これから影響がないとも言い切れない。多くの事業を手掛けているおかげで仕事関係だけでも貴族達とのつながりも深い。おいそれと離れて行くことはないだろうけれど、それでも不安は拭えないのだ。
婚約解消時に一旦保留にしてもらった後でスティールのことをお願いしたけれど、契約には含まれていないと一蹴されてしまった。それに、ブルーバーグ侯爵家が事業を一斉に引き上げたせいで、人材不足と工事の見直しを余儀なくされて開発が頓挫している。
テンネル侯爵家を必要としない。そうかもしれない。
何の未練もなく惜しがることもなく、引き際はあっさりと素早くすべてが白紙に戻っていた。残ったのはすでに作り上げたものだけ。
これから積み上げていくものが多すぎて頭が痛くなるわ。
わたくしが先の見えない事業に頭を悩ませていると、スティールの声がした。
「母上、この際だから言っておくけど、僕はテンネル家を継ぐ気はないからね」
「えっ?」
今、何を言ったの? 聞き違いかしら?
信じられない言葉を聞いたような気がして、わたくしは思わずスティールを凝視した。
「……フローラ嬢に、僕が会えると思う?」
「それは……同じ学園にいるのだし、顔を合わせることだってあるでしょう?」
一縷の望みだった。エドガーとの婚約が解消されたのは大きな損失だった。慰謝料を支払うためにいくつかの土地を手放した。テンネル家の資産を思えばそれほどの痛手はないけれど、失ったのはお金では計れないもの。
「見かけたことは何度かあるけど、学年も違うし、これといった用事もないのに軽々しく会いには行けないよ」
「そうかもしれないけれど、挨拶くらいはしないの?」
「遠くから、どうやって挨拶しろと?」
冷ややかなスティールの声にわたくしは一瞬、息をのむ。
こちらの邪な思惑を見透かすように冷淡に見つめ返すスティールに
「困るようなことを聞いてしまったかしら?」
気づかないふりをして平静を装って尋ねてみた。
「困るって……ほどでもないけど。本当に接点はないんだよ。母上の期待を裏切って申し訳ないけど」
「……」
「フローラ嬢にテンネル家の次男ですって自己紹介なんてできると思う? 婚約破棄した相手の身内だよ。僕はとてもじゃないけどできないよ。そこまで厚顔無恥ではないしね」
諭すような物言いにわたくしは詰めていた息を吐きだした。
「そうね。無理な話ね」
確かにスティールの言うこともわかる。
エドガーがダメだったから、それならばスティールでと考えてしまったけれど……この子だったらうまくいくような気はしたのよ。お互いに気が合えば新しく縁を結べるのではないかという思いもあったから、半ば強引に帰国をさせた。もちろん、次期当主としての自覚を促すためでもあったのだけれど。
「フローラ嬢はいつもマクレーン伯爵令嬢をはじめ数人の令嬢方に囲まれているし、誰から声をかけられても、にこやかに話に応じてくれるから、親しみやすくてとても謙虚な方だと言われているんだ。マクレーン伯爵令嬢とフローラ嬢は学園においては尊敬と羨望を集めている別格の存在なんだとクラスメートが教えてくれたよ」
「そう……なのね」
大人の強かな狡賢さは子供には通じないのか、意図して気づかないふりをしているのか、他人事のように淡々と告げるスティール。
「それに、婚約解消した時に僕のことが俎上に載らなかったということは、ブルーバーグ侯爵家はテンネル侯爵家を必要と見做さなかったってことだよね」
「……」
絶句。わたくしは二の句が継げなかった。
ストレートに言いすぎだわ。頭の片隅ではわかっていても、蓋をして考えないようにしていたのに。
権勢を誇る二大侯爵家。
この二家がなければ国はもたないと言われるほどに国全体に様々な影響を与えている。そしてブルーバーグ侯爵家との婚姻関係は、さらに国の発展に寄与するだろうということで他の貴族達からも概ね歓迎されていた。
今回の婚約解消で表立って非難はないものの、これから影響がないとも言い切れない。多くの事業を手掛けているおかげで仕事関係だけでも貴族達とのつながりも深い。おいそれと離れて行くことはないだろうけれど、それでも不安は拭えないのだ。
婚約解消時に一旦保留にしてもらった後でスティールのことをお願いしたけれど、契約には含まれていないと一蹴されてしまった。それに、ブルーバーグ侯爵家が事業を一斉に引き上げたせいで、人材不足と工事の見直しを余儀なくされて開発が頓挫している。
テンネル侯爵家を必要としない。そうかもしれない。
何の未練もなく惜しがることもなく、引き際はあっさりと素早くすべてが白紙に戻っていた。残ったのはすでに作り上げたものだけ。
これから積み上げていくものが多すぎて頭が痛くなるわ。
わたくしが先の見えない事業に頭を悩ませていると、スティールの声がした。
「母上、この際だから言っておくけど、僕はテンネル家を継ぐ気はないからね」
「えっ?」
今、何を言ったの? 聞き違いかしら?
信じられない言葉を聞いたような気がして、わたくしは思わずスティールを凝視した。
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