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第二部

ビビアンside⑩

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「ふふっ」

 わたくしは笑みをたたえて左の薬指に指輪をはめる。深い色合いが素敵なアメジストの指輪。

 コンコンと音がして許可をするとエマがわたくしの部屋に入ってきた。

「お嬢様、傷の手当てをいたしますよ」

 すでに手には薬箱を抱えている。わたくしは頷くと椅子に座ってスツールに足を置いた。

 ドレスをめくると白い包帯が目に入る。膝に巻いたそれをエマが丁寧に解いていき、ガーゼをとると傷口が見えた。学園で転んでしまい膝に怪我を負ってしまった。傷自体は大したことはなかったのだけれど、出血したことがショックだったのか、エマが必要以上にかいがいしく怪我の手当てをしてくれている。

「傷跡が残らないといいのですが……」

 消毒をしながら、心配そうに傷口を見ている。

「大丈夫よ。日が経てば傷も治って元通りになるわ」

 お医者様からはすり傷と切り傷が少しあるだけで、すぐに良くなると言われている。エマが心配性なだけ。

「それなら、良いのですが。お嬢様、ブルーバーグ侯爵令嬢に注意なさらないのですか?」

「でもね、彼女がやったとは言えないのよ。ただ、通り過ぎる時に躓いただけですもの。転んだわたくしが悪いのよ」

「そうでしょうか? それだけではないでしょう? 教科書だって、被害を受けているではないですか」

「それも、彼女だと証明できるものはないの。後ろ姿を見ただけですもの。それだけで犯人だと決めつけるわけにはいかないわ」

「そうかもしれませんが……」

 エマは憤りを露わにしながらも手際よく包帯を巻いていった。
 
 あの日、鞄から教科書を取り出そうとしたらバラバラに引き裂かれた教科書が出てきたのだとごまかした。怪我だって、誰かとすれ違いざまに足と引っかけられたわけではなく、一人で歩いているときに、運悪く石に躓いて転んだ。それをフローラのせいにしただけ。
 いいえ、フローラがやったと断言したわけではなく、彼女がいたわ、見たわと匂せただけ。
 嘘を真実と思わせるための匂わせ。いざとなったら言い逃れができるものね。

 傷の手当てが済むとエマがわたくしの指に目を止める。

「素敵な指輪ですね」

 アメジストの深い紫に目を奪われて買ってきたもの。宝石は小ぶりなのが少し不満なのだけれど、わたくしのお小遣いで買えるのはこれが限界だった。でも美しい色合いにはとても満足しているわ。だって、レイ様の瞳と同じ色なんですもの。

「ええ、これはね、レイ様からの贈り物なのよ。今日、頂いたの」

 レイ様を思い浮かべると自然と顔が緩み幸せな気持ちになる。例え嘘だとしても。指輪をはめた指を掲げて光の反射で輝くアメジストにうっとりする。レイ様からもらったのだと強く自分に言い聞かせる。
 レイ様。レイニー殿下と呼ぶよりずっと親密さを演出できるものね。

「まあ、そうだったのですね」

 エマは大きく目を見開いて喜色の色を浮かべて両手を頬に当てている。そして、アメジストの指輪をしげしげと見つめ、ほぅと感嘆の息を漏らした。

「レイ様はとても優しくてわたくしを大事にしてくださるのよ」

 指輪を撫でながらレイニー殿下の話をする。

 接点も何もない。まともに話したこともないのに、わたくしが作り上げる物語の中では、わたくしたちは恋人同士だった。
 嘘は嘘を呼び、雪だるま式に大きくなっていく。あの日の愚行をごまかすために始めた嘘の物語は、ずっと続いている。今流行の小説になぞらえて話をすれば、エマは食いついてくれた。

「そして、今日はね、庭園でお茶をして、この指輪をプレゼントしてくださったのよ。わたくしへの愛情の証ですって」

 恥じらうように顔を隠して頬を染めるわたくしをニコニコとした笑顔で見ているエマ。

「お嬢様はお幸せですね」

 着替えをすませて髪を梳いてくれるエマが鏡越しに温かい眼差しを向ける。

「そうね、でも……この恋は実らないかもしれないわ。だから……」

 悲し気に顔を伏せるわたくしに状況を慮ったエマはそれ以上は何も言わなかった。

「大丈夫よ。いつまで続くかわからないけれど、今の幸せを大事にするわ。何があってもわたくしはレイ様を愛し続けるの」

 気を取り直してなるべく明るくふるまうとエマが目頭を押さえていた。ぐすぐすと鼻をすする音も聞こえる。
 健気なわたくしに感情移入したらしい。
 上手くいっている。

 悲劇のヒロイン。それがわたくしの役どころ。フローラはわたくしとレイニー殿下の恋路の邪魔をする悪役令嬢。嘘に真実をほんの少し混ぜて話を作る。最初は拙かった物語も慣れてくれば次々と出てくるエピソード。

 出会いはガーデンパーティーでそこからお互いにひとめぼれ。そして、西の宮で何度も逢瀬を重ねる。そこへ横恋慕したフローラが、二人の邪魔をしていろんな権力を使って殿下に結婚を迫っている。そんなストーリー。
 
 そのストーリーを実行するために遅く帰ったり、休日は用もないのに外出したりしてアリバイ工作をしている。
 過去の外出のいくつかはレイ様に会うためだったと話した。今日はプレゼントの品を買うために宝石店まで行ってきたわ。つけだと証拠が残るから、現金で買ったそれをレイ様からのプレゼントだと偽った。
 だって、恋人同士なのに贈り物がないのはおかしいでしょう? 

 物語の真実化は思ったよりも楽しくて、レイニー殿下をレイ様と呼ぶたびに胸がときめいて幸せな気持ちになるのよ。そして、それを我が事のように喜んだり怒ったりしてくれるエマがいる。彼女はわたくしの同志。わたくしの物語には欠かせない人物なのよ。

「お嬢様。わたしはお嬢様の味方ですからね。お二人の恋を応援します」

 エマの心強い言葉にウルっときてしまった。味方。わたくしにはないもの。持っていないもの。欲しかったもの。それをメイドのエマがくれた。

「ありがとう。あなただけよ。わたくしの味方はあなたしかいないわ」

 髪を結い上げてくれたエマの手を握る。

「そんな……使用人のわたしに頭を下げる必要なんてありませんのに。これからもずっとおそばに置いてくださいませ。お嬢様のお役に立てるように誠心誠意お仕えいたします」

 エマは涙声で誓ってくれた。

「もちろんよ。ずっとそばにいてちょうだい」

 契りを交わすようにエマを抱きしめる。
 両親も当てにはできない今、心のよりどころはエマだけだった。
 わたくしの夢物語を聞いてくれる。信じてくれる。たった、一人の人だった。わたくしたちは二人でいる時は夢の住人。わたくしはひたひたと近づく現実に怯えながらも夢の物語を紡いでいった。
 
 この夢物語もいつかは終わる。いったいどんな結末を迎えるのか……わたくしはまだ知らない。

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