私は初めて『恋』を知る

秋月流弥

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私は初めて『恋』を知る

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知ってる?
この町の山の上の大きな屋敷には天狗が住んでいるんだって。
ほら、あの家……立派なお屋敷でしょう。
春のはじめから冬の終わりまで一年中花が狂ったように咲いて屋敷の周りを囲むの。とても綺麗な庭よ。
でも、庭の手入れをしてる主人には話しかけてはダメよ。

あれは恐ろしい人喰いの天狗なんだから。

屋敷の主人は百年前からこの町に住んでいて、ずっと姿が変わらないことからそう呼ばれてるの。
綺麗な人だけど近づかないこと。
綺麗な薔薇にはトゲがあるという有名な言葉の通り、近づけばに捕らえられ喰い殺されてしまうかも。


けっして彼に近づいてはダメよ――……



◇◇◇


最も住みやすい町、移住先不動の人気堂々一位!  
……なんて謳われるこの町で生きるのがしんどいと感じる私は人間としての適正がないんだろうな。

穏やかな山と海に囲まれるそこそこの田舎町。
スーパーもショッピングモールもあれば小学校に中学校、病院に美容室に百円均一もある。バスは一日三本来る。

温暖な気候と相まって住んでる人間も温かいかと言われれば話は別だ。
噂話で盛り上がり小さなことで騒ぎ立てる人間が多いから、うまくやるには空気を読むこと目立たないことのスキルが重要である。

……まあ学校なんて小さな社会はどこも同じだろうけど。

ひとつだけ分かるのは、

“私のような存在”は学校ではかっこうの餌食になること。

「ねえ、あんただよね文塚ふみづか朱梨《しゅり》って。赤髪・・で入学式から目立ってる一年、あんたでしょ?」

咲いた桜が緑の葉に変わる五月頃。
県内の市立高校に入学して一ヶ月が過ぎた頃の休み時間。
廊下を歩く私の背中にトゲついた声が放たれた。
「朱梨は私だけど何?」
振り返る私の頭上で二つに結んだ赤色の髪がサラサラと揺れる。
振り返った先には上級生らしき女子生徒たちが複数いた。
「私たち三年生より新入生が目立たないでくれる?  赤い髪とか注目浴びたいのか知らないけど、うちらが一年の時はもう少し控えてたよ。メイクとかスカート丈とかさ」
生まれつき髪が赤色のせいで、私は入学してからずっと上級生や教師に容姿について問い詰められる毎日を送っていた。
そんな毎日を送ってれば、かわし方も慣れるわけで。
「毎日毎日言ってるけれど、これは生まれつきの地毛なんだけど」
「そんな真っ赤な髪染めてないワケないじゃん!」
「そう言えば切り抜けられると思うなよ!」
わーきゃー騒ぐ先輩たち。
「根本見ればわかるでしょ。ほら、ここ見えます?」
めり込むくらい頭を近づける。
「わー頭近づけんな!」
「気に入らないんだよあんた!  校内でも目立ちまくってるし。とにかく一年が調子のるなって言ってんだよダルい奴!」
「さっきから話してる内容もぜんぜん頭に入ってこないんだけど。先輩それ日本語ですか」
そんなことを言ってたら目の前に手のひらが迫っていた。

ヤバい、たれる。


「こら!  もうすぐ授業始まるぞ」
廊下に響いたその声を聞いてピタッと打つ手が止まった。

「宮本先生」
先輩たちが余所行きの顔になる。
「その上履きの色……お前ら三年か。三年生の教室は遠いんだから急がないと授業に間に合わないぞ」
「そ、そうですね。急がなきゃ」
「先生さようなら」
まさに鶴の一声。
上級生たちはいそいそと教室に戻っていった。
「君も教室に入りなさい」

「は、はい」
先生は私を一瞥すると教室へ入っていった。
(そっか次は英語の授業か)
英語は宮本先生の受け持つ教科だ。
(てっきり私のピンチを聞いて先生が助けに来てくれたのかと思った)

授業中。
頬杖をつきながら教卓で出席をとるを見つめながらぼんやりと思う。
通りがかりとはいえ先生が意地悪な先輩たちを追い払ってくれたのは嬉しかった。
ニヤけてしまう。

「……――では前回のテストの答案を返す。呼ばれたら前へ」

自分も名前を呼ばれて取りに行く。
答案を渡される時、先生の手が少しだけ私の指先に触れ、指に力が入る。「……頑張れよ」同時に小さく声をかけられ、私は微かに残った指先の温かさを覚えながら席についた。
(きゃー!  声かけられちゃった! 頑張れって何。どうしよう私顔赤くない?)
椅子に腰を落とし点数の部分を見た途端、顔色は真っ青になった。

「補習か」
頑張れよの意味は赤点に対する励ましだった。
「勉強してなかったもんなぁ」
放課後の教室で私は机に向かい問題集を解いていた。
補習は私ひとりきり。なぜ皆無事なのか。
まてよ。
(ってことは……先生とマンツーマン授業!?  むしろラッキーかも)

宮本先生は私の初恋だ。
髪が赤い私にも先生は対等に接してくれる。
接触はなくても宮本先生を見たら心が弾むほど好きだった。
まあ、単なる私の一方通行の恋だろうけど。

バシャッ。
「!?」
頭上から水が降ってきた。
見上げると先程の上級生たちがバケツを掲げてこちらを見下ろしている。
重くなった髪と水浸しになったノートを見て私は声をあげた。

「!?  あんたたち!!」
「休み時間は邪魔が入ったから今がチャンスだと思って」
ピキーン、と頭にきた。
「上等だよ。先にケンカ売ったのはそっちなんだからね!」
放課後の教室で大乱闘が始まろうとしたその瞬間、
「悪い。資料集めに時間がかかった」
補習の教材を抱えた宮本先生が教室に入ってきた。
水浸しの床、転がるバケツにずぶ濡れの生徒、ただ事ではないと認識した先生は、「何事だ」と私たちを引き離した。
そして私と先輩たちを交互に見ると、はあ、と大きく低いため息を吐き、冷たい視線を私に向けた。

「君は“いつか”やらかすと思っていたんだ」
「え?」

その瞳には呆れや軽蔑の色が混じっている。

「入学当初から悪目立ちしていたからな。地毛ということで目を瞑っていたが格好も派手で奇抜、同級生からは避けられ上級生とはケンカが絶えない……問題が起きるのも不思議ではないと思っていた」
「待ってよ先生、私何もしてないです。たしかに頭きてケンカ寸前だったけど、ずぶ濡れなの私だけでしょ、だから」
大丈夫。
宮本先生は私のこと信じてくれるよね。
「後で職員室に来なさい。事情によっては処分を軽くしてやる」
「…………!!」

堪えられなくなって私は教室を飛び出した。
なんで。なんでなんで。
どうして私のこと信じてくれないの!?

校門を飛び出す。
外は夕日で橙色に染まっていた。
どこに向かって走ってるかわからないけれど、私は走ることをやめられなかった。


「……ってどこ!?」

気がつくと山の中に立っていた。
大きな木々がそびえ立ち、夕日の濃いオレンジ色が長く黒い影をつくっている。

「ヤバい、来たことない場所だ。山だよね。けっこう登っちゃったし、帰れるの?  私」
不安を消すようにブツブツひとり言を呟いていると、屋根みたいなものが見えた。よく見ると風見鶏がついていて微風に煽られくるくると回っている。
それを見上げながら歩いていくと、そこには大きなお屋敷があった。
「立派なレンガ造り……絵本みたい」
庭も広く、花が咲き乱れている。

「うわぁ……キレイ」
庭で水やりをする人物が目に入った。
住人だろうか。
道を聞いてみようと近づくも、思わず歩みをとめた。

(すごい綺麗な男の人……)
如雨露を片手に花に水をやる男性はとても美しかった。
艶のある黒髪は微かな風に揺れ伏せた睫毛は長く切れ長な目を覆い、芸術品のように整った横顔、均整のとれた等身は浮世離れしていた。話しかけるのを躊躇うほどに。

って話さなきゃ家に帰れない。
「あのすみませーん。道に迷っちゃって、お聞きしていいですかー?」

「……」

男性は声に気がつくとこちらへ歩いてきた。
なぜかドキドキしてしまう。
「あのっ道を聞きたいんですけど、私、舞渡まいど高校から走ってきて、ここってどこなんですかね……――!?」

手を掴まれた。
血の気のない冷たい手が私の手首を掴み上げる。力が強い。
何事だ!?  と驚きで思考停止に陥ってると、男性が私に言葉をかけた。

「棘がある」
「え、……あ、ほんとだ」

すぐ近くに鋭い棘のある花があった。手に刺さるのを防いでくれたのか。
「庇っていただきどうもありがとう」
「山を真っ直ぐ下りれば家のひとつふたつ見つかるだろう。あとはその人たちに聞け」
「え」
「ここは人間が来る場所じゃない。じゃあな」

スタスタと屋敷の中に去ろうとする男性を引き留める。

「人間はって、まるで自分がそうじゃないみたいな言い方じゃん。お兄さんは人間じゃないわけ」
「お前、噂を知らないのか」
「噂?」

そこで私は思い出す。
生まれた時から近所のおばさんたちや幼稚園の先生からも聞かされてきた噂。
一緒に住む祖父からも口がすっぱくなるほど言われてきた。

『いいか。山の上の屋敷には近づくな。そこには……』

「もしかして人喰い天狗!?」
「だとしたらどうする。泣いてわめいて町の住人に助けでも求めるか」
「求めないよ。私この町の人たち大嫌いだし。今日学校で唯一好きだった人も嫌いになったし」
私の言うことに彼は面食らったような表情を浮かべた。
「人間が嫌いなのか」
「そうだよ。ていうかあなたは人喰い天狗確定なの?  痩せてるしとても人を食べるようには見えないけど」

と、そのとき強い風が吹いた。
風は私の頭に結んだ片方のリボンをさらっていく。

「え、嘘っ。お気に入りなのに!」
ジャンプしてとろうとするも空の上まで舞い手が届かない。
「騒がしいやつだな」
男性はため息を吐くと、同時に背中から翼を生やし空を舞うと風に揺れるリボンを掴んだ。って翼!?  
「ほら」

リボンを持ち着地する彼に私は興奮気味に詰め寄る。

「すごい本物!?  天狗初めて見た!  本当に山に住んでるんだね。翼も漆黒っていうの、綺麗で強そうだし格好いい! 触っていい?」
「触るな」
「天狗って鼻がびよーんて伸びてて顔も真っ赤だと思ってた。私の髪みたいに。あ、いやもっと鮮やかだろうけど」
「リボン、大事ならちゃんと結んでおけ」
彼はほどけた髪をひと束手にとると、リボンをくくりつけた。左右非対称なツインテールの完成だ。
「ど、どうもありがとう」
「綺麗な髪だな」

その言葉に心臓が跳ねた。
綺麗な髪って。
そんなこと初めて言われた。
ずっとこの髪の色のせいでいろいろ大変な目にあってきたのに、この人は町の人たちと違うことを言う。

学校での出来事より、山の上の庭先で出会った男性のことで私は頭がいっぱいだった。


家に帰ると祖父が仁王立ちで待っていた。
本日は自分が夕食当番だったことを忘れていた。
渋い料理が並ぶ食卓につきながら祖父に尋ねる。
「じいちゃん、いつも話してる噂話だけど、山の上のお屋敷の天狗って近づいちゃいけないくらい危ない人なの」
「その質問は今日の遅い帰宅と関係あるのか」
鋭い返し。
私の反応に、
「まったくお前は」
祖父は呆れ顔で私を見つめ、そして話し始めた。

「この町は昔は天狗の住む里だった。だが、人間が里に来て住むようになり、人間は天狗たちを里から追い出すため彼らを襲った。天狗たちは里から姿を消した。一人の天狗を除いてな。山の屋敷にいる天狗は残党だ。奴は憎しみから町の住人を襲うかもしれない。刺激してはならない。そう恐れられているんじゃ」

「なにそれ……」

勝手に奪って恐れて近づくなって、ひどい話だ。
祖父の話を聞きながら私は不器用に結ばれたリボンに手を伸ばした。


学校を終えると私は再び屋敷へ向かった。
庭の水やりをする彼を見つけて声をかけた。
「なぜいる」
「帰りに山を下るとき地図描いたんだ。これで道中もバッチリ」
「だからなぜお前が来る必要がある」
「お前じゃなくて朱梨・・。あなたの名前を教えてよ」
「……」
「まあいいや。祖父から聞いたの。あなた仲間がいたんだね。なのに人間たちに追い出されて生き残りはあなただけだって、ひどい話ね」

天狗の動きがぴた、と止まる。

「……仲間は死んでない。里が襲われた際、別の集落に避難している」
「あ、そうなんだ」

良かった。
噂も祖父の話も違う点はあるみたい。

「人々が俺たちを忌み嫌ったのは本当だが」
「あのさ……今でも人が憎い?」
「人が化物を恐れるのは仕方のないことだ。人を憎んでなどいない。俺がここにいるのは、仲間が帰ってくるのを待っているからだ」

「仲間を、待つ?」

天狗は庭にある大木に目をやる。
灰色がかった黒い幹は、

「大きな木……桜の木?」

「ああ」

桜の木は五月なのに葉もなければ花も咲いてなかった。
「皆が里にいた頃は綺麗な花を咲かせていたのに、あれから咲かなくなってしまった」
まるで心を閉ざしたように。
木の幹には花も蕾も見当たらない。
「きっと仲間が戻ってこれば桜はもう一度咲くと思う。だからここで戻ってくるのを待っている。彼らとこの花が咲く景色を見るために」
木を見上げる彼の眼差しは説なく、しかし、温かった。
「きっと戻ってくるよ」
私は天狗に言った。
「仲間想いなんだね」
「……ふん」
「あ、もうこんな時間」

帰らなければ祖父に怒られる。

「……おぼろだ」
「え?」
「俺の名前」
「!  朧!  また明日!」
「明日も来るのかよ」

呆れ声で言う彼だけど心を開いてくれたんだって思うと嬉しくて、私はスキップで帰路についた。


「やっほー来たよ!」

私は天狗の家にたびたび訪れるようになった。
日曜日の午前。
いつも夕日に照らされた庭と違って明るい陽射しを浴びた花壇は新鮮で良いな。
「朝から騒々しいな」
「おはよう。天狗もトースト食べるんだね」
庭に響く声を聞いてドアからトースト咥えた天狗が出てきた。
そしてため息。失礼な。
人喰いなどの噂も嘘だった。天狗は普通にご飯(炭水化物)をとるし新聞を読むし洗濯もする。
恐ろしい言い伝えと逆に、ここで過ごすうちに私は彼に親近感を一番抱いていた。


「うー……ん」
そして私は休日になると彼の庭に来てやることがある。
絵筆を持って庭に咲く花をじっと見つめ描いていると彼が声をかけた。
「絵画が得意なのか」
「うん。絵本作家になりたいんだ」

私は絵が得意で絵本作家になることが夢だった。
「赤毛のアンに憧れてたの。同じ赤い髪だし境遇的に勇気貰えるし。絵本もそれで大好きになったんだ」
「そうか」
「今度コンテストがあるから練習中なの……っていっても、私って髪がこれだから学校でもめることが多くて、そんな人間が絵本作家目指してるって変かもしれないけど」
「なぜ髪で争う」
「目立つと浮くし、気に食わないと目をつけられるからね。女子高生は大変なの」
「綺麗な髪だと言った」
「あ、ありがと」
「誇れる夢だろう。朱梨・・は絵も上手だし、自信を持てばいい」

名前、初めて呼ばれた。
真っ直ぐ真剣な目でそんなこと言うから、照れてしまう。

「いいな、夢があるというのは」
「朧だってあるでしょ。“皆と桜を見る夢”」
「たしかに、そうだな」

感情の機微の少ない彼が表情を綻ばせたのを私は見逃さなかった。笑うと年齢より幼く見えて可愛い。
(可愛いって、私ってば)
こそばゆい感覚に、つい話題を変える。
「そ、そういえば集落の仲間たちと連絡とってるの?」

「ああ、100年程とってない」

「100年!?  そんなに!?」
「最後にやり取りした手紙だ。集落の場所も記してある」
「うわボロボロ」
出された封筒はだいぶ年期が入っていた。
やっぱり天狗と人間では時間の感覚が違うんだな。
「返事は書かないの?」
「送ろうとしたが、長らく連絡が途絶えてしまった。新しい集落での生活も大変だろうし、もしかしたら自分のことを忘れてるかもしれないからな、そう躊躇っている間に月日が経ってしまった」

会いたいのに仲間のことを考えすぎて手紙を出せなかったんだね。

「でも朧は待ってるんでしょ。仲間たちと会うために屋敷に残り続けてるんだよね。なら、それが全てだよ」
「……そうだな。うん、そうだ」
朧は私の言葉に深く首肯いた。
「でも返事送ったらいいのに」
「送らない」
「ちぇ」



あれから学校で宮本先生を見てもどうも思わなくなった。
(どうしてあんな人好きだったんだろう)
朧のおかげで私は教室でも絵が描くようになった。
一心不乱で絵を描いてるとクラスメイトからも声をかけられるようになった。私を目の敵にしていた先輩たちは声をかけてくることはなくなった。

「朧聞いて!  今度学校の文化祭のポスター頼まれたんだよ!」
朧の屋敷にて。
私は仕事部屋で机に向かう彼に嬉々として語った。
『いい加減庭で騒ぐのはやめろ』と、彼は屋敷内(仕事用の応接間)に入れてくれるようになった。
彼は人間とほぼ同様の生活をしており、人間のふりしてライターの仕事をしている。
「そうか。よかったな」
「うん!  あ、仕事の原稿書いてるの?」
「手紙を書いているんだ」
「えっ」

それって、

「集落の皆に手紙を送ってみようと思う」
朧は封筒を持っていた。
「朱梨が夢に向けて前に進むのを見て俺も感化されてな。勇気を貰ったよ」

「朧……」

嬉しかった。
彼が自分から仲間に歩みかけてくれたこと、こんな自分でも誰かのためになれたことが。
「絶対喜ぶよ!  仲間たちに私のこと紹介してよ!  皆の似顔絵全員分描くから!」
「わかったから抱きつくな!」



ポストを開けては閉じる日々が続いた。
朧が手紙を送ってから何週間も過ぎたが、未だ返事は送られてこない。

「そう頻繁に見るな。何度開けても同じだ」
「でも」

きっと忙しいんだよね。
もう少し待てば来るかもしれないよね?

一週間、二週間、……一ヶ月と経過しても返事は来なかった。

「あれ」
ある日、私が屋敷を訪ねると屋敷には鍵がかかっていた。
「留守?  どこ行ったんだろう」
彼が屋敷にいないなんて珍しい。

「町に降りるわけないし……朧が行くところって」

なんとなく心配でドア前に座って待っていると、空からブワっと風が吹いてきた。
「あ、朧!」

彼は黒い翼を仕舞うと、無言で地面へ降りる。
心なしか顔色が悪かった。

「朧?」
様子がおかしい。

「朧……朧ってば!  どうしたの?  何があったの」
「……集落はなかった。とっくにそんなものはなくなっていた」
「え?」


その日朧は仲間たちの住む集落へ自ら向かったのだという。
手紙に記された場所に到着するも、そこには荒れ地が広がるだけだった。明らかに襲われた後だった。
地形から見て大分前と分かり、彼らが朧に手紙を出してすぐ襲われた可能性もある。否、手紙を出した時には既に集落は危険な状態だったのかもしれない。
それを聞いて私は唖然とした。
「私のせいだ。私が手紙を出そうなんて言ったから」
「違う。朱梨のせいではない。俺が自分の意思でやったことだ」
朧にとって残酷な真実を知ることになってしまった。
「ごめん、ごめんね」
後悔と自責の念で彼を抱き締める腕が震える。
「遅すぎたんだ。呑気に再会を待つばかりで仲間の死すら気づかなかった、俺は薄情者だ」



夜になっていた。
項垂れ地面に頭を垂れる彼はこのまま宵闇に溶けて吸い込まれてしまいそうだ。
絶望のなか桜の木を見上げる。
再会はもう叶わない。灰色の枝だけ残る木は亡骸のようで残酷だ。

「……?  っ見て!  朧!」

桜の枝に何かとまった。

淡い光だ。
夜空には無数の光の粒が輝いている。花弁のように舞う光は庭の桜の木に次々と留まり、まるで桜の花が咲いているようだった。

「綺麗……」

花あかりに誘われるように、私たちは光宿る木の方へ歩き出す。

温かい光だった。


“朧、会いに来てくれてありがとう”

“おかげでこうして我々も会いにくることができた”


声が聞こえた気がした。
隣に立つ朧も目を見開いている。

「もしかして……お前たちなのか」

“すまない。君が傷つくのを恐れて姿を現すことが出来なかった。君は待っていてくれたというのに”

そっか。

桜のように咲き誇るこの光の群れは、集落の仲間たちの魂なんだね。
「ずっと……こうやって見守ってくれたんだな」

“朧、君が思うよりずっと近くに我々はいる。悲観することはない。君の歩む未来を見守っている”


夜空の下で輝く桜はとても美しくて。
儚くて。
私たちはいつまでもそれを見つめていた。

隣で見上げる彼の頬に一筋の涙が伝うのを見て、私はこれからの未来も彼と迎えたいと思った。


私は恋を知ったのだ。


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