15 / 28
手だて 1
しおりを挟む
手首を強く握られ、引きずられるようにして市場を抜けた。
「さっきの、さっきの話は一の妃……」
男は無言でわたしを睨みつけた。
ああ、ばかだ。ほんとは何も聞かなかったと言った方が身のためだ。けれど尋ねずにはいられなかった。もしも、もしも姫さまが助かるなら、その手だてがあるのなら、聞かずにはいられない。わたしのもの問いたげな顔に気づいたのか、腕を掴む指に力が加わり、わたしはいよいよ口をつぐんだ。
土壁の迷路のような路地を抜ける。勝利に浮かれる人びとの喧騒や供されるご馳走の匂いが遠ざかる。いつしか宮殿の近く、傭兵たちの宿舎の前まで来ていた。
急ごしらえとはいえ、宿舎には堅牢な扉が付けられている。背筋がひやりとした。
このまま、ここに押し込められたら……!
今さらわたしの抵抗など何になるだろう。開けられた扉の向こうへ手荒に放り込まれた。
中は薄暗く、すえた汗の臭いがした。夜具だろうか。サンダルをはいたわたしの足が薄い絨毯を踏んだ。
窓は木戸が閉められ光が差さないため、目がなれない。うかつに逃げようと動いたら何にぶつかるか知れない。
小さく咳をする音がした。それから唸るような声も。体調が思わしくない兵士が残っていたようだ。あたりを落ち着きなく見回すわたしに、男がじれたように命じた。
「脱げ」
「え?」
思わずウードを抱きしめる。
「脱げよ、商売女がたりやしない。宿屋はどこも満杯だ。女は戦地で戦ったやつにゆずるものだ。楽士、もちろん副業もしているんだろう?」
言うなり、わたしのシャツに手をかけた。
男の手を払いのけて逃れようとした拍子に体がよろけた。
たたらを踏む足が柔らかいものにつまずき、転びそうになる。思わずウードを守る。
シャツが破ける音と、忍び笑いとが交じる。暗闇に慣れたわたしの目が床に寝転がる男たちを見つける。
「暴れるなよ」
こんなところで! ぐるりと見渡すと片手ではたりないほどの者たちがいた。にやにやと笑う顔を目の当たりにすると、頭から血が引けてきた。
「男でもいける奴だったのか」
「みさかいがないな」
「むこうでやれ」
あちらこちらから、声がする。中には指笛まで吹く輩までいる。
その間にも、男はわたしの体をまさぐり、服を脱がそうとする。
「あんたの顔なんども見たが、嫌いじゃない。金色がかった髪も青い目も。こどもみたいな声は、《取っている》ってことだろう? さぞや王宮の男どもに愛されただろうな。どんな声で啼くか、聞かせろ」
にやけた顔が目の前にある。
わたしの中で何かが切れた。
唾を男の顔めがけて思いきり吐きかけた。
「なっ! おまえ!」
一瞬の隙に男の腕から逃れたわたしはウードをかき鳴らした。
「わたしは、歌以外は売らない、なにも!」
回りのものたちがいっせいに、口笛や指笛を吹きならす。
「かっこわりぃな、ゾラン」
囃し立てられ、兵士ゾランの鼻息が荒くなる。
わたしは声も体も細かくふるえている。
「なら、歌え、歌ってみろ!」
膝から力が抜けて不様に倒れそうになる。必死でゆっくりと床に座ってウードを構えた。
わなわなと未だふるえる指は弦をおさえ損ねて、濁った音をたてた。
「なんだ、そのていどか」
ゾランは腕組みをし、わたしを見おろしている。わたしは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出すことを数度くりかえした。徐々に落ち着きを取り戻す。
突然、わたしの指は旋律を紡ぎ出す。流行りの歌だ。酒場でよく頼まれた恋歌。
出だしは高く、明るく、軽やかに。
わたしの歌が宿舎に響いた。指はもう震えていない。なめらかに弦をかき鳴らしていく。
姫の笑顔を思い浮かべた。わたしがこの歌を歌うと、目を輝かせたこと、ゆったりと腕を歌に合わせて揺らしたこと。
いつの間にか、揶揄するような声は消えていた。ゾランは目を丸くしていた。
わたしは恋歌の終奏から続けて、姫さまから教わった曲の前奏へとつなげていった。曲調がゆるやかに、しっとりとしたものへと変化していく。
水の流れのように、木々の葉がそよぐように、わたしは歌った。ゆったりと哀愁を帯びた歌が進むにつれて、暗闇のそこかしこから鼻をすする音がかすかにしてきた。
わたしは目をつぶった。まるですぐ隣に姫さまがいるように感じる。歌を歌っているときにだけ、わたしは姫さまと一つになれることに、今さら気づいた。
お元気だろうか、生まれ育った国と嫁ぎ先の国との争いに胸を痛めてはいないだろうか。
祈るような気持ちで歌い上げてわたしは演奏を終えた。どこからともなく拍手がしてきた。と、思う間もなく、拍手の渦に包まれた。ゾランを見ると、頬を強ばらせながらも、目もとがわずかに光っていた。
「おまえ、その歌は誰から教わった」
「……ユェジー姫さまからです」
ウードを抱いてわたしは答えた。ゾランが息を飲むのが分かった。
「先ほどのお話を、くわしく伺いたいのですが」
わたしは立ちあがり、ゾランの瞳を真正面から見つめた。
「さっきの、さっきの話は一の妃……」
男は無言でわたしを睨みつけた。
ああ、ばかだ。ほんとは何も聞かなかったと言った方が身のためだ。けれど尋ねずにはいられなかった。もしも、もしも姫さまが助かるなら、その手だてがあるのなら、聞かずにはいられない。わたしのもの問いたげな顔に気づいたのか、腕を掴む指に力が加わり、わたしはいよいよ口をつぐんだ。
土壁の迷路のような路地を抜ける。勝利に浮かれる人びとの喧騒や供されるご馳走の匂いが遠ざかる。いつしか宮殿の近く、傭兵たちの宿舎の前まで来ていた。
急ごしらえとはいえ、宿舎には堅牢な扉が付けられている。背筋がひやりとした。
このまま、ここに押し込められたら……!
今さらわたしの抵抗など何になるだろう。開けられた扉の向こうへ手荒に放り込まれた。
中は薄暗く、すえた汗の臭いがした。夜具だろうか。サンダルをはいたわたしの足が薄い絨毯を踏んだ。
窓は木戸が閉められ光が差さないため、目がなれない。うかつに逃げようと動いたら何にぶつかるか知れない。
小さく咳をする音がした。それから唸るような声も。体調が思わしくない兵士が残っていたようだ。あたりを落ち着きなく見回すわたしに、男がじれたように命じた。
「脱げ」
「え?」
思わずウードを抱きしめる。
「脱げよ、商売女がたりやしない。宿屋はどこも満杯だ。女は戦地で戦ったやつにゆずるものだ。楽士、もちろん副業もしているんだろう?」
言うなり、わたしのシャツに手をかけた。
男の手を払いのけて逃れようとした拍子に体がよろけた。
たたらを踏む足が柔らかいものにつまずき、転びそうになる。思わずウードを守る。
シャツが破ける音と、忍び笑いとが交じる。暗闇に慣れたわたしの目が床に寝転がる男たちを見つける。
「暴れるなよ」
こんなところで! ぐるりと見渡すと片手ではたりないほどの者たちがいた。にやにやと笑う顔を目の当たりにすると、頭から血が引けてきた。
「男でもいける奴だったのか」
「みさかいがないな」
「むこうでやれ」
あちらこちらから、声がする。中には指笛まで吹く輩までいる。
その間にも、男はわたしの体をまさぐり、服を脱がそうとする。
「あんたの顔なんども見たが、嫌いじゃない。金色がかった髪も青い目も。こどもみたいな声は、《取っている》ってことだろう? さぞや王宮の男どもに愛されただろうな。どんな声で啼くか、聞かせろ」
にやけた顔が目の前にある。
わたしの中で何かが切れた。
唾を男の顔めがけて思いきり吐きかけた。
「なっ! おまえ!」
一瞬の隙に男の腕から逃れたわたしはウードをかき鳴らした。
「わたしは、歌以外は売らない、なにも!」
回りのものたちがいっせいに、口笛や指笛を吹きならす。
「かっこわりぃな、ゾラン」
囃し立てられ、兵士ゾランの鼻息が荒くなる。
わたしは声も体も細かくふるえている。
「なら、歌え、歌ってみろ!」
膝から力が抜けて不様に倒れそうになる。必死でゆっくりと床に座ってウードを構えた。
わなわなと未だふるえる指は弦をおさえ損ねて、濁った音をたてた。
「なんだ、そのていどか」
ゾランは腕組みをし、わたしを見おろしている。わたしは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出すことを数度くりかえした。徐々に落ち着きを取り戻す。
突然、わたしの指は旋律を紡ぎ出す。流行りの歌だ。酒場でよく頼まれた恋歌。
出だしは高く、明るく、軽やかに。
わたしの歌が宿舎に響いた。指はもう震えていない。なめらかに弦をかき鳴らしていく。
姫の笑顔を思い浮かべた。わたしがこの歌を歌うと、目を輝かせたこと、ゆったりと腕を歌に合わせて揺らしたこと。
いつの間にか、揶揄するような声は消えていた。ゾランは目を丸くしていた。
わたしは恋歌の終奏から続けて、姫さまから教わった曲の前奏へとつなげていった。曲調がゆるやかに、しっとりとしたものへと変化していく。
水の流れのように、木々の葉がそよぐように、わたしは歌った。ゆったりと哀愁を帯びた歌が進むにつれて、暗闇のそこかしこから鼻をすする音がかすかにしてきた。
わたしは目をつぶった。まるですぐ隣に姫さまがいるように感じる。歌を歌っているときにだけ、わたしは姫さまと一つになれることに、今さら気づいた。
お元気だろうか、生まれ育った国と嫁ぎ先の国との争いに胸を痛めてはいないだろうか。
祈るような気持ちで歌い上げてわたしは演奏を終えた。どこからともなく拍手がしてきた。と、思う間もなく、拍手の渦に包まれた。ゾランを見ると、頬を強ばらせながらも、目もとがわずかに光っていた。
「おまえ、その歌は誰から教わった」
「……ユェジー姫さまからです」
ウードを抱いてわたしは答えた。ゾランが息を飲むのが分かった。
「先ほどのお話を、くわしく伺いたいのですが」
わたしは立ちあがり、ゾランの瞳を真正面から見つめた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを
青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ
学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。
お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。
お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。
レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。
でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。
お相手は隣国の王女アレキサンドラ。
アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。
バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。
バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。
せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる