花の簪

ビター

文字の大きさ
17 / 28

手だて 3

しおりを挟む
 翌朝、わたしは王宮の入り口にある塔へ登った。つい昨日、王が勝利を宣言した場所だ。
 塔には誰もいなかった。昨日の熱気が嘘のように静まり返っていた。赤と白のタイルが交互に組まれた床を過ぎ、透かし模様の彫られた扉を押して、バルコンに出る。
 とたんに、人々のざわめきが響いた。
 城壁の向こう、かなたの地平線が白くけぶる。空に雲はなく、研かれた瑠璃石の色だ。門のうえに立つ、見張りの兵が持つ槍の穂先が朝陽にきらめく。塔は東の門と向き合うように建てられているのだ。
 今日も人の出入りが多い。歩きの者もいれば、背中に荷を乗せた驢馬や大きな荷車を三人がかりで引いて門をくぐる者たちの姿もあった。
 鍛冶屋が刀を打つ音が、城壁にぶつかりこだまする。市場の屋台が肉や麺麭を焼く匂いが風に乗って届く。王が勝ちを得たことで、近隣に住む者が兵士に志願し始めたようだ。急激に膨れ上がった需要や人々を養うために食料や物資が運び込まれているのだ。
 バルコンの壁から首を左右に振ると、南北にひとつずつある水場には水汲みのための列ができている。壺を抱えたり頭に乗せた女たちが見える。
 南の水場は地下から湧き出た水、北の水場は遠くの山の雪解け水を運ぶために地下に掘られた水路、カナートで引かれた水だ。
 オアシスは王宮と城下を囲む城壁の中にある。畑は外の城壁に沿って日当たりのいい南側を中心に耕されている。農民たちは城壁のいちばん外側に住まいを持ち、日のあるうちは外で働き夜は家で休むのだ。
 門から向こうは、わずかな耕作地のほかに視界を遮るものは何もない。畑用に外まで引かれた水路が途切れると、緑はたちまちなくなり、砂礫と砂の大地が広がるばかり。視界のぎりぎりに、わずかに放牧されている家畜の姿が見えるぐらいだ。
 仮に、姫たちと外へ逃げられたとしても、あまりに目立つだろう。夜ならば闇に紛れることもできるだろうが、もとより夜は門が閉ざされている。扉を開けて欲しければ、門番たちにそれ相応の金を渡さなければ、ならないだろう。
 わたしの懐は、何人もの見張りに金をばらまけるほど、豊かではない。
 人目を盗み、どうやって姫を外に逃がせるだろう。
 ゾランは手だてを探せと言ったが、そんなものがあるのだろうか。しかし、身重の姫がオアシスから出ようとしているはずだ。不可能ではない。どこかにあるはずなのだ。
 荷車に紛れ込むとか、農民たちに混じって外に出るくらいか。いや、そもそも姫さまを部屋から連れ出さなければ。
 どうやって?
 どうどう巡りが続く。答えを見つけられず、無為に時間が過ぎるのが怖い。
 ゾランからのもう一つの助言、日にちを数えること。
 知らせを受けた東の軍が反撃に出るまで、あと何日残されているのだろうか。すでに闘いの火ぶたが切り落とされてから七日が過ぎた。王は夜明けと共に再び出陣した。東と懇意にしている場所は叩かなければいけないからだ。
 次に王が戻るのは、いつになるのか。王の出立に一の妃は、自ら王のいさおしをたたえる歌い皆を送り出した。見送りの王宮の者たちの中には、一の妃の身重の姫は体調が優れぬことを理由にお見えにならなかった。
 もしや、すでにここから逃げて行ったのかも知れない。
 急がねばならないのに。
 わたしは、バルコンの扉を閉めて塔を下りた。
 ゾランは答えを知っている。だからこそ、わたしに話したのだ。
 どこかにあるはずなのだ。
 ここから逃げ出す手だてが。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを 

青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ 学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。 お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。 お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。 レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。 でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。 お相手は隣国の王女アレキサンドラ。 アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。 バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。 バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。 せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました

処理中です...