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不器用なユノ
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午後七時、自宅マンションの扉のノブに手をかけて、片桐は目をつぶった。 眉間の皺がここ一週間でさらに深くなったと部下に心配された。定年まであと十年ほどあるというのに、めでたく退職を迎えられなかったらどうしてくれよう。
外からマンションを見あげたときには、ベランダに洗濯物が干されたままだった。十月の夜、あえて外干しする意味が分からない。
どうか今日は何事も起こっていませんように、と深呼吸して息を止め短く祈る。いっせいのせ、と勢いをつけて扉をひらく。
「うん?」
廊下の奥のキッチンから、なにやら焦げ臭いにおいがする。焦って靴を脱いで廊下へ一歩足を進めた片桐の体は小さくはねた。
照明が暗めで気づかなかったが、廊下のあちこちに水たまりができている。
「ユノ!」
「おかえり、片桐」
突き当りのキッチンから現れたのは、片桐の胸くらいまでしか背丈のない、少年とも少女とも見える人物だった。 歳のころなら、十三・四歳、肩あたりまである髪を後ろで結んでいる。白い半そでのシャツに、紺色の膝丈のキュロット、デニムのエプロンは明らかに長過ぎる。それが手から水滴を滴らせ、無表情のまま片桐の前に立つ。
「た、タオルを持って……いや、いい。こっちはわたしがやるから、ご飯を作りなさい」
「はい」
キッチンからのにおいは不穏さを増している。 ユノの首に装着されたチョーカーは「安全」のブルーのライトを灯しているのだが。
「ちなみに今夜は何だ」
キッチンへ戻りかけるユノに、靴下を脱ぎながら声を掛けた。
「おやこどん」
「卵は割れたのか」
「いいえ」
一礼するとユノはキッチンへと消えていった。片桐は、くらりとめまいがした。このままでは、白髪がよけいに増えるだけな気がする。 明日こそ、明日こそユノを「返品」してやる。つま先立ちでバスルームまでたどり着いた片桐は心に決めた。
「笈川っ!! モニターは終了だ。あいつは返品する、今日にでも取りに来てくれ」
片桐は仕事帰りに友人が社長を勤めるロボット製作ラボへ怒鳴り込むと、とうの笈川は事務所でお茶を飲んでいた。
「あら、どうして? モニターとはいえ、ユノは片桐の希望に沿った仕様にしたでしょ」
片桐とおなじく五十前というのに、テンパの長髪を派手なピンクにそめている色白でふっくらした大学からの同級生、笈川。笈川はロボット工学を学びアンドロイドの会社を大学卒業後に立ち上げた。
会社は今や中堅どころだ。面会をしているオフィスには、見本の老若男女のアンドロイドが何体も並べられている。生身は数人しかいないのに、やたら視線を感じて息苦しい。
「どこがだ」
「場所を取らない大きさで、口数がすくなく、家事全般をこなせる」
片桐は男性事務員にすすめられた椅子にどかりと座り、出されたお茶を一気に飲んだ。
「最後の、最後のところが、規格外だろうが。奴が来てから我が家はさんざんだ。卵も割れないって、なんだよ、洗濯物は生乾きのままクローゼットにしまうし、掃除をさせれば床が水浸し、それに」
笈川は、片桐のクレームをはいはいと聞きながら、痩せた男性事務員にお茶のお代わりを頼んだ。
「元気じゃん、片桐」
「げ、元気なわけないだろう!?」
片桐の語尾は声がひっくり返ってしまった。
「毎日、気が気でないんだよ。おれは、もっと静かに……静かに暮らしたいんだ」
二人のあいだに短い沈黙がながれた。
「泉美のご法事はするの? 年明けに」
二杯目の茶に口を付けた片桐は首を横に振った。
「泉美にもおれにも、付き合いのある親族なんていないから、やらない」
そっか、と小さくつぶやいた笈川は、クッキーの個包装をやぶいた。
「今年は一緒に花見が出来なくて寂しかったよ。持病のあるわたしより、泉美が先に行くとは思わなかった」
笈川に比べて半分の体の厚みしかない事務員が片桐に目配せして、さりげなくクッキーの箱を片付ける。社長の体がこれいじょう大きくならないよう配慮してのことだろう。
片桐がパートナーをなくしたのは、年の初めだった。いつも通り、お互いに朝部屋を出たのに、次に泉美に会ったのは病院の霊安室だった。 突然死だった。
「顔色、ちょっと良くなったじゃない。ユノと暮らし出してから、生活にメリハリがついたんじゃない?」
言われて片桐は笈川から視線をはずし、自分の頬をひと撫でした。
「おれの生活を気遣う笈川には感謝する。だが、あれはナシだ。返品する」
ユノが来る以前の片桐の暮らしは、ただ職場と住まいの往復だけだった。日々、泉美の写真やフォログラムを繰り返し見ては、あまりに急だった別れを恨んだ。
「そんなあ。せっかく泉美にもそれとなく似せて作ったのに」
「それこそ、要らぬ気遣いだ」
性別のないアンドロイドのユノは、どことなく泉美に似ていることに、とっくに気づいていた。けれど、つんとした鼻や、少し目じりの下がった黒目勝ちの瞳も、無表情でいられるとなんだか泉美との思い出を台無しにされているような気持になる。
「まだ十日くらいよ。新社員だって試用期間が三ヶ月あるじゃない。それくらいは使ってみて」
「人事課勤めのおれでも、採用しない」
「ユノには、最新のAIを搭載しているんだよ。一緒に生活していくうちに、学習して片桐の生活をサポートできるようになるから。それに、ユノと同じ型のアンドロイドのモニター、残っているのは片桐だけなんだ」
「はあ?!」
笈川は顔の前で両手を合わせて、片目をつぶって見せた。
「みなさん、AIが育つのに付きあってくれなくて。お願い、データが取りたいのよ、お願い」
それはそうだろうと、片桐はあきれてため息をついた。
「たしか、笈川製作所の次世代の期待の星になるって、言っていたくせに」
「今だってそう思っている。ユノタイプは、一緒にやって学習させるのが効果的だって言ったでしょ。面倒がらずに、ユノをサポートしてあげて」
それこそ逆だろうと、片桐は眉間にしわを寄せた。
「とにかく、ひと月くらい同居してみて。成功の暁には、それ相応の報酬を支払うって約束は守るからね」
片桐は昨夜の焦げたところと生なところ半々、おまけに殼入りの親子丼を思い出していた。あれをまだ続けろというのか。片桐は肩を落とした。
外からマンションを見あげたときには、ベランダに洗濯物が干されたままだった。十月の夜、あえて外干しする意味が分からない。
どうか今日は何事も起こっていませんように、と深呼吸して息を止め短く祈る。いっせいのせ、と勢いをつけて扉をひらく。
「うん?」
廊下の奥のキッチンから、なにやら焦げ臭いにおいがする。焦って靴を脱いで廊下へ一歩足を進めた片桐の体は小さくはねた。
照明が暗めで気づかなかったが、廊下のあちこちに水たまりができている。
「ユノ!」
「おかえり、片桐」
突き当りのキッチンから現れたのは、片桐の胸くらいまでしか背丈のない、少年とも少女とも見える人物だった。 歳のころなら、十三・四歳、肩あたりまである髪を後ろで結んでいる。白い半そでのシャツに、紺色の膝丈のキュロット、デニムのエプロンは明らかに長過ぎる。それが手から水滴を滴らせ、無表情のまま片桐の前に立つ。
「た、タオルを持って……いや、いい。こっちはわたしがやるから、ご飯を作りなさい」
「はい」
キッチンからのにおいは不穏さを増している。 ユノの首に装着されたチョーカーは「安全」のブルーのライトを灯しているのだが。
「ちなみに今夜は何だ」
キッチンへ戻りかけるユノに、靴下を脱ぎながら声を掛けた。
「おやこどん」
「卵は割れたのか」
「いいえ」
一礼するとユノはキッチンへと消えていった。片桐は、くらりとめまいがした。このままでは、白髪がよけいに増えるだけな気がする。 明日こそ、明日こそユノを「返品」してやる。つま先立ちでバスルームまでたどり着いた片桐は心に決めた。
「笈川っ!! モニターは終了だ。あいつは返品する、今日にでも取りに来てくれ」
片桐は仕事帰りに友人が社長を勤めるロボット製作ラボへ怒鳴り込むと、とうの笈川は事務所でお茶を飲んでいた。
「あら、どうして? モニターとはいえ、ユノは片桐の希望に沿った仕様にしたでしょ」
片桐とおなじく五十前というのに、テンパの長髪を派手なピンクにそめている色白でふっくらした大学からの同級生、笈川。笈川はロボット工学を学びアンドロイドの会社を大学卒業後に立ち上げた。
会社は今や中堅どころだ。面会をしているオフィスには、見本の老若男女のアンドロイドが何体も並べられている。生身は数人しかいないのに、やたら視線を感じて息苦しい。
「どこがだ」
「場所を取らない大きさで、口数がすくなく、家事全般をこなせる」
片桐は男性事務員にすすめられた椅子にどかりと座り、出されたお茶を一気に飲んだ。
「最後の、最後のところが、規格外だろうが。奴が来てから我が家はさんざんだ。卵も割れないって、なんだよ、洗濯物は生乾きのままクローゼットにしまうし、掃除をさせれば床が水浸し、それに」
笈川は、片桐のクレームをはいはいと聞きながら、痩せた男性事務員にお茶のお代わりを頼んだ。
「元気じゃん、片桐」
「げ、元気なわけないだろう!?」
片桐の語尾は声がひっくり返ってしまった。
「毎日、気が気でないんだよ。おれは、もっと静かに……静かに暮らしたいんだ」
二人のあいだに短い沈黙がながれた。
「泉美のご法事はするの? 年明けに」
二杯目の茶に口を付けた片桐は首を横に振った。
「泉美にもおれにも、付き合いのある親族なんていないから、やらない」
そっか、と小さくつぶやいた笈川は、クッキーの個包装をやぶいた。
「今年は一緒に花見が出来なくて寂しかったよ。持病のあるわたしより、泉美が先に行くとは思わなかった」
笈川に比べて半分の体の厚みしかない事務員が片桐に目配せして、さりげなくクッキーの箱を片付ける。社長の体がこれいじょう大きくならないよう配慮してのことだろう。
片桐がパートナーをなくしたのは、年の初めだった。いつも通り、お互いに朝部屋を出たのに、次に泉美に会ったのは病院の霊安室だった。 突然死だった。
「顔色、ちょっと良くなったじゃない。ユノと暮らし出してから、生活にメリハリがついたんじゃない?」
言われて片桐は笈川から視線をはずし、自分の頬をひと撫でした。
「おれの生活を気遣う笈川には感謝する。だが、あれはナシだ。返品する」
ユノが来る以前の片桐の暮らしは、ただ職場と住まいの往復だけだった。日々、泉美の写真やフォログラムを繰り返し見ては、あまりに急だった別れを恨んだ。
「そんなあ。せっかく泉美にもそれとなく似せて作ったのに」
「それこそ、要らぬ気遣いだ」
性別のないアンドロイドのユノは、どことなく泉美に似ていることに、とっくに気づいていた。けれど、つんとした鼻や、少し目じりの下がった黒目勝ちの瞳も、無表情でいられるとなんだか泉美との思い出を台無しにされているような気持になる。
「まだ十日くらいよ。新社員だって試用期間が三ヶ月あるじゃない。それくらいは使ってみて」
「人事課勤めのおれでも、採用しない」
「ユノには、最新のAIを搭載しているんだよ。一緒に生活していくうちに、学習して片桐の生活をサポートできるようになるから。それに、ユノと同じ型のアンドロイドのモニター、残っているのは片桐だけなんだ」
「はあ?!」
笈川は顔の前で両手を合わせて、片目をつぶって見せた。
「みなさん、AIが育つのに付きあってくれなくて。お願い、データが取りたいのよ、お願い」
それはそうだろうと、片桐はあきれてため息をついた。
「たしか、笈川製作所の次世代の期待の星になるって、言っていたくせに」
「今だってそう思っている。ユノタイプは、一緒にやって学習させるのが効果的だって言ったでしょ。面倒がらずに、ユノをサポートしてあげて」
それこそ逆だろうと、片桐は眉間にしわを寄せた。
「とにかく、ひと月くらい同居してみて。成功の暁には、それ相応の報酬を支払うって約束は守るからね」
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