不器用なユノ

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お留守番のユノ

お留守番のユノ

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 片桐が長めの出張に出かけた。
 ユノが片桐のもとに来て五年の歳月が流れていた。
今まで、二泊・三泊のものなら何回かあったが、今回は十七日間。とはいえ、ユノの日常は変わらなかった。
 朝、起動すると、観葉植物に水をやり床をモップで拭く。古風な片桐はいまだに新聞を購読しているので、新聞を回収。それから郵便物もたまに届くので、それの整理。
 アンドロイドのユノに飲食は必要ない。必要最低限のことをしたなら基本エコモードでユノの定位置である窓辺に置かれたユノ専用のソファにいる。
「灯りはタイマー設定すれば、自動で点灯消灯ができるからいいか」
 片桐は旅行用のスーツケースを納戸から引っ張り出して埃を払った。
 出張を前に、片桐とユノは打ち合わせをした。防犯セキュリティーがしっかりしているマンションとはいえ、防犯用に生活しているのと同じリズムで灯りがついた方がいいだろう。
「片桐、ユノが点ける。ユノが消す」
「え……別にいいが、バッテリーのもちに影響するんじゃないか」
 ユノのバッテリーは一日十二時間稼働で、約十日のもちだ。そしてユノは自分で充電できない仕組みだ。
「じゃあ、日中はあまり動かなくていい。掃除と水やりくらいだろう」
「家の中の片付けもする。人はそうやって時間を使う」
「へんなことばっかり覚える」
片桐は苦笑しながら、スーツケースを開けた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 片桐が出かけてから今日で五日だ。実質稼働時間は一日平均六時間ほど。バッテリーはまだまだ残っている。ニットのノースリーブのハイネックにハーフパンツ、そしていつものエプロン。ユノの服はこの五年でだいぶ増えた。
ユノは鉢植えのアマリリスの様子を観察した。今にも咲きそうなつぼみがいくつかある。咲くのはまだ一週間くらい先だろうか。
「片桐が戻るころ咲く」
 ユノはしばらくつぼみを見つめた。
 今日は台所の床を重点的にそうじする。窓を開けて部屋に風を通す。梅雨まえの乾いた空気がユノの頬にあたる。ベランダでしばらく風に吹かれていたユノは、髪をくしゃくしゃにして室内にもどった。
 掃除がすべて終わった。休んでいていいのだが、ユノは泉美のアトリエの扉を開けた。
 かつてユノが、泉美の机や本棚を強引に片付けようとした時があったが、今は元に戻されている。
 ユノは机の前の椅子に腰かけた。両の肘掛けに腕を乗せ、深く座ると足が浮く。ユノは足の先にスリッパを引っかけてぷらぷらと揺らした。
 しばらく、天井を見上げていたユノは、机の真ん中の引き出しから小さなジュエリーボックスを取り出した。
 二段式の上のトレイにはイヤリングやネックレスが入っている。下段に薬の包み紙のように小さくたたまれた紙がある。
 以前片桐に教えられた。紙包みには、泉美が亡くなったとき、身に付けていたピアスが入っていると。
―――見ると、思い出すから。
 片桐の泣きそうな顔をユノは見た。
 ユノはジュエリーボックスをしまうと、机に突っ伏した。
 絵具と、泉美が身につけていた香水の瓶がいまだに残る部屋。
 ユノは立ち上がり、片桐の寝室からクロークへ入った。片桐のスーツやコート、冬物が入った衣装ケースが並ぶ奥に、淡い色のワンピースが何着かかけられている。
 泉美の物だ。ユノはバーから桜色のワンピースをハンガーから外すと、自分のからだに当ててみた。
 泉美の服はユノには大きかった。歩くと裾を引きずってしまうくらいだ。
 ユノはワンピースを元の場所へかけると、寝室へ戻り片桐のベッドへ腰かけた。
 目覚まし時計の針が動く音だがする。ユノはベッドへ、こてんと横になり省力モードに切り替えた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 片桐の出張から、十日間経過。
[ユノ、変わりはないか。バッテリーは大丈夫か? あと少し待っていてくれ。お土産、買って帰るから]
 ユノは、夜中に届いていた自分宛のメールを端末で確かめた。
「お土産……」
 ユノは自分専用のソファの隣に置かれた棚を見やった。片桐が今までの出張のたびに買ってきたお土産がならぶ。
 小さな硝子のキツネ、首をゆらす赤い張子の牛、ちりめんを貼られたポックリ……。今一つ統一感に欠ける玩具たちだ。また何か増えるらしい。
 窓を開けると、雨だった。
 ユノは窓を閉めて、床にモップをかけた。
 片桐のベッドのベッドメイクを済ませると、玄関のシューズボックスから泉美のきゃしゃなサンダルを取り出した。
「……大きい」
 ソックスのまま履いてもなお、サンダルは大きかった。ヒールのあるサンダルを履いて立ち上がると、ちょっとだけユノの背が高くなる。玄関の鏡に全身を写してしばらく立ったままでいる。
 ユノは頭の上に手をかざし、何度か上げ下げしてからサンダルを脱いで片した。
 キッチンでお湯をわかしてポットに入れた。
 呼び鈴が鳴り、届いた宅配便を取りに行く。ユノがドアを開くと、業者の青年が目を丸くする。
「えっ、こども? ちがった。君は、アンドロイド?」
 ユノがチョーカーの色を赤くしながら、うなずく。警戒気味にドアを少しだけ開けるユノに、青年が笑いかけた。
「ごめん、あまり見かけることないから。これ、お届け物です」
 詫びの言葉と一緒に小ぶりの箱を手渡されて、ようやくユノの警戒が解ける。ユノがサインを書くと、青年はキャップのつばをつまんで頭を下げた。
 ドアを閉じたユノは、玄関にしゃがみ込み、チョーカーが完全に青くなるまで、しばらくうずくまっていた。
 昼過ぎに、またチャイムが鳴った。
「ユノ―、来たわよー、お母さんよー、開けてぇ」
 妙な裏声をインターフォンから響かせて、ドクター笈川がやってきた。赤いストライプ柄のワンピースを着ていて派手派手しい。
 玄関を開けるユノの態度は、宅配便のときと大差がなかったのを笈川は知らない。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「元気そうね。かわいい服装だね。片桐がいなくて、さびしくない?」
「ユノは元気、服は片桐が選んだ。さびしいとは?」
 ユノの開発者である笈川は、キッチンに入るとお茶の準備にかかった。唇に笑みをたたえ、大きめのトートバッグから菓子の箱を数種類取り出す。
「何か変わりは?」
 マドレーヌの箱を開けて笈川が尋ねた。
「笈川、持ち込みすぎだ」
 ユノが皿やフォークを笈川に渡した。
「いいじゃん。事務員がいないんだから」
 笈川はピンクのワタアメのような頭をゆらして、いつも菓子を片付けてしまう事務員への不満を語る。
「……あるものが無い」
「ん?」
「おはよう、ない。行ってらっしゃい、ない。ただいま、ない」
「うん。そうね」
 笈川はキッチンでまず、お茶を淹れた。
「笈川、ユノ、背が高いほうがいい」
「は?」
「髪、長いほうがいい」
「そお? そんなにあちこち変えたら、ユノじゃなくなるよ」
ユノは首を横にふった。チョーカーが徐々に赤くなる。笈川はユノの様子を見守って茶器を置いた。
「泉美になりたい?」
 ユノのチョーカーは深紅に発光した。笈川は菓子を一口かじって、ユノを手招きした。笈川はそばにきたユノを背中から抱きしめた。
「ユノは片桐が大好きなんだね。そして片桐もユノを大切に思っている」
 笈川はユノ専用のソファの横に置かれた棚を見やった。三段の棚はきれいに玩具が並んでいる。
「片桐のことだ。出張のたびに買ってくるんでしょ? ユノのために。五十過ぎの男がよ? 小さな玩具を持ってレジに並ぶ。たぶん、ちょっと恥ずかしいよ。いじらしいじゃん」
 ユノのチョーカーに青が混ざり、ゆっくりと青へと変わっていく。
「ユノはユノのままでいいんだよ」
 ユノは唇をきゅっとかみしめて笈川を見た。
「髪はもう少し長くして」
「うーん、どうしようかなあ」
 笈川が腕を組んで思案を始めたとき、ユノは動いた。笈川の腕を振りほどき、キッチンで開けられたお菓子を両手で掴んで、やにわに食べはじめた。
「な、なに? ちょっとユノ、やめて!」
 目の前のマドレーヌを平らげ、チョコケーキに食らいつくユノに笈川は悲鳴をあげる。
「わ、わかった! 次の点検のときに、髪を長くするから! だから、食べないで!」
「ほんと?」
「ほんと。約束する」
 ユノはようやく動きを止めた。
「もーっ、食べるったって、あんたは丸飲みするだけじゃない」
 空っぽの箱をかかえて、笈川が恨みがましくユノをにらむと、ユノはさっき届いた宅配便を持ってきた。
「これ」
 眉間にしわを寄せたまま笈川は小さな段ボール箱を開いた。とたんに笑顔になる。
「片桐が注文していった」
 そこにはなかなか手に入らない菓子店のクッキーの詰め合わせが入っていた。
 笈川は、お茶とクッキーを持って、リビングへ移動した。
「食べ過ぎはだめです」
 今度はユノが笈川にお茶を淹れてもてなした。
「ありがとう。これ食べたら、ユノの充電を始めよう」
 ユノのバッテリーは残りわずかだ。なぜか自分で充電できない仕様になっているユノは、誰かの手を借りなければ、電力がゼロになって動けなくなる。
「笈川は、なぜ面倒な仕様にユノを作った」
「一緒に住むんだもの。それくらい気をかけてくれてもいいじゃない。ただの便利なモノ扱いじゃなく」
 ユノが首をかしげる。
「家族っていうか、チームの一員になるんだから」
 笈川は結局ユノの制止を振り切って一缶クッキーを平らげてから、作業をして帰った。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 次に目を覚ますと、片桐が帰ってくる日になっていた。笈川がセッティングして帰ったらしい。片桐からのメールが届いていた。
〔ユノ、笈川から事情は聴いた。今日の夕方、そっちに帰るから。ユノ、駅へは迎えに来ないこと。あまり一人で出歩かないで欲しい。このごろは、アンドロイドの誘拐や闇市が報道されている。おとなしく待っていること〕
 メールを最後まで読んで、ユノはうなずいた。部屋の掃除を三日もしていない。ユノはモップで拭き掃除を始めた。アマリリスのつぼみは膨らんでいた。
 夕方になったら、と片桐はメールで知らせたが、強い雨が昼過ぎから降り始めた。
 ユノはベランダへ通じるドアを少しだけあけて外を見た。わずかに開けた隙間から、うなりをあげた風が雨を伴って吹き付けてきた。まるで台風だ。
 ネットのニュースが、天候の影響で電車が全面的に遅れている事を知らせている。片桐の現在地は、最寄り駅からまだ百キロ近く離れた場所に止まったままだ。
 ユノはキッチンのコップを何度も洗った。バスルームへ行って湯船を磨いた。
 一時間経過したが、雨足は弱くならない。ユノは窓にたたきつけられる雨粒を見つめるだけ。天気予報では、雨は夜七時までにはあがるという。
 片桐が移動を始めた。止まっていた電車が動いたようだ。それでも予定より、一時間以上遅れている。
 ユノはメールを打った。
〔ダイジョウブ?〕
〔大丈夫。ユノは部屋で待っていること〕
 片桐からの返事はすぐに来た。それでもユノのチョーカーは赤紫に光った。
〔今、乗換駅だ。あと二時間くらいでつく。いや、二時間かからないだろうから。待っていてくれ〕
 ユノは間を置かずに返事を打つ。
〔ユノ、迎えにいく〕
〔いや、家から出るな、危ない〕
〔危なくない。迎えに行ける。前も行った〕
〔五年前と今とでは、アンドロイドは安全とは言えないんだ。おとなしくしてくれ〕
 堂々巡りのメールの応酬が一時間ほど続いた。ユノは雨雲が切れて、茜色の空が見え始めたのを確認して、エプロンを脱いだ。小さなポシェットを斜め掛けすると、玄関に行って長靴をはいた。
〔家から出るな、待っていろ〕
 片桐から同じ文章のメールが何度も届く。しかし、ユノは家から飛び出した。最寄り駅まで歩いて十分、雨上がりの夕空に三日月が見えた。ユノは小学中学年くらいの背丈しかない。幼い子供と間違われて、何度も呼び止められそうになる。
 それを無視して、ユノは駅まで走っていった。ダイヤが乱れたせいで、駅は人でごった返していた。
 片桐のGPSは、片桐が近くまでやってきていることを教えた。
 電車の到着を伝えるアナウンスが何度も流れた。のぼり、くだり、急行、各駅……。
 ユノは改札口が見える柱に背中を押し付けて、片桐のモバイルの電波を追った。あと三駅、あと二駅、あと一駅。吸い込まれ吐き出される自動改札の人の流れをユノは凝視した。会社帰りの人や下校する学生、それらの人に混じって、ユノはただ一人の人を見つけた。
「片桐!」
 片桐はユノの声にぎょっとしたのか、一瞬足が止まった。が、次に動いたときには、人波をかき分けて走っていた。ユノも人の流れに逆らって走った。走った、片桐のところへ。
「ユノ、家で待っていろってあれほど」
 ユノはチョーカーの色を赤から青に変化させながら、片桐に抱きついていた。
「しかたないな」
 片桐は首に抱きつくユノをかかえて、駅を後にした。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「心配させないでくれよ、ユノ」
 ユノは片桐の荷ほどきを手伝った。洗濯するもの、元の場所へ戻すもの。
「これ、ユノにお土産だ」
 片桐は、小さな手毬をユノに手渡した。
「物が増える」
「そうか。俺は思い出が増えると思う」
 片桐は笑ってユノの頭を撫でた。
「さすがに疲れた。ユノの顔を見たら、なんだか安心したよ」
 片桐は大きなあくびをすると、ソファに横になった。ここで寝ちゃまずい、と片桐はつぶやくとじき寝息を立てた。
 ユノは寝室から毛布を持ってくると、片桐にかけた。灯りを消して、ユノは片桐に小さくつぶやいた。
「おかえりなさい、片桐」
 明日の朝には、アマリリスが花を咲かせるだろう。

                                                了
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