冬の恋人 ワンサイドゲーム

ビター

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 一年間、陸だけを考えて過ごしていたわけではない。

 旧国鉄払い下げの土地に新しくショッピングビルを建設する、駅前再開発プロジェクト。
 ビルに入るテナントの募集と交渉も含まれている。地方都市とはいえ、それなりのマーケティングを抱えている街だ。

 成功させるためには、綿密なデータ収集から業者との取引まで、現場で陣頭指揮をとる。

 上司が思っている以上の働きを見せてやる、という覚悟で来たのだ。生え抜きであることを証明しなければ、周囲は納得しないだろう。
 なにせ、ここに転勤してきた理由が理由だから失敗は許されない。けれど、それに関する陰口を気にする間もない。
 瞬く間に新年度を迎え、気づくと八月の夏祭りが終わり、プロジェクトにはゴーサインが本社から出され、本格的に忙しくなった。

 だから陸のことばかり考えてはいられなかった。
 ただ、あの日のように夜遅くタクシー乗り場で待つときは、自然と噴水広場に目が行った。いるはずのない、陸の姿を探している自分に苦笑した。
 忙しいときには思い出さない彼の面影も、仕事が一段落し、小休止を取る夜にはふと胸をよぎる。
 陸はどこに住んでいるのだろう。ここではないらしが。母親と二人暮らしらしい。家は貧しくはないだろう。彼の身なりと振る舞いから、それ相応の金をかけた教育がされていることが感じられた。
 高校……何年生だろうか。けれど、あの年齢の男子にしては慣れていた。男に慣れていた。あの晩の様子を思い出す。ためらわずに体を開き、わたしを受け入れる肢体は、どう考えても初めてではないだろう。
 陸はどんな経緯をたどって、恋人がいながら初対面の男に体を許す少年になったのだろう。
 そのくせ陸には、奔放さはなかった。陸はなにも望まなかったから。金くらい要求してもおかしくはないのに。何も……再会さえ望まなかった。
 陸の恋人はどんな人物なのだろうか。そもそもそれは、男だろうか、女だろうか?
 マンションの観葉植物は、二鉢に増えた。家族からはなんの連絡もない。
 女房は女房で確実な収入のある自立した女だ。あえてわたしの金はあてになどしない。息子の世話もわたしになど口出ししてほしくないだろう。
 息子の陸は、高校三年だ。どこの大学を受験するのだろうか。ろくな会話もないまま、ここに来てしまった。電話さえかけられずにいる、意気地の無い父親を陸はどう思っているのだろう。
 ー反省なんか、しないんでしょう?
 転勤が決まったとき、彼女はわたしにそう言った。
 反省ね……おそらくしていない。
 思い浮かぶのは、陸の顔ばかりなのだから。 



 師走に入ると、気持ちは落ち着きを失った。 陸はあらわれるだろうか。そのことばかりがともすると頭を占めて、仕事の効率が落ちた。プロジェクトは始まっている。駅前再開発ビルの建設には来年度早々に着工して、秋にはオープンする予定なのだ。
 次々と押し寄せるスケジュールをこなすうちに、たちまち仕事収めの日を迎えた。
 マンションを形ばかり掃除し、取り合えず新年の用意をしながら陸を思った。
 前回は、ろくに食べる物もなかったから、今年はなにか料理を用意しておこう。そう考える自分が滑稽で、買い物に出かける足が鈍ったりした。
 わたしは、陸が現れるものだと信じている。必ずまた会えると……。
 だから、大晦日を迎えた日には朝から完全に浮足立っていた。何時頃ならいいのだろうか。あのときは夜の九時を過ぎていた。けれど、かなり前からあの広場に立っていたらしい。ならば、夕方か? もしも行き違ったりでもしたら……。そう考えるだけで、家でじっとしていることなど出来なかった。
 昼少し前に広場に着いた。駅は帰省客や観光客で賑わっていた。
 それぞれが家族や友人、恋人同士だ。ひとりでいる自分がやけにみじめに思えた。けれど、陸がくれば別だ。彼がいればたとえ親子のように見えようともかまわない。
 ただ陸に会いたくてしょうがない。心の中で、意地の悪いもう一人の自分がささやく。
 自分の年齢を考えろよ。もうすぐ五十に手が届くじゃないか。腹はそんなに出ていないといっても、はたから見れば立派なオヤジだ。そんなおまえが、若い陸をどうしようというのだ。
 それはそうだ。陸だって本気になどならない。何も望まない陸は、わたしとの永続的な関係など望まないだろう。
 心は同じ命題をなんども繰り返し、そのたびに悲観的な観測しか導けない。落ち込む気持ちと、再会を期待する高揚感と、二つのあいだを行きつ戻りつする間に、短い冬の日は落ちた。
 陸は現れない。
 駅前はまばゆい光であふれ、それぞれが帰り道を急ぐ。広場に集まる人の輪も、集まっては崩れ、崩れてはまた集まる。
 陸は来ないのか?
 天の采配に任せよう……陸、君はわたしに会いたくないのか?
 わたしは会いたい。会いたいよ。
 不意に涙がこぼれそうになった。まったくいい年をして、子どもみたいに泣くなんて恥ずかしいじゃないか。わたしはティッシュを取り出し、鼻をかむふりをして涙を拭った。 七時が過ぎ、間もなく八時を迎える。…九時まで待ってみよう、それでだめなら諦めよう。体だって冷えきってしまった。このままでは、せっかくの正月休みが風邪ひいて、おじゃんになりかねない。だから、九時までだ。 そう決心したときだ。背後に人の気配を感じて振り返った。
「お父さん……」
 陸が、陸がいた。夢中で陸を抱き寄せた。
「陸」
 よかった、待っていてよかった。冷えた体に、去年と同じオーバーを着た陸が腕の中にいる。もう、それだけで満足だよ。
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