冬の恋人 ワンサイドゲーム

ビター

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 一緒に風呂に入ろう、と言ったのは陸からだった。確かに冷えた体を暖めないことには、風邪を引くことは必至だから、一にも二にもなくわたしは賛成した。
「背が伸びたみたいだね」
 洗い場で体をていねいに洗う陸の背中を見ながらわたしは話しかけた。
「うん、でもプラス二センチだよ」
 去年よりも肉がついて、頼りない風情は抜けたように感じられた。陸の若く均整のとれた体を目の前にすると、自分のたるみ始めた体が情けなく思える。それはしかたのないことなのだろうが。
 陸はシャワーで泡を流すと、わたしと向き合ってバスタブにつかった。
「今日はごめんなさい。バイトがひけてから急いで来たんだけど、長いあいだ待ってたんだね。風邪引かない?」
 しおらし表情で陸はわたしの目をのぞき込んだ。奇妙なずれを感じる。ふたりのルールを勝手に決め、まるで意地悪く振り返りもせずにマンションから立ち去った、あの陸と同一人物なのだろうか。
「大丈夫だよ。陸が来てくれたから」
「うん」
「会いたかったよ」
 わたしは陸の頬にそっと手を触れた。陸はその手を取り、答える代わりに掌に口づけた。
 そのまま口を閉ざし、疲れた表情をかすかに覗かせた。
「悩みごとかい? ……わたしと再会したことを悔やんでいる」
 陸は首を振った。ちがう、と聞き取れないほど小さな声で答えた。
「ちょっと、神経質になってるのかな。もうすぐ受験だから」
「受験? 陸は……高三なのか」
 プライベートなことを聞いて陸が気を悪くしないだろうかと不安になったが、陸のことが知りたいという気持ちは押さえられなかった。
「そう。正月が終わったらすぐにセンター試験」
「どこを受験するんだい? ここにも何校かあるけど、地元を受験するの?」
 それには答えなかった。陸はやはり自分のことはあまり話したくないようだ。
「合格しなくちゃならないんだ。絶対に」
 湯気のむこうで陸の顔が歪んだ。
「合格して、奨学金をとらなきゃいけない」
 陸はなんの話をしているのだろう。合格、という華々しい言葉と、奨学金という重い言葉を同時に使う。
「どうして」
「……家を出たい。もう、一緒にはいたくないんだ」
 陸は見る間に大粒の涙を流して泣き崩れた。うろたえながら陸を抱き寄せて、湯船から上がらせた。ずぶ濡れの体を子どもにしてやるようにタオルで拭いてバスローブを着せる。暖かなリビングのソファに座らせ、まだ泣きじゃくる陸の肩を抱く。
「だめなんだ、うちの家族はもう……。だから一人で暮らしたい」
 陸の家庭環境は落ち着いて勉強出来る状態ではないのかも知れない。張り詰めた神経のまま、新年を迎えようとしていたらしい。そういえば、バイトの帰りだと言っていた。受験目前なのに、バイトまでしているのか?
 わたしは、なにも答えることが出来ずに、ただ陸の髪の毛をなでていた。情けないが、それしか出来なかった。
「合格しなくちゃ、だめなんだ」
 陸は力の入らない声でつぶやくように繰り返す。なぜそんなに自分を追いたてるのか。陸はまじめすぎるのだろうか。
「わたしと暮らすかい?」
 陸がはっと顔をあげた。瞳に喜びとも驚きともとれる表情を浮かべていた。
「だめ。それはだめ」
 陸は途方に暮れたように遠くを見る目つきをした。おそらく誰かを思い浮かべたのだ。
「恋人がいるから?」
 うん、と陸が答えた。予測はしていたが、胸が痛む。そうだな、わたしとなんか住むはずない。
「ごめんなさい。でも俺、お父さんがそう言ってくれてとても嬉しいよ」
「いいんだよ。でも、そうすることも不可能じゃない。もしも家にいづらくなったら、いつでも来てくれていいんだよ」
 陸にわたしの本心を伝えると、ようやく笑った。そのまま顔を引き寄せ、額に口づけした。
「大丈夫。陸は合格できる。わたしの願いをかなえてくれた、こんないい子の陸の望みがかなわないはずない。大丈夫……」
 うん、と陸はまだ涙を流しながら、嬉しそうにわたしの腕に飛び込んで来た。
 そう、陸はいい子だよ。



 陸を眠らせたくなかった。
 朝が来るまで、抱いていたかった。わたしが眠ってしまったら、その間に何も言わずに消えていきそうで、怖かった。
 だから、何度も抱いた。
 お互いにほとんど眠らず朝を迎えたとき、それでも陸はひとりベッドから起き出し、帰り支度を始めた。
「もう、行くのかい?」
 陸の背中にわたしは問いかけた。
「うん。初詣での待ち合わせをしている」
「恋人と?」
 オーバーを手にして陸が振り返った。昨夜よりも、明るい表情をしている。
「恋人の名前を教えてくれる?」
「……ユタカ」
 ユタカ。恋人は男の子か。それを聞いてどこかほっとしている自分がいた。
「ここの大学を受験するんだ。合格したら、こっちに住む」
 胸が高鳴った。この街に住む? そうなったら、ルールを変えて会ってくれるのだろうかとわたしは期待した。
「だから、もし街で会っても他人のふりをして、絶対に」
 陸の頬が強ばっている。これはルールの再確認だったのか。十二月三十一日と、一月一日では陸は人格が変わってしまうのだろうか。
「わたしは、迷惑だよな。きみとユタカくんの関係にとって」
「ちがうよ。お父さんはとても好きだよ。でも」
 でも、と陸は言葉を切った。その沈黙は、陸が恋人とわたしを区別しているのか推し量るには充分に思えた。
「わかった。約束は守る」
 わたしはまた、陸の条件を飲むしかなかった。
「守れなかったら、終わりにしよう」
 まるで氷の刃だ。
 陸はオーバーを羽織ると、足早に玄関に向かった。わたしもガウンを肩にかけ、見送りに立った。
「陸、受験はベストを尽くせばいいよ。後悔しないように」
 振り返ると陸はまた去年のようにキスをわたしと交わした。
「会えなくても、わたしは応援しているよ」
 出て行く陸の背中に、そう声をかけた。
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