冬の恋人 ワンサイドゲーム

ビター

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 翌月、異動の内示が出され、わたしは東京に戻ることになった。
 忙しく部屋を引き払い、あの懐かしい噴水広場に別れを告げた。最後に見た広場は、初秋の日差しのなか、鳩の群れがのんびりとパン屑をついばんでいた。
 本社に戻ると、また同じ日々の繰り返しが待っていた。山のように押し寄せる仕事をこなす。まるで、ダッシュのインターバルを繰り返すように。
 そんな毎日の中でも、リビングに置いたベンジャミンの葉陰に陸の姿を思い浮かべる夜も幾度かあった。彼は、またあの広場でわたしを待つ日があるのだろうか。
 一年が過ぎ、二年が過ぎ、息子は建築士としての道を歩み始めた。
 妻は相変わらず、忙しいく戦場へと繰り出して行く。勇ましい彼女を見ていると、わたしたちは同志なのだと、見えない絆を愛しく想う。
 五年も過ぎて、あのM市での暮らしが夢のような彩りをもち始めたころ……。
 父さん、母さん、会って欲しい人がいるんだ。
 と、陸が緊張した顔で冬期休暇に入ったわたしと妻に、ある朝告げた。
 妻とわたしは、互いに目配せしながら快諾した。
 大晦日なんて慌ただしい日で悪いんだけど、外で食事でも。
 陸は、顔を赤くしてその日の約束をわたしと妻にとりつけた。
 妻と陸は、その日も打ち合わせ程度の仕事が残っていたので、わたしはひとり待ち合わせ場所まで行くことになった。
 年末の東京は、普段よりも人が少なくなって、こころもち空気も澄んでいるように感じられる。
 珍しく雪が舞う街を足早に歩いていると、見覚えのある青年とすれ違った。
 トレンチコートを形よく着こなして、フォーマルなコート姿の見事なストレートを背中まで伸ばした美しい青年と肩を並べて歩いていた。何を話しているのか、穏やかな笑顔のままで歩く二人は、人目をひいてやまないほどだった。
 瞬間、誰かは思い出せなかった。目が引きつけられ、すれ違う刹那に思い出した。
 陸!
 確かに、彼だ。青年に成長した、陸だ。
「きみ!」
 ためらうより先に、声をかけていた。振り返った陸の瞳が少しだけ揺れた。揺れて、そしてわたしにほほ笑んだ。
「どちら様ですか?」
 陸は大人になっていた。もう、あの淋しげな少年の目をしてはいなかった。二の句が継げないわたしを、怪訝な表情で長髪の青年が見ている。
「雄高の知り合い?」
 ユタカ? 
「いや、知らない。人違いみたいだよ。行こう、史彦」
 ユタカと呼ばれた青年は、くすりと笑うと上目使いにわたしを見つめ、そして雑踏のなかに紛れていった。何かを問いかけた彼の頭を軽く小突いたりしながら、さりげなく腰に手をまわし、人込みへと消えていった。
 わたしは白い息を吐きながら、彼らが消えた方向をいつまでも見つめた。
 そして、不意に気づく。恋人に自分の名前を隠した彼のロジックに。
 彼はもう淋しい子どもではない。大切な恋人と、新年を迎える。彼は恋人と帰る場所を見つけたのだ。
 そして、わたしも取り戻した家族と、そしてそれに新たに加わるだろう息子のパートナーとで、新しい年を迎え、次の季節に進むだろう。
『他人のふりをすること』。
 ルールは健在。
 ならばゲームはいまだ続行中なのだろうか。
 あの場所にいけば、少年と青年との狭間の彼に出会えるのだろうか。
 ありえない、そんなことを本気で想う自分がおかしかった。
 父さん!
 振り返ると、仕事を終えた陸が優しげな女性と一緒にいるのが見えた。
 日々はまた繰り返す。わたしの手の中はからっぽ。
 妻の言葉ではないが、泣きながらでも生きていける。
 それで……充分じゃないか。


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