HEAVEN'S GATE IN THE SKY.

ビター

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『おれは最低だ』
 薄汚れた木の引き戸ごしに、かすかにうめき声が聞こえてくる。
 夏休みを明日からに控え、盛夏に差しかかった午後の熱気に巻かれながら、雄高ゆたかは生物準備室の前にうずくまっていた。額から汗がにじみ、まとまりながら滴になるのを、ただじっと感じている。男子ばかりの校舎は掃除が行き届かず、雄高が座る廊下の隅の綿ぼこりがわずかな風に転がった。
 扉の向こうでー親友の史彦ふみひこは数学教師の安騎野あきのと二人きりだ……。
 何をしているのか、知っている。いや、史彦が安騎野に何をされているのか知っているのだ。等間隔に小さな悲鳴が聞こえる。そしてソファがきしむ音がそれに加わる。
 声が聞こえるたびに、腰のあたりからあの日の痛みが背中を駆けあがる。
 史彦! 雄高は何度も胸の中で叫んだ。助けには行けない、けれどこのまま見捨てて逃げることもできない。
 自分に取れる道は、ただここにいるしかないのだ。
 史彦を裏切ったせめてもの償いとして。
 どれほどの時間が経ったのだろう。校舎裏の林から蝉の鳴き声が盛んに聞こえる始めたころー不意に扉が開いた。
 見上げると、冷たい安騎野の瞳にぶつかった。百八十を越える長身に加え、痩せぎすの体を夏のさなか、薄汚れた白衣で包んでいる。
碓氷うすい、いたのか」
 雄高を見おろすように一瞥すると、白衣のポケットから取り出した数枚のポラロイド写真を投げつけた。
「土産だ。今日の礼。とっておけよ」
 立ちあがった雄高はそれを見ることもせず、ズボンのポケットに乱暴に押し込み安騎野と向かい合うと、いつものタバコの匂いに混じってかすかに血の匂いがした。
 雄高がわずかに眉根にしわを寄せると、その意味に気づいたのか安騎野が鼻先で笑う。
「じゃあな」
 眼鏡を押しあげ、安騎野は何事もなかったかのように立ち去った。
 込み上げてくる怒りと、今にも泣き出したい気持ちと。雄高は急いで準備室の中に駆け込んだ。
 室内は静まり返っていた。三方の壁は、ホルマリン浸けの標本や生物の専門書が並び、正面には古ぼけた年代物の木製の机。その手前に部屋を仕切るように置かれた、ここには不似合いなほどの大きな革張りのソファが入り口に背を向けている。
 ただひとつの窓にかけられた黄ばんだカーテンが、細く開けられた窓から吹き込む風に時おりふくらむ。この部屋は生気が感じられない。まるで主の安騎野に倣うように。
 雄高は怖い気持ちでソファに回り込んだ。こつんと、ちぎれたボタンが上履きのつま先にあたり、棒立ちになった。
 瞬間、血が逆流した。
 史彦がいた。自分のネクタイで後ろ手に縛られ、きつく目を閉じ、半裸のまま横たわっている。乱暴に脱がされた服は床に散らばり安騎野の暴力のひどさを物語っている。
「史彦……!」
 身体を抱き起こしながら、震える手で戒めを解いてやった。
 身体のそこここに残る安騎野の行為の跡。やはり何回か顔を殴られたのだろう。赤くなった頬が涙で汚れていた。たまらず雄高は史彦を抱き締めた。
「っう」
 我慢していたものを吐くように、史彦が声を小さくうめき声をあげた。      
「史彦」
 雄高は体をはなすと、手近なものをかき集め史彦の体にかけながらその顔をのぞき込んだ。
「なんで雄高が……」
 史彦はつかのま困惑の色を瞳に浮かべ、そのまま目をそらした。
「出てけよ! 出て行け!」
 史彦の言葉が突き刺さる。雄高は重い足取りで準備室から出て行くしかなかった。
 廊下は風通しが悪く、特別教室ばかりが並ぶ第二校舎は訪れる人もなく静まり返っていた。ただ、蝉の声が廊下に響き、遠くで雷の音がかすかにしていた。
『最低だ……』

                        ※

 バイト先の書店で、その話をしたのは期末考査が終わって二週間が過ぎたころだった。
「俺さ、まじでヤバイかも知れない」
「何が?」
 明日入荷予定のリストに照らし合わせながら、古い号の雑誌を抜き取る作業の手を止め、雄高は史彦を見やった。
 史彦は、雄高の持つリストをのぞき込むと、手にした雑誌とそのタイトルを見比べた。
「期末考査でさ、赤点が三教科もあってさ」
 腰を伸ばすと、肩まで伸びた癖のない髪をかきあげながら少しばかり眉根を寄せて、いかにも『まいった』という表情を作った。
「あ、それなら俺もとった」
「何?」
「数学」
「ふーん、おれも数学。それと英語と経済……」
 うつむくと、史彦のまつげの長さにいつも目を引かれる。身長も体重も雄高とさほど変わらない。けれど、どこか彼がひよわに見えるのは家庭環境のせいかと雄高は思う。
「経済のレポート出しておけばよかった……。面倒がってサボったツケが来ちゃったかな。ここんとこ提出物もろくにこなしていなかったし」
 史彦は赤点の原因になったらしい、それらを一つずつ数えあげては指を折る。 
「やばくない? 二人してさ、担任の教科落としてさ」
「大丈夫じゃない? 夏休みまであと何日だよ、一週間ないぞ。保護者呼び出しとかあるなら、とっくに連絡があるはずじゃないか。それもないんだから、せいぜい補習に出るか課題が多めに出されるかどっちかなんじゃない? 第一、安騎野ってそんなの無頓着そうだし。なんか他の先生たちと比べるとぼーっとしてるっていうか、なんていうか……職員室じゃなくて、準備室に閉じこもりっきりだし、時々酒臭いし、授業中も暇さえあれば空ばっかり眺めているし」
 雄高の数学担当は一年の時から安騎野だった。厳しい教師ではない。
 史彦よりは、いくらか安騎野のことを知っている。同じ駅から電車に乗る安騎野と一緒になることがあるからだ。そんな時でも、誰にも無関心なようで同じ学校の生徒たちにも特別目を配るということをしない。
 そうは気楽に答えたものの、雄高は初めて取ってしまった赤点に不安を覚えていた。それは史彦も同じように見えた。前学年までは、決して低くない順位をキープしてきた二人だ。変わったことと言えば、冬休みからここで校則違反のバイトを始めたことだろう。
「でさ、いくらエスカレーター式で大学に行けるからって、あまりひどい成績じゃ推薦ももらえないじゃない」
 それは確かだ。抜いた雑誌をカートに乗せながら雄高は自分の成績について考えた。成績表を母に見せたのはいつまでだったろう。高校に入学してからは、親と学校の結びつきは弱くなる。母は自分の活動が生活の中心になり、雄高に無関心になってからずいぶんと月日が流れた。
 今日は顔を合わせたか? いや、ここ一週間ばかり顔を見ていないような気がする。
「夏休み中に予備校の集中講座に出ることにしたんだ。もう二年だし」
「じゃ、バイトどうするんだ、辞めるのか。夏休み中頑張って、パソコンのパーツ買うんじゃなかったか」
 雄高の勢いに押されながら、ちがうと史彦は慌てて首を横に振った。
「だからさ俺、夜のシフトに回してもらうことにしたんだ。日中は六時まで雄高で、夜はおれと坂井君で。坂井君はさ、朝に弱いから夜の方がいいんだって」
 辞めるわけじゃないーそう聞いて雄高は安堵した。バイトしていればこそ頻繁に会うこともできるが、住む家はひと駅離れている。ほかに友人がいないわけではないが、雄高は史彦に会えないことが意外なほどダメージになったりする。
「店長もそれでOKくれたよ」
「そうか。おれも参考書でも買って勉強するしかないかな」
「そうだな、たまには違う本も買ってってくれよ、ふたりとも。まったく、灰智かいちはパソコンとゲームだし、碓氷は情報誌しか買わないから。ここの参考書は結構充実していると思うんだけどな」
 いつの間に来たのか、店長の榊がふたりの後ろに腕組みをして立っていた。三十代前半とはいうけれど、がっしりとした体型と少しだけ薄くなった髪の生え際のせいで、実年令よりも上に見られがちだ。もっとも、その若さで国道沿いの郊外型書店を任されているのだから、店長は業界の中で切れることで有名だ。
「手が止まってるぜ。閉店三十分前だから、灰智はモップ押してくれ。碓氷はさっさとそれすませてくれよ」
 史彦はあわてて返事をすると、モップを取りに事務所へと走って行った。
 腕時計を見ると九時半を回っていた。少し急がなくては仕事が終わらないだろう。見渡せば涼を取りに来ただけ、という冷やかしの客も姿を消していた。何人かの常連が、雑誌や文庫のあたりに三々五々散らばっているだけで、店内は不思議な静けさが漂っている。
 ガラスにへばりついた小さな虫が羽をふるわせている。雄高は時々、ここが巨大な水槽のように感じることがある。閉店まぎわ、外の国道を流れるヘッドライトがまるで色とりどりの魚の尾ひれのように見えるとき、その思いはますます強くなる。
 機械的にこなす作業の手を止めさせたのは、意味ありげな表情でモップを押して来た史彦だった。少しはなれたところで足を止めると、小さく手招きして雄高を呼ぶ。
「なんだよ」
「あいつさ、また来てるよ」
 ほぼ同じ身長の雄高の耳に口を寄せると、史彦がさも重大な情報、とでも言うように雄高に小声で耳打ちした。史彦の髪が首筋にあたり、雄高は少し動揺したが、そんな素振りは見せないように努めた。
「あいつ、絶対おまえに気があるって。さっきからちらちら雄高のこと見てるぜ」
 雑誌の棚から、あいつが少しだけ見えた。あいつは夜の常連で……。
「そうかな、おれはお前のほうが目当てだと思うけど。それよか、さっさと仕事すませちまおうぜ。また店長にどやされるし」
 お互いに含み笑いをしながら、またそれぞれの作業に戻った。
 あいつは夜の常連で、ホモセクシャルだ。
 その手合いの雑誌を買いに来る。一見どこにでもいるような風体、おそらくは二十代前半。中肉中背。人に嫌悪感を与えるタイプではない。まるで空気みたいだ、と史彦が以前言ったその言葉に雄高も賛成する。
 初めてその雑誌を持って『あいつ』がレジに現れたときには、正直手が止まりかけた。営業用の笑顔が強ばった。知識として知ってはいてもホンモノがごく少数でも現実にいることを目の当たりにした時の驚きはちょっと説明しづらい。
 そういう客でリピーターは珍しいので、店では有名な存在だ。
 狙いすましたように、雄高と史彦の勤務時間帯によく現れることで、どちらが本命なのか一時店員たちの間で噂にもなった。
 しかし、あいつは自分とは別の世界の住人だと雄高は思っている。たとえ時おり史彦が来店した中学時代の女友だちと話しをしているのを見るときに、胸に言い知れない痛みが走るとしてもだ。
 それは嫉妬心かもしれないが、雄高が史彦に向けるものは、『恋愛』と名づけるものではない。自分を一番大切な友人として見てほしいという独占欲みたいなものだろう。そう思うことにしている。さっきみたいに、史彦が何げなくする動作にいちいち意味を求めて、どきまぎする自分がおかしいのだ。
「碓氷、終わったか? 外看板の電気消して来てくれ」
「はい」
 午後十時。営業時間は終わっていた。『蛍の光』が流れる中、カートをレジわきの作業スペースに置き、店外に出ると梅雨明け間近の湿気交じりの重苦しい熱気が、身体を包んだ。エアコンで冷やされていたが肌がたちまち結露し、数瞬後じわりと体から汗がしみだす。両手をエプロンのポケットに入れながら空を見上げると、まわりの光りに邪魔されながらも一等星クラスの星が辛うじて見えた。明日は久しぶりに晴れるのかも知れない。
 駐車場を横切り道路沿いの看板まで歩こうとしたとき、車に乗るあいつと目が合った。 雄高がなにげなく目礼すると、意外なことに向こうも返した。そしてそのまま車をスタートさせると国道を右折していった。
 走り去るテールランプを眺めながら、あいつはどこでどんな暮らしをしているんだろうかと少しだけ考えた。
 雄高は、いつもとさとて変わらないアルバイト勤務の終わりを迎えていた。
 雄高が安騎野から呼び出しを食らったのは、その翌日のことだった。

                   ※

 呼び止められたのは、三時限と四時限のほんの五分間の休憩時間に隣のクラスへノートを借りに出かけたときだった。
「碓氷、ちょっと」
 出席表と教科書を携えた安騎野は声をかけると、立ち止まった雄高に歩み寄った。
「放課後、生物準備室に来るように」
 どうして、とたずねそうになったが、察しはついた。
「分かっているだろう」
 雄高が力なく無言でうなずくのを確認すると、安騎野は去っていった。すれ違いざま、タバコの残り香が雄高の鼻孔をかすめた。
 まいったな……雄高は口の中でつぶやいた。ネクタイをゆるめたのは、暑さのせいばかりではなかった。
 そのことは史彦には話さなかった。赤点ひとつの雄高でさえ呼び出しがかかったのだ。 三つもとった史彦にはどんな厳命が下るかわかったものではない。下手をすれば、保護者の呼び出しがあるのかもしれない。
 お互い、親子関係が円満ではないと自覚がある。雄高の母は彼に無関心だし、史彦は父に迷惑をかけたくないと普段から思っているからだ。
 そんな史彦にいまからプレッシャーを与えることはできない。とりあえず、自分が安騎野に注意されてから、なんとかふたりで策を練った方がいい。
 それ以降の授業には身が入らなかった。史彦は今日の放課後、予備校の講座のガイダンスと、その場で行われるクラス選抜テストに向けて、珍しく熱心に参考書を取り出してながめている。その事に気をとられているのだろう。雄高の変化にはおよそ気づく風もなく、雄高はなんとなく落ち着かないまま、放課後を迎えた。
「今日、何時からだっけ?」
 史彦が帰り支度をすませて、バイトの予定を聞きに来た。
「おれは六時からだけど、あと遅番は坂井君と松田さんだったと思う」
「おれが頼んでた本が入ってたら、明日持って来てくれる?」
 承知すると、史彦は先に帰って行った。雄高は、カバンに教科書やノートを乱雑にほうり込むと、気落ちしたまま古めかしい第二校舎の生物準備室へと足を向けた。
 校庭から、運動部の部活のかけごえが聞こえる。文化部のクラブハウスは第二校舎よりも更に古い旧校舎にあるから、放課後に第二校舎を訪れる者はまずいない。
 担任の安騎野は、職員室にいる時間よりも生物準備室にいることの方が長い。考えれば不思議なのだが、彼の専門は数学であって生物ではない。どうやっているものか、とにかく私的に準備室を占有しているようなのだ。
 安騎野は、他の職員たちと行動をともにすることもないようだし、まして、生徒に人気があるタイプでもない。生徒と歳もさほど離れていないはずだから、慕われてもおかしくないはずなのに……無口なたちらしく、ホームルームでも連絡事項ぐらいしか口にしない。授業でも無駄な話しは一切しない。
 どこか、職員からも生徒からも浮いた存在。ひとり、生物準備室に閉じこもる偏屈な教師。いままで、そんな認識しかなかった。取り立てて口やかましくない担任。そんなイメージでしかとらえていなかった。
 二階の右手一番奥の準備室までくると、雄高はため息を吐いた。思い切って扉をノックすると、すぐに返事があった。
「失礼します」
 一礼して室内に入ると、タバコの煙が薄くたなびいていた。安騎野は窓の外を眺めていた。窓の外には、校舎の屋根ごしに群青の空が広がっている。雄高の存在を無視するように、安騎野は椅子からは動かなかった。
 雄高はその沈黙に痛いほどの緊張を覚え、いやが応にも動悸は早まった。
 やがて吸い差しのタバコをすでに吸い殻が山のように積もっている灰皿でもみ消すと、ゆっくりと立ちあがり、雄高に歩み寄った。
 入り口のそばで、直立したままの雄高に安騎野はいきなり平手打ちを食らわせた。
 まな裏に火花が散った。反射的に叩かれた左頬に手がいく。気づかぬうちに、ひざが小刻みに震えていた。
「碓氷、困るんだよな」
 長身の安騎野はのぞき込むようにして雄高の瞳を捉えた。
「担任の科目で赤点を取ってもらっては」
 うなずこうとした。すみませんーと言おうとした。けれど、まるで舌が痺れたようになにも話せなかった。ふだんとはまるで別人のような安騎野に雄高はおびえた。
 突然、安騎野は雄高の髪をつかむと、無理やり顔を上げさせた。痛みに雄高は小さく悲鳴を上げた。
「茶髪も、たまの遅刻も大目にみてやろう、成績がよければ何も問題にはしない」
 メタルフレームの奥の瞳が冷たく見えた。おびえた自分の顔が安騎野のレンズに映っている。
「おまえ、アルバイトしているだろう? 国道沿いの書店で」
 雄高の身体から冷や汗が吹き出した。髪から手を放し、安騎野は更に続けた。
「校則違反だよな」
 雄高は言い訳を探しあぐねた。ただうつむく雄高は、史彦のことだけは口にするまいと堅く決心した。
「学業をおろそかにするほど、アルバイトに打ち込むとは仕事熱心なことだ。成績が落ちなければ黙認してやろうと思っていたが、こんな結果が出てしまった以上……」
 保護者呼び出しか、夏休みじゅう補習か、自宅謹慎か、それとも。最悪なことまで雄高の脳裏をよぎる。
 安騎野はやにわに雄高の腕をつかみ、手荒にソファに座らせた。
「どうしてやろうか、碓氷。もし、おまえが俺の言うことを聞くなら、保護者を呼び出すことだけは免じてやろう」
 ぱっと振り返った雄高のネクタイを安騎野が捕まえた。
「一緒にバイトしている奴の名前を吐け」
 それは、史彦を裏切れと言うことだ。
「い、いません、バイトしているのはぼく一人です。あとは大学生のー」
 最後まで言い終わらないうちに、二度目の平手が飛んで来た。数秒置いて、口の中にじわりと血の味が広がってきた。
「あの書店でうちの生徒がバイトしていることは、もう密告ずみなんだよ。考えろよ、職種を。顔を見られる仕事をしていて、校則違反がばれないとでも思っていたのか? それとも俺をなめてかかっていたのか?」
 そう、半分なめていた。校則違反といっても、おおかたの生徒はなにかしらアルバイトをしているし、黙認されているとたかをくくっていた。そのことで処分された話など聞いたこともなかったから。
「痛い目にあわせないと、口を割らないか?」 安騎野の瞳がすうっと細くなったかと思うと、とてつもない力で雄高は喉元を押さえつけられたまま、ソファに倒された。痩せぎすの安騎野の身体のどこにこれほどの力があったのだろうか。雄高はわけもわからず、安騎野の下でもがいた。
 安騎野は雄高のワイシャツの前をはだけさせた。あらわになった雄高の肌が生暖かい外気に触れ、瞬間汗が引いた。うろたえる雄高の抵抗をものともせずズボンのベルトを引き抜いた。
「あっ」
 言う間もなく、安騎野の右手は雄高のトランクスの中に差し入れられた。
 やめろ、と言うはずだった口を安騎野は左手でふさぐと、ゆっくりと雄高を手の中に包み込み動かし始めた。雄高は押さえられた口から、荒い息をもらした。
「い、ゃ……」
 抗いがたい快感が容赦なく押し寄せてくる。雄高はそんな自分を恥じて涙をにじませた。安騎野の手は止まらず、そのまま雄高を一気に頂点へと導いた。
「!」
 雄高は安騎野の手の中に放出してしまった。勝ち誇ったような表情の安騎野が雄高の身体の上から見下ろした。安騎野は手のひらについた雄高の精液を赤い舌でひとなめして見せた。
「あっけないな、碓氷。……まだ言う気はないのか?」
 雄高は泣きながら首を横に振った。史彦のことは絶対に言わない。史彦を裏切れない、幼なじみの、誰よりも大切な存在だから。
 ふん、と鼻で笑うと安騎野はぐったりとした雄高から、ズボンを下着ごと引きずり下ろした。今度こそ、雄高は恐怖した。安騎野が何をするかわかったからだ。
 逃げ出そうとする雄高のみぞおちを安騎野は殴りつけた。避けることも出来ず、まともに打撃を食らった雄高は体を折った。込みあげてくる吐き気を涙と共にこらえた。
「まだ抵抗するか。少しはおとなしくしろよ」
 安騎野は獲物を追い詰める猛獣の目で雄高を見つめた。ゆっくりとズボンを降ろすと、そこには雄高が見たことがないほどのものがそそり立っていた。
 たまらず雄高は悲鳴をあげた。かつてない恐れが雄高を襲った。
 そこへ三度目の平手。
 一瞬意識が途切れる。その隙を突くように、安騎野は雄高のひざの裏に手を入れると身体をいっぱいに開かせた。
「どうする? 言うか、言わないか」
 安騎野の最後通告だ。雄高はただ震えた。イエス、ともノウとも答えられない。
 返事を待たずに、安騎野が強引に身体を進めた。
「いっ……!」
 身体をふたつに引き裂くような鋭い痛みに雄高は声をあげた。中心に熱く堅いものを無理に差し込まれ、雄高は身をよじり自由を求めた。
「あばれても無駄だ。よけいに痛いだけだ。力を抜くほうが得策だぞ」
 安騎野の声もかすれている。力を抜くこともできず、ただその痛みから逃れようと雄高は安騎野の胸を必死に押し返した。けれど、安騎野は容赦なく身体を動かしだす。
「うっ、くっ……」
 肉と肉がこすれ合う音、安騎野の息遣い、痛みと共に自分自身もまた熱を持ち始める。
「いたっ、もう、や……め……」
 身体を支配されることの屈辱と、自分自身に裏切られる絶望とのはざまで雄高は喘いだ。激しい痛みにさらされながら、雄高はなんども安騎野に懇願した。そのたび、安騎野は薄く笑い、さらに強く雄高の体を揺さぶった。
 涙でかすむ視界に西日で満たされた準備室に舞う細かい埃がちらちらと見えた。その埃は安騎野が動くたびに、彼の肩のあたりで小さく揺らぐ。
「うっあ……っ」
 雄高と安騎野の声が重なる。突然安騎野は雄高から引き抜くと、どろりとしたものを雄高の腹のうえにとき放った。
 雄高はその熱さを肌に感じながら呆然としていた。安騎野は何度か大きく息をつくと雄高から身体をはなした。
 雄高の口から嗚咽がもれた。
 と、薄暗い室内に閃光が瞬いた。シャッターを切る音に雄高が顔をあげると、ポラロイドを構えた安騎野がいた。
「あっ」
 体を隠す暇もなかった。数枚の写真をひらめかせ、安騎野は言った。
「バイト仲間は灰智史彦だろう」
 写真を奪おうとする雄高を軽くかわし、安騎野は続けた。
「協力してもらおうか、これをばらまかれたくないなら」
 ゆっくりと輪郭を取り始めた写真には、半裸で横たわるあられもない姿の雄高が写っていた。
「親に送りつけることもできるんだよ?」
 左の頬だけをあげ、顔を歪めるようにして安騎野は笑った。
「つぎは灰智と一緒に呼び出されるだけでいい。小心者の奴ひとりだと、逃げる可能性が高いからな。ただ保護者を呼びつけるだけで終わるなんて、つまらないことにはしたくない。少しくらい楽しませてくれよ」
 それが何を意味しているのか、今の雄高には分かり過ぎるほど分かった。
「いやだ……そんなこと、できない!」
「バイト先にも送るか?」
 雄高の退路は断たれていた。安騎野の罠にかかったのだ、この部屋に足を踏み入れた時点で。バイトの件もあらかじめ仕込んでいた餌にしかすぎない。おそらく安騎野は、ただ雄高をいたぶりたかっただけ。
 そして、雄高に史彦を差し出せと脅す。
「どうして……」
 やり場のない怒りに雄高は苛まれた。
「おまえ、灰智が好きなんだろう」 
 怒りを込めた目で安騎野を睨みつけると、彼は楽しげに声をあげて笑った。
「協力するしかないんだよ、碓氷。おれが命令したらそれに従え」
 そう言い置くと、安騎野は準備室を出て行った。夏の夕日に染まる部屋にただ一人雄高は取り残された。
 夕日は赤かった。まるで雄高が流した血のように。
                
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