HEAVEN'S GATE IN THE SKY.

ビター

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 今日はバイトが引けたら、史彦と駅裏の公園で落ち合うことになっている。
 史彦はバイトが休みだから、ふたりでビデオでも見ようと決めていた。母親は外泊で留守だし、夕食は二人分作ってくれるように頼んである。
 そう思うと、自然に雄高は浮足立ったが、そんなことより今は仕事に集中しなければ。返品期限の迫った本のリストはまだ半分も終了マークがついていない。
 雄高はリストのタイトルからおおよそのジャンルを予測して、そのコーナーへと行くのだが、ほとんど見つけられない。リストの束を見て、ついため息がもれる。
 店の仕事でも、これが一番やっかいだといつも思うのだが、もう半分のリストをもって仕事をしている坂井に、ほのかなライバル心を持ちながら雄高はまたリストと棚を交互に見比べ格闘する。
 平日の午後なので店内は比較的すいている。低めにクラシック音楽が流れるなかをもくもくと作業していると、自動ドアが開く音がした。いつもどおりレジにいる若林の明るい声の「いらっしゃいませ」を耳にした雄高の口もまた、そう自然に動く。
 店内は静かだ。その静寂を破るように荒々しい足音が近づいてきた。怪訝に思い、腰を伸ばした。と、雄高は後ろから突然肩を掴まれた。その勢いに驚き振り返ると、眉をつりあげた安騎野がいた。そのまま安騎野は雄高の胸倉を掴み、引きあげた。
「あれをどこへやった?」
 信じられない力で喉元を締めあげられ、雄高は息を詰まらせた。若林が小さく悲鳴をあげ、事務所に駆け出すのと、それを聞きつけて坂井が動くのが目の端に見えた。
「あ……」
「写真だよ、おまえ以外誰が持ち出すっていうんだ。言え、どこへ持っていった!」
 本気で怒っている。安騎野の額に薄く血管が盛り上がり、目が血走っているのを間近に見せられ雄高は無意識に体がふるえた。
 静かだった店内には一転不穏な空気が流れ、敏感に察した客の数人は逃げるように出て行った。
「ちょっと、あんたさ」
 間に割って入ろうとした坂井は、安騎野が振り向きざまに繰り出した拳をかわし損ねて、床に転がった。
「碓氷!」
 店長が低く、けれど鋭い声で現場に駆けつけた。その声に振り返った安騎野の腕から、なぜかふっと力が抜けた。
 解放されその場に崩れそうになった雄高の体を、坂井がとっさに支えてくれた。何度か深呼吸をして意識を戻すと、店長と安騎野が身じろぎひとつせず見合っていた。
「大丈夫?」
 若林が青い顔で雄高を気遣う。雄高は首を縦に振って答えながらも、二人から目を離せなかった。
「戻っていたのか……」
 独り言のように店長が呟いた。安騎野が握りこぶしに力を入れたのが目に入った。安騎野はすっと背筋を伸ばすと、店長と対峙した。
「僕が帰る場所は、ここにしかありません」
「ふざけるな、誰のせいで二矢おとやが……」
 二矢! 雄高の心臓が跳ねあがった。
 頬を引きつらせ、安騎野に詰め寄るかに見えた店長は、雄高たちの視線にふと我に返ったのか、あげかけた腕を降ろした。 
 安騎野は表情を変えなかった。そのまま店長に向かって一礼すると、鋭い視線を雄高に投げ、何事もなかったように店から出て行った。
 安騎野の背中をいつまでも目で追っていた店長は、顔を伏せたまま事務所へと戻っていった。緊張した空気が徐々にほどけてくる。
 若林と坂井は、雄高に今のことを問いたげに見えたが、店長の様子を思いだしたのか深入りせずに持ち場へと戻った。
 雄高は体の埃を払うと、また仕事に復帰しようとした。けれど、ついさっきの店長と安騎野の様子を思い出すと、もうなにも手につかなかった。
 そのまま退出の時間を迎え、皆に二言三言あいまいに詫びを告げ、雄高は事務所へと向かった。店長は机に書類をひろげ、ペンを手にしたまま放心しているように見えた。
 雄高は店長を見ないふりをしてタイムカードをついた。カードを戻すとき、雄高は店長の名前が目に入った。
 榊一矢。
 かちり、と雄高の中で欠けていたパズルの最後のピースがはまった。
「碓氷」
 雄高は店長の声に我に返った。
「はい…」
 店長はペンを置くと、指を組んで雄高を見ずに話しかけた。
「お前がつき合っているのは、あいつ……安騎野じゃないだろうな?」
 安騎野の名前が店長の口から出たことに雄高は目を見張った。そのまま視線をそらさずにいる店長に、雄高は緊張して体が強ばった。が、違うと強く否定できなかった。あの様子を見られ、関係ないと言い張ることはできないだう。
 無言の雄高に店長は向き合うと、椅子に座るよう雄高に手で示した。
「いつか、話すと言ったな」
 はい、と雄高は答え椅子に腰を浅くかけ、背筋を伸ばす。まるで面接の時のような姿勢で、雄高は店長を正面から目を合わせた。店長は、胸ポケットからパスケースを取り出した。中に何枚かの写真が入っている。奥さんの写真の裏に、学生服のまだあどけなさの残る笑顔の少年がいた。
「弟、二矢おとやだ」
 初めて目にする二矢の姿は、史彦に似ていた。さらさらの髪が陽に透けて、明るい茶色だ。左にだけうかぶえくぼ。切れ長の瞳に、細い顎の線……。安騎野が言うとおりだった。ふたりは似ている。
 そして身につけている特徴のある詰め襟の制服は、雄高でさえ知っているM市にある公立のトップクラスの高校のものだ。
 無言で店長に写真を返すと、雄高は言葉を待った。
「自慢の弟だった。俺より数段できのいい、素直で明るい奴だった。……もう十年も前になる。二矢は、弟は安騎野とつき合っていた」
 雄高の予感は的中した。
「三年になって間もなくだ。二矢が新しい友だちが出来たって嬉しそうに俺に話した。数学が得意で、空手も強くて凄いんだ……あんなにはしゃいで話す二矢を初めて見たような気がした。二矢は病弱で理系が苦手だったから、自分にはないものをもつ安騎野を尊敬しているようだった」
 雄高は想像してみた。学生服の安騎野を。今よりがっしりした体つきだったのかも知れない。その隣に立つ、二矢。華奢な、いかにも守ってやりたくなるような姿の。
「そして夏に心中した……いや、安騎野が無理心中したんだ。二矢と」
 えっ、と雄高は声にならない声をあげた。無理心中、安騎野と?
 以前に話を聞いたとき、若すぎる店長の弟の死には悲劇的なものが感じられた。例えば劇症の病気のためとか、不慮の事故、あるいは自殺と考えなくもなかったが、まさか心中だったとは。
「安騎野は勝手に二矢を巻き込んだ。その証拠にあいつの遺書はあったが、二矢のはなかった。いつもどおりに朝、家を出てそれきり。だから、安騎野がそそのかしたんだ。そして二矢だけ死んだ。誘ったあいつが生き残って」
 悔しそうに、店長は目を伏せうつむいた。肩がふるえているのは、怒りのためかそれとも悲しみをこらえているせいか。雄高は痛々しく思えて目を逸らした。
「でも、二矢が死んだことは俺にも責任があるんだ」
 店長はうつむいたまま続けた。
「ふたりは睡眠薬を飲んだ」
「睡眠薬ってそんな簡単に手に入らないんじゃ……」
 自殺に睡眠薬を使うことは容易に想像しがちだが、薬の入手は複雑で難しい。一介の高校生が簡単に手に入れられるものではないはずだ。
「そう。ただ、二矢と安騎野にはたやすいことだったんだ。安騎野の母親は当時ノイローゼにかかっていて、医者から処方されていた。実際、事件の後、それが原因で離婚したらしいし……。そして二矢の身近にもそれを服用している奴がいたんだ」
 店長は両手で顔を覆った。それが何を意味するのか雄高には推測できた。
「俺だよ。仕事のストレスから不眠症にかかっていた俺は、薬を飲んでいた。二矢はそれを持ち出して使ったんだ。安騎野が用意したひとり分の薬だけなら、二矢も致死量には達しなかったはずだ。薬を無造作に目につくところへ置いて、管理もなにもしていなかった俺にも責任があるんだ」
 弟が死んだ責任の一端は自分にもある、と店長は自分を責め続けていたのだろうか。この十年を。その時間の長さ、重さは計り知れないほどの苦しみと後悔に苛まれたに違いない。普段は、店を取り仕切る長としての責任感と自信に溢れ、エネルギッシュに働く店長の影の部分を目の当たりにして、雄高はひどく切なくなった。
「碓氷、あいつは危険だ。あいつは、あれからこの街を離れて、長いあいだ病院に入れられていたはずだ。いつの間にこっちに戻って来てたんだ。やっかいな事に巻き込まれたんじゃないか? 大丈夫なのか?」
 真剣な眼差しで店長に問われ、雄高は答えに窮した。が、本当のことなど言えるはずもない。
「大丈夫です」
「本当にか?」
「はい。今日はお店に迷惑をかけました。安騎野先生は勘違いをしているようです。なんでもないんです」
 先生、という言葉に店長は面食らったように黙った。
「碓氷の学校の先生なのか? 奴が?」
「クラス担任です」
 信じられない、と店長は小さく呟いた。安騎野はどんな学生だったのだろう。店長の目にはどんなふうに映っていたのだろう。当時のことを聞きたい出したくなったが、雄高はあえて何事もなかったかのように、ふるまった。
「なら、いいが……。なにかあったら、俺に相談しろよ」
 雄高は立ちあがると、つとめて明るい表情をつくり、頭を下げ店を後にした。
 自転車に乗らずに、押しながら国道沿いを歩く。夕刻だというのに、車から吐き出される熱で、道路沿いは真昼のような暑さをいまだ保っている。ラッシュアワーが始まろうとしている。幹線の歩道をこんな時間に歩く物好きは少ない。信号で車が止まるたび、雄高はドライバーたちの好奇の目に少なからずさらされた。
 いつもなら、そんな小さなことにも苛立ったかもしれない。けれど、今の雄高はそんなことには構わず、ただひたすら歩いた。
 二矢の笑顔が目に焼きついて離れない。
 史彦と落ち合うために公園に向かうのだ。時間に几帳面な史彦は雄高が来るのをもう十分も前から待っているだろう。そう分かってはいても足は進まない。
 今更なんだっていうんだ。史彦と寝たくせに。
 まだ安騎野に未練があるのか。
 二矢の左の頬のえくぼ。茶色がかった素直な髪。あの頬に、髪に口づけ、抱きしめたのか、安騎野は。十年前の夏、二人に何が起こったのだろうか? 何がきっかけで心中という悲劇をあえて選択したのだろうか。
 安騎野のただ一人の恋人。永遠の恋人……。
 雄高の足が止まる。薄汚れた雑草の紫の小さな花が、熱風に揺らぐのをただ見つめた。
 そして雄高は言い知れない怒りに、ハンドルを握る指がこまかく震えた。
 排気ガスでグレーに霞む交差点を左に曲がり、雄高は公園に向かわず、安騎野のアパートへと進路を取った。
 そうせずには、いられなかった。
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