女王の巡り

ビター

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邂逅

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 ととん、たたん、ととん、たたん……。
 聞きなれない音にヨナは耳を澄ませた。今日は長い髪を編み込んできたので、髪をかきあげる手間はいらぬ。
 見あげると、密生した樹木の大小の葉が風にそよぐ。木漏れ日が細い線となって薄暗い森を照らす。水辺は遠いはずだが、葉がこすれあう音は川の水音と錯覚させる。
 鳥が木をつつく音だろうか。猿か小さな生き物が枝を渡っているのか。
 それとも森に住まう精霊たちのささやく声だろうか。みこである伯父ならば、聞き分けることができるだろうが、見習いのヨナにはまだ無理なことだ。
 ヨナは首をかしげて、こんどは鼻をひくつかせた。
 湿った土のにおい、むせかえるような緑のにおい、かすかに漂う甘い香りは密林に咲くあざやかな花のもの。
 夏の盛りだ。熟れすぎて酒のような芳香を放つ果実もある。獣の匂いは感じられない。
 お伴の山猫のゴゥが、三角の大きな耳の先を小刻みに揺らす。
 十六才の成人の儀を終えてから、初めての一人きりの遠出に気持ちが高ぶっているだけか。
 ヨナは人一人が通れるくらいに草が踏みしだかれた獣道に目を戻した。
 ……そういえば、いつの間にか鳥たちの声が消えた……
 目のはしに異変を感じたと思うより早く、目の前に黒いものが立ちふさがった。ヨナは思わず後ずさった。背中の毛を逆立て、姿勢を低くし、ゴゥが牙をむき唸りをあげた。
「まて!」
 ヨナは声でゴゥを押しとどめたが、なおも低く唸り続け、ヨナの半歩前に陣取った。
 人か、猿か? 背を丸めているのかひどく小さい。陽を背にしているが、褐色の肌に白い顔料で両の頬に縦に二本、目が並んで描かれているのがわかった。それは口をゆがめた。
 ひゅん。
 微かに風を切って、ヨナの鼻先を黒く鋭い刃先がかすめた。
 石刀か!? 
 薬草を求めて深入りし過ぎた。知らぬ間に他部族よその森へ入り込んでしまったか? ヨナはすでに青年の仲間入りを果たしている。見とがめられたら言い訳が立たない。
 けれど自分がきた方角を考えれば、ここは行き来のある隣のワコニノ族の土地のはず。彼らは煮炊き以外には石器は使わない。ましてや、とつぜん襲ってなど来ない。
「まて! 我はイゾノ族、闘う気は……!」
 ヨナの言葉を解さないのか、話し終わらぬうちに、再び喉元めがけて黒曜石の刃が繰り出された。ヨナは腰の鞘から抜き放った青銅の剣でとっさに防いだ。
 がきん!
 高い音を立てて、石刀が二つに折れた。ひゅう、と襲撃者は口笛を吹いて飛び退った。
 なんて力だ。ヨナの手は痺れた。
 ヨナは動きを止めた目の前の人物と対峙して、はたと気づいた。
 半分影がさすむきだしの胸に、わずかな膨らみがある。腰を伸ばしてもヨナよりもかなり小さい。がっしりした肩、しかし蜂のようにくびれた腰。へそのしたの秘所はわずかな布で隠され、すねあてをした足が草むらへすっと伸びている。
 幾重にもかけられた細かな管玉の首飾りが鳴り、眉毛の上で切りそろえられた短い黒髪がゆれた。
 おんな……少女か!
 自分よりも年下に見えた少女は、半笑いのまま拳に壊れた石器の柄を握りこんでヨナへと一気に間合いを詰めた。
 ヨナより先に、ゴゥが牙と爪を光らせ少女に飛びかかったせつな、激しい悲鳴をあげ地面を転げた。
「ゴゥ!」
 もがくゴゥの右前脚から血が流れているのが見えた。ヨナは殴りかかってきた少女をかわすと、掴んだ腕を背中にねじりあげた。
 少女の手から柄が落ちた。ゴゥの姿を確かめるまえに、ひゅっ、と音がしてヨナの眼前を風が通り抜け、近くの幹に矢が突き刺さった。
 ほかにもいる。
 とっさにヨナは少女を突き飛ばしてゴゥを掴みあげ、木の茂みに飛び込んだ。
 どこだ。
 ヨナはゴゥを抱え、木立を盾にして走った。
 ととん、たたん、ととん、たたん……。
 木のうえを移動している? 枝に飛び移って追ってくる……! 
 ヨナは二人ぶんの音を聞きつけた。
 ヨナの部族の手練れの戦士でも、樹上を渡れるものなどいない。ヨナの背中が粟立った。
 もしや、奴らは。
 翡翠宮ジェイドラの戦士か! しかし、ここ数十年、翡翠宮の噂は聞いていないと伯父は話していたのに。
 脚絆はヨナの足を草や枝から守ったが、むき出しの肩や腹は容赦なく切りつけていく。首に巻いた飾りの下を汗が流れ始めた。痛みを感じるいとまもなく、時おり頭上をかすめる矢を避けながらヨナは走った。ゴゥの前足の傷を押さえて胸に抱いた。血よとまれと念じながら。ゴゥは低く唸り続けている。樹上を移り行くざわめきと、ゴゥのいきむような唸り声が重なり合った。
 だん!
 再び少女はヨナの前に立ちはだかった。
「逃げろ!」
 ヨナは体を丸めたゴゥを少女の背後にほうり投げた。少女は立ち上がりざま、体をねじりながら足を振り抜いた。
 踵がヨナの鼻をとらえ、首が真横を向き、からだが反転した。瞬間、目の前が真っ白に光った。
 するどい痛みと衝撃と。ヨナの喉はあふれる血を無理やり飲み込んだ。
 うかつに血を吐き出して大地を汚したら、精霊の怒りを買ってしまう。
 力の入らぬ足でヨナは大木に掴まり、立ちあがった。鼻と口から血があふれてくる。蹴られた顔の中心が重く感じ始めたのは腫れてきたからだ。
 意識に霞がかかるが、頭をひとふりした。編み込んでいた髪がほどけて肩にかかる。
 痛みを意識から切り離せ。ヨナは奥歯をかみしめ、腹の中央に力を溜め込むよう強く思い描いた。
『おまえは何者だ。我をイゾノ族とわかっての所業か』
 少女の動きが止まった。ヨナは瞳を見据えてなおも語りかけた。
『森で無用の血を流せば……』
『精霊の怒りをかう、か?』
 胸をそびやかし、腰に手をあてて少女は不敵に笑った。
 ヨナの目は見開かれた。思わぬ応#__いら__#えに虚をつかれた。
 ざざっと梢が揺れた。まるで幹を駆け降りるようにして、ふたりめの人物があらわれた。
 目を描いた少女より歳上に見えた。同じ髪型と装束をしているがはるかに背が高く、手足が長い。胸の前を二本の長い飾りが交差している。
 引き絞った弓に矢をつがえヨナの額に狙いを定めたままだ。
 木にはりついて動けなくなったヨナに少女は歩みより、首をぴたりとおおうビーズと貝殻の飾りを無遠慮に引きちぎった。
 ばらばらになった粒はヨナの足もとへと散った。
 少女は顎をしゃくり、弓の戦士に合図した。弓の少女がヨナの首に刻まれた模様をしげしげと見た。
 それから二人は顔を見合せ、うなずいた。
『喜べ、女王の夫に選ばれたぞ』

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