氷雪の面影

ビター

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 連絡が来たのは、つい先日だった。
 四月から新しい生活を始める。恋人の史彦とようやく同居をするのだ。話が出てから六年もかかった。史彦はもうしびれを切らしかけていたから、ほんとに待たせてしまった。
 ドクターコースも終了したし、論文を提出して博士号もとれた。去年からバイトでしているカウンセラーの仕事に加えて、春からは大学での講義も一コマだけ受け持つことになった。
 まだ早いとわかっていても、二カ月も前から引っ越しの準備をするのは、史彦との生活を考えるとそれだけで心が浮き立つからだ。
 本は全部持っていく。着道楽で集めた服は、ある程度は処分しよう。でも、史彦に似合いそうなのは残しておこう。体型はほとんど自分と変わらない。あいつには少しくらい服装に気を配って欲しい。ほっとくと、かなり適当な格好でも平気で出勤するから。
 一緒に住んだら、もうすこし手をかけてあげられる。なんだか母親みたいで変だな、と自分でもおかしく思う。
 そんな時に、葉書が届いた。正月に来なかった峠先生からだ。几帳面な先生からの遅れた年賀を不審に思いながら手に取ると、文面を見て俺は驚かされた。
『喪中につき、新年のご挨拶を控えさせていただきます。峠司』という文面に。
 手が震えた。
 喪中……峠先生が……亡くなった? まさかそんな、夏頃電話で話したときには元気だった。なにより、まだ五十代になったばかりのはず。けれど、差出人は司…安騎野《あきの》だ。
 手書きの部分を見つめた。それはただ、俺の住所と名前が書かれてあるばかりだったけれど、安騎野の文字を懐かしく見つめた。
 安騎野にはもう会わないと、心のどこかで決めていた。病院で別れて以来顔を会わせていない。
 峠先生には、病院へ直接電話をかけて連絡をとった。何度か先生とも会ったりしたけれど、安騎野には会わなかった。
 ときおり先生から漏れ聞く安騎野のようすをそれでも、一言一句忘れないように心に止めていたのは…本当だけれど。
 会っては、いけない。
 安騎野は俺を無条件で降伏させる力をいまだに持っている。史彦との関係が安定するまで、会ってはいけない。
 あの夏の出来事が、完全な思い出に変わるまで……。大学時代そう思って過ごして来た。
 けれど文字を見つめているうちに、安騎野の気持ちが伝わって来た。
『助けてほしい』
 これは、救助信号だ。安騎野なりの。
 安騎野は肝心なことは口にしない。
 二矢のことでさえ、口にするまで十年の歳月を要した。安騎野は言葉を内に溜め込む。溜め込んで溜め込んで、こらえ切れなくなったときにようやく行動に出る。
 俺に無言電話をかけたこと、そして屋上から飛び降りるしかなかったこと。
 感情を臨界点まで引き上げる。倒れそうになるまで、その感情を直視する。
 だから、俺に葉書をくれたのは、ぎりぎりの線に来ている証拠に思えた。
 そんなのはこじつけかもしれない。俺は、ただ会いたかったのかもしれない。
 間を置かずに安騎野の住む街で心理学の学会が開かれる。それに出席するついでに、挨拶をしてこよう。それなら、いいだろう。自分に言い聞かせて、山荘行を決めたのだ。

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