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第2話 全科目満点の天才が、唯一解けなかった問題
オレは昔から、人の顔を覚えられないんだ。
正確に言うなら「覚えようとしても、どうしても定着しない」。
目鼻立ちは見えているはずなのに、数時間も経てば、まるで水面に映った影のように曖昧になる。代わりに残るのは、声色とか、口調とか、雰囲気といった輪郭のない情報ばかりだ。
記憶力は良い方なんだけど、顔を覚えられないというのは致命的。
それでも王立学園では困らなかったんだよ?
試験は顔を覚えなくても解ける。
講義も黒板と教本があれば足りる。結果として、三百年を誇る王立学園の歴史の中で、たった二人しかいない、三年連続首席の座を掴んだんだ。
ただし、一回だけ「黒歴史」がある。
それは「王国倫理」の教授の茶目っ気、と言うか救いの手として出した問題だ。
「私はどれでしょう?」
四人の顔が並んでいて、教授を選べという問題。
運を天に任せて鉛筆を転がした…… ダメだった。
テストを返すときに、教授が見るからに不機嫌で言った。
「この中に、私の顔がわからないなどと、人をバカにして、わざと間違えた、成績トップの人がいます!」
一斉に、みんながオレを見た。
先生、それ名指ししていますよ?
ともかく、王立学園史上、二人目の「全科目満点」は、あの問題で消えたんだ。
それでも、成績表だけを見れば文句のつけようがないことは誰の目にも明らかだ。
だが社交界では、そうはいかない。
「……で、ノエル。今の人、誰だと思う?」
父の問いに、オレは思考を巡らせる。
『昨日、王宮で父と立ち話をした人のはずだ。だって香水の匂いはサンダルウッド。足音は少し右足が重い』
「……昨日、小麦の件で有益な助言をくれた、殿下の側近の方ですね」
殿下の側近の名前なら全員覚えている。でも、その「誰」になるのかはわからない。オレは適当な名前を挙げた。
「確かにその話はした。殿下の側近の一人でもある。だが、全く違う名前だろ? 昨日会ったばかりで、もう見忘れるとは。ふぅ。お前は、数字や事象を掴む力は並外れているのに……」
父は責めるというより、壊れた宝物を見るような目でオレを見る。その哀れみこそが、何より痛かった。
「お前は、優秀で期待は大きかったのだがな、これではどうにも」
父はゆっくりと首を振った。父は残念そうに息を吐いたんだ。
結果、我が伯爵家では早々に結論が出た。
――社交向きではない、欠陥のある長男に、家督は任せられない。
弟のジュリアンは、人の顔と名前を一度で覚える天才だ。笑顔も柔らかく、貴族社会での立ち回りも上手い。家督は彼が継ぐ。
そう聞かされた時、正直、悔しくないと言えば嘘になる。
どれだけ学問で成果を出しても、隣人の顔が判別できないだけで『欠陥品』扱いなのだから。
『けれど、そんなオレだからこそ、できることもあるはずだ!』
せめて、ジュリアンを補佐する仕事を引き受けよう。
そう割り切って、気楽に学園生活を送るしかなかったんだ。
しかし、それも、その日の夕食までのことだった。
「ノエル、少しお話があるの」
母、セリーヌは食後の紅茶を前に、いつもより改まった顔をしていた。
嫌な予感はしたが、逃げ場はない。
「政略結婚の話が来ています」
やっぱり来たか、と内心で頷く。伯爵家の長男だ。家督を継がなくとも、縁談がないわけがない。
「お相手は?」
「とある令嬢よ。……ただし、少しウワサがあるわ」
母は言葉を選ぶように、一拍置いた。
「二度、婚約破棄をされています」
その瞬間、ピーンと来た。
王太子の舞踏会の一件。そして、それに続く、公爵家三男の駆け落ち事件。
『どっちもヒドいよなぁ。令嬢に、何の落ち度も無いことはハッキリしているのに』
「……話としては、ずいぶんと派手だね」
なにしろ、学園を含め社交界では「キズモノ令嬢」のウワサで持ちきりだ。
「ええ。だからこそ、格下の、我が家に話が回ってきたとも言えるわ」
これだけ悪いウワサが出回ると、まともな結婚相手なんて見つかるわけがない。このままでは、修道院入りするくらいしか道がない、という話だって聞いたくらいだ。
それくらいなら、伯爵家は「ギリギリ高位貴族」だ。侯爵家の令嬢と、身分は釣り合う。
母はオレをまっすぐ見た。
「ウワサでは、気難しく、冷たい令嬢だとか。王太子に嫌われた理由も、性格に難があるからだとあるわ」
母はモノ言いたげな表情を隠そうともしない。
「そう言えば、ヘルマン=ド・ラ・モンターニュ侯爵の奥様は、母上の?」
「そうよ、マティルダは私の親友よ。その娘がウワサにあるような娘であるはずがないわ。あなたはウワサを気にする?」
顔が覚えられないせいか、オレは昔から、評判より実物を信じる癖がある。
人は、ウワサ話ほど単純じゃない。
「母上」
「なに?」
「会ってから考えてもいいですか?」
母は少し驚いた顔をしたあと、ふっと微笑んだ。
「あなたらしいわね」
オレはうなずく。
「正直に言うと、相手の顔は、どうせ覚えられない。でも……声とか、話し方とか、空気なら分かる」
ウワサよりも、自分の感覚を信じたい。
それに――二度も婚約破棄されたキズモノ令嬢、というウワサだけで人を判断するのは、どうにも性に合わない。
だいいち、さ『キズモノ』なんて言葉は、まるで彼女を物扱いするみたいで不愉快だろ?
『他人の顔色ばかりを気にする連中には、あの夜、彼女が一人で戦っていた気高さは見えなかったのかなぁ』
オレは第二王子に婚約を破棄された、あの場の令嬢の毅然とした態度をハッキリと覚えてる――顔は覚えてないけど。
そんなことを考えている間、母は、じっとオレの顔を見つめていたんだ。
そして、微笑を浮かべたんだ。
「分かりました。では、近いうちにお茶の席を設けましょう」
母の表情は、どこか安心したようでもあった。
その夜、オレは自室の窓から月を眺めながら思う。
顔を覚えられない人生も、悪くない。
余計な先入観を持たずに、人と向き合えるのだから。
さて――
噂の令嬢は、どんな声をしているのだろうか。
それだけが、少し楽しみだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ノエルは「欠陥」と切り捨てられましたが、
視点を変えれば、むしろ突出した才能の持ち主です。
次回から、彼とクリスティーヌの物語が本格的に動き出します。
二人がどんな関係を築くのか、見届けていただけたら嬉しいです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
正確に言うなら「覚えようとしても、どうしても定着しない」。
目鼻立ちは見えているはずなのに、数時間も経てば、まるで水面に映った影のように曖昧になる。代わりに残るのは、声色とか、口調とか、雰囲気といった輪郭のない情報ばかりだ。
記憶力は良い方なんだけど、顔を覚えられないというのは致命的。
それでも王立学園では困らなかったんだよ?
試験は顔を覚えなくても解ける。
講義も黒板と教本があれば足りる。結果として、三百年を誇る王立学園の歴史の中で、たった二人しかいない、三年連続首席の座を掴んだんだ。
ただし、一回だけ「黒歴史」がある。
それは「王国倫理」の教授の茶目っ気、と言うか救いの手として出した問題だ。
「私はどれでしょう?」
四人の顔が並んでいて、教授を選べという問題。
運を天に任せて鉛筆を転がした…… ダメだった。
テストを返すときに、教授が見るからに不機嫌で言った。
「この中に、私の顔がわからないなどと、人をバカにして、わざと間違えた、成績トップの人がいます!」
一斉に、みんながオレを見た。
先生、それ名指ししていますよ?
ともかく、王立学園史上、二人目の「全科目満点」は、あの問題で消えたんだ。
それでも、成績表だけを見れば文句のつけようがないことは誰の目にも明らかだ。
だが社交界では、そうはいかない。
「……で、ノエル。今の人、誰だと思う?」
父の問いに、オレは思考を巡らせる。
『昨日、王宮で父と立ち話をした人のはずだ。だって香水の匂いはサンダルウッド。足音は少し右足が重い』
「……昨日、小麦の件で有益な助言をくれた、殿下の側近の方ですね」
殿下の側近の名前なら全員覚えている。でも、その「誰」になるのかはわからない。オレは適当な名前を挙げた。
「確かにその話はした。殿下の側近の一人でもある。だが、全く違う名前だろ? 昨日会ったばかりで、もう見忘れるとは。ふぅ。お前は、数字や事象を掴む力は並外れているのに……」
父は責めるというより、壊れた宝物を見るような目でオレを見る。その哀れみこそが、何より痛かった。
「お前は、優秀で期待は大きかったのだがな、これではどうにも」
父はゆっくりと首を振った。父は残念そうに息を吐いたんだ。
結果、我が伯爵家では早々に結論が出た。
――社交向きではない、欠陥のある長男に、家督は任せられない。
弟のジュリアンは、人の顔と名前を一度で覚える天才だ。笑顔も柔らかく、貴族社会での立ち回りも上手い。家督は彼が継ぐ。
そう聞かされた時、正直、悔しくないと言えば嘘になる。
どれだけ学問で成果を出しても、隣人の顔が判別できないだけで『欠陥品』扱いなのだから。
『けれど、そんなオレだからこそ、できることもあるはずだ!』
せめて、ジュリアンを補佐する仕事を引き受けよう。
そう割り切って、気楽に学園生活を送るしかなかったんだ。
しかし、それも、その日の夕食までのことだった。
「ノエル、少しお話があるの」
母、セリーヌは食後の紅茶を前に、いつもより改まった顔をしていた。
嫌な予感はしたが、逃げ場はない。
「政略結婚の話が来ています」
やっぱり来たか、と内心で頷く。伯爵家の長男だ。家督を継がなくとも、縁談がないわけがない。
「お相手は?」
「とある令嬢よ。……ただし、少しウワサがあるわ」
母は言葉を選ぶように、一拍置いた。
「二度、婚約破棄をされています」
その瞬間、ピーンと来た。
王太子の舞踏会の一件。そして、それに続く、公爵家三男の駆け落ち事件。
『どっちもヒドいよなぁ。令嬢に、何の落ち度も無いことはハッキリしているのに』
「……話としては、ずいぶんと派手だね」
なにしろ、学園を含め社交界では「キズモノ令嬢」のウワサで持ちきりだ。
「ええ。だからこそ、格下の、我が家に話が回ってきたとも言えるわ」
これだけ悪いウワサが出回ると、まともな結婚相手なんて見つかるわけがない。このままでは、修道院入りするくらいしか道がない、という話だって聞いたくらいだ。
それくらいなら、伯爵家は「ギリギリ高位貴族」だ。侯爵家の令嬢と、身分は釣り合う。
母はオレをまっすぐ見た。
「ウワサでは、気難しく、冷たい令嬢だとか。王太子に嫌われた理由も、性格に難があるからだとあるわ」
母はモノ言いたげな表情を隠そうともしない。
「そう言えば、ヘルマン=ド・ラ・モンターニュ侯爵の奥様は、母上の?」
「そうよ、マティルダは私の親友よ。その娘がウワサにあるような娘であるはずがないわ。あなたはウワサを気にする?」
顔が覚えられないせいか、オレは昔から、評判より実物を信じる癖がある。
人は、ウワサ話ほど単純じゃない。
「母上」
「なに?」
「会ってから考えてもいいですか?」
母は少し驚いた顔をしたあと、ふっと微笑んだ。
「あなたらしいわね」
オレはうなずく。
「正直に言うと、相手の顔は、どうせ覚えられない。でも……声とか、話し方とか、空気なら分かる」
ウワサよりも、自分の感覚を信じたい。
それに――二度も婚約破棄されたキズモノ令嬢、というウワサだけで人を判断するのは、どうにも性に合わない。
だいいち、さ『キズモノ』なんて言葉は、まるで彼女を物扱いするみたいで不愉快だろ?
『他人の顔色ばかりを気にする連中には、あの夜、彼女が一人で戦っていた気高さは見えなかったのかなぁ』
オレは第二王子に婚約を破棄された、あの場の令嬢の毅然とした態度をハッキリと覚えてる――顔は覚えてないけど。
そんなことを考えている間、母は、じっとオレの顔を見つめていたんだ。
そして、微笑を浮かべたんだ。
「分かりました。では、近いうちにお茶の席を設けましょう」
母の表情は、どこか安心したようでもあった。
その夜、オレは自室の窓から月を眺めながら思う。
顔を覚えられない人生も、悪くない。
余計な先入観を持たずに、人と向き合えるのだから。
さて――
噂の令嬢は、どんな声をしているのだろうか。
それだけが、少し楽しみだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ノエルは「欠陥」と切り捨てられましたが、
視点を変えれば、むしろ突出した才能の持ち主です。
次回から、彼とクリスティーヌの物語が本格的に動き出します。
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