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第1話 悪女と呼ばれた少女
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プロローグ
それから長い時が過ぎた。
洗礼式が終わったばかりの王宮は、何かとバタバタしている。しかし、老境の王妃が自ら名付けた離宮・水仙宮は、喧噪とは無縁だった。
この国では、必ず「選ばれる」少女がいる。
それを知る者は、いつも、静かだった……
「王妃様。今年、最初のマリーゴールドが届きました」
「あ……り、が……」
「めっそうもありません」
食事を取る力も喪った王妃を、老侍女は心配している。
言葉も出せぬ王妃に、老侍女は目一杯努力して笑顔を浮かべて見せる。
窓辺に鉢植えを置こうとした時、立ち止まった。
「地震ですね」
わずかに揺れている。
「これなら被害もなさそうです」
「……増えるわ」
いつになく声が出た。
窓から落ちぬようにという示唆だと受け止めた老侍女。
「あちらのテーブルに置きましょうか」
王妃の返答がない。
視線が、窓の外に向かっていた。
威容を誇る、王国の象徴――ヴェスヴィオ山。
「王妃様?」
ただ、山だけを見ている。
もはや、力も残ってない王妃が「もうすぐよ」と、声なき声を唇の中で呟いていたのを誰も知らなかった。
◆届かぬ手紙
公爵家に届く手紙は膨大だ。急ぎのもの以外、侍女がとりまとめて昼過ぎに渡される。
「ステファニー様、本日の手紙です」
手紙の束に、クライン殿下のものは、なかった。
『もう、一ヶ月ね』
洗礼式が終わってから、殿下からの手紙が届かない。
それまでは、走り書きのような手紙であっても、毎日、届いていたのに。
確かに殿下はお忙しいのだろう。けれど、走り書きのような手紙であっても、婚約した私と殿下とを繋ぐ、確かな証だった。
窓から見えるヴェスヴィオ山の雄大な山容が霞んでいた。
その時、床が、わずかにキシりと鳴った。
気のせいかと思うほどの揺れ。
この国では珍しいことでもない。
侍女たちも「またかしら」と笑っていた。
けれど、漠然たる不安が、思い出させたのだろうか。
洗礼式の日の「違和感」を思い出してしまった。
一人一人、神官の前で跪き、神の加護を願い、祈りを捧げる儀式は、十五を迎える貴族の子女の義務だ。
もちろん、私も祈りを捧げた。
あの時に見かけた、少女のことが頭から離れなかった。
「クラプラ・フォン・エルデンハイム」
エルデンハイム男爵家の娘。
人を引きつける、明るい明るい美しさを持った少女だ。
彼女は、なぜかクライン殿下にエスコートされて出ていった。
いつになく大勢の護衛に囲まれた殿下には、婚約者である私ですら近づくことが出来なかった。
あの時の殿下の背中の違和感。
それが何であったのか確かめる術もなく、私は入学準備をしなければならなかった。
楽しみにしていた学園生活が始まる。
けれども、そこから、すべてが変わるなんて想像もしなかった。
◆王子の腕にいた少女
王国学園の入学式は準公式の場だ。
婚約者として、私はクライン殿下と登校するはずだった。
しかしエスコートの手紙は届かず、私は、自家の馬車で送られた。
異例中の異例。
一人、校舎に入ろうとした時だった。
王家の馬車が到着した。
慣例通り、私も背筋を伸ばし、微笑みを作った…… 次の瞬間、凍り付いた。
殿下の腕に、令嬢がエスコートされていたからだ。
クラプラ様だった。
ドレスを纏い、楽しそうに殿下の腕に手を添えている。しかし、私に気づくと、殿下の腕をためらいもなく離して、小走りに近づいてきた。
空にでも溶け込んでいくような、突き抜けた笑顔。
「ステファニー様ですよね? 初めまして」
軽やかな声だ。
「これから、一緒ですね。仲良くしてくださいませ」
「こちらこそ」
私は笑顔を浮かべられていただろうか?
クラプラ様の鈴の音のように澄み渡る声。
悪意も遠慮も、見当たらない。
ただその日、婚約者として、ひと言も会話がなかったこと。
そして、帰りも王家の馬車に乗り込んだクラプラ様の姿があったこと。
それだけが事実だった。
◆
ああ、やっぱり。
彼女は、とても素敵な人だった。
真っ直ぐで、誠実そう。
こんな人が、王子様の隣にいるべきよ。
それなのに、ごめんね、と心の中で呟く。
声に出したら、きっと泣いてしまうから。
私は、あと少しだけ、この日常を借りる。
それくらいの、わがままは、許されるはずだと信じた。
◆
殿下は、最後まで私を見なかった。
立ち尽くす私に、友人たちが近寄ってくる。
「ステファニー様?」
声をかけられた瞬間、足元が、ぐらりと揺れた。
大きい。
誰かが悲鳴を上げ、誰かが支え合う。
私はとっさに壁に掴まるようにして、身体を支えた。
揺れはすぐに収まり、皆は「また地震ね」と笑い合った。
私だけ、壁にもたれかかったまま。あの光景を思い出していた。
クライン殿下の腕に、親しげに絡んだクラプラ様の手だ。
胸の奥で、何かがひび割れる音がした気がした。
この時、私はまだ何も知らなかった――知るのは、ずっと先の話だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
完結保証、3夜連続投稿です。
それから長い時が過ぎた。
洗礼式が終わったばかりの王宮は、何かとバタバタしている。しかし、老境の王妃が自ら名付けた離宮・水仙宮は、喧噪とは無縁だった。
この国では、必ず「選ばれる」少女がいる。
それを知る者は、いつも、静かだった……
「王妃様。今年、最初のマリーゴールドが届きました」
「あ……り、が……」
「めっそうもありません」
食事を取る力も喪った王妃を、老侍女は心配している。
言葉も出せぬ王妃に、老侍女は目一杯努力して笑顔を浮かべて見せる。
窓辺に鉢植えを置こうとした時、立ち止まった。
「地震ですね」
わずかに揺れている。
「これなら被害もなさそうです」
「……増えるわ」
いつになく声が出た。
窓から落ちぬようにという示唆だと受け止めた老侍女。
「あちらのテーブルに置きましょうか」
王妃の返答がない。
視線が、窓の外に向かっていた。
威容を誇る、王国の象徴――ヴェスヴィオ山。
「王妃様?」
ただ、山だけを見ている。
もはや、力も残ってない王妃が「もうすぐよ」と、声なき声を唇の中で呟いていたのを誰も知らなかった。
◆届かぬ手紙
公爵家に届く手紙は膨大だ。急ぎのもの以外、侍女がとりまとめて昼過ぎに渡される。
「ステファニー様、本日の手紙です」
手紙の束に、クライン殿下のものは、なかった。
『もう、一ヶ月ね』
洗礼式が終わってから、殿下からの手紙が届かない。
それまでは、走り書きのような手紙であっても、毎日、届いていたのに。
確かに殿下はお忙しいのだろう。けれど、走り書きのような手紙であっても、婚約した私と殿下とを繋ぐ、確かな証だった。
窓から見えるヴェスヴィオ山の雄大な山容が霞んでいた。
その時、床が、わずかにキシりと鳴った。
気のせいかと思うほどの揺れ。
この国では珍しいことでもない。
侍女たちも「またかしら」と笑っていた。
けれど、漠然たる不安が、思い出させたのだろうか。
洗礼式の日の「違和感」を思い出してしまった。
一人一人、神官の前で跪き、神の加護を願い、祈りを捧げる儀式は、十五を迎える貴族の子女の義務だ。
もちろん、私も祈りを捧げた。
あの時に見かけた、少女のことが頭から離れなかった。
「クラプラ・フォン・エルデンハイム」
エルデンハイム男爵家の娘。
人を引きつける、明るい明るい美しさを持った少女だ。
彼女は、なぜかクライン殿下にエスコートされて出ていった。
いつになく大勢の護衛に囲まれた殿下には、婚約者である私ですら近づくことが出来なかった。
あの時の殿下の背中の違和感。
それが何であったのか確かめる術もなく、私は入学準備をしなければならなかった。
楽しみにしていた学園生活が始まる。
けれども、そこから、すべてが変わるなんて想像もしなかった。
◆王子の腕にいた少女
王国学園の入学式は準公式の場だ。
婚約者として、私はクライン殿下と登校するはずだった。
しかしエスコートの手紙は届かず、私は、自家の馬車で送られた。
異例中の異例。
一人、校舎に入ろうとした時だった。
王家の馬車が到着した。
慣例通り、私も背筋を伸ばし、微笑みを作った…… 次の瞬間、凍り付いた。
殿下の腕に、令嬢がエスコートされていたからだ。
クラプラ様だった。
ドレスを纏い、楽しそうに殿下の腕に手を添えている。しかし、私に気づくと、殿下の腕をためらいもなく離して、小走りに近づいてきた。
空にでも溶け込んでいくような、突き抜けた笑顔。
「ステファニー様ですよね? 初めまして」
軽やかな声だ。
「これから、一緒ですね。仲良くしてくださいませ」
「こちらこそ」
私は笑顔を浮かべられていただろうか?
クラプラ様の鈴の音のように澄み渡る声。
悪意も遠慮も、見当たらない。
ただその日、婚約者として、ひと言も会話がなかったこと。
そして、帰りも王家の馬車に乗り込んだクラプラ様の姿があったこと。
それだけが事実だった。
◆
ああ、やっぱり。
彼女は、とても素敵な人だった。
真っ直ぐで、誠実そう。
こんな人が、王子様の隣にいるべきよ。
それなのに、ごめんね、と心の中で呟く。
声に出したら、きっと泣いてしまうから。
私は、あと少しだけ、この日常を借りる。
それくらいの、わがままは、許されるはずだと信じた。
◆
殿下は、最後まで私を見なかった。
立ち尽くす私に、友人たちが近寄ってくる。
「ステファニー様?」
声をかけられた瞬間、足元が、ぐらりと揺れた。
大きい。
誰かが悲鳴を上げ、誰かが支え合う。
私はとっさに壁に掴まるようにして、身体を支えた。
揺れはすぐに収まり、皆は「また地震ね」と笑い合った。
私だけ、壁にもたれかかったまま。あの光景を思い出していた。
クライン殿下の腕に、親しげに絡んだクラプラ様の手だ。
胸の奥で、何かがひび割れる音がした気がした。
この時、私はまだ何も知らなかった――知るのは、ずっと先の話だ。
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完結保証、3夜連続投稿です。
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