悪女の最後の手紙

新川 さとし

文字の大きさ
1 / 3

第1話 悪女と呼ばれた少女

しおりを挟む
プロローグ

 それから長い時が過ぎた。

 洗礼式が終わったばかりの王宮は、何かとバタバタしている。しかし、老境の王妃が自ら名付けた離宮・水仙宮は、喧噪とは無縁だった。

 この国では、必ず「選ばれる」少女がいる。

 それを知る者は、いつも、静かだった……


「王妃様。今年、最初のマリーゴールドが届きました」
「あ……り、が……」
「めっそうもありません」

 食事を取る力も喪った王妃を、老侍女は心配している。
 
 言葉も出せぬ王妃に、老侍女は目一杯努力して笑顔を浮かべて見せる。

 窓辺に鉢植えを置こうとした時、立ち止まった。

「地震ですね」

 わずかに揺れている。

「これなら被害もなさそうです」
「……増えるわ」
 
 いつになく声が出た。

 窓から落ちぬようにという示唆だと受け止めた老侍女。

「あちらのテーブルに置きましょうか」

 王妃の返答がない。
 視線が、窓の外に向かっていた。

 威容を誇る、王国の象徴――ヴェスヴィオ山。

「王妃様?」

 ただ、山だけを見ている。

 もはや、力も残ってない王妃が「もうすぐよ」と、声なき声を唇の中で呟いていたのを誰も知らなかった。



◆届かぬ手紙


 公爵家に届く手紙は膨大だ。急ぎのもの以外、侍女がとりまとめて昼過ぎに渡される。

「ステファニー様、本日の手紙です」

 手紙の束に、クライン殿下のものは、なかった。 

『もう、一ヶ月ね』

 洗礼式が終わってから、殿下からの手紙が届かない。

 それまでは、走り書きのような手紙であっても、毎日、届いていたのに。

 確かに殿下はお忙しいのだろう。けれど、走り書きのような手紙であっても、婚約した私と殿下とを繋ぐ、確かな証だった。

 窓から見えるヴェスヴィオ山の雄大な山容が霞んでいた。

 その時、床が、わずかにキシりと鳴った。

 気のせいかと思うほどの揺れ。

 この国では珍しいことでもない。

 侍女たちも「またかしら」と笑っていた。

 けれど、漠然たる不安が、思い出させたのだろうか。

 洗礼式の日の「違和感」を思い出してしまった。

 一人一人、神官の前で跪き、神の加護を願い、祈りを捧げる儀式は、十五を迎える貴族の子女の義務だ。

 もちろん、私も祈りを捧げた。

 あの時に見かけた、少女のことが頭から離れなかった。

「クラプラ・フォン・エルデンハイム」

 エルデンハイム男爵家の娘。

 人を引きつける、明るい明るい美しさを持った少女だ。

 彼女は、なぜかクライン殿下にエスコートされて出ていった。

 いつになく大勢の護衛に囲まれた殿下には、婚約者である私ですら近づくことが出来なかった。

 あの時の殿下の背中の違和感。

  それが何であったのか確かめる術もなく、私は入学準備をしなければならなかった。

 楽しみにしていた学園生活が始まる。

 けれども、そこから、すべてが変わるなんて想像もしなかった。


◆王子の腕にいた少女

 王国学園の入学式は準公式の場だ。

 婚約者として、私はクライン殿下と登校するはずだった。

 しかしエスコートの手紙は届かず、私は、自家の馬車で送られた。

 異例中の異例。

 一人、校舎に入ろうとした時だった。

 王家の馬車が到着した。

 慣例通り、私も背筋を伸ばし、微笑みを作った…… 次の瞬間、凍り付いた。

 殿下の腕に、令嬢がエスコートされていたからだ。

 クラプラ様だった。

 ドレスを纏い、楽しそうに殿下の腕に手を添えている。しかし、私に気づくと、殿下の腕をためらいもなく離して、小走りに近づいてきた。

 空にでも溶け込んでいくような、突き抜けた笑顔。

「ステファニー様ですよね? 初めまして」

 軽やかな声だ。

「これから、一緒ですね。仲良くしてくださいませ」
「こちらこそ」

 私は笑顔を浮かべられていただろうか?

 クラプラ様の鈴の音のように澄み渡る声。
 悪意も遠慮も、見当たらない。

 ただその日、婚約者として、ひと言も会話がなかったこと。

 そして、帰りも王家の馬車に乗り込んだクラプラ様の姿があったこと。

 それだけが事実だった。


 ◆

 ああ、やっぱり。

 彼女は、とても素敵な人だった。

 真っ直ぐで、誠実そう。
 こんな人が、王子様の隣にいるべきよ。

 それなのに、ごめんね、と心の中で呟く。
 声に出したら、きっと泣いてしまうから。

 私は、あと少しだけ、この日常を借りる。

 それくらいの、わがままは、許されるはずだと信じた。


 ◆


 殿下は、最後まで私を見なかった。

 立ち尽くす私に、友人たちが近寄ってくる。

「ステファニー様?」

 声をかけられた瞬間、足元が、ぐらりと揺れた。

 大きい。

 誰かが悲鳴を上げ、誰かが支え合う。

 私はとっさに壁に掴まるようにして、身体を支えた。

 揺れはすぐに収まり、皆は「また地震ね」と笑い合った。

 私だけ、壁にもたれかかったまま。あの光景を思い出していた。

 クライン殿下の腕に、親しげに絡んだクラプラ様の手だ。

 胸の奥で、何かがひび割れる音がした気がした。

 この時、私はまだ何も知らなかった――知るのは、ずっと先の話だ。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
完結保証、3夜連続投稿です。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【本編完結】笑顔で離縁してください 〜貴方に恋をしてました〜

桜夜
恋愛
「旦那様、私と離縁してください!」 私は今までに見せたことがないような笑顔で旦那様に離縁を申し出た……。 私はアルメニア王国の第三王女でした。私には二人のお姉様がいます。一番目のエリーお姉様は頭脳明晰でお優しく、何をするにも完璧なお姉様でした。二番目のウルルお姉様はとても美しく皆の憧れの的で、ご結婚をされた今では社交界の女性達をまとめております。では三番目の私は……。 王族では国が豊かになると噂される瞳の色を持った平凡な女でした… そんな私の旦那様は騎士団長をしており女性からも人気のある公爵家の三男の方でした……。 平凡な私が彼の方の隣にいてもいいのでしょうか? なので離縁させていただけませんか? 旦那様も離縁した方が嬉しいですよね?だって……。 *小説家になろう、カクヨムにも投稿しています

記憶喪失の婚約者は私を侍女だと思ってる

きまま
恋愛
王家に仕える名門ラングフォード家の令嬢セレナは王太子サフィルと婚約を結んだばかりだった。 穏やかで優しい彼との未来を疑いもしなかった。 ——あの日までは。 突如として王都を揺るがした 「王太子サフィル、重傷」の報せ。 駆けつけた医務室でセレナを待っていたのは、彼女を“知らない”婚約者の姿だった。

『話さない王妃と冷たい王 ―すれ違いの宮廷愛

柴田はつみ
恋愛
王国随一の名門に生まれたリディア王妃と、若き国王アレクシス。 二人は幼なじみで、三年前の政略結婚から穏やかな日々を過ごしてきた。 だが王の帰還は途絶え、宮廷に「王が隣国の姫と夜を共にした」との噂が流れる。 信じたいのに、確信に変わる光景を見てしまった夜。 王妃の孤独が始まり、沈黙の愛がゆっくりと崩れていく――。 誤解と嫉妬の果てに、愛を取り戻せるのか。 王宮を舞台に描く、切なく美しい愛の再生物語。

身代わりーダイヤモンドのように

Rj
恋愛
恋人のライアンには想い人がいる。その想い人に似ているから私を恋人にした。身代わりは本物にはなれない。 恋人のミッシェルが身代わりではいられないと自分のもとを去っていった。彼女の心に好きという言葉がとどかない。 お互い好きあっていたが破れた恋の話。 一話完結でしたが二話を加え全三話になりました。(6/24変更)

伯爵令嬢の婚約解消理由

七宮 ゆえ
恋愛
私には、小さい頃から親に決められていた婚約者がいます。 婚約者は容姿端麗、文武両道、金枝玉葉という世のご令嬢方が黄色い悲鳴をあげること間違い無しなお方です。 そんな彼と私の関係は、婚約者としても友人としても比較的良好でありました。 しかしある日、彼から婚約を解消しようという提案を受けました。勿論私達の仲が不仲になったとか、そういう話ではありません。それにはやむを得ない事情があったのです。主に、国とか国とか国とか。 一体何があったのかというと、それは…… これは、そんな私たちの少しだけ複雑な婚約についてのお話。 *本編は8話+番外編を載せる予定です。 *小説家になろうに同時掲載しております。 *なろうの方でも、アルファポリスの方でも色んな方に続編を読みたいとのお言葉を貰ったので、続きを只今執筆しております。

貴方なんて大嫌い

ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い

月夜に散る白百合は、君を想う

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。 彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。 しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。 一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。 家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。 しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。 偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。

悪女と呼ばれた令嬢は、親友の幸せのために婚約者を捨てた

由香
恋愛
婚約者である王太子を、親友のために手放した令嬢リュシエンヌ。 彼女はすべての非難を一身に受け、「悪女」と呼ばれる道を選ぶ。 真実を語らぬまま、親友である騎士カイルとも距離を置き、 ただ一人、守るべきものを守り抜いた。 それは、愛する人の未来のための選択。 誤解と孤独の果てで、彼女が手にした本当の結末とは――。 悪女と呼ばれた令嬢が、自ら選び取る静かな幸福の物語。

処理中です...