黄昏のザンカフェル

新川 さとし

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第2章 三人の婚約者

その24 転んでもただでは起きないのか?

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『伯爵に申し入れて、これを口実に訪問しておくとしようか? うん、それがいいかも。そこで「そう言えばあなたには、私と同じ年頃のお嬢さまがいらっしゃったな」とでも言おう。いや、むしろ向こうの方から言い出してくるかもだぞ? うん、きっとそうなるに違いない! そうしたら、そこで一緒に庭をとなって、むむむむむっ、よし! そうなれば、よもや邪魔はするまい』

 貴族家の庭は、そのまま庭園でもある。東屋ベンチの一つも用意されているはずだ。

『よぉし、そこで、セリカの手を……』

 ……んか、でんか、でんか?

 ん?

「殿下」
「ん? あ、ん、なんだ?」

 目の前は、突然、甘やかなシーンから、薄暗い秘密部屋に戻った。ナヴァンテックが不審げに見上げている。

「あのぉ、続きをお話しさせていただいても?」
「も、もちろんだぞ」

 白日夢を、懸命にかき消しているマリウスである。

「こちらをご覧ください」

 ナヴァンテックは、いつの間にか、地図まで取り出している。

「ガーネット家の現領主は篤実な性格ゆえに、大過なく務めるかと」
「ふ~む。それであれば、王室にマイナスはないという計算か」
「はい。なお、直轄領にするに当たり、ここと、ここ、そして、ここには関所が設けられます。そこでの関税権だけは、マリウス様が管理してはいかがかと愚考いたします」
「いくら王室直轄領にしても、陛下に対して、勝手なことはできぬぞ?」

 王室直轄領とするのなら、関税権は父王のものだ。

「もちろん、国からの徴税官を置きます。ただし、そこから徴収した関税通行料には、国防費の臨時支出分を出すと言う名目をつけて、マリウス様から分配するようにさせます。なにしろ、提案者がマリウス様でございますからな。王子のお立場からの提案です。これをはねのければ、そこに余計な説明が必要になる故、これは通るかと」
「ふむ。具体的には?」
「徴税したカネを集め、計算し、再分配するのは会計官の役目にございます」
「なるほど」
「各関所の会計官には手の者を入れますゆえ、年間で1~2アウレリアは黙っていても転がり込んで参りましょう」

 要するに「通行料のピンハネ」である。しかも、その通行料そのものも「国軍の為に使う」ということであれば、反対しにくくなるのも当然だった。

「おぉ。それなら、今回のマイナス分は、すぐに取り戻せるではないか」
「御意」

 そこで、ふと気がついた。

「こうやって聞くと、まるで、失敗した方が、得をしたような形になるのだが?」
「それもこれも、マリウス様のご人徳のお陰でございます」
「本当にそう思っているのか?」

 このあたり、見え透いたお世辞に乗るような性格ではない。むしろ「この反応をすると言うことは、他にもまだあるのでは?」と考えてしまう。

『まてよ。この事件そのものは、国としてのスキャンダルだ。となると……』

 マリウスは気がついた。

「おまえ、ファビウスを追い落とすつもりだな?」

 追い落とすなどと、そのようなことはと、恭しく首を振って見せたナヴァンテックであるが、ニヤリと笑って、潜めた声を続ける。

「インスペクターは、王都の治安責任者でございますからな。王位継承権を持つ貴族の嗣子プリンスに対して、これほど大規模な暗殺未遂事件が起きてしまった以上、責任を取る者がいないと、ファーニチャー家が納得しますまい」

 ファビウス・マキシマムは、長く国軍のまとめ役として働いてきた。生粋の軍人として気骨の通った意見を持ち、節を曲げることはない。第一王子派の重鎮でもある彼が、王都のインスペクター警視総監を拝命したのが去年からである。

 この名目であれば、第一王子派の恨みは、ファビウス・マキシマムに向かう可能性が強い。国内最有力貴族で、王位継承権を持つ家に対しての反発は、後々、面白い効果を生むかも知れない。

 恐ろしい計略だった。
 
「おまえのことだ。どうせ後任の名前も、あてがあるのだろう?」
「はい。さすがに、こちらで直接の指名するわけにも参りませんが、北部連合地域の顔を立てるため、そのとりまとめをなさっていらっしゃるファウワー伯爵の推薦を受け入れるのが上策かと」

 確かに、ねつ造だらけの証拠と言いがかりのような論法で、北部連合地域の伯爵家を取り潰すのだ。貴族社会は、バランス感覚が大事だ。「仲間」を取り潰した恨みがあっても、その推薦を受け入れてメンツを立てさせれば、相手に貸しを作ることにもなる。

 しかもファウワー家は、マリウスの婚約者の家だ。第一王子派とは一線を画している。ある程度は、推薦してくる名前もコントロールできるに違いない。

 上手いことづくしのようなやり口で、しかも、より一層、北部連合地域と「マリウス」のつながりが強くなるのだから、笑わずにはいられない。

「ふぅ~ 失敗すら、己のカードに変えてしまうとは。つくづく、お前は敵に回したくないものだな」

 実は、チラッともう一つ考えたことがあったのだが、それは敢えて言葉にしなかった。ただ、ナヴァンテックの目に、もの言いたげな視線を一つ送るだけだ。

 王子の視線を受け止めて、ニッコリすると「恐れ入りましてございます」

「そうか。気遣い、褒めてつかわす」
「ありがたく」

 この瞬間、ファウワー家に徹底した貸しを作る作戦が発動したと言うことになる。貴族社会の貸し借りは、まるでポイントカードのようなもの。貯めると、多くの見返りを要求できる。

 主従が言葉にしなかったのは、まさにマリウスの恋心のためだからだ。

 ファウワー家は、マリウスに「借り」を作ってしまうと、この先、娘が正室になれなかったとしても、文句を言いにくくなる効果がある。

 そう。セリカをものにするとしたら側室ではなく、正室にしようというのだ。

『そして、あえて正室はセリカだけにすると言えば、きっと喜んでくれるぞ』

 陰謀の主従は、そんなことにすら、なにがしかを企まずに、いられなかったのである。

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