一日一編

馬東 糸

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020128【祈り】

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 戦火は隣村にまで迫っていた。私は村人達を避難させている。声を掛けると腕の良い屈強な漁師も、村で一番の医者も、宿屋の主人も皆急いで村を出た。
 私は植物学者であり、砂漠の中にありつつも自然豊かなこの村には調査の目的で来ていた。他所者であったけれど、村人には良くしてもらったため不自由のない調査生活を送ることが出来ていた。そのような最中の出来事である。
 私は少しでも恩を返そうと無我夢中で走り回り、避難を促した。
 大きい村ではなかったため、声を掛けた人達の中にあの女性がいなかった事に気が付いた。
 まさかと思い、私は息を切らして走った。
 向かった先は村外れにある協会である。協会といっても、大樹の割れ目の空間を礼拝堂としたもので非常に清貧なものである。
 中へ入ると、いつも通りその女性が祈りを捧げていた。私は急いで避難するよう声をかけた。女性は焦った様子はなく普段の調子で返答した。
「祈りの途中なので、離れる訳にはいきません」
 私は怒りを覚えた。このような有事の際にまで、信仰が何の役に立つと言うのだろうか。既に中心部からは火の手が上がっていた。無理にでもと思い、腕を掴んで連れて行こうとした。しかし、彼女は頑なに動こうとはしなかった。
「今はそんな事を言っている場合じゃないんです。もう時間がない」
 私は声を荒げて伝えた。
「あなたは逃げてください」
 粛々と祈りを捧げながら、ただそう言ったのみである。
「祈って何になるんですか」
 女性は答える。空間に声が染み込むようであった。
「分かっているのでしょう。祈りは何にもなりませんよ。いくら祈ったって世界は変えることは出来ないし、依然として善い人は悪い人に命を奪われて、どこかで誰かが飢えていて、自然は汚されていきますよ。あなたはよくご存知でしょう」
「では、なんで」
「どう生きるかですよ。さあ、あなたはこの奥の穴から逃げれば時間が稼げるはずです。あなたはあなたの為に生きなさい」
 私はその穴に強引に押された。勿論、逆らう事が出来なかった訳ではないし、本気で抵抗しようと思えば出来たはずである。しかし、そうはしなかった。
 私は穴から抜け出て、必死に逃げた。
 私は生涯で一度きりの祈りを捧げた。
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