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少女は戦場を駆け抜ける
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王は、民の信頼を得ねばならない。民を落胆させてはならない。飢えさせず、あらゆる困難から民を守らねばならない。
……文生ならきっとそう考えるだろう。
臆病で、生真面目で、けれど心底優しい。
だからこそあたしを拾って、『美琳』にしてくれた。
そんな彼と共に生きるためには、あたしもそうならなければならない。
誰が死のうと興味はなくとも、それが文生へ繋がる道になるはずだから。
あたしは文生の民を生かし、文生の敵を殺そう。
「…リン、おい……聞いて……?」
「……」
「おい、美琳!聞いてないのか?もう訓練は終わりだ!武器を片付けてこい!」
美琳はハッと思考の底から起き上がると、白く曇った吐息を漏らす。
春の息吹が芽吹く今頃でも、朝夕は冷え込んでいる。訓練で火照った体を冷やすには充分であろう。
美琳が辺りを見回せば、夕陽に焼かれた訓練場に残っているのは自分と、呼びかけてきた勇豪だけだった。
勇豪が腕を組んで仁王立ちしているのを、美琳は無関心な顔で見上げる。
「お前が呆けているなんて珍しいな。なんかあったか?」
「いえ、別に。考え事をしていただけです」
「ふぅん。どうせウェン……王のことだろ?」
「むしろそれ以外の何を考えるんです?」
美琳は何を当たり前のことを、といった顔で、武器を片付けるべく倉庫へと向かう。勇豪も慣れたもので、彼女の横に並び歩いて淡々と話を続ける。
「そういや、浩源から聞いたが、お前、民に評判らしいじゃねぇか」
「そうみたいですね」
「そうみたいって……お前のことだろうが。そんな他人事みたいに」
ぴたりと美琳の足が止まる。つられて勇豪も立ち止まる。
「だって、あたしがしたいからしてるんじゃないんだもの。文生ならそうしたいだろうから、代わりにやってるだけよ?」
少女は頬を茜に染めて答える。まるで雪の中でも赤く色づく梅の花のように、誇らしげで、ひたむきに。
勇豪は頭を掻きながら、どこか安堵した面持ちだ。
「まぁそんなこったろうと思ったさ。急にまっとうになったのかと思ったが、杞憂だったな」
ふふふ、と笑い声を漏らすと、美琳は再び歩き出す。
「ご心配なく。あたしの気持ちが変わることはありえないわ」
「ありえないなんてことはありえない、ってよく言うけどな。お前の評判を聞いたときにゃ耳を疑ったが、そういうことならいっそ清々しいな。別に不利益な話でもないし、これからも励めよ」
「分かりました」
「そうだ、励むと言やぁ……」
勇豪はつと思い出したことを伝える。
「そろそろお前の活躍の場がやってくるぜ」
「美琳ちゃん!あの話本当なの?そろそろ戦が始まるって!」
そう美琳を呼び止めたのは小太りな中年の女だった。
市中を見廻っていた美琳は先輩兵士に一言断って、一軒の家の前に立つ彼女に近寄る。
都城の大通り沿いには民家の軒先に広げられた露店が続く。
店の種類は多岐にわたり、庶人向けの農具を始め、衣服や台所用具、職人向けの食料品などが売られている。中には交易品を取り扱う店もあり、陽が沈むまで大通りの人混みが途絶えることはない。
彼女の家もその店の一つだ。足元には大きな布が敷かれ、鉄製の農具がいくつか並べられている。
「おばさん、それどこで聞いたの?」
「どこって……どこもかしこも、その噂で持ち切りさ!で、いつから始まるんだい?」
「そう……結構広まってるのね」
美琳は珍しく険しい表情を浮かべる。美しい顔は少し歪んだところで損なわれることはないが、一種独特な迫力を生み出す。
気圧された女性はそれ以上言葉を続けることが出来ない。
その様子に気づいた美琳は、慌てて取り繕う。
「あ、ごめんね。おばさんに怒ってる訳じゃないのよ?ただあまりそのことを話すなって護衛長から通達されてたから、誰が言っちゃったのかなと思って」
美琳がいつもと変わらぬ可憐な微笑みを浮かべたことで、女性もホッと息をつく。
「そういうことかい。てっきりあたしゃ嘘を広めちまったのかと思ったよ」
「……ふふ。やっぱりおばさんが広めたのね?」
あっ、と女性は口を手で押さえる。だがもう出てしまったものは戻らない。
彼女が眉を下げて美琳を伺い見ると、美琳は困ったようにしながらも笑みを崩すことはなかった。
「どうせ隊の誰かがこぼしたのを聞いちゃっただけでしょ?悪いのはこっちなんだからいいのよ。でも、王宮から布告されるまではこれ以上話さないでね」
「分かったよ…………で、結局いつなんだい?」
「もう、言った傍から」
美琳は頬を膨らませてむくれてみせたが、少女の可愛らしさを強調するばかりであった。
今度は女性が笑い声をあげる番だった。
「おい、もう話は済んだか?」
美琳と女性が談笑しているのを、待たされていた先輩兵士が呼び戻しに来る。
「もう終わりましたよ。あと口止めもしておきました……一応」
「そうか……なら残ってるとこ巡回しに行くぞ」
美琳は「はい」と答えつつ女性の傍を離れる。
その背中を女性が「美琳ちゃん」と言って引き留める。
「おばさん、もう行かなくちゃだから、ね?」
「分かってるさ、ただ……」
女性の周りに真剣な空気が生まれる。美琳も只事でないのを感じ、再度向き直る。
「美琳ちゃんも戦に出るのかい……?」
「?もちろん。そのために軍に入ったんだもの」
「そう、そうだよね……あのさ、これ良かったらもらってくれないかい?」
美琳は不思議そうに彼女の手を覗く。
そこには、つぎはぎで作られていながらも、精一杯綺麗に仕上げられたのが見て取れるお守りが乗っていた。
「あたしなんかの手製じゃ効果ないかもしれないけど……美琳ちゃんには無事に戻ってきてほしいからさ」
「おばさん……」
正直、自分は必ず無事で帰って来られるからそれは不要である、と美琳は心の中で思い、断ろうとした。
だがそれにはかすかな温もりが感じられた。
まるで光に頬を撫ぜられたときのような。
美琳は懐かしいような、縋りたくなるような、なんとも言えない気持ちになる。そう言えば最後に会ってからもうどれ程経っただろうか。
文生のことは毎日考えているが、光のことは今の今まで忘れていた。
そんな風に考えていると、それが光の代わりのような気がしてきた。
温かく、優しく、自分を守ってくれる、そんな光に……
気づけば、そのお守りに手を伸ばしていた。美琳は自分の不可解な行動に動揺する。
「ッあ、りがとう……」
「こちらこそ、もらってくれてありがとね。あと始まる前には顔見せてちょうだいね?それに合わせて職人には武器を作るよう頼んで、あたしの懐を温め……おっとと」
うっかり口を滑らしたような口調だったが、照れ隠しなのだろう。女性の目からは心配げな色は消えない。
美琳はお守りをギュッと握ると、大事そうに懐に仕舞い踵を返す。背中越しに別れの挨拶を残す。
「じゃあまた、夏までにはもう一回来るね」
「!」
美琳は小走りで待たせていた兵士の元に向かう。
その姿を彼女は優しく見送るのであった。
……文生ならきっとそう考えるだろう。
臆病で、生真面目で、けれど心底優しい。
だからこそあたしを拾って、『美琳』にしてくれた。
そんな彼と共に生きるためには、あたしもそうならなければならない。
誰が死のうと興味はなくとも、それが文生へ繋がる道になるはずだから。
あたしは文生の民を生かし、文生の敵を殺そう。
「…リン、おい……聞いて……?」
「……」
「おい、美琳!聞いてないのか?もう訓練は終わりだ!武器を片付けてこい!」
美琳はハッと思考の底から起き上がると、白く曇った吐息を漏らす。
春の息吹が芽吹く今頃でも、朝夕は冷え込んでいる。訓練で火照った体を冷やすには充分であろう。
美琳が辺りを見回せば、夕陽に焼かれた訓練場に残っているのは自分と、呼びかけてきた勇豪だけだった。
勇豪が腕を組んで仁王立ちしているのを、美琳は無関心な顔で見上げる。
「お前が呆けているなんて珍しいな。なんかあったか?」
「いえ、別に。考え事をしていただけです」
「ふぅん。どうせウェン……王のことだろ?」
「むしろそれ以外の何を考えるんです?」
美琳は何を当たり前のことを、といった顔で、武器を片付けるべく倉庫へと向かう。勇豪も慣れたもので、彼女の横に並び歩いて淡々と話を続ける。
「そういや、浩源から聞いたが、お前、民に評判らしいじゃねぇか」
「そうみたいですね」
「そうみたいって……お前のことだろうが。そんな他人事みたいに」
ぴたりと美琳の足が止まる。つられて勇豪も立ち止まる。
「だって、あたしがしたいからしてるんじゃないんだもの。文生ならそうしたいだろうから、代わりにやってるだけよ?」
少女は頬を茜に染めて答える。まるで雪の中でも赤く色づく梅の花のように、誇らしげで、ひたむきに。
勇豪は頭を掻きながら、どこか安堵した面持ちだ。
「まぁそんなこったろうと思ったさ。急にまっとうになったのかと思ったが、杞憂だったな」
ふふふ、と笑い声を漏らすと、美琳は再び歩き出す。
「ご心配なく。あたしの気持ちが変わることはありえないわ」
「ありえないなんてことはありえない、ってよく言うけどな。お前の評判を聞いたときにゃ耳を疑ったが、そういうことならいっそ清々しいな。別に不利益な話でもないし、これからも励めよ」
「分かりました」
「そうだ、励むと言やぁ……」
勇豪はつと思い出したことを伝える。
「そろそろお前の活躍の場がやってくるぜ」
「美琳ちゃん!あの話本当なの?そろそろ戦が始まるって!」
そう美琳を呼び止めたのは小太りな中年の女だった。
市中を見廻っていた美琳は先輩兵士に一言断って、一軒の家の前に立つ彼女に近寄る。
都城の大通り沿いには民家の軒先に広げられた露店が続く。
店の種類は多岐にわたり、庶人向けの農具を始め、衣服や台所用具、職人向けの食料品などが売られている。中には交易品を取り扱う店もあり、陽が沈むまで大通りの人混みが途絶えることはない。
彼女の家もその店の一つだ。足元には大きな布が敷かれ、鉄製の農具がいくつか並べられている。
「おばさん、それどこで聞いたの?」
「どこって……どこもかしこも、その噂で持ち切りさ!で、いつから始まるんだい?」
「そう……結構広まってるのね」
美琳は珍しく険しい表情を浮かべる。美しい顔は少し歪んだところで損なわれることはないが、一種独特な迫力を生み出す。
気圧された女性はそれ以上言葉を続けることが出来ない。
その様子に気づいた美琳は、慌てて取り繕う。
「あ、ごめんね。おばさんに怒ってる訳じゃないのよ?ただあまりそのことを話すなって護衛長から通達されてたから、誰が言っちゃったのかなと思って」
美琳がいつもと変わらぬ可憐な微笑みを浮かべたことで、女性もホッと息をつく。
「そういうことかい。てっきりあたしゃ嘘を広めちまったのかと思ったよ」
「……ふふ。やっぱりおばさんが広めたのね?」
あっ、と女性は口を手で押さえる。だがもう出てしまったものは戻らない。
彼女が眉を下げて美琳を伺い見ると、美琳は困ったようにしながらも笑みを崩すことはなかった。
「どうせ隊の誰かがこぼしたのを聞いちゃっただけでしょ?悪いのはこっちなんだからいいのよ。でも、王宮から布告されるまではこれ以上話さないでね」
「分かったよ…………で、結局いつなんだい?」
「もう、言った傍から」
美琳は頬を膨らませてむくれてみせたが、少女の可愛らしさを強調するばかりであった。
今度は女性が笑い声をあげる番だった。
「おい、もう話は済んだか?」
美琳と女性が談笑しているのを、待たされていた先輩兵士が呼び戻しに来る。
「もう終わりましたよ。あと口止めもしておきました……一応」
「そうか……なら残ってるとこ巡回しに行くぞ」
美琳は「はい」と答えつつ女性の傍を離れる。
その背中を女性が「美琳ちゃん」と言って引き留める。
「おばさん、もう行かなくちゃだから、ね?」
「分かってるさ、ただ……」
女性の周りに真剣な空気が生まれる。美琳も只事でないのを感じ、再度向き直る。
「美琳ちゃんも戦に出るのかい……?」
「?もちろん。そのために軍に入ったんだもの」
「そう、そうだよね……あのさ、これ良かったらもらってくれないかい?」
美琳は不思議そうに彼女の手を覗く。
そこには、つぎはぎで作られていながらも、精一杯綺麗に仕上げられたのが見て取れるお守りが乗っていた。
「あたしなんかの手製じゃ効果ないかもしれないけど……美琳ちゃんには無事に戻ってきてほしいからさ」
「おばさん……」
正直、自分は必ず無事で帰って来られるからそれは不要である、と美琳は心の中で思い、断ろうとした。
だがそれにはかすかな温もりが感じられた。
まるで光に頬を撫ぜられたときのような。
美琳は懐かしいような、縋りたくなるような、なんとも言えない気持ちになる。そう言えば最後に会ってからもうどれ程経っただろうか。
文生のことは毎日考えているが、光のことは今の今まで忘れていた。
そんな風に考えていると、それが光の代わりのような気がしてきた。
温かく、優しく、自分を守ってくれる、そんな光に……
気づけば、そのお守りに手を伸ばしていた。美琳は自分の不可解な行動に動揺する。
「ッあ、りがとう……」
「こちらこそ、もらってくれてありがとね。あと始まる前には顔見せてちょうだいね?それに合わせて職人には武器を作るよう頼んで、あたしの懐を温め……おっとと」
うっかり口を滑らしたような口調だったが、照れ隠しなのだろう。女性の目からは心配げな色は消えない。
美琳はお守りをギュッと握ると、大事そうに懐に仕舞い踵を返す。背中越しに別れの挨拶を残す。
「じゃあまた、夏までにはもう一回来るね」
「!」
美琳は小走りで待たせていた兵士の元に向かう。
その姿を彼女は優しく見送るのであった。
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