クチナシの薫りは醒めない

ありま氷炎

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第十天 好きになるということ(勇視点)

彼の元恋人

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「それでは行ってきます」
「ああ、頑張ってね」
 辰巳先輩に笑顔で見送られ、俺はノートパソコンを入れた鞄を抱える。
 結局11時半まで秀雄(シュウシュン)と係長が戻ってこず、俺はメールを送るかと迷ったが、何もせず会社を出た。

 20分も早く、待合せの中華料理屋に着き、俺はとりあえず座敷の部屋を選んだ。仕事の話をするし、奥がいいだろうと思った。
 ふと携帯電話を見るとメールを受信していた。それは秀雄(シュウシュン)からで、俺は少しドキドキしながら開く。
『昼食は係長と一緒に生産開発課の人達とします』
 そうメッセージが入っており、俺は考えたあげく、
『俺はお客さんと昼食です』
 と短く返した。

「ああ。早かったね」
 そう声がして顔を上げると、爽やかな笑顔を浮かべる木縞さんが座敷部屋の前まで来ていた。俺は携帯をしまうと慌てて立ち上がる。
「木縞さん。こんにちは。今日はお世話になります」
 挨拶としては妥当なのかと迷いながらも俺は彼のところまで行き頭を下げた。
「ああ。こちらこそ、わざわざご足労ありがとう」
 頭を下げる俺にそう答え、彼が座敷に上がる。にゅっと俺の側に立った彼はやはり俺より高く、頼りがいのありそうな体に俺はなんだか胸が痛くなる。
 馬鹿なことを考えるなよ。俺。
 仕事で来てるんだから。
「さあ、実田さん。座って。まずは腹ごしらえといこう」
 彼は俺の横を通り過ぎると、どかっと座布団の上に胡坐をかく。そしてパラパラとメニューを見始めた。
俺は彼の向かいに座ると同様にメニューを開く。
彼の仕草ひとつひとつが俺の癪に障り、俺の心はどんどんどす黒くなっていく。仕事できてるはずなのに、頭の中は秀雄(シュウシュン)と彼のことでいっぱいになっていた。

 
「じゃ。天津飯一つください」
 結局俺は前回と同じ物を頼む。
「それではご注文を繰り返しますね。ラーメンと餃子定食一つと天津飯一つでよろしいですね」
「はい」
 店員が失礼しますと頭をさげ、座敷を出て行った。
 妙な静けさが部屋を支配する。
「実田くん」 
 沈黙を破ったのは木縞さんで、俺は彼の顔を見つめた。
「……秀雄(シュウシュン)は元気でやってる?」
「はい」
 俺は短く答え、そっぽを向く。
「そうか。よかった。この間会った時、元気そうでほっとした。しかも永遠の別れと言われてさすがに私も動揺したよ」
 木縞さんは視線を合わさない俺に笑いかけながら、そう言葉を続けた。
「君たちは付き合っているんだろう?」
「……あなたには関係ありません」
 俺は彼に踏み込まれたくなくて子供じみた様子でそう答える。
 すると木縞さんが大きな溜息をつく。
「私は彼が心配なんだ。3年前、彼を冷たく振った。あと時の様子は今でも覚えている。私は彼がまた傷つくのを見たくないんだ」
 そこで彼は一旦言葉を切る。
「!」
 そして、不意にぐいっと頬を掴まれ、俺は彼の手を反射的に振り払う。
「な、なにするんですか!」
「……実田くん。私は君と話してるんだ。きちんと私の目を見て話すべきだと思うんだが、違うか?」
 その通りだ。
 俺は羞恥で顔が赤くなるのがわかる。
「君には少しがっかりした。君なら秀雄(シュウシュン)ときちんと向かい合い、付き合っていけると思った。しかし違うようだ。本気じゃなければ彼に深入りするのはやめろ。秀雄(シュウシュン)はまだそこまで君のことを想っているわけじゃないはずだ」
「!」
 俺は彼から放たれた言葉にショックを受ける。
 彼の言うことは事実だった。
 俺は彼を本気で好きじゃない。
 だから、彼とそういう関係になることに躊躇するし、中国にも行けない。
「実田くん。君は同性愛者ではない。ゲイの彼と一緒に過ごすには相当の覚悟がいる。私はそれができなかった。普通の生活を望み、妻を選んだ。だから彼を深く傷つけた。私はもう彼が2度と泣くのを見たくない。わかるか?」
「……わかっています」
 俺は唇を噛みしめると必死にそう答える。

「入ります」
 沈黙が訪れたところで、そう声が聞こえ、店員が料理を運んできた。
 俺達は無言で、テーブルに置かれる料理を見つめる。
「さあ、食べようか。これでプライベートな話は終わりだ。私が君に言うことはもう何もない。昼食が終わったら、仕事の話をするから」
 彼はさらっとそう言い、ぱしんと割り箸を割ると「いただきます」と食べ始めた。俺は息を小さく吐くと、「いただきます」と両手を合わせる。お腹の中はなぜかいっぱいで大好きな天津飯を見ても、食欲はまったくわかなかった。

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