クチナシの薫りは醒めない

ありま氷炎

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第十三天 离别―別れ(秀雄視点)

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係長と共に部署に戻ると、勇(ヨン)が戻って来ていて、複雑な心境に陥る。
 会いたかった、でも会いたくなかった。
 彼は無言で席にキーボードを叩いていた。

 彼の隣の席で私はそっと彼の横顔を見る。大きな瞳はスクリーンをじっと見つめ、唇はきゅっと閉じられていた。

 怒っている。

 私は視線を彼からはずすと、机の上を片付け始める。
 1週間は係長の隣で翻訳に徹していたので、片付けるものなど案外少なかった。


「乾杯~」
 6時過ぎ、部署全員でお店に移動して私の送別会が始まる。
 私と勇(ヨン)のぎこちなさが伝わっているためか、席は離れていた。私はそのことに安堵してビールのジョッキを煽る。
 部署の人達には悪いが、私は早くこの場からいなくなりたかった。
 そして彼のいる日本という国から逃げたかった。
 
「王さん、中国って言えば麺だけど、日本のラーメンと違うの?」
「はい。似ているものもありますが、中国には地方によって色々麺があります。日本のラーメンと同じ麺もありますが、触感などは異なります」
「ふーん、そうなんだ」
 谷口(グ・コウ)がそう言って頷く。
 今日はおかしな席順だった。長方形の机が座敷に置かれていて、奥は勿論係長、その斜め向かいが私で、隣に座っているのは谷口(グ・コウ)そして主任。彼女の向かいは勇(ヨン)で、その隣は三木本(サン・ム・ベン)、高木(ガオ・ム)、辰巳(チェン・ス)という順に座っていた。
 勇(ヨン)は相変わらず不機嫌な顔をしていたが、それに構わず三木本(サン・ム・ベン)は話しかけていた。
 
彼女は彼を好きなのか?
 
ふとそんな考えがよぎる。同時に胸が焦がれるような痛みが走った。

 いいことだ。いいことだと思う。
 勇(ヨン)にはお似合いの彼女かもしれない。
 
 私のことなどすぐに忘れてしまうだろう。


「あれぇ?実田くん、王さんと帰んないの?」
 2次会は私が用事もないのに、この後用事があると言ったおかげで開かれなかった。10時過ぎに店を出て、別れの挨拶もしないうちに歩き出そうとする勇(ヨン)に三木本(サン・ム・ベン)がそう問いかける。
「今日は日本で最後の日なので、友人のところに泊めてもらっているんです。実田さんには色々ご迷惑をかけましたから」
 彼の代わりに私が彼女に答える。
 嘘ではない。
「そうなんだ」
 そう言いながらも彼女は納得がいかない様子だった。
「じゃあ、駅まで一緒に歩きましょ」
 でもにこりと笑うと、勇(ヨン)に微笑みかけた。終電まで時間がある。私以外は皆電車で帰ることを決めたようだ。
「それでは皆さん、お世話になりました。また日本に来た際は宜しくお願いします」
 ありきたりな社交辞令を述べ、私は頭を下げる。
 彼は私を見ようともせず、あさっての方向を見ている。
「ま、中国に行っても会社は同じだ。電話でも気楽にしてくれ」 
 係長はぱしっと私の肩を叩く。しかし、その瞳はじっと私の瞳を捉え、別の問いかけをしている。
『いいのか?これで』
 私にはそう聞こえる。
「ありがとうございます」
 私は気付かない振りをして、微笑みを浮かべる。
 部署の社員達がそれぞれ私に声をかけ、駅に向かって歩いて行く。
 私は皆の背中が小さくなり、視界から消えるまで見送った。

 彼は振り返ることもなく、言葉を私にかけることもなかった。
 当然だ。
 私が望んだこと。
 
 これでよかったのだ。

 しかし、胸の奥から気持ちが溢れてきて私の瞳を濡らす。次々と溢れる涙に瞳が堪え切れなくなり、水滴は私の頬を滴り落ち始めた。

 泣くなんて、自分が決めたことなのに。

 私は唇を噛みしめて、手で目を覆い、涙を止めようと試みる。でも涙は止まらず、私はただ静かに泣くしかなかった。


 
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