妻が聖女だと思い出した夫の神官は、何もなかったことにして異世界へ聖女を連れ戻すことにした。

ありま氷炎

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2章 西の神殿

12 神なんていない。

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「聖女様が見当たらない?」

 西の神殿長に会った後、江衣子は忽然と姿を消した。
 その報告をジャファードたちが受けたのは昼食前で、知らせが遅れたことで西の神殿長を詰る。
 神殿長は言いづらそうにその経緯を話し、騎士及び神官達は言葉を失った。
 消えたのは侍女のミリアも一緒で、旅に同行していた侍女レニーは江衣子が思い詰めていた様子だったと神殿長の証言を裏付けるようなことを漏らした。

 ――聖女様は命を狙われ精神的に傷つき、御隠れになったようだ。
 神殿長はそう端的に語り、江衣子が聖女という役割を放棄したと騎士達に印象づけた。

 彼女がこの地に来てからまだ三日で、騎士と神官との関わりも少ない。しかも今回の襲撃でかなりの者が犠牲になっている。
 西の神殿長は、神に仕える神官。大神官の次に影響力のある立場だ。
 聖女を非難するような言葉を発する者がいなかったが、その雰囲気は剣呑となる。

「西の神殿長様。神官殿をお借りしてもよろしいでしょうか?私の部下と大神殿の神官殿、そしてお借りする神官殿で、聖女様を探します」
「勿論ですとも」

 神殿長は大きく頷き、聖女捜索のため一気に西の神殿が騒がしくなった。
 騎士や神官は副団長の元へ集まり、指示を仰ぐ。そんな中、ジャファードは壁際に立ち、去りゆく西の神殿長の背中を睨んでいた。

「江衣子、様はそんな奴じゃない」
「ジャファード?」

 口に出すつもりはなかったのに、彼は思わず声に出していた。それを聞いたチェスターが立ち止まる。

「……俺はお前の友だ。お前を信じるさ」
 
 チェスターは副団長ではなく、ジャファードの元へ歩み寄りその隣に立った。

「ありがとう……ございます」

 日本に行く前、彼と話したこともあったが、友など言われる関係ではとてもなかった。この旅を通して、チェスターはジャファードを友と思ってくれたようだ。
 複雑ではなく、単純に嬉しくて彼は礼を述べていた。

「そんな顔もするんだな。意外」

 にやっと笑われ、ジャファードは眉間に皺を寄せる。

「さて、聖女様救出作戦と行こうか」

 チェスターは全面的にジャファードにつくことを決めたらしい。彼の肩を叩くと簡単にそう言う。
 西の神殿長の言葉を信じないということは、彼が嘘をついているということだ。その意味するところは、神殿長が江衣子の行き先を知っている、または彼自身が彼女を攫った、そういう考えに行き着く。
 西の神殿長よりも信頼されるのは嬉しいが、ジャファードが彼の立場が心配になる。
 そういう心配が顔に出ていたららしい。
 
「まあ、ライバルを蹴落とせるからちょうどいいんだ」
 
 確かに次期大神官に一番近い立場は神殿長であるが、身も蓋もない言い方でジャファードは吹き出す。そして一気に緊張感が解けた。

「あとで色々聞くからな。覚悟しておけよ。俺はまだ大神官への道を諦めてないからな」
「わかってますよ」
 
 チェスターには彼の、彼らの秘密を話してもいいのではないか。
 ジャファードはチェスターに心を許しつつあった。



「何をしているのかわかっているのですか?」
 
 そう叫ぶのはミリアだ。
 その隣で江衣子はただ西の神殿長を睨んでいた。

 彼の執務室を訪れると、背後から急に男が現れ、そのまま眠らされたようだった。
 目覚めると牢獄のような場所に入れられていた。
 ミリアは江衣子を庇うように前に立ち、神殿長に抗議している。

「煩い侍女だな。聖女より先に殺されたいのか?死の世界の道案内として聖女に礼を尽くすつもりか?」
 
 暗がりの中、蝋燭の明かりだけが映し出す。
 不気味に浮き上がる西の神殿長は悪魔のようで、ミリアは短い悲鳴を上げた。

「ミリア。ありがとう。もういいから。西の神殿長。どうやら私に用があるみたいなんだけど、何の用なの?あなた神官なんでしょ?聖女を殺すつもり?」

 内心怯えながらも、江衣子は必死に声を張り上げて、尋ねる。
 脳裏に浮かぶのは彼女のために犠牲になった騎士、神官。そしてジャファードだ。

「ふははは!聖女か。どうやら、ただの女風情で、何か勘違いしているようだ。神などいない。よって、お前は聖女などというものではなく、ただの女だ」
「よくわかっているわね。神官らしくないけど」
「認めるか?」
「ええ、認めるわ。私はただの女、ただの人。でも、みんなから聖女として信じられている存在よ」
「ははは。愚かな。みんなとは、騙されているだけではないか!」
「そうかもしれない。でも誰に?長い間この国の人は、神を信じ、聖女を信じてきたんでしょ?それが気持ちを救ってきた。だったら、普通の私は、聖女として役割を果たすわ」
「愚かな、愚かな。信じることで何ができる。何も救えない。神などいない。救いなどないのだ」

 狂気に満ち溢れていた西の神殿長が、ふいに正気に戻ったような口調になった。
 
(この人は神に祈ったけど、奇跡はおこらなかったのね。確かに神を信じている人からするとそれはすごいショック。それで闇落ちしたってこと?)

「私は民衆の目を覚まさせることにしたのだ。神などいない。聖女など何の意味もないということを知らしめるのだ」
「そのために私を殺すの?」

江衣子はこの状況下でまるで何かに憑かれているように冷静になれていた。
立ち上がり、西の神殿長を真正面から見る。

「ああ、そうだ。まずは神の加護がないことを証明する。聖女が死ぬ。人の手で。神は聖女を救えない」
「馬車を襲わせたのもあなたね?」
「そうだ。私の考えに賛同するものが王都にも神殿にもいてな。当たり前だ。奇跡など起こらないのだから」

(宗教のことはわからないけど、私は私を聖女と信じて亡くなった人のために何かしたい。だから死ぬわけにはいかない。きっと、神を支えにしている人もいるから)

「どうして奇跡は起こらないと思うの?」
「起こらない。そんなものは存在しない。奇跡があれば、私の娘は助かっていた。私の祈りは届かなかった。苦しみの中、娘は死んだ。救ってくださいと何度も私は神に祈った。神などいないのだ。そんなものは」

 神殿長の言葉に江衣子は黙り込むしかできなかった。
 何か困った時があれば、神社に参拝したり、お地蔵さんをみたら手を合わせたりしたことがあるが、江衣子は基本的に無神論者だ。

「それでも私は神を信じます」

 言葉を挟んだのはミリアだった。

「私の母も苦しみの中、なくなりました。当時私も神を恨んだりしました。けれども、それが母の運命だったのでしょう。1年後、叔母が女の子を出産しました。叔母はその子に母の名前を付け、生まれ変わりだと言ってます。苦しみの中でなくなったけれども新しい生を得たのです。神殿長様の娘さんも今頃はどこかで生まれ変わっているはずです。そして幸福な人生を歩んでいるに違いありません」
「そんなことがあるものか!」
「私はそう信じます」
「私もそう信じたい。私のためにたくさんの人が殺された。その人たちがどこかで生まれ変わって幸せな人生を送っていると思いたい。その人達だって苦しみの中で亡くなったはず。目を開けたまま、どんなことを思っていたか。でも彼らは最後まで私を、聖女を信じていたはず。そうじゃなければ、逃げ出していたはずだもの。神殿長。あなたの命令で命を投げ出した人もいるはずよね?その人達の命はなんだったの?神がいないと証明することがそんなに大事なの?」
「煩い!」

 西の神殿長は江衣子とミリアに向かって叫ぶ。

「私は、聖女を殺して証明するのだ。神はいないと」
「それが何?そんなことして娘さんは喜ぶの?もしかしてどこかで生まれ変わった娘さんの幸せを壊すことになるかもしれないんだよ」

 めちゃくちゃな論議であったが、江衣子は神殿長に語り掛ける。
 これ以上の犠牲を出さないとために。

「西の神殿長」

 ひやりとした声が場を支配した。先ほどまで誰もいないと思っていた黒い空間から、身なりのよい男性が現れる。
 江衣子たちの言葉に押されていた神殿長は、その呼びかけで一気に冷静に戻された。

「何やら鼠たちがいるようです。神殿長室へお戻りください。あとは私共にお任せください」
「だが……、」
「カイマール。君にはもっと大きな使命があるはずです。ここで勘づかれると君の念願がかなうことはなくなります」
「そうだな。後は任せた」

 神殿長は一瞬だけ江衣子たちに視線を投げかけたが、背中を向ける。

「神殿長!」
「聖女様。往生際が悪いですよ。あなたのめちゃくちゃな話など何も意味はなさない。生まれ代わりなどありえない。神は、そうですね。いますよ。私の主が信じる方、その方が神になりますから」

 神殿長の代わりに残った男は不気味な笑みを浮かべる。
 整った顔なのに、それは彼を醜く見せていた。
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