妻が聖女だと思い出した夫の神官は、何もなかったことにして異世界へ聖女を連れ戻すことにした。

ありま氷炎

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3章 神隠れ

18 幸せとは。

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 江衣子が目覚めると、侍女がミリアではなく別のものになっていた。聞けば彼女は親が急に倒れて実家に戻ったそうだ。
 身支度を整えて食事をすませると、予想外の者が大神官と共に姿を見せる。

「聖女様。今日からこのジャファードが修行にお付き合いいたします。何か要望があれば彼にお伝えください」

(え?ええ??)

 叫びだしくなるのだが、彼女は冷静を心掛けた。

「わかりました」

 当のジャファードは涼しい顔をして大神官の傍に控えている。それが癪に触って江衣子は動揺した自分に悪態をついた。

「それでは経典をお渡しいたします」

 大神官はいつもの笑顔を浮かべたまま、ジャファードに持たせていた経典を受け取り、江衣子に手渡す。
 厚みが少ないため重みが少ないが、礼儀を考えて両手で受け取った。

「それではジャファード。聖女様を瞑想室に案内してください。私は先に退出いたします」

 なぜか侍女も一緒に大神官と共に部屋を出て行き、二人きりで部屋に取り残される。

「そういうことで、江衣子。よろしく」

 扉が完全に締まり、足音が遠ざかるのを確認してか、素に戻ったジャファードが微笑んだ。

(は、反則。なにかムカつく!)

 その微笑みで動揺して、頬が赤くなるのを感じて彼女は顔をそらす。

「よろしく。ジャファード」

 目線を合わさないまま、江衣子は精一杯太々しく挨拶を返した。




 翌日、神官の生活の癖で早々と目を覚ましたチェスターは庭でも散歩しようかと部屋を出た。
 何処かで声がして、彼はその音源をたどる。それはケビンの執務室で彼は足音を殺しながら近づいた。扉が少し開いていて、彼は心臓の音を煩く思いながらも中を覗き込む。

「……侍女ミリアが浚われました」
「やはりそう来たか」

 兄と見たことがない男のやり取りにチェスターは声を出しそうになったのを必死にこらえた。

(ミリア……。あの子が)

 江衣子の侍女であるミリアはチェスターがこれまで相手にしてきた子とは全く異なるタイプで純朴で、真面目な女性だった。命を顧みず聖女のことを思う気持ちには敬服したくらいだ。

「予定通り。様子を見る。彼らに直前まで私たちが悟っていることを知らせてはならない」
「わかっております。引き続き監視を続けます」

 二人の話の終わりが見え、チェスターは慌てて身を隠す場所を探す。
 すぐ隣の物置部屋に身を隠して、部屋から出てきた男が通り過ぎるのを声を潜めて待った。
 男が通り過ぎてからも、彼はしばらく隠れていた。

(予定通り様子を見るってことはどういう意味だ?直前って?)

 ケビンに尋ねれば答えてもらえることはわかっていた。
 ただし神官の職を捨てるという選択をしなければならない。

「何を迷ってるんだ。俺は。神官になりたいっていうのも所詮兄貴から逃げたかっただけじゃないか。そんな理由でミリアを犠牲にはできない」

 チェスターは覚悟を決めると物置部屋から出た。
 向かうのは兄の執務室だ。
 膳は急げとそのまま兄に決意を伝え、真相を教えてもらうつもりだった。




「ここが瞑想室だ。俺は外にいるから。時折飲み物を運んでくる」
「あのさあ。ちょっと聞いていい?」

 タメ口になったのはいいが、ぶっきらぼうになってしまったジャファードに少し戸惑いながらも、江衣子は声をかけた。
 ジャファードは立ち止まり振り返る。

「も、もし。私はこの世界に残りたいって言ったら何か私に出来そうな事ある?」

 彼は驚いたような顔をした後少し考えるように黙りこくった。

「戻りたくないのか?」
「うん。正直……。ジャファードも知ってるでしょ?うちの伯父さん。もう一度あの生活を続けるかと思うとちょっとね。3年乗りきればいいだけなんだけど」
「……そうか。俺はそこまで知らなかったから。会社で会った時はとても元気で生き生きしているなあと思っていた」
「まあ。ほら。人生色々。……ジャファードは日本に未練はないの?あるわけないか」
「まったくないと言えば嘘になる。トイレとか風呂とか、テレビとか車とか、便利なものばかりだものな。だけど、俺はこの世界の人間だから」
「そっか。私はこの世界の人じゃないから……」

 ジャファードの物言いに江衣子は少し悲しくなる。

(彼はあまり賛成じゃないんだろうな。残ることに)

「でもまあ、残りたいというのであれば、残るのも江衣子の選択だと思う。俺は、江衣子が幸せだったのかわからなかった。だから、人生をやり直せるならやり直してほしかった。もちろん、このルナマイールを救ってほしかったことが一番だが」
「そうか、そうなんだ」

 ジャファードの思わぬ真意を聞き、江衣子は戸惑ってしまった。

「そんな風に考えてるなんて知らなかったよ。私は幸せだったよ。とっても。要(かなめ)にはそう見えてなかったんだ……」
「ごめん……」
「それって、要(かなめ)が幸せじゃなかったからだよね。私といて幸せじゃなかった?」
「……楽しかった。でも幸せとは違うかもしれない」

 (そうか、要、ジャファードはやっぱり)

 江衣子は泣きそうになるのを必死に堪える。

「うん。決めた。私は日本に戻るよ。この聖女の役割を果たしたら。だから心配しなくて。えっと、暗記始めるから、ちょっと部屋を出てね」

 涙声にならないように気を付けて、彼女はジャファードにもう話は終わったとばかり手を振った。
 彼は少しだけ何か悲しい顔をしたような気がしたけど、それ以上見てしまうと江衣子自身が泣きそうだったので、背中を向けた。

「後で飲み物を運ぶから」

 ジャファードは彼女の背中にそう声をかけるとゆっくりと部屋を出て行った。

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