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3章 神隠れ
20 彼女の悩み
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「眠れなかったのか?」
「うん、まあね」
部屋を訪れたジャファードはすぐにそう尋ねてきた。
「俺のせいか?」
「そんなことないから」
それは本当で、江衣子は答える。彼は信じていないようだったがこのような勘違いをしてもらった方が、今は助かった。
(ジャファードを巻き込むのはよくない。っていうか何かしてもらって、ミリアに危険が及ぶのは嫌だ。……もう危険な状態なんだろうけど)
「今日は休むか?」
「何言っているのよ。今日も頑張るわよ。完全に暗記して、立派な聖女の役割を果たすのだから」
自分で言いながらうすら寒い気持ちになるが、江衣子は虚勢を張って見せた。
何もしないと休むどころか頭がおかしくなりそうだった。
やることをやっている方が、少しの間悩みから解放される。
「さて行きましょう」
「ああ」
ジャファードから猜疑心たっぷりの視線を浴びるが、彼女は気づかない振りをする。
(神隠れ、日食はまだ先なんだから、頑張らなきゃ。ミリアも今頃は頑張ってるはずだから)
*
「そこの君。何をしようとしていますか?」
ミリアの体を押さえつけていた薄汚れた男は動きを止める。そして声の主を見て立ち上がった。
「私は何もするなっていいましたよね?」
「も、申し訳ありません」
「もし何かしたら、どうなるかわかっていますか?」
「わかっております!」
男は怯えた声で答え、ミリアは襲われた恐怖からどうにか理性を取り戻して、体を起こして自分を救ってくれた男を見る。
それは西の神殿で見た綺麗な顔の紳士で、絶望的な気分に襲われた。
*
(何が悪かったのか?)
ジャファードは瞑想室の外で様子のおかしい江衣子のことを思っていた。
昨日、このルナマイールに残ることの相談を受けて、彼は正直な気持ちを彼女に語った。それからギクシャクしたような気がする。
(俺のせいじゃないって言っていたけど)
悩んでいるのは確かで、ジャファードは今すぐ瞑想室へ入り聞き出したい衝動に駆られた。
「ジャファード様。聖女様にお飲み物を持ってまいりました」
声がかけられ、彼は顔を上げる。
気が付かなかったが、かなり近い距離に侍女がいた。
ミリアの代わりを務める侍女はジャファードに液体の入ったグラスが置かれたトレイを渡す。
液体は透明で、念のために添えられたスプーンで毒味をする。甘さがほとんどないが、のど越しがすっきりするジュースだった。
「ココナッツ?」
江衣子が苦手なもの、それはココナッツだった。
「引継ぎができてないのか。仕方ないな。ミリアは急に実家に戻ったから」
神殿に出された嘘の書類、見抜けぬはずがないのだが、神殿はそれを受託し、代わりの侍女を聖女に付けた。
ジャファードはそれを疑うことをしなかった。
なので単純に間違いだと思い、侍女に飲み物を変更するように頼む。彼女は少しばかり顔色を変えたが、飲み物を交換するためにいなくなる。
「少し、レニーに似てるか?」
顔かたちは異なるがレニーの印象に重なる。
(聖女に対する態度も似ていなかったか?聖女につく侍女はあのように敬意のない態度で、接することはないはず)
「……まさか、何か起きてるのか?」
ジャファードは自身に冷静になるように呼び掛けた。
侍女を追いかけ問い詰めることも思ったが、思いとどまる。
(江衣子の様子がおかしいのが俺のせいじゃなくて、あの侍女のせいだったら?侍女はミリアの代わりだ。となるとミリアが実家に帰ったのは偶然ではない?)
「ジャファード様」
再び声を掛けられ、彼は視線を向けた。
だが、悟られないように無表情を保つ。
「ありがとう」
礼を言って、トレイを受け取り、ジャファードは瞑想室へ入った。背中に痛いほどの視線を感じる。
「江衣子」
そう言うと彼女は経典から顔を上げた。
ジャファードはトレイをテーブルに置くと、彼女に近づく。
「ちょっと経典をみせてもらってもいいか?」
「いいけど」
江衣子は怪訝そうな顔をしながらも経典をジャファードに渡した。
――み・り・あ・さ・ら・わ・れ・た・か
彼は経典の平仮名をゆっくりと指さす。
「じゃ、」
「江衣子は本当に真面目だなあ。飲み物でも飲んでゆっくりしてほうがいい」
ジャファードは彼女の言葉を遮りながら、次々に経典の平仮名を指していく。
――お・ど・さ・れ・た・か
江衣子はただ頷く。そして慌てて経典を指で差し返事を返した。
――な・に・も・し・な・い・で
それから彼女は飲み物を取りに行った。
「おいしいか?」
「うん」
――よ・る・い・く
ジャファードのメッセージに彼女は頷いた。
(誰にも見られないように聖女の部屋に入り込む。このやり方では細かい話はできない)
「飲み終わったか?」
「うん」
「じゃあ、また頑張れよ」
ジャファードももっと別の言葉をかけたかったが、それだけ言うと空になったグラスを回収して瞑想室を出た。
「うん、まあね」
部屋を訪れたジャファードはすぐにそう尋ねてきた。
「俺のせいか?」
「そんなことないから」
それは本当で、江衣子は答える。彼は信じていないようだったがこのような勘違いをしてもらった方が、今は助かった。
(ジャファードを巻き込むのはよくない。っていうか何かしてもらって、ミリアに危険が及ぶのは嫌だ。……もう危険な状態なんだろうけど)
「今日は休むか?」
「何言っているのよ。今日も頑張るわよ。完全に暗記して、立派な聖女の役割を果たすのだから」
自分で言いながらうすら寒い気持ちになるが、江衣子は虚勢を張って見せた。
何もしないと休むどころか頭がおかしくなりそうだった。
やることをやっている方が、少しの間悩みから解放される。
「さて行きましょう」
「ああ」
ジャファードから猜疑心たっぷりの視線を浴びるが、彼女は気づかない振りをする。
(神隠れ、日食はまだ先なんだから、頑張らなきゃ。ミリアも今頃は頑張ってるはずだから)
*
「そこの君。何をしようとしていますか?」
ミリアの体を押さえつけていた薄汚れた男は動きを止める。そして声の主を見て立ち上がった。
「私は何もするなっていいましたよね?」
「も、申し訳ありません」
「もし何かしたら、どうなるかわかっていますか?」
「わかっております!」
男は怯えた声で答え、ミリアは襲われた恐怖からどうにか理性を取り戻して、体を起こして自分を救ってくれた男を見る。
それは西の神殿で見た綺麗な顔の紳士で、絶望的な気分に襲われた。
*
(何が悪かったのか?)
ジャファードは瞑想室の外で様子のおかしい江衣子のことを思っていた。
昨日、このルナマイールに残ることの相談を受けて、彼は正直な気持ちを彼女に語った。それからギクシャクしたような気がする。
(俺のせいじゃないって言っていたけど)
悩んでいるのは確かで、ジャファードは今すぐ瞑想室へ入り聞き出したい衝動に駆られた。
「ジャファード様。聖女様にお飲み物を持ってまいりました」
声がかけられ、彼は顔を上げる。
気が付かなかったが、かなり近い距離に侍女がいた。
ミリアの代わりを務める侍女はジャファードに液体の入ったグラスが置かれたトレイを渡す。
液体は透明で、念のために添えられたスプーンで毒味をする。甘さがほとんどないが、のど越しがすっきりするジュースだった。
「ココナッツ?」
江衣子が苦手なもの、それはココナッツだった。
「引継ぎができてないのか。仕方ないな。ミリアは急に実家に戻ったから」
神殿に出された嘘の書類、見抜けぬはずがないのだが、神殿はそれを受託し、代わりの侍女を聖女に付けた。
ジャファードはそれを疑うことをしなかった。
なので単純に間違いだと思い、侍女に飲み物を変更するように頼む。彼女は少しばかり顔色を変えたが、飲み物を交換するためにいなくなる。
「少し、レニーに似てるか?」
顔かたちは異なるがレニーの印象に重なる。
(聖女に対する態度も似ていなかったか?聖女につく侍女はあのように敬意のない態度で、接することはないはず)
「……まさか、何か起きてるのか?」
ジャファードは自身に冷静になるように呼び掛けた。
侍女を追いかけ問い詰めることも思ったが、思いとどまる。
(江衣子の様子がおかしいのが俺のせいじゃなくて、あの侍女のせいだったら?侍女はミリアの代わりだ。となるとミリアが実家に帰ったのは偶然ではない?)
「ジャファード様」
再び声を掛けられ、彼は視線を向けた。
だが、悟られないように無表情を保つ。
「ありがとう」
礼を言って、トレイを受け取り、ジャファードは瞑想室へ入った。背中に痛いほどの視線を感じる。
「江衣子」
そう言うと彼女は経典から顔を上げた。
ジャファードはトレイをテーブルに置くと、彼女に近づく。
「ちょっと経典をみせてもらってもいいか?」
「いいけど」
江衣子は怪訝そうな顔をしながらも経典をジャファードに渡した。
――み・り・あ・さ・ら・わ・れ・た・か
彼は経典の平仮名をゆっくりと指さす。
「じゃ、」
「江衣子は本当に真面目だなあ。飲み物でも飲んでゆっくりしてほうがいい」
ジャファードは彼女の言葉を遮りながら、次々に経典の平仮名を指していく。
――お・ど・さ・れ・た・か
江衣子はただ頷く。そして慌てて経典を指で差し返事を返した。
――な・に・も・し・な・い・で
それから彼女は飲み物を取りに行った。
「おいしいか?」
「うん」
――よ・る・い・く
ジャファードのメッセージに彼女は頷いた。
(誰にも見られないように聖女の部屋に入り込む。このやり方では細かい話はできない)
「飲み終わったか?」
「うん」
「じゃあ、また頑張れよ」
ジャファードももっと別の言葉をかけたかったが、それだけ言うと空になったグラスを回収して瞑想室を出た。
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