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第三章 ざまぁの子は魔王の配下になる。

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「さて、セインくん。いよいよこの時がやってきたわけだ」

 その夜、セインが魔王ザイネルの部屋を訪れると、食事が用意されていて、椅子を勧められる。
 公式の場では、彼の配下になっているため、へりくだって見せてはいるが、こうして二人になるとセインは遠慮などすることはなかった。
 ザイネルにとって彼は人の世界を攻略するために協力者であり、毒などをいれるはずもなく、また殺すつもりなら4年までにすでに殺しているはずだと、セインは彼の前に座りパンを掴んだ。

「お腹が減っているの?」
「別に」

 苦笑するザイネルに、セインは無愛想に返す。

「その黒頭巾ともあと1か月で別れることになる」
「どういう意味?」
「1か月後の君の誕生日に、君が人の国の王子だと披露するつもりだ」
「そんなこと、」
「魔族から反発?まあ、あるだろうね。まあ、それは心配しなくてもいいよ。私が守るから。私は、小さい君を15歳の成人の日まで保護した。そして、王国へ送り返すつもりだ」
「送り返す?」
 
 すでにセインはパンを食べるのを止め、ザイネルを睨みながら続きを促す。

「君は現国王の甥で、王子として人の国へ戻るんだ。それから、メルヒを助ける。その過程で、うまく王と王妃を殺す。きっと向こう側は油断しているはずだ。まさか、君が殺意をもっているなんて、思わないだろうし」
「どうかな」
「まあ、警戒されても、城の中には入れるように手筈は整える。王子の帰還、魔族との友好な関係を築くために君は力を貸す、そんなところかな。城までは私の部下が護衛する」

 ザイナルは軽くそう語るが、それは簡単な事ではなかった。
 
 ――だけど、僕はこの時を待っていた。ずっと。やり遂げる。無垢な王子を装って油断させて殺す。人間に負けるはずはないんだけど、多勢だと無理だ。だから……。

「セインくん。怖気づいたのかい?無理っぽい?」
「そんなわけない。僕はこの時をずっと待っていた。やるよ」
「そうこなくっちゃ」

 ザイネルは愉快そうに笑って、グラスに入った赤い液体を口に含み、ゆっくりと咀嚼すると再び口を開いた。

「誕生日は盛大に祝わせてもらう。それこそ、人の国へ君のことがしっかり伝わるようにね」


 ☆


「なんだ、それは!」
「これは、歯を磨くブラシよ」

 大樹から現れた魔族。
 さすがに王と王妃のみで秘密を守るのは難しく、トールは信頼に値する宰相、幼馴染で近衛兵団長である騎士、王と王妃付の使用人数人には事情を説明した。
 かくして、王室の一部で彼女を匿うことにしたのだ。

 目覚めた彼女の順応性は高く、記憶がないためか、トールたちに悪意を持っている様子はみられなかった。
 また魔族の娘の外見は、16-17歳ほど。犬耳とその尻尾以外は人と同じため、王妃ジョセフィーヌはまるで自分に子供ができたように彼女の世話をしていた。

「ねぇ。あなた、名前は覚えてる?」

 ジョセフィーヌの問いに娘は首を横に振る。

「じゃあ、そうね。ケリルって呼んでもいいかしら?」

 妻の言葉に驚いていたのは、王室から出ようとしていた王トールだ。
 それは彼女がもし娘ができたら名付けたいと言っていた名前だった。顔色を変えた彼に優しくジョセフィーヌは微笑んでから、娘に向き直る。

「私はあなたを大切にしたいの。リグレージュ様が守ろうとしたあなたを」
「リグレージュさ、ま?」
「この世界を作った神様のことよ。ね、ケリルって呼んでいいかしら?」
「いいぞ。なかなかいい名前だと思う」
「そう。よかったわ。ケリルで決定ね。今日は色々この世界のことを聞かせてあげるわ」

 二人の会話をトールは背で聞いている。
 朝食を交えた宰相との打ち合わせが入っており、楽しそうな妻と魔族の娘ケリルの声を耳にしながら、彼は寝室を出て行った。





「ヴァン」

 川のほとりで釣りを楽しんでいた一つ目の男は声を掛けられ、顔だけをそちらに向ける。

「お前か。いよいよ、佳境ってことか?」
「そろそろ、君も勘弁したら?」

 二つの角を生やした細身の男は、笑みを湛えたまま、彼に尋ねる。

「勘弁とはどういう意味だ。まだまだあんなひよっこにやられるほど、俺は落ちぶれていない」
「まあ、確かに。そうだけどね。まあ、人間相手なら負けることはないよ」
「その点は、お前には感謝だな。俺は魔法が使えないからな。教えるのは無理だ」

 4年前、セインが魔王ザイネルに元へ下ることになった時、二人は緊張した間柄にあったはずだ。けれども今は嘘のように緊張感が消え、穏やかな雰囲気が流れている。

「君はどうしたいんだい?」
「別に、何も。俺もちょっと疲れてな。邪魔はしないが、最後まで見届ける」
「邪魔をしないつもりなら私は何もしないよ。でも、邪魔をしたら殺すよ」
「随分猶予をくれるな」
「これでも君は私の数少ない友の一人だからね」
「友か?」

 ヴァンは苦笑して、ザイネルから川の方へ視線を戻した。

「セインくんの誕生日、来たければ招待するよ」
「いらねーよ。行ったら面倒なことになるだけだろう」
「そうだね。助かるよ」

 二人の会話はそれで終わりだった。ザイネルは現れた時と同じように、煙のようにその場から姿を消す。

「……まったく、魔王を名乗るだけはあるな。やはり奴には敵わないか」

 あきらめとも取れる言葉を漏らすと彼は竿をしまい始めた。

「さて、行くか」

 結局釣の収穫はない。暇つぶしのつもりだったので、期待はしていなかったが、やはり焼き魚にありつきたかったと、少しだけ口を歪める。
 いつから、誰がそこに置いたのかわからない竿を元の小屋に戻して、彼は再び歩き始めた。
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