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第二章
ヘンリーの話
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「僕はボナム・ロウにあるテーラーで働いている、ヘンリーと申します」
ボナム・ロウはオーダーメイドの高級テーラーが並ぶ、有名な通りだ。ヘンリーは一流のテーラーを目指してそこで修行していたそうだ。
「うちの店は、貴族の顧客もたくさん抱えている有名店で……、お店のお得意先の一つに、ケージス伯爵家があります」
ケージス伯爵の名を聞いて、公爵はぴくりと眉を動かしたが、何も言わなかった。僕も少なからず動揺し、思わず手を握り締めた。まさかここで、あのおぞましい、トマス・オービリーの家名を聞くことになるとは!
「ケージス伯爵家のご子息、トマス・オービリー様も、よくうちの店で服を仕立てていらっしゃいました。私はまだ修業の身でしたが、何度かトマス様の採寸を担当させてもらうことがあり……」
彼は続きを言いよどんだ。テーラーが貴族の採寸をする時は、必ず個室で行う。きっと彼はトマスと二人きりにされたに違いない。あの下劣なトマスがオメガと二人きりになって、何もしないはずがない。僕は彼の手を握って言った。
「ヘンリーさん。言いにくいことは、言わなくてもいいんですよ。今何に困っているか、どうしてほしいかだけでも大丈夫ですから」
しかし彼は気丈だった。
「ありがとう。でも大丈夫です。トマス様は私の体を触ったり、卑猥なことを言ったりしました。彼は客ですし、しかも貴族ですから……、あまり抵抗するわけにもいかず、僕は適当にいなして、軽く体を触られるくらいのことは許してしまいました。しかし、それがよくなかったのかもしれません。彼はいつの間にか店主を言いくるめて、僕をオメガの奉公人として伯爵家へ売る契約をさせてしまったんです!」
「で、でも、あなたは姦淫の罪を犯していないでしょう? 不貞行為をしていないオメガを、オメガの奉公人にはできないはずだ」
僕の疑問には公爵が答えた。
「本来はそうだ。だが、オメガに不貞らしき行為があれば、『類推して』不貞行為を認定することはできる。アルファに言い寄られて物慣れた態度で接した彼は、アルファと関係を持ったことがあるに違いないと、罪を着せるつもりなのだろう」
「そんなめちゃくちゃな……!」
「明日には裁判所に連れていかれて、トマス様の証言をもとに、私はオメガの奉公人に認定されてしまうのです! 店主はトマス様と契約してから僕が逃げないように見張っていたのですが、隙を見て逃げてきました。どうか助けていただけませんか? このままでは僕は……」
そう言って、彼はボロボロと涙をこぼした。公爵はヘンリーにハンカチを手渡したが、しばらく何も言わずヘンリーを観察しているようだった。
「ヘンリーくん。いくつか聞きたいことがあるのだが、」
ヘンリーが少し落ち着いたのを見計らって、公爵は言った。
「君を買おうとした男だが、確かにトマス・オービリーで間違いはないのか。例えば勝手に貴族の名を偽っている輩だというようなことは……」
「それはあり得ません。ケージス伯爵家とはずっと取引がありますし、トマス様はお店に来られるときもありますが、こちらがお邸に伺うこともありますから、間違いなくあの人はトマス・オービリーです」
「そうか……。明日君を奉公人とした後にどうするかは言っていたか? そのまま王都のタウンハウスに行くのか、それとも領地に送られるのか……」
「まず半年ほどの間は僕を娼館に預けて、トマス様を喜ばせるための性技を仕込ませると言っていました。そして、半年経ったら番にして、一生逆らえないようにしてやると」
トマスとシャーロット嬢は、今の婚家滞在がつつがなく終われば婚約し、およそ半年後には正式に結婚することになるだろう。トマスはシャーロット嬢と結婚し、番にして自由を奪ってから、ヘンリーも手元に置いて、オメガ二人をいたぶって楽しむつもりなのだ。
「娼館に……?」
しかし、僕には明白に思えるトマスの計画も、オメガを虐げるという思考を持たない公爵にとっては、なかなか理解しがたい話だったらしい。ヘンリーの話をうまく咀嚼できないようだった。しかし、半年後という時期が持つ意味、シャーロット嬢との既成事実を作ろうとするトマスの意図は伝わっただろう。
「本当にあのトマス卿が……?」
公爵はヘンリーの話を疑っているのだろうか? 僕は心配になった。きっとヘンリーは本当のことを言っている。ここで帰されてしまっては、とりかえしのつかないことになるだろう。
「ともかく、今日は遅いですから、詳しい話は明日お聞きになったらいかがでしょう」
僕は、とりあえず結論を先送りにすることを公爵に提案した。公爵もうなずいて、同意してくれた。
「そうだな。今日はもう寝なさい。オメガの棟へ案内してあげてくれ」
ボナム・ロウはオーダーメイドの高級テーラーが並ぶ、有名な通りだ。ヘンリーは一流のテーラーを目指してそこで修行していたそうだ。
「うちの店は、貴族の顧客もたくさん抱えている有名店で……、お店のお得意先の一つに、ケージス伯爵家があります」
ケージス伯爵の名を聞いて、公爵はぴくりと眉を動かしたが、何も言わなかった。僕も少なからず動揺し、思わず手を握り締めた。まさかここで、あのおぞましい、トマス・オービリーの家名を聞くことになるとは!
「ケージス伯爵家のご子息、トマス・オービリー様も、よくうちの店で服を仕立てていらっしゃいました。私はまだ修業の身でしたが、何度かトマス様の採寸を担当させてもらうことがあり……」
彼は続きを言いよどんだ。テーラーが貴族の採寸をする時は、必ず個室で行う。きっと彼はトマスと二人きりにされたに違いない。あの下劣なトマスがオメガと二人きりになって、何もしないはずがない。僕は彼の手を握って言った。
「ヘンリーさん。言いにくいことは、言わなくてもいいんですよ。今何に困っているか、どうしてほしいかだけでも大丈夫ですから」
しかし彼は気丈だった。
「ありがとう。でも大丈夫です。トマス様は私の体を触ったり、卑猥なことを言ったりしました。彼は客ですし、しかも貴族ですから……、あまり抵抗するわけにもいかず、僕は適当にいなして、軽く体を触られるくらいのことは許してしまいました。しかし、それがよくなかったのかもしれません。彼はいつの間にか店主を言いくるめて、僕をオメガの奉公人として伯爵家へ売る契約をさせてしまったんです!」
「で、でも、あなたは姦淫の罪を犯していないでしょう? 不貞行為をしていないオメガを、オメガの奉公人にはできないはずだ」
僕の疑問には公爵が答えた。
「本来はそうだ。だが、オメガに不貞らしき行為があれば、『類推して』不貞行為を認定することはできる。アルファに言い寄られて物慣れた態度で接した彼は、アルファと関係を持ったことがあるに違いないと、罪を着せるつもりなのだろう」
「そんなめちゃくちゃな……!」
「明日には裁判所に連れていかれて、トマス様の証言をもとに、私はオメガの奉公人に認定されてしまうのです! 店主はトマス様と契約してから僕が逃げないように見張っていたのですが、隙を見て逃げてきました。どうか助けていただけませんか? このままでは僕は……」
そう言って、彼はボロボロと涙をこぼした。公爵はヘンリーにハンカチを手渡したが、しばらく何も言わずヘンリーを観察しているようだった。
「ヘンリーくん。いくつか聞きたいことがあるのだが、」
ヘンリーが少し落ち着いたのを見計らって、公爵は言った。
「君を買おうとした男だが、確かにトマス・オービリーで間違いはないのか。例えば勝手に貴族の名を偽っている輩だというようなことは……」
「それはあり得ません。ケージス伯爵家とはずっと取引がありますし、トマス様はお店に来られるときもありますが、こちらがお邸に伺うこともありますから、間違いなくあの人はトマス・オービリーです」
「そうか……。明日君を奉公人とした後にどうするかは言っていたか? そのまま王都のタウンハウスに行くのか、それとも領地に送られるのか……」
「まず半年ほどの間は僕を娼館に預けて、トマス様を喜ばせるための性技を仕込ませると言っていました。そして、半年経ったら番にして、一生逆らえないようにしてやると」
トマスとシャーロット嬢は、今の婚家滞在がつつがなく終われば婚約し、およそ半年後には正式に結婚することになるだろう。トマスはシャーロット嬢と結婚し、番にして自由を奪ってから、ヘンリーも手元に置いて、オメガ二人をいたぶって楽しむつもりなのだ。
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しかし、僕には明白に思えるトマスの計画も、オメガを虐げるという思考を持たない公爵にとっては、なかなか理解しがたい話だったらしい。ヘンリーの話をうまく咀嚼できないようだった。しかし、半年後という時期が持つ意味、シャーロット嬢との既成事実を作ろうとするトマスの意図は伝わっただろう。
「本当にあのトマス卿が……?」
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「ともかく、今日は遅いですから、詳しい話は明日お聞きになったらいかがでしょう」
僕は、とりあえず結論を先送りにすることを公爵に提案した。公爵もうなずいて、同意してくれた。
「そうだな。今日はもう寝なさい。オメガの棟へ案内してあげてくれ」
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