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コンビニのざるそば
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冬の寒い時期に、ざる蕎麦なんか需要あるのか?
そんな疑問を持った方はいるだろうか?
確かに夏の暑い時期ならともかく、寒い時期にわざわざ体を冷やすようなものを食う奴がいるのか、という考えは分かる。だが冬場にそれが置かれていて救われる者もいるのだ。
何を隠そう私がそうだった。
高校3年の10月頃。
私は進学を考えてはいたが、どの大学にするか未だに決めかねていた。
「どうしよっかなー。文学部ならどこでもいいかなー。」
などと、割と切羽詰まった時期だというのに、自身の進路のことはお気楽に考えていた。
そんな時である。
気がつくと左腕がチクチクと痛み出していた。
「おかしいな。筋肉痛かな。まあそのうち痛みは引くだろ。」
と、その時はあまり気にはしていなかった。
だがその痛みは何週間経っても一向におさまらず、特に夜になると眠れなくなるほど痛みが増した。
流石におかしいと思い、学校帰りに小さな診療所で見てもらったのだが、
「ちょっとうちじゃ分からないですね。」
というわけで、後日設備の整った大きな病院で診てもらうことになった。
そしてそこでレントゲン、CTスキャン、MRIと見てもらったのだが、
「ちょっとわからないですね。」
と言われて、いよいよ自分がやばい病気にかかっていることが分かってきた。
12月。
患部の骨組織を取り出して分析することでようやく病名が判明した。
「悪性リンパ腫」。
いわゆる「がん」である。
当時は「がん=不治の病=死」というイメージだったのでかなりショックだったが、医者の先生によると、がんは「STAGE1」と比較的早い段階で発見したため(がんは進行具合でSTAGE1~4に分けられ、STAGEが進むごとに死亡率が高くなる。)、まあなんとか助かるだろうと言われた。
さて、そうなると問題は受験だ。
病気の検査入院と、治療のための入院で、センター試験直前だというのに、一ヶ月以上入院するハメになった。しかも受験勉強はほとんどしていない。どうしたもんかと、医師と父とで相談した。
医師の判断で、センター試験と大学の2次試験の日だけ一時的に退院させてもらえることになった。
残る問題は勉強だけだが、こちらもなんとかなった。何せ病院だ。治療と検査以外は何もやることはない。どこに行く事だってできない。
つまり勉強に集中できる理想的な環境だった。
私は試験の日までとにかく勉強しまくった。
午前中は得意科目の国語の模擬試験、午後は苦手科目の数学、寝る前は記憶することが多い世界史と単語の暗記と、検査と治療の時間以外は勉強に全て費やした。
あと困ったことは若い看護師さんが多かったくらいか。当時女性と話すのが大の苦手だった私はいつもオドオドしていた。検査入院の後、全身麻酔の影響で身動きが取れなくなった時など、
「お風呂に入りたくなったら声かけてね♡」
などと言われたが、緊張して結局一度も声をかけられなかった(今思うと非常にもったいない事をした)。まあこの病院生活のおかげで。私は女性に対しての耐性もついたし、変な性癖にも目覚めた。
だが問題は抗がん剤の方だった。
私の治療は、当時の最新の抗がん剤であるリツキサンを加えて5種類の抗がん剤を投薬して行われ、薬の頭文字を取って「R-CHOP療法」と担当の医師は言っていた。
「R」に当たるリツキサン、これは大した副作用はなく楽なもんだった。だが問題は値段だった。高額医療の対象で保険が効かなかったため、一回ごとに15万ほど払わなければならなかった。しかもそれはリツキサンに限った話だ。他の抗がん剤も一回あたり数万かかり、経過を見るためにMRIなどでさらに一万程かかる。(父は本当によくやってくれた。)
リツキサン以外の抗がん剤も副作用がキツく、打たれてから数時間もすると強烈な吐き気に襲われた。例えるなら「悪酔い」状態が四六時中続く。ほとんどの食べものが受け付けられず、すぐに吐き出してしまう。吐いて吐いて吐き続け、吐くものがなくなっても吐き続ける。終いには胃液のような黄色い液体も吐いて、それでも吐き気が治らないのだ。
そんな抗がん剤を、最低3セットは打たねばならなかった。
とはいえそれでも腹が減る。
でも食べたら絶対に吐く。アツアツのカレー、カツ丼、焼き鳥。その大好きだった食べ物のどれもが見ただけで吐いてしまいそうなゲテモノに見えた。
まさに生き地獄だった。
そんな折に唯一食べられたのがざるそばだった。
といっても麺つゆは刺激が強かったので、食えたのはそばの麺だけだが。
冬の寒い時期、よくあんなものを置いてくれたと思う。あれがなければ私は飢え死にしていたろう。(それでもいくらかは吐いてしまったんだが)
何はともあれ、ざるそばのおかげで私は食いつなげた。
そうしてセンター試験も上々の結果で終わり、さあ二次試験だと意気込んでいたら、父から文学部は諦めろ、と言われた。
ショックだった。
何せ、私は昔から国語が大好きで、それをもっと学んでみたいと思っていたからだ。それを、関心のかけらもない「経営学部」の大学に進めという。
どうして!?と掴みかかりたかったが、言えなかった。
私の病気のせいで、父は大変な負担を強いられていた。その蓄えにはもはや限界がきていた。さらには大学に受かったとしても、その後に放射線治療も引き続き行わなければならない。そのためには、家から通える範囲で大きな病院があり、学費が安く済む国公立でなければならない。
もう私には選択肢は残っていなかった。
気落ちする私に、父は声をかけてくれた。
「人生には無駄なことなんて一つもない。」
その言葉で、私は経営学部の国公立大学に進学することに決めた。
どこに行くのかが問題じゃない。そこで何を学び、何を行い、何を掴み取るのかが重要なんだ。
父のこの言葉は、今でも私の心の金言になっている。だからどんな反吐の出そうな環境だろうと這い上がって生き延びてこれた。
暑い時期、コンビニに並んでいるざるそばを見るたびにあの日の事、あの日の言葉が目に浮かぶ。あのツユのない麺だけのざるそばも、私にとっては忘れられない料理。忘れられない経験なのだ。
そんな疑問を持った方はいるだろうか?
確かに夏の暑い時期ならともかく、寒い時期にわざわざ体を冷やすようなものを食う奴がいるのか、という考えは分かる。だが冬場にそれが置かれていて救われる者もいるのだ。
何を隠そう私がそうだった。
高校3年の10月頃。
私は進学を考えてはいたが、どの大学にするか未だに決めかねていた。
「どうしよっかなー。文学部ならどこでもいいかなー。」
などと、割と切羽詰まった時期だというのに、自身の進路のことはお気楽に考えていた。
そんな時である。
気がつくと左腕がチクチクと痛み出していた。
「おかしいな。筋肉痛かな。まあそのうち痛みは引くだろ。」
と、その時はあまり気にはしていなかった。
だがその痛みは何週間経っても一向におさまらず、特に夜になると眠れなくなるほど痛みが増した。
流石におかしいと思い、学校帰りに小さな診療所で見てもらったのだが、
「ちょっとうちじゃ分からないですね。」
というわけで、後日設備の整った大きな病院で診てもらうことになった。
そしてそこでレントゲン、CTスキャン、MRIと見てもらったのだが、
「ちょっとわからないですね。」
と言われて、いよいよ自分がやばい病気にかかっていることが分かってきた。
12月。
患部の骨組織を取り出して分析することでようやく病名が判明した。
「悪性リンパ腫」。
いわゆる「がん」である。
当時は「がん=不治の病=死」というイメージだったのでかなりショックだったが、医者の先生によると、がんは「STAGE1」と比較的早い段階で発見したため(がんは進行具合でSTAGE1~4に分けられ、STAGEが進むごとに死亡率が高くなる。)、まあなんとか助かるだろうと言われた。
さて、そうなると問題は受験だ。
病気の検査入院と、治療のための入院で、センター試験直前だというのに、一ヶ月以上入院するハメになった。しかも受験勉強はほとんどしていない。どうしたもんかと、医師と父とで相談した。
医師の判断で、センター試験と大学の2次試験の日だけ一時的に退院させてもらえることになった。
残る問題は勉強だけだが、こちらもなんとかなった。何せ病院だ。治療と検査以外は何もやることはない。どこに行く事だってできない。
つまり勉強に集中できる理想的な環境だった。
私は試験の日までとにかく勉強しまくった。
午前中は得意科目の国語の模擬試験、午後は苦手科目の数学、寝る前は記憶することが多い世界史と単語の暗記と、検査と治療の時間以外は勉強に全て費やした。
あと困ったことは若い看護師さんが多かったくらいか。当時女性と話すのが大の苦手だった私はいつもオドオドしていた。検査入院の後、全身麻酔の影響で身動きが取れなくなった時など、
「お風呂に入りたくなったら声かけてね♡」
などと言われたが、緊張して結局一度も声をかけられなかった(今思うと非常にもったいない事をした)。まあこの病院生活のおかげで。私は女性に対しての耐性もついたし、変な性癖にも目覚めた。
だが問題は抗がん剤の方だった。
私の治療は、当時の最新の抗がん剤であるリツキサンを加えて5種類の抗がん剤を投薬して行われ、薬の頭文字を取って「R-CHOP療法」と担当の医師は言っていた。
「R」に当たるリツキサン、これは大した副作用はなく楽なもんだった。だが問題は値段だった。高額医療の対象で保険が効かなかったため、一回ごとに15万ほど払わなければならなかった。しかもそれはリツキサンに限った話だ。他の抗がん剤も一回あたり数万かかり、経過を見るためにMRIなどでさらに一万程かかる。(父は本当によくやってくれた。)
リツキサン以外の抗がん剤も副作用がキツく、打たれてから数時間もすると強烈な吐き気に襲われた。例えるなら「悪酔い」状態が四六時中続く。ほとんどの食べものが受け付けられず、すぐに吐き出してしまう。吐いて吐いて吐き続け、吐くものがなくなっても吐き続ける。終いには胃液のような黄色い液体も吐いて、それでも吐き気が治らないのだ。
そんな抗がん剤を、最低3セットは打たねばならなかった。
とはいえそれでも腹が減る。
でも食べたら絶対に吐く。アツアツのカレー、カツ丼、焼き鳥。その大好きだった食べ物のどれもが見ただけで吐いてしまいそうなゲテモノに見えた。
まさに生き地獄だった。
そんな折に唯一食べられたのがざるそばだった。
といっても麺つゆは刺激が強かったので、食えたのはそばの麺だけだが。
冬の寒い時期、よくあんなものを置いてくれたと思う。あれがなければ私は飢え死にしていたろう。(それでもいくらかは吐いてしまったんだが)
何はともあれ、ざるそばのおかげで私は食いつなげた。
そうしてセンター試験も上々の結果で終わり、さあ二次試験だと意気込んでいたら、父から文学部は諦めろ、と言われた。
ショックだった。
何せ、私は昔から国語が大好きで、それをもっと学んでみたいと思っていたからだ。それを、関心のかけらもない「経営学部」の大学に進めという。
どうして!?と掴みかかりたかったが、言えなかった。
私の病気のせいで、父は大変な負担を強いられていた。その蓄えにはもはや限界がきていた。さらには大学に受かったとしても、その後に放射線治療も引き続き行わなければならない。そのためには、家から通える範囲で大きな病院があり、学費が安く済む国公立でなければならない。
もう私には選択肢は残っていなかった。
気落ちする私に、父は声をかけてくれた。
「人生には無駄なことなんて一つもない。」
その言葉で、私は経営学部の国公立大学に進学することに決めた。
どこに行くのかが問題じゃない。そこで何を学び、何を行い、何を掴み取るのかが重要なんだ。
父のこの言葉は、今でも私の心の金言になっている。だからどんな反吐の出そうな環境だろうと這い上がって生き延びてこれた。
暑い時期、コンビニに並んでいるざるそばを見るたびにあの日の事、あの日の言葉が目に浮かぶ。あのツユのない麺だけのざるそばも、私にとっては忘れられない料理。忘れられない経験なのだ。
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