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第一章
7-3.「ほんのすこしだけ――勇者をお休みしては、どうでしょう?」
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職業”勇者”。
帝国における最高戦力の一人にして、国の英雄。
人々の模範となるべき存在。
しかし、どんなに勇猛”勇者”であろうと、翼を持とうと、チヒロ=キサラギは一人の女性であり、感情がない訳ではない。
死に瀕して、生き延びて。
怖くならない人間など、どこにもいない。
「旦那様。人は、生きている限り、必ず死にます。もしかしたら明日にでも、私は竜の魔力にあてられ死ぬかもしれません。それを私は理解しています。私は今、まだ生きています」
「……ええ。生きています。大丈夫ですよ、チヒロさん」
チヒロは混乱しているのに、出てくる言葉は事実の列挙だった。
おそらく、恐怖を恐怖として声に出すことが苦手なのだろう。
普段から勇者であろうと心に蓋をし過ぎた彼女は、自分のことについて語るのが苦手で、恐ろしく不器用だ。
そんな彼女を、ハタノは優しく抱きしめる。
言葉では伝えられない温もりをもって、せめて彼女の癒しになるようにと願いながら。
チヒロの指先が、ハタノの背中を掴む。
爪先がわずかな痛みを伴って食い込み、その痛みこそが彼女の本心を現してるようで、ハタノは少し、悲しくなった。
「……私は、勇者です。勇者は人前で、弱音を吐いてはなりません。私は人を救う者であり、弱みを見せてしまえば、勇者という偶像を汚してしまいます」
「ええ。私も、多少は理解できます」
治癒師も患者の前では、弱音を吐かない。吐けない。
心底に失敗への不安を渦巻かせながら、表向きは自信満々に、自分に任せておけば全て大丈夫であるという自負を見せておかなければ患者を不安にさせてしまう。
それが仮初の見栄だとしても、職業人には必要な仮面だ。
「ですが、チヒロさん。私の前くらいでは、弱音を吐いても構いませんよ」
「……それは」
「私はあなたの旦那であり、夫です。そして聞いた話によりますと、良好な夫婦関係をもつ者は、お互いのパートナーにしかみせない一面を見せることがあるそうです」
もしそのような関係が世界に存在するなら、今だと思う。
弱音を吐かないことは美徳だが、誰にも吐かずに生きていくには、彼女の仕事は重すぎる。
チヒロは、ゆるりと首を振る。
「……ですが、旦那様。私達の関係は、業務上のものに過ぎませんし」
「業務上であっても、関係が円滑になるのであれば問題ないと私は考えます」
「それに、勇者が泣いては、勇者として失格ですし」
「周りには、黙っておけばいいじゃないですか。話さなければ誰にもバレませんよ」
「……。……旦那様は、秘密にしててくれますか?」
「幸いなことに、守秘義務を守るのは私の得意分野です。患者の秘密と一緒に、墓まで持っていくなど容易いこと」
分野は違えど、似たような仕事をしてますので。
ハタノはチヒロの銀髪をすくいながら、続けて、自分の内も少しだけ明かしていく。
「私だって、チヒロが撃たれた時には動揺しました。あの時、私は先にあなたを治癒しようとした。雷帝様を放り出して。みての通り、私だって時には感情を優先してしまいますし……怖くない訳ではないし、時には馬鹿なことをするのです」
彼女のつややかな銀髪を撫でつつ、チヒロが生きていて本当によかったと思う。
……本当に。
……本当に。
チヒロはじっと唇を閉ざし、黙ってしまう。
透明な瞳にうっすらと涙が浮かぶも、我慢するように堪えている。
……泣きたくても、泣けないのだろうか。
勇者として人前で涙を流す行為そのものに、不慣れなのかもしれない。
それなら、とハタノは掛け布団をひきよせ、彼女の頭にそっと被せてあげた。
小さな顔をすっぽりと覆い、丸っこくしてお布団に潜らせてあげる。
誰にもバレない、彼女だけの隠れ家を作るように。
「ほら。いまは誰も見ていません。私も存じません。……なので少し、ほんのすこしだけ――勇者をお休みしては、どうでしょう?」
布団越しに背中をさすると、チヒロがひくっと震えた。
やがてハタノの見えない所で、内に秘めた嗚咽を零し、その身体をちいさく震わせ始める。
……本当に、不器用な人だ。
自分にも似た気質はあるが、彼女はもっと不器用だ。
もしかしたら彼女は、自分自身の気持ちそのものに疎いのかもしれない。
そんなことを考えつつ、ハタノは彼女の身体を受け止め、チヒロが泣き止むのを静かに待ってあげた。
「――申し訳ありません。醜態をさらしました」
「もうちょっと甘えてても良いのですが……」
「いえ。十分でございます」
布団からもぞもぞと顔を覗かせたチヒロは、すっかり調子を取り戻していた。
その目元が僅かに赤いものの、真一文字に結んだ唇はいつもの通りだ。
けどさすがに、今日は疲れているに違いない。
「今日は、ゆっくり休みましょうか」
「え。旦那様。……しないのですか?」
「一日くらい休んだところで、文句は言われないでしょう。それに今日は、優しく過ごしたい気分なので」
「……そう、ですか」
チヒロが声を落としつつ、ハタノを見上げる。
いつもより覇気がなく、けれど、何故かいつも以上に愛らしい顔だなと微笑んでいると――
不意に、チヒロが背伸びをするように、自然な口づけを交わしてきた。
「……ん」
ついばむような、甘えるような接吻。
ハタノは少し驚き、けれど抵抗することなく受け入れる。
初夜の時のように、なんだか優しい、けれど――あの時より、心温まる口づけ。
(ああ。人の熱を感じる、というのは、とても良いですね)
そう思いながら、ハタノも多少、男としての本能をくすぐられていると。
彼女の唇がゆっくりと離れて、すぐに。
チヒロがするりとハタノを掴んで転がし、気づけば、あっさり上を取られてしまった。
「チヒロさん?」
なぜか、馬乗りになられている。
抵抗できずチヒロを見上げると、彼女の瞳は僅かに色づき、ハタノを一人の男として見下ろしていた。
「チヒロさん。……今日は、しないのでは?」
「その予定でしたが、その。……なんだか、私が、したくなりましたの、で」
「え」
「業務ではありますが、それ以上に、人の肌の、熱を、感じたくて」
自分から言うのは恥ずかしいのか、チヒロが耳まで赤く染めながら。
ハタノへ下ろすように、もう一度唇を交わらせた。
普段以上に濃密な接触。
ちろちろと舌を絡め合いながら、互いを書き混ぜるように手を伸ばす二人。
まったく、この妻は、と思いつつ――悪い気もしなかったハタノは、先の遠慮など何処へやら。気づけば自分もまた、彼女の腰元に手を伸ばしていた。
子を成す行為であると同時に、彼女がここに居ることを確かめるため。
生きていること。心臓が動いていること。その熱がまだ彼女に宿っていることを、自らの身体に染みこませたい。
枯れた器に、水を満たすように、熱く、強く。
もう二度と失いたくないと、願うように。
「旦那様。私――」
チヒロの吐息に、熱が混じる。
ハタノもまた高ぶりを抑えられず、彼女の和服へと手をかける。
慣れた手つきで帯を外し。
お互いの肌を求めるように、双方、自らのものを晒そうとして――
ばさっ! と。
激しい羽音を立てて、彼女の背中から銀色の翼が飛び出した。
「……え???」
「は???」
目を丸くする二人。
……いざ、ことに及ぼうとしたら、なんか出てきた。
ハタノは驚き、チヒロはそれ以上に慌てふためきながら背中を振り返ろうとするが、もちろん、彼女の背についてる翼なので自分では見られない。
あわわ、と、チヒロにしては本当に珍しい焦りっぷりを披露しながら、
「す、すみません旦那様。出てきました」
「出てきましたね」
「はい」
「どうして出てきたんでしょう」
「……よく分かりませんが、興奮したら、いきなり飛び出して」
ハタノは目を丸くする。興奮。あの勇者チヒロが。
……妻が?
「チヒロさん。興奮してたんですか?」
「う……それは、その。…………は、い。なんだか、旦那様が愛おしく見えてしまって。すみません。いけないことだと、分かっているのですが」
もじ、と。
チヒロがその指先をいじらしく絡め、銀色の髪で顔を隠してしまうほどに俯いてしまう。
その動作があまりに可愛くて、ハタノは何だか猛烈に、どくん、どくんと心音が高鳴っていく。
――いや、待て。
今はそんな場合じゃないと思うのに、なんだか……。
どうしよう。
私の妻が、大変に可愛らしい。
内面に荒れ狂い始めた感情を、ハタノは強引に抑えつける。いかん。
今は、彼女の翼の心配と診察をしなければ!
「とりあえず、うつ伏せに寝てください。診ますので……」
行為の途中だったが横たわらせ、翼が傷つかないよう、彼女をうつ伏せに寝かせてるハタノ。
「旦那様、すみません、これからという時に」
「……まあ、これも私達らしい夫婦のあり方ということで。翼がちょっと飛び出したくらい、気にしませんよ」
萎縮してしまった妻を励ましながら、ハタノは胸の内に走る動揺に困惑する。
チヒロの言葉ではないが、……これは、仕事だ。
彼女とは業務上の付き合いでしかなく、本物の恋人ではない。
ハタノは恋が理解できず、人を愛することもない。そう自分に言い聞かせる。
それでも、もし自分が仮に、人を愛したのなら――恋人に対し、妻に対してこんな気持ちを抱くのだろうか、とハタノは思い、慌ててその気持ちを打ち消した。
――怖かったのだ。
自分なんかが、誰かを好きになってしまうという気持ちが、芽生えることに。
(そのようなことは。彼女とは、あくまで業務上の関係。それに、彼女に向かって好きなどと伝えれば、チヒロさんも迷惑するでしょうし)
ハタノは迷いを打ち消し、これからのことを考える。
雷帝様はハタノ達に休息を与えたことを、信頼の証と語ったが、それを素直に受け取れるハタノではない。
かの帝国が、翼の生えた勇者を放っておくはずもない。
他、ガルア王国に限らず、ハタノの知らない勢力がチヒロを、或いはハタノ自身を狙ってくることも考えられる。
今までのように、単なる治癒師としての生活では、難しいだろう。
それでも……今だけは穏やかに。
彼女と優しくありたいなと願いながら、ハタノは新妻チヒロの身体を撫でる。
(私達は、あくまで仮初めの夫婦ですが。それでも)
今だけは、妻に優しくしてあげたい。
親愛の情を抱きながら、ハタノは彼女に痛みがないかを尋ね、夫として主治医として、ゆっくりと彼女の翼を診察し始めた。
そんなハタノの瞳に、愛情と呼ばれるものが宿っていることに。
彼自身、まだ気づかないまま――
(第一部 完)
―――――――――――――――――――――
いつもお読み頂き、ありがとうございます。第一部はここまでです。
なお、続きが気になられる方がおられましたら、本作はカクヨムの方でメイン更新を行っておりますので、そちらをご一読頂けると大変嬉しいです。
もし宜しければ御評価、感想等頂けますと作者の励みになります。何卒よろしくお願いします。
帝国における最高戦力の一人にして、国の英雄。
人々の模範となるべき存在。
しかし、どんなに勇猛”勇者”であろうと、翼を持とうと、チヒロ=キサラギは一人の女性であり、感情がない訳ではない。
死に瀕して、生き延びて。
怖くならない人間など、どこにもいない。
「旦那様。人は、生きている限り、必ず死にます。もしかしたら明日にでも、私は竜の魔力にあてられ死ぬかもしれません。それを私は理解しています。私は今、まだ生きています」
「……ええ。生きています。大丈夫ですよ、チヒロさん」
チヒロは混乱しているのに、出てくる言葉は事実の列挙だった。
おそらく、恐怖を恐怖として声に出すことが苦手なのだろう。
普段から勇者であろうと心に蓋をし過ぎた彼女は、自分のことについて語るのが苦手で、恐ろしく不器用だ。
そんな彼女を、ハタノは優しく抱きしめる。
言葉では伝えられない温もりをもって、せめて彼女の癒しになるようにと願いながら。
チヒロの指先が、ハタノの背中を掴む。
爪先がわずかな痛みを伴って食い込み、その痛みこそが彼女の本心を現してるようで、ハタノは少し、悲しくなった。
「……私は、勇者です。勇者は人前で、弱音を吐いてはなりません。私は人を救う者であり、弱みを見せてしまえば、勇者という偶像を汚してしまいます」
「ええ。私も、多少は理解できます」
治癒師も患者の前では、弱音を吐かない。吐けない。
心底に失敗への不安を渦巻かせながら、表向きは自信満々に、自分に任せておけば全て大丈夫であるという自負を見せておかなければ患者を不安にさせてしまう。
それが仮初の見栄だとしても、職業人には必要な仮面だ。
「ですが、チヒロさん。私の前くらいでは、弱音を吐いても構いませんよ」
「……それは」
「私はあなたの旦那であり、夫です。そして聞いた話によりますと、良好な夫婦関係をもつ者は、お互いのパートナーにしかみせない一面を見せることがあるそうです」
もしそのような関係が世界に存在するなら、今だと思う。
弱音を吐かないことは美徳だが、誰にも吐かずに生きていくには、彼女の仕事は重すぎる。
チヒロは、ゆるりと首を振る。
「……ですが、旦那様。私達の関係は、業務上のものに過ぎませんし」
「業務上であっても、関係が円滑になるのであれば問題ないと私は考えます」
「それに、勇者が泣いては、勇者として失格ですし」
「周りには、黙っておけばいいじゃないですか。話さなければ誰にもバレませんよ」
「……。……旦那様は、秘密にしててくれますか?」
「幸いなことに、守秘義務を守るのは私の得意分野です。患者の秘密と一緒に、墓まで持っていくなど容易いこと」
分野は違えど、似たような仕事をしてますので。
ハタノはチヒロの銀髪をすくいながら、続けて、自分の内も少しだけ明かしていく。
「私だって、チヒロが撃たれた時には動揺しました。あの時、私は先にあなたを治癒しようとした。雷帝様を放り出して。みての通り、私だって時には感情を優先してしまいますし……怖くない訳ではないし、時には馬鹿なことをするのです」
彼女のつややかな銀髪を撫でつつ、チヒロが生きていて本当によかったと思う。
……本当に。
……本当に。
チヒロはじっと唇を閉ざし、黙ってしまう。
透明な瞳にうっすらと涙が浮かぶも、我慢するように堪えている。
……泣きたくても、泣けないのだろうか。
勇者として人前で涙を流す行為そのものに、不慣れなのかもしれない。
それなら、とハタノは掛け布団をひきよせ、彼女の頭にそっと被せてあげた。
小さな顔をすっぽりと覆い、丸っこくしてお布団に潜らせてあげる。
誰にもバレない、彼女だけの隠れ家を作るように。
「ほら。いまは誰も見ていません。私も存じません。……なので少し、ほんのすこしだけ――勇者をお休みしては、どうでしょう?」
布団越しに背中をさすると、チヒロがひくっと震えた。
やがてハタノの見えない所で、内に秘めた嗚咽を零し、その身体をちいさく震わせ始める。
……本当に、不器用な人だ。
自分にも似た気質はあるが、彼女はもっと不器用だ。
もしかしたら彼女は、自分自身の気持ちそのものに疎いのかもしれない。
そんなことを考えつつ、ハタノは彼女の身体を受け止め、チヒロが泣き止むのを静かに待ってあげた。
「――申し訳ありません。醜態をさらしました」
「もうちょっと甘えてても良いのですが……」
「いえ。十分でございます」
布団からもぞもぞと顔を覗かせたチヒロは、すっかり調子を取り戻していた。
その目元が僅かに赤いものの、真一文字に結んだ唇はいつもの通りだ。
けどさすがに、今日は疲れているに違いない。
「今日は、ゆっくり休みましょうか」
「え。旦那様。……しないのですか?」
「一日くらい休んだところで、文句は言われないでしょう。それに今日は、優しく過ごしたい気分なので」
「……そう、ですか」
チヒロが声を落としつつ、ハタノを見上げる。
いつもより覇気がなく、けれど、何故かいつも以上に愛らしい顔だなと微笑んでいると――
不意に、チヒロが背伸びをするように、自然な口づけを交わしてきた。
「……ん」
ついばむような、甘えるような接吻。
ハタノは少し驚き、けれど抵抗することなく受け入れる。
初夜の時のように、なんだか優しい、けれど――あの時より、心温まる口づけ。
(ああ。人の熱を感じる、というのは、とても良いですね)
そう思いながら、ハタノも多少、男としての本能をくすぐられていると。
彼女の唇がゆっくりと離れて、すぐに。
チヒロがするりとハタノを掴んで転がし、気づけば、あっさり上を取られてしまった。
「チヒロさん?」
なぜか、馬乗りになられている。
抵抗できずチヒロを見上げると、彼女の瞳は僅かに色づき、ハタノを一人の男として見下ろしていた。
「チヒロさん。……今日は、しないのでは?」
「その予定でしたが、その。……なんだか、私が、したくなりましたの、で」
「え」
「業務ではありますが、それ以上に、人の肌の、熱を、感じたくて」
自分から言うのは恥ずかしいのか、チヒロが耳まで赤く染めながら。
ハタノへ下ろすように、もう一度唇を交わらせた。
普段以上に濃密な接触。
ちろちろと舌を絡め合いながら、互いを書き混ぜるように手を伸ばす二人。
まったく、この妻は、と思いつつ――悪い気もしなかったハタノは、先の遠慮など何処へやら。気づけば自分もまた、彼女の腰元に手を伸ばしていた。
子を成す行為であると同時に、彼女がここに居ることを確かめるため。
生きていること。心臓が動いていること。その熱がまだ彼女に宿っていることを、自らの身体に染みこませたい。
枯れた器に、水を満たすように、熱く、強く。
もう二度と失いたくないと、願うように。
「旦那様。私――」
チヒロの吐息に、熱が混じる。
ハタノもまた高ぶりを抑えられず、彼女の和服へと手をかける。
慣れた手つきで帯を外し。
お互いの肌を求めるように、双方、自らのものを晒そうとして――
ばさっ! と。
激しい羽音を立てて、彼女の背中から銀色の翼が飛び出した。
「……え???」
「は???」
目を丸くする二人。
……いざ、ことに及ぼうとしたら、なんか出てきた。
ハタノは驚き、チヒロはそれ以上に慌てふためきながら背中を振り返ろうとするが、もちろん、彼女の背についてる翼なので自分では見られない。
あわわ、と、チヒロにしては本当に珍しい焦りっぷりを披露しながら、
「す、すみません旦那様。出てきました」
「出てきましたね」
「はい」
「どうして出てきたんでしょう」
「……よく分かりませんが、興奮したら、いきなり飛び出して」
ハタノは目を丸くする。興奮。あの勇者チヒロが。
……妻が?
「チヒロさん。興奮してたんですか?」
「う……それは、その。…………は、い。なんだか、旦那様が愛おしく見えてしまって。すみません。いけないことだと、分かっているのですが」
もじ、と。
チヒロがその指先をいじらしく絡め、銀色の髪で顔を隠してしまうほどに俯いてしまう。
その動作があまりに可愛くて、ハタノは何だか猛烈に、どくん、どくんと心音が高鳴っていく。
――いや、待て。
今はそんな場合じゃないと思うのに、なんだか……。
どうしよう。
私の妻が、大変に可愛らしい。
内面に荒れ狂い始めた感情を、ハタノは強引に抑えつける。いかん。
今は、彼女の翼の心配と診察をしなければ!
「とりあえず、うつ伏せに寝てください。診ますので……」
行為の途中だったが横たわらせ、翼が傷つかないよう、彼女をうつ伏せに寝かせてるハタノ。
「旦那様、すみません、これからという時に」
「……まあ、これも私達らしい夫婦のあり方ということで。翼がちょっと飛び出したくらい、気にしませんよ」
萎縮してしまった妻を励ましながら、ハタノは胸の内に走る動揺に困惑する。
チヒロの言葉ではないが、……これは、仕事だ。
彼女とは業務上の付き合いでしかなく、本物の恋人ではない。
ハタノは恋が理解できず、人を愛することもない。そう自分に言い聞かせる。
それでも、もし自分が仮に、人を愛したのなら――恋人に対し、妻に対してこんな気持ちを抱くのだろうか、とハタノは思い、慌ててその気持ちを打ち消した。
――怖かったのだ。
自分なんかが、誰かを好きになってしまうという気持ちが、芽生えることに。
(そのようなことは。彼女とは、あくまで業務上の関係。それに、彼女に向かって好きなどと伝えれば、チヒロさんも迷惑するでしょうし)
ハタノは迷いを打ち消し、これからのことを考える。
雷帝様はハタノ達に休息を与えたことを、信頼の証と語ったが、それを素直に受け取れるハタノではない。
かの帝国が、翼の生えた勇者を放っておくはずもない。
他、ガルア王国に限らず、ハタノの知らない勢力がチヒロを、或いはハタノ自身を狙ってくることも考えられる。
今までのように、単なる治癒師としての生活では、難しいだろう。
それでも……今だけは穏やかに。
彼女と優しくありたいなと願いながら、ハタノは新妻チヒロの身体を撫でる。
(私達は、あくまで仮初めの夫婦ですが。それでも)
今だけは、妻に優しくしてあげたい。
親愛の情を抱きながら、ハタノは彼女に痛みがないかを尋ね、夫として主治医として、ゆっくりと彼女の翼を診察し始めた。
そんなハタノの瞳に、愛情と呼ばれるものが宿っていることに。
彼自身、まだ気づかないまま――
(第一部 完)
―――――――――――――――――――――
いつもお読み頂き、ありがとうございます。第一部はここまでです。
なお、続きが気になられる方がおられましたら、本作はカクヨムの方でメイン更新を行っておりますので、そちらをご一読頂けると大変嬉しいです。
もし宜しければ御評価、感想等頂けますと作者の励みになります。何卒よろしくお願いします。
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