その正体

烏屋鳥丸

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8 甘い香り

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「少し面倒な事になったわ。」

「面倒な事?」

月明かりが照らす薄暗い室内。
少し肌寒ささえ覚える午前0時過ぎ。
ベッドに横たわる彼女は面白くなさそうな顔で呟く。
焔はベッドに腰掛けて煙草をふかしていた。
甘ったるい香りが部屋に広がる。

「アダム君が私の身辺を調査してるみたい。」

「へぇ。なんで今更?」

「わからないわ。いつもなら手籠めにして終わりなんだけど…彼、効かないのよ。私の能力。」

「そうか。彼の立場を考えると少々厄介だね。」

じゃあ…と焔は考えるように月明かりを眺め、大きく息を吸って煙を吐き出す。

「王の首でもすげ替えるかい?」

「…アダム君を殺すってこと?」

「死人に口なしだろう?手っ取り早いと思うけど。それに、アダムくんじゃなくてこちら側の人間を王に置いたほうが君も動きやすいんじゃないかな?」

「焔はすぐ物騒なことを考えるわね。」

「現実的と言ってほしいな。お気に召さない?」

「まずリスクが高すぎる。仮にも彼はこの国で一番強い人間よ。そんな彼を周りにバレずに殺すなんて難しいと思うけど。」

「いくらでもやりようはあるよ。彼も人間だ。なにも正々堂々挑むわけじゃない。無防備なところを叩けばいいさ。」

「そういうの、騎士道に反するんじゃないの?」

「僕にはそういうカッコいい理念なんてないよ。ただ戦って殺して生きてきただけで人は勝手に英雄だとか、騎士だとか呼ぶんだ。おかしいよね、やってることはただの殺しなのに。」

自分は多分、どこか人とは違うのだと思う。
端的に言えば、狂っている。 
今でこそこの国のNo.4として魔物から大衆や国を守るために剣を振るっているが、昔は違った。
騎士道なんてほど遠い、日々戦争や殺しに明け暮れた。
殺すことが生きる手段で、それができなければ自身が死ぬ。大切なものも守れない。そんな単純な世界。
自分と同じ年頃の男もたくさん殺したし、邪魔になるなら女子供にさえ容赦はしなかった。
そこに何の感情もない。ただ殺らなきゃ殺られる。それだけだった。
この国に来てからは平和なもので、ただ魔物を殺すだけで英雄になれた。
そんな平和な国で10年過ごした今も、命を奪うことへの躊躇いはなかった。
むしろ、それが一番単純で手っ取り早い。 
染み付いた習性は消えないのだ。

「焔たちが疑われるような手段は避けたいわ。」

「それならエレナくんはどうだい?彼女、毒物も扱えるだろう?いくら強い王様でも身体は人間だ。内から蝕む毒には勝てないさ。それに彼女は医者だ。突然の病で急死ってことにすればいい。」 

「そういうことにエレナを巻き込まないで。」

「じゃあ遠くからベルくんに襲わせる?スナイパーの彼女の技術なら簡単だろう。」

「銃はダメよ。人間に殺されたとわかると大衆が騒ぐわ。」

「なら自然災害に見せかけるか…。ジャックくんは…無理だね。彼に人殺しはできない。」

仲間の能力を考慮し、焔は作戦を並べる。
しかし彼女はどの案にも首を縦に振らなかった。

「アダム君が何を掴んで、どう疑っているのかわからない以上、殺すのは得策じゃないわ。少なくとも今は。」

たしなめるように彼女は言う。
彼女は意外と平和主義だ。
例え相手がどんなに邪魔な人間でも、殺すのは最終手段にしたいらしい。
彼女にはいくつかの特別な能力がある。
その力で自分の思い通りに相手を動かせるため、殺しという手段は選択肢にも入らないのだろう。
その特別な能力のうち1つは件の王様には効かなかったみたいだけれど。

「まぁ、僕の力が必要になったらいつでも言ってくれ。君のためなら僕は手を汚すことを厭わない。相手が誰でも僕は殺すことを躊躇わないよ。例え、君でもね。」

「平気な顔で私のことを殺すのは貴方くらいよ。」

煙草に口を付け、大きく息を吸い込み、そして吐く。
くるりくるりと掴みどころなく空中を漂う紫煙を眺めながら、焔は短くなった煙草を灰皿に押し付けた。

「僕が君を殺したのは24回。どれも鮮明に覚えているよ。」

そう自分は彼女を何度も殺している。
剣で突き刺し、銃で貫き、首を絞めて殺したこともある。
そして、その度彼女は美しく生き返る。
いわゆる不死身。死ねない体。それが彼女の能力のうちの1つ。
彼女は人間ではなかった。
死んで生き返るにはもちろんリスクもある。
彼女は身体の損傷具合に応じて歳を遡って完全な姿で生き返る。
身体の損傷がリセットされる代わりに、若返ってしまうのだ。
出会った頃は彼女の方が随分年上だったが、何度も彼女を殺した結果、いつの間にか自分の方が歳を取ってしまっていた。

「君は、あの頃と全く変わらないね。憎いくらいだ。」

「私は焔が羨ましいわ。…ちゃんと歳を取って老いて正しく死ねる。」

シワだらけの顔を慈しむように柔らかい手が触れる。
そのまま頬の傷を愛おしむようになぞった。
絹のような滑らかな彼女の手に自分の手を重ねる。
年齢のかなり離れたその手は、まるで別の生き物のようだった。

「そのまま君も僕のように老いて死んだらいいのに。」

「…無理よ。きっと私は…」

目を伏せ何かを呟こうとした口をキスで塞ぐ。
悲しい話は、これ以上聞きたくない。

「なぁに?慰めのつもり?」

「そんな話はこれくらいにしよう。せっかくの夜なんだ。」

焔はカーテンを閉める。
月の明かりを無くした室内は真っ暗な闇に包まれる。
彼女の肩に手をかけ、ゆっくりと彼女を押し倒した。
二人はシーツの海に沈んでいく。

「…アンジェラ。君がなんと言おうと…誰と寝ようと。僕は君の盾となり剣となり、降りかかる全ての憂いから君を守るよ。一生、この命尽きるまで、ね。」

「すごい口説き文句ね。」

「ふふっ、僕の全部を君に捧げる。そして君は僕の死を背負って一生、何十年、何百年と生きていくんだよ。これは嫉妬深い僕からの呪いだ。」

「そうね。焔のことは一生忘れられそうにないわ。」

「こんないい男なかなかいないだろう?」

「確かに。こんなに頭のおかしい人、焔くらいしかいないわ。」

クスクスと彼女は無邪気な笑みを浮かべる。
焔はその形のいい唇にキスをして、彼女の滑らかな肌を指でなぞった。


彼女とこういう関係になったのは、もう何十年も前だった。
最初は自分がまだ成人するより少し前。
傭兵として殺しを生業とし、世界を渡り歩いていた頃だ。
彼女は今より少し若い風貌で、今と同じ無邪気な笑みを浮かべて自分を誘った。
そこからはズルズルと名前のない関係が何十年にも渡って続いている。
自分は彼女を愛している。
愛しているからこそ何十年も彼女の側に居続け、彼女を奪おうとする人間を殺し続けてきた。
殺すことは、彼女への愛だった。

彼女を狙う輩は1人2人ではない。
人間ではない、不死身や様々な能力を持つ彼女は世界中から狙われていた。
研究者やそれを悪用しようとする組織、彼女を教祖として崇める宗教団体、彼女の力を使って繁栄を目論む国。
どれも彼女を道具としか見ていない。
そういう輩に追われ、様々な国を渡り歩いた。
たどり着いたサヴァリアは外の国とほとんど交流のない閉鎖的な島国。
世界中から追われる彼女を匿うには都合のいい土地だった。
平和で居心地がいいこの土地に根付いて早10年。
彼女もそれなりにここでの暮らしを気に入っているようだ。
できることなら、この平穏が続いてほしいと願う。
だから不穏分子は早めに処理してしまわないといけない。
けれど彼女は王の死を望まない。
どうしたかものか。
もしこの国の王が彼女の秘密を知ったとして、彼は彼女をどうするだろうか。
権力の象徴として手元に置くだけならまだいい。
恐怖の対象として彼女を殺そうとするのも、まあいい。どうせ彼女は死なない。その場合はこの国にはもういられない。新たに彼女を匿う土地を探さなくてはならなくなるが、それも仕方ない。
けれど、私利私欲のために彼女に能力を使わせたり、金のために彼女を研究者や他の組織や団体に売り払うなら話は別だ。
そうなる前に、やはり殺さなくてはならない。
場合によっては、彼女の痕跡が残るこの国を丸ごと焼き払う必要さえある。
彼女が過ごした国は全て滅びる。
彼女の秘密を守るため、秘密を知ってしまった人間は生かしてはいけない。
それはいつか彼女を狙う刺客へと変わってしまうからだ。
そうして焔は数え切れない人間を殺し、国を火の海へと変えてきた。
この国では知られていないが、海の外ではいつの間にか焔は狂戦士や鬼神と呼ばれ、世界中から恐れられる殺人鬼になってしまっていた。


情事を終え、焔は再び煙草をふかす。
裸のままベッドに横たわる彼女は何かを考えているようにシーツの波を見つめ、口を結んでいた。

「妬けるな。他の男のことでも考えているのかい?」

彼女と身体を重ねても、彼女が自分のものになることはない。
自分は彼女と関係を持つ複数の男のうちの一人。
わかってはいるが、こんな時くらい他の男のことなんて考えなくてもいいのに、と思ってしまう。
そんな気持ちを煙に変えて、焔は煙草を吐く。

「アダム君はダメだったけど、ノエル君をこっち側に引き込めば大丈夫じゃないかなって思うのよね。」

「誰にでも手を出せばいいってものじゃないよ。あの子は純粋なんだから、なおさら。可哀想だ。」

「でもノエル君がアダム君の頭脳だわ。彼を落とせば上手いことアダム君を抑えてくれると思う。」

よりにもよって、自分に懐いてくれている男を狙うだなんて。
焔は彼のことをそれなりに気に入っていた。
賢くて要領もよく、こんな年老いた自分にも分け隔てなく接してくれる愛想のいい青年。
彼が彼女に片想いしていることは、とうの昔から知っていた。
それは青年にしては随分と可愛らしい気持ちで、子供の憧れのような感情だと思っていた。
報われることはないだろうと高を括っていたが、そうもいかないようだ。

「やめといたほうがいい。あんな純粋な子にこんな関係、耐えられないと思うよ?」

「そこは上手くやるわ。それに、No.2を引き込むことができれば、アダム君以外は全員こちら側の人間になる。」

「国を乗っ取る…か。確かにそうなれば都合がいいけど。君、やけにノエルくんにこだわるね?」

「そうかしら?」

「そうだよ。今まで彼をこちら側に引き込むチャンスは何度もあったはずだ。でも、君は敢えてしなかった。何か特別な理由でもあるのかい?」

彼女は目を伏せ、小さく呟いた。

「…彼には何も知らないままでいてほしかったの。」

「どうして?」

「彼ね…。私が初めて愛した人に似てるの。…それだけ。」

彼女は自身の髪の毛をクルクルと指先でもてあそぶ。
まるで恋する少女のような彼女のいじらしい仕草を見るのは初めてだった。

「へぇ…。詳しく聞きたいね。」

「焔には関係ないでしょ。」

「関係あるだろう。僕も君に狂わされた男の一人なんだから。君の昔話、気になるな。」

じっ、と彼女を見つめると、彼女は観念したようにぽつりぽつりと語り出した。

「彼はね、ノエルくんみたいに背が高くて賢くて、笑顔が少し可愛らしくて優しい人だった。」

すっかり話に夢中になってほとんど吸わないまま灰になってしまった煙草を灰皿に押し付ける。
箱からまた一本取り出してマッチで火をつけた。

「私が、生まれた研究所の研究員でね、初めて私を人間扱い…ううん、女の子扱いしてくれた人なの。」

「それで恋に落ちたと?」

「うん。私の勝手な片想いだけどね。毎日彼が会いに来てくれる時間が待ち遠しかったわ。ある日、私は彼に想いを伝えたの。彼は引きつった顔をして『ありがとう、でも君の気持ちには応えられない』そう言ったわ。彼が優しかったのは私が研究対象だったから。こんな化物に好かれるなんて思ってもみなかったんでしょうね。…悲しかった。彼のためだと思って辛い検査にも苦しいテストにも耐えたのに。彼は私を人間扱い…女の子扱いなんてしていなかったの。それから彼が私に会いに来てくれることが少なくなったわ。無表情の冷たい研究員ばかりが訪れるようになった。…寂しかった。あんな反応をされても、私は彼を愛していたから。なんでもいいから、彼の笑顔をもう一度見たかった。彼に愛されたかった。…ある日、たまたま彼が私の所へ訪れた時、私は魅了の能力を使ったの。彼は驚くほど簡単に私のことを愛してくれた。『好きだよ、愛しているよ』って何度も囁いてくれた。…嬉しかったわ。例え、偽りの感情だとしても私はずっとその言葉がほしかったもの。彼は再び毎日私の所へ顔を出すようになった。幸せだったわ。毎日愛しい人の顔が見られるのだから。でも、その幸せは長くは続かなかった。」

彼女は目を瞑り、小さく息を吐く。

「彼に魅了がかかっているんじゃないかと他の研究員が疑い始めたの。私の能力によってあからさまに彼の態度が変わったから当然ね。彼は研究から外されることになった。けれど、彼は最後に私を研究所から逃がして、…目の前で殺されたわ。」

焔は何も言わずに、彼女の次の言葉を待つ。

「死ぬ直前、最後に彼が言ったの。『本当はずっと好きだった。魅了なんてなくても一目見たときから君を愛してた。だけど君と僕は被検体と研究員だ。許されない恋だった。違う形で出会えたらどんなに良かっただろう。生まれ変わったらきっと君を探すから…だから、君は生きて。外の世界で自由になって。』って。」

「その生まれ変わりがノエルくんじゃないかって?」

「…そんなわけないのにね。」

彼女は自嘲するような笑みを浮かべる。

「でも、忘れられないの。どれだけ他の人に愛されたって、彼のことだけは忘れられないの。生まれ変わりとか、そんなのあるはずないのに。いつか、彼がまた私の目の前に現れるんじゃないかって、期待してしまう。…馬鹿よね。」

目の前にいる彼女はとても小さく儚く見えた。
風が吹けば消えてしまいそうな、そんな危うさを纏った彼女は静かに顔を伏せる。
彼女もまた、叶わぬ恋に囚われているのだ。
ああ、誰も報われないな。

「忘れさせてあげるよ。僕が、なにもかも。」

彼女の肩を抱き、優しいキスをする。
火をつけた煙草は灰皿の中でいつの間にか灰になって消えていた。





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