その正体

烏屋鳥丸

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12 ベル・リンガル

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私の存在は、全て過去を消去して上書きして作られたものだ。
ベル・リンガル。今はそう呼ばれている。
昔の名前は捨てた。もう呼ばれることはないのだから、必要ない。
優しい声で名前を呼んでくれた彼は、もう私に見向きもしなくなった。

表向きはこの国のNo.7。銃器のエキスパートとして従事している。
裏の顔は女王の番犬。
自分では少しコンプレックスに感じる幼い容姿は、他者から警戒されにくい。
そんな相手の懐に入り、情報操作をすることが与えられた役割だ。

街の中心分部の住宅街で姉と一緒に暮らしている。
血は繋がっていない。
私の経歴を詐称するための作られた姉役だ。
姉の名前はスノウ・リンガル。
もちろん偽名だ。本当の名前は知らない。
彼女も私の本当の名前を知らないのだから、お互い様だろう。
スノウは綺麗な銀髪の女性だった。
長い睫毛が印象的でショートカットがよく似合う中性的な顔立ちをしている。
自分とは似ても似つかない。
姉妹という設定を怪しまれないように、私は長い前髪で顔を隠す。
スノウは表向きは街の新聞社で編集の仕事をしている。
裏の顔は、王のみがその存在を知る隠されたNo.6。
王は彼女のことを男性だと思い、カラス使いのレイヴンと呼んでいるそうだ。

彼女との関係は、本当の姉妹のようだった。
作られた関係だとしても、彼女は私に優しくしてくれたし、私も彼女のことを慕っていた。
一緒に暮らすこの家も居心地がいいし、これが本当の家族だったらと思うことも少なくはない。

「ベルー!ご飯できたわよ。運ぶの手伝ってちょうだい。」

キッチンからいい香りが漂ってくる。
彼女は料理上手で毎日美味しいものを作ってくれる。
2人の間にはどんなに忙しくても、疲れていても、毎日朝食と夕食は一緒に食べるという決まりあった。
呼ばれるままキッチンへ向かう。
今日のメニューは野菜がたっぷり入ったシチューだった。

「ベル、家の中でくらい前髪上げたらどうなの?誰も見ちゃいないわよ。」

「でも…。」

「でもじゃないわよ。せっかく可愛い顔してるんだから、出さなきゃもったいないでしょ。」

そう言ってスノウはヘアピンでベルの前髪を留めた。
開けた視界がなんだかこそばゆい。
スノウはまじまじとベルの顔を見つめる。

「…やっぱり似てるわね、お兄さんと。」

そう、私には血の繋がった兄がいる。
兄は10年前のアミュレスの戦争で心を病み、記憶の一部を失った。
その一部が、実の妹である私のこと。
過去の私はあの戦争で死んだ。
彼の記憶を混乱させないために、そうことになっている。
実の妹のことを思い出してほしい気持ちもあるが、それは同時にあの戦争の記憶を呼び起こすということ。
今はそれなりに穏やかに暮らしている兄の平穏を、掻き乱すことはしたくなかった。
だから私は違う人間になり、極力兄との接触を避けている。

酷い戦争だった。
仕掛けてきたのは西洋の帝国。
どこかからアンジェラがアミュレスに潜むことが漏れ、彼女を手に入れようと幾千の兵が押し寄せた。
戦争とは名ばかりの、ただの残忍な殺戮だった。
当時の私はまだ幼く、兄の影に隠れていることしかできなかった。
兄はあの戦争で戦った。
しかし、守れたのはほんの一部の人間だけ。
親が殺され、友が殺され、恋人を殺された。
一方的な殺戮だった。
彼らのターゲットであるアンジェラは不死だ。
だから全ての人間を殺して、生き残った彼女だけを連れ去る。そういう作戦だったのだろう。
あまりの兵力の数の差に、私たちは成す術もなくアミュレスから逃げ出した。
そしていくつかの国を経由し、ここサヴァリアの地へと降り立ったのだ。

あの戦争で私は死にかけた。
兵士の一人に正面から胸から腹にかけ切られたのだ。
凄い出血量だった。きっと、本来ならあの場で死んでいたのだ。
命を繋いだのはエレナが開発したアンジェラの血で作ったという薬だった。
エレナは治験だと言った。人間で試すのは初めてだと。
このままではどうせ死ぬ。なら試してみましょう。そうエレナは言った。
私は死にたくない気持ちでいっぱいでそれを了承した。
彼女の薬を飲んだ時、身体が熱くなるのを感じた。
みるみる出血は止まり、傷口は塞がった。
そうして私は命を取り留めたのだ。
私に発現した能力は未来予知。
数秒先の未来が見えるのだ。
これは戦闘で大いに役に立った。
銃器を扱う人間にとって動くターゲットを狙うのは熟練の腕でも難しい。
しかし数秒先の未来が見えるならどうだろうか。
ベルの銃の腕は百発百中だった。
こうして私はアンジェラとエレナに命を救われ、充分に戦えるだけの能力も与えられた。
私がアンジェラに仕えるのは恩返しの意味もあるが、もう一つ大きな理由があった。
それは、兄にとってアンジェラは心の平穏を保つには必要不可欠な存在だということだ。
そう、アンジェラは兄と恋人関係にあった。
アンジェラが複数の男と関係を持っているのは知っている。
兄もその複数の男のうちの1人でしかないことも。
それでも兄は納得して関係を結んでいるのだから、それでいいと思う。
それで兄が穏やかに暮らせるなら、なんだってよかった。
兄のためにアンジェラを守る。
それが私の戦う理由だった。

「そんなに似てる?」

「目元が特にそっくりね。この綺麗な髪も瓜二つだわ。」

そう言ってスノウはベルの髪を指で梳く。

「そうかな…。嬉しいけど、ちょっと複雑。」

「どうして?」

「だって、私が妹だってバレるわけにはいかないんだもん。」

「大丈夫よ。いつかきっと、心の傷が癒えたら彼もちゃんと貴女のことを思い出すわ。それまでもう少し頑張りましょう。」

スノウはいつも私がほしい優しい言葉をくれる。
スノウが本当の姉だったらよかったのに。
そんなどうしようもないことを考えてしまう。
兄もいつも優しかった。
泣き虫で引っ込み思案な私をいつも励まし側にいてくれた。
幼い私の手を引く兄の大きな手が好きだった。
怖い夢を見て眠れなくなった時、私が落ち着くまで背中をさすってくれた優しさが好きだった。
私のワガママに困った顔をしてなんとか応えようとしてくれる誠実さが好きだった。
兄が、大好きだった。
今はもう、触れることすらできないけれど。

スノウに促され、食事をテーブルに運ぶ。
一通り並べ終えた後、視えた。
ベルはヘアピンを取り、前髪を下ろして玄関へ向かう。
扉を開けると、そこには今まさにノックをしようとしていたアンジェラがいた。

「驚いた。…視えたのね。」

「はい。どうぞ。」

余計な言葉は交わさずに、アンジェラを家に招き入れる。
彼女との関係は極力隠した方がいい。
なるべく誰にも見られないように、速やかに彼女を室内に入れ鍵を閉める。
彼女は慣れた様子で家に上がり込むとキッチンで洗い物をしているスノウへ声をかけた。

「来ちゃった。」

「…二階で話そうか。ベルは先にご飯食べてて。」

二人は2階へと消えていく。
ベルの部屋で私には話せない秘密の話をするのだろう。
彼女の周りの人間は秘密が多い。それを全て知る必要はない。
自分だって人には言えない秘密を抱えているのだから。
でも、今日はスノウとご飯食べれないなと思うと少し寂しいとベルは思った。


ーーー

スノウとアンジェラは2階へ上がり、スノウの部屋で向き合っていた。

「この数日の記録は全て事実を事細かに伝えたよ。貴女が連日エレナ・シュバルツの元へ出向いてることも、ジャック・スターローンと寝たことも、ノエル・クラークを待ち伏せたことも、焔の家に訪れたことも。」

「じゃあ今日私が貴女に会いに来たことも伝えるの?」

「今日の記録は改竄する。『レイヴン』が貴女と繋がっていると知れたらアダム・ウォードは私の情報を信用しなくなる。今日貴女はベル・リンガルに会いに来た。そこにたまたま居合わせた姉のスノウ・リンガルと共に夕食を楽しむ。そういう筋書きでどう?」

「それなら、最初から全部デタラメを伝えればよかったのに。」

「嘘を付くためには真実を織り交ぜる必要があるわ。真実が多いほど、嘘は疑わしくなくなる。貴女が本当に隠したいのは交友関係のことじゃないでしょう。」

「まぁ、そうね。でも、貴方に調査を依頼したってことは、アダム君はノエル君のことあんまり信用していないのかしら。」

「ノエル・クラークと『レイヴン』の情報に齟齬がないか確認したいんだろうね。真実を見極めるため、異なる情報源を確保するのは普通のことよ。そして、アダム・ウォードはノエル・クラークが貴女の魅了にかかっているのではないかと疑っている可能性がある。」

「やっぱり一筋縄じゃいかないかぁ。アダム君、想像以上に厄介ね。」

「彼はきっとまだ何も知らないのよ。だから、知りたがる。知らないのならいっそ間違った情報で全て上書きしてしまえばいい。そのためのストーリーを用意しておくことね。」

「そういうの苦手なのよねぇ。こっちにはそういう作話が得意な人なんていないし。」

「いっそ作家でも手籠めにしたらどうかしら。創作は最高の嘘のエンターテイメントよ。」

「でも、アダム君が何を掴んだか分からない以上はそのストーリーを作るのも難しいわ。」

「確かに、矛盾が生じれば疑いはより濃くなる…か。引き続きこちらも王の動向を見守るわ。」

「ええ、お願いね。」

「それにしても…。尾行が付いているってわかってるなら男遊びは控えたほうがいいんじゃない?」

「あら。遊んでなんてないわ。私はちゃんと彼らを愛してるつもりよ。それに、私がいないと寂しくて死んじゃう手のかかる子がいるからね。ほっておけないわ。」

「…彼の様子はどう?」

「それなりに今の暮らしが気に入ってるみたいよ。友達もいるし、居心地は悪くなさそう。私にベッタリなのは相変わらずだけど、発作も少なくなってるしだいぶ回復してきてるんじゃないかしら。彼女のことはまだ思い出せないみたいだけど。」

「そう…。彼のことも引き続き頼むわ。ベルのためにね。」

「わかっているわ。ちゃんと彼のことも愛しているわよ。」

ーーー

それから程なくしてアンジェラは帰っていった。
彼女たちの内緒話は思ったよりも短い時間だった。
戻ってきたスノウはいつも通りで、少し冷めたシチューを食べながら二人で談笑した。
今日あった楽しいこと、嬉しかったこと、ちょっと落ち込んだこと。
その一つ一つをスノウは丁寧に聞いてくれて時折相槌を打ったり笑い飛ばしたり、本当の姉妹のように他愛のない話をした。
寝室は別々。おやすみと言い合い二階のそれぞれの部屋に入っていく。
どうか、この穏やかで平和な日常が長く続きますように。
いつしかベルはそう考えるようになった。
そのために銃を持ち、敵を欺くためにわざと子供のように純心で幼稚なフリをする。
アンジェラの秘密を守ることは、アンジェラを守ると同時に兄を守り、自分のこのそれなりに楽しい毎日を守ることでもあった。
何があっても私が守る。
アンジェラも、兄も、スノウも。
そのために私は強くなったのだ。
幼く無力だった私はもういない。
みんなみんな、私が守ってみせる。
そう誓って毎晩眠りに落ちるのだ。

まだ空も暗い午前4時前。
下の部屋からゴソゴソと物音が聞こえた。
なんだろう、こんな時間に。
ベルは気になって物音がした一階へと降りた。

そこには黒尽くめの衣装を身に纏ったスノウがいた。
膝下まであるロングコートに厚底のブーツ、光沢のある手袋を嵌めてフードを被りマスクで顔を隠す。
『レイヴン』と呼ばれるNo.6の姿だ。

「仕事?」

「ああ。ちょっと出てくる。」

「私も付いていこうか?」

「いや危険はない。むしろベルと『レイヴン』が繋がっていることがバレたら厄介だからね。家にいてくれ。」

「王のところに行くのね。」

「すぐ帰るよ。心配しなくても大丈夫。睡眠不足は美肌の大敵なんだから、ベルは寝ちゃいなさい。」

そう言って、スノウはカラスを従えて家を出た。
このところ、アンジェラの周辺は少し騒がしいようだ。
なにかよくないことが起こりそうな気がする。
しかしアンジェラから私への指令はまだない。
彼女から仕事を依頼されれば、何があっても完璧に遂行するつもりだ。
他人を欺くことでも、例え誰かの命を奪うことでも。
私の大好きな人たちを守るためなら、その手段は厭わない。
私がこの平穏を守らなければーーー。



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