その正体

烏屋鳥丸

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35 ブラッドリー

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吸血鬼の男は不適な笑みを浮かべ焔と向き合う。
長年の戦闘経験の積み重ねで、相手と対峙しただけでなんとなく相手の力量がわかる。
焔は、本能的にこの男との力量の差を感じ取っていた。
彼は吸血鬼。それも、かなり上位の類だ。
まともに戦えば勝ち目はないだろう。
しかし、今こだわるべきは勝ち負けじゃない。
この男に悟られずにアンジェラを無事に逃がすこと。
それが、今焔に与えられた役割だった。
どうにかして、この男を撒きたい。

「こんな辺鄙な場所までご苦労なことだね。でも、何度も言うがここに彼女はいないよ。」

「嘘はいけないよ、嘘は。吸血鬼は鼻が効くんだ。」

男はゆっくりと辺りを見渡す。

「うーんそうだなぁ。あの城の…1番天辺。あの部屋かな。彼女の美味しそうな匂いがする。」

焔はグッと奥歯を噛んだ。
男が指差したのは、紛れもなく彼女の部屋だった。

「行かせないよ。彼女は誰のものにもならない!」

焔は短い詠唱の後、指先をパチンと鳴らす。
瞬間、辺りは炎に包まれた。
男をアンジェラの元へと行かせないための、炎の檻。

「へえ。噂通り火の魔術も使うんだね。カグツチの名は伊達じゃないね。でも、そんなもの私には効かない。」

炎に囲まれてもなお、涼しい顔を見せる男。
相手は吸血鬼だ。この程度では足止めにならないことはわかっている。
けれど、アンジェラの居場所がバレてしまった以上、引けない。
少しでもいい。倒せなくてもいい。
この男に致命的なダメージを与えられれば、それでいい。

焔は大きな深呼吸を1つした。
そして、覚悟を決めた。
盾と剣を構え直し、その身に炎を纏う。
長らく隠していた本気の姿。
相手と距離を詰めて剣を振り降ろす。
自分にこの男を倒せないことはわかっている。
腕の1本でも、足の1本でも切り落とせればそれでいい。
少しの時間が稼げればアンジェラを逃がせる。
焔は必死に剣を振り降ろした。
しかし、男は鼻歌交じりにひらりひらりと身を躱す。
手応えが全くない。
まるで暖簾に腕押しそのものだ。

「くっ…ちょこまかと…!」

「息が上がっているよ?年寄りが無茶しない方がいいんじゃないかな?」

吸血鬼は身体能力が高いことは知っていた。
焔の攻撃がスローモーションにでも見えているのだろうか。
ダンスのステップを踏むかのように、男は軽やかに焔の攻撃を避ける。

「五月蝿い!君も逃げてばかりじゃなくて戦ったらどうなんだい?それとも、高貴な吸血鬼様は戦うことを知らないのかな!?」

「ふむ…。それもそうだね。私には君と遊んでいる時間なんてない。遊びはここまでにしようか。」

男は不敵な笑みを浮かべ、右手を焔へと伸ばす。
目に追えないほど素早い動きだった。
その手は焔の肩を捕らえ、あまりにも簡単に焔の身体は吹き飛んだ。

「ぐっ…。」

派手な音を立てて、城壁に打ち付けられる。
受け身も取れずに転がった身体は、全身に鈍い痛みを訴えた。 
後頭部を打ったのか、クラクラと目眩がする。
ジンジンと熱を持つ左肩は、おそらく折れているだろう。

「くそっ…。」

痛みを堪え、ふらつく身体を起こす。
ぶつかった衝撃で口の中が切れたのか、口内に血の味を感じる。
焔はその血を吐き出し、再び剣を取った。
盾を取ろうと手を伸ばそうとしたが、左腕は力が入らずにだらりと垂れる。
圧倒的不利。けれど、焔には引けない理由があった。
この身がどうなろうと構わない。
彼女さえ。彼女さえ守れればそれでいい。
痛みに耐えながら、荒い呼吸で焔は男を睨みつける。
男は呆れたように眉を下げた。

「もう諦めたらどうだい?君はよくやったよ。敵わないことがわかってて、一人で立ち向かってきたんだ。素晴らしい勇ましさだ。君が人間じゃなかったら、ぜひ私の眷属にしたかったところだよ。」

「僕は諦めないさ。引けない理由があるからね。諦めることがあるとしたら…それは僕が死ぬ時だ。」

「人間とは本当に愚かだね。君一人で何ができるんだい?」

「残念だけど、1人じゃないのよねえ。」

突然、よく知った声が響いた。

「エレナ!」

視線を上げると、エレナが城の中からこちらに向かって歩いてくるところだった。

「遅いよ、何をやっていたんだい。」

「アンジェラを森に隠したわ。逃走用の船も用意した。あとはコイツをどうにかするだけよ。」

エレナは小声で耳打ちする。

「…さすが。君のそういう抜け目のないところは本当に尊敬するよ。」

「何よ。急にそんなこと言うなんて、気持ち悪い。」

「頭のいい学者様は単純な褒め言葉も皮肉でも聞こえるのかい?でもまあ、君が来てくれて助かったよ。これで遠慮なく暴れられる!」

「勘違いしないで。貴方の身体はもう限界が近いのよ。ちゃんと頭を使って戦いなさい。…怪我は?」

「左肩が折れてる。すぐ治してくれ!」

「仕方ないわね。」

焔の肩へエレナは手を翳す。
眩い光と暖かさを感じると同時に、先ほどまでの痛みが嘘のように無くなり、折れていた肩は元通り回復した。
焔は左手を曲げたり伸ばしたりして状態を確認する。

「さすが。神の手は健在だね。」

「馬鹿言ってないで、早くあの男をどうにかするわよ。」 
 
エレナは周りの状況を改めて確認する。
敵の男は1人。焔程の実力者が手も足も出ない相手だ。おそらく人間ではない。赤い瞳と人を惹きつける整った容姿。闇夜に紛れて奇襲をかけてきたことを考えれば、相手は悪魔族か吸血鬼。おそらく後者だろう。それもかなり上位の存在。ならば普通の攻撃は効かないと考えたほうがいい。
辺りは焔が放った炎が燃え盛る。
城の戦士達は他の戦場へ向かったのか誰もいない。
市民の避難誘導も済んでいるのか、辺りに人の気配はなかった。
風は北から南へと吹いている。風速3mといったところか。それなりの風だ。天候はカラリとした湿度の低い晴れ。

「アイツを風下へ誘導して。南よ。」

「どうしてだい?」

「貴方に説明しても無駄だから、とにかく言うことを聞いて。風下に誘導したら合図をするから火を放って。」

「…わかったよ。せいぜい僕を上手く使いこなしてもらおうか。」

焔は男に向き直る。
正面から剣を振り降ろせば、男はヒラリヒラリとバックステップで躱す。
当たらなくていい。エレナの言う通りに風下へ誘導するだけ。
男はこちらの意図を知らず、いとも簡単に風下へと誘われてくれた。

「今よ!」

エレナが短く叫ぶのと同時に、男に向かって火を放つ。
男は驚く様子もなく3歩下がってその炎を避けた。
焔と男の間に燃え盛る炎。
エレナはその炎の中へボンベのようなものを数本投げ入れた。
たちまちボンッという音とともに、大爆発が起きる。
身を焦がすような熱風と、嫌な匂いの煙が辺りに充満する。
その煙は風に乗って、男を包み込む。

「この程度で私が倒せるとでも?目眩ましにしかならないよ。」

「問題よ。私は今何を投げ入れたでしょうか?」

「…ガスか何かかな?」

「正解。答えは一酸化炭素よ。可燃性のガスだからよく燃えたでしょう?」

「それが何か?炎なんて私には効かない。」

「2つ目の問題よ。炎が燃えると酸素が減り、代わりに何が発生するでしょうか?」

風に煽られてゆっくりと煙が晴れていく。

「うっ…。なんだ…急に目眩が…。頭が…。」

頭を押さえ、男はガクンと地面に膝をついた。

「正解は二酸化炭素。一酸化炭素と同じく中毒症状を起こす気体よ。いくらその身体が強くても、内側から攻められたらどうでしょうね?二酸化炭素中毒の症状は呼吸困難、目眩、頭痛。最悪の場合、死に至るわ。」

「…下賤な人間風情が…!調子に乗って…っ!」

「こんな簡単な罠に引っかかるなんて、吸血鬼って本当に知能が低いのね。」

「驚いた。君、本当に頭がいいんだね。」

「馬鹿にしないで。この程度、私の生まれた国では子供でも知ってることよ。それより、今がチャンスよ。」

「ああ、わかってる!」

焔は男に向かって駆け出す。
相手が弱っている。このチャンスを無駄にはできない。
炎を纏った剣で男の身を裂く。
斬撃は男の肩から胸を捕らえた。
血の代わりに煙のようなものが噴き出す。

「うっ…!」

よかった。ダメージは通るみたいだ。
焔はすかさず次の攻撃を仕掛ける。
どんな生き物でも、心臓を貫かれたら生きてはいけない。
焔は迷うことなく心臓に剣を突き刺した。
男は叫び声を上げると共に、頭を垂れる。
まだだ。まだ終わりじゃない。
心臓を捕らえていた剣を抜き、そのもう少し高い位置を狙う。首だ。首さえ落とせば勝てる。
首に向かって振りかざそうとしたところ、その切っ先を男が指先で捕らえる。

「…あまり調子に乗るなよ、人間。」

その声には怒気を含んでいた。
まずい、と思った時にはもう遅かった。
男の長い爪は焔の胸を貫く。
その、爪が心臓を貫通したことを焔は本能で感じ取った。
男は怒りに任せて焔の身体を蹴り上げる。
その身は宙を浮き、吹き飛ばされ、無様にもゴロゴロと地面を転がった。
全身が痛い。心臓が熱い。息ができない。
これはダメだ。死んでしまう。そう焔は悟った。
霞む視界でエレナを探せば、エレナは真っ青な顔で駆け寄ってきた。
すぐさま彼女の手から眩い光が当てられる。
しかし、この痛みも苦しさも消えることはなかった。

「くっ…治癒術が効かない…!だから言ったじゃない…この馬鹿!」

エレナは焦りからか唇を噛む。
エレナの悪態に何か言ってやろうかと思ったが、荒い呼吸を繰り返すことで精一杯のこの口は、言葉すら紡ぐ事は出来なかった。
エレナは眉間にシワを寄せて、懐を漁る。
取り出したのは、白い錠剤が入った瓶だった。
それは、アンジェラの血液から作られた薬だ。
一度だけ致命傷から復活できる奇跡の薬。

「最後のチャンスよ。次はないわ。…わかってるわね?」

言い聞かせるように、エレナはゆっくりと言葉に紡ぐ。
焔は自由の効かない身体でゆっくりと頷いた。
錠剤が焔の口へ入れられる。
焔は錠剤を噛み砕き、飲み込んだ。



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