僕は彼女の代わりじゃない! 最後は二人の絆に口付けを

市之川めい

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疑惑

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 おそらく宰相がいなくなるのを待っていたのだろう。
 
「オルド、何か他に報告したいことがあるのだな」
 
 オルドはゆっくりと頷いた。
 
「命令に背いて残ったことは咎めない。話してくれ」
 
 だがギルバートに促されてもオルドはなかなか口を開かず、視線を少しだけバジルの方に逸らした。それに気付いたギルバートが問う。
 
「話したいことは――宰相と植物園絡みか?」
 
 オルドが少し驚いたのが分かった。
 
「はい」
「ガードンは昔から王宮庭園の管理をしていて信頼できる。構わない、話せ」 
「では……僭越ながら申し上げます。アルフ――今回の調査に同行したガードン植物園の使用人について気になる点がございます。調査隊を編成した際の書類では、マルフォニアの地方出身と記載されていました。ですが、ダリス滞在中に現地の者らしき人物と人目を忍んで接触していたのを何度か目撃しております。その内一回は何とか会話を聞き取れる位置まで近づけたのですが……大変流暢なダリス語でありました。ただ、内容自体は特に怪しいものではなく、世間話のようなものではありました」
 
 両国は隣同士だが使われている言語はあまり似ておらず、頻繁に行き来している商人たちですら最低限の会話しかできぬ者も多く、込み入ったやり取りには通訳が必要となる。
 もちろん母親がダリス出身のギルバートは日常会話程度であれば問題なく話せるし、今回の調査隊隊長のオルドも母はマルフォニア生まれだがその両親はダリス人で、幼い頃からオルドの家族と彼らは一緒に暮らしていたため両方の言葉が使える。
 マルフォニア人にとって覚えるのが難しいと言われているダリス語。バジルの母親も子供時代に数年住んでいたがあまり上手くならなかったと言っていた。訛りがなく流暢な会話を話せるとすればダリス王国に来歴があると思うのが自然である。
 
「ガードン、知っていたのか?」
「いえ……たしかアルフは南の町の生まれとしか……ダリス語を話せるとは聞いておりませんし、滞在中も話しているのを見ませんでした」
 
 王太子が座っているソファの脇に姿勢良く立っているジェームズがバジルの方を向く。この瞬間、バジルは初めてジェームズの顔をはっきりと見た。こちらを向いている明るい琥珀色の瞳に、バジルはハリー先生かと一瞬錯覚する。 
「町の名前は分かりますか」
 
 ジェームズの質問には、オルドが答えた。
 
「調査隊に提出された身分証にはカシャと」
「カシャはシャーディル侯爵領でありますね」
 
 会話は目の前でされているが、バジルには全く理解できない世界の話だ。
 
「それで宰相に疑問を? 簡単に結びつけていないか」
 
 オルドが自分を落ち着かせるかのように深く息を吐いた。
 
「先に気になったのは別の点です。実は調査隊編成の命令を宰相から受けた際、人選については私に一任されるとの話でしたので、このバジル君の他に、ニックという平民街の南方面にあるハリー医師がやっている診療所で働く医者見習いを考えておりました」
 
 知っている名が出てきてバジルは少し驚いた。ハリー先生の所で奮闘しているニックとは家と歳が近いため昔からの友達だ。
 同じくその診療所を知っているギルバートとジェームズだが、王太子と侍従が平民の診療所に縁があることなど、おくびにも出さない。 
 オルドが続ける。
 
「ニックを選んだ理由ですが、すでに縞草しまくさに有害性のある成分が含まれていると噂で耳にしておりましたので。軍事宮務めの医者にしなかったのは人員不足で数ヶ月間不在にさせられなかったのもありますが、現地での状況を鑑みるに、普段から平民街の――言い方が少し悪いですが、気性の荒い患者もいる診療所での経験を積んでいる彼が見習いではありますが、若くて体力もあり、適任だと。また、今回の一連の騒動は権力を持った者が絡んでいると思い、貴族と接点がない平民でしたら情報漏洩の可能性が減らせると考えました」
 
 ギルバートとジェームズは瞠目した。
 オルドのことは以前から知っており信任のおける軍人だが、思っていたより物事を良く見ている。
 
「ですが、その案をリュート宰相が却下しました。疑問に感じたのは、ニックが不適任という理由ではなく、アルフを隊に入れることを強硬した点です。さすがに名指しではなく曖昧にしておりましたが、アルフ以外に当てはまる者はおりませんでした。何となくその時の宰相の態度に違和感を覚えましたので、気になって彼の動向を注視していたところ、何回かの密会を目撃いたしました」
 
 ギルバートが唸る。
 
「シャーディル領出身みたいだが、二人は以前から知り合いなのか。ガードン、アルフとはどんな人物だ?」 
「アルフは……四十くらいの男で、家族も植物の仕事をしていたと。だけど全部失って放浪して……数年前からうちの植物園で働いています」
「なぜ全て失ったのでしょうか」
 
 ジェームズが尋ねる。侍従である彼は平民に対しても言葉使いが丁寧だと感心する。王太子の御前だからか生来の性格か。
 
「それは聞いていません。だけど、アルフは真面目でいつも夜遅くまで植物園に残って作業してるし、王宮庭園管理の時も重い荷物持って歩く必要があるから他の使用人が大変だって、自分から進んで行きます」
 
 バジルは雇い主側だが使用人たちと共に働き、家族が暮らしている住居内の一部を住み込みの使用人に割り当てている。平民なので身分の意識もなく、大家族のような関係性だ。両親の植物園ために精励してくれる使用人をバジルは自然と庇う。
 だがギルバートの思考は、すでにひとつの推測を導き出している。
 
「それが全て計画の内だとしたら?」
 
 三人の男たちが息を呑み沈黙する。続きを待つが、ギルバートは何やら考えている様子だ。後ろを振り返りジェームズに耳打ちをし、すぐにジェームズが部屋から出て行った。

 
 ――気まずい……
 
 重い空気が部屋を支配していたが、やがて扉が開いてその沈黙を破った。だが先ほどのジェームズではなく、入室したのは年配の侍女だった。慣れた手つきで素早く五人分の茶の用意をしている。
 バジルは、ローレルが栽培していたこともあり茶の種類に関しては人より少し詳しいが、食器や茶碗などには全く興味がない。だがそのバジルでも、今この侍女が扱っている紅茶茶碗は相当貴重で高価なものだというのが見て取れた。
 それはフィルという王族がこの場にいるからなのか、それとも王宮で使用している食器は全てこのような水準のものなのか、バジルには想像もつかなかった。

 茶を淹れ終えた侍女が退出したと同時に再度扉が開き、ジェームズが誰かを伴って戻ってきた。
 背が高く、輝くような金髪に緑色の瞳、平民街ではまず見かけられないほど素晴らしく容姿の整った青年だ。全体的に細身だが鍛えているのが分かる。軍人みたいだが優雅で気品あふれる雰囲気で、バジルはこの人も王族か高位貴族なのだろうと想像した。

 
 二人がギルバートに近付くと、ギルバートはオルドの方に顔を向けた。
 
「では――まず初めにパーシー・オルド大佐」
「はい」
 
 オルドが敬礼すると同時に返事をした。
 
「我が国マルフォニア王国、そして王太子――国王代理である私に忠誠を誓えるか」
「私はマルフォニア王国の軍人であり、この国とギルバート王太子殿下にこの身を捧げております」
 
 普段優しく物腰の柔らかいオルド隊長も、国王軍に所属している歴とした軍人で伯爵家出身だ。力強くぶれない声ではっきりと宣言すると、ギルバートがゆっくり頷いた。

 そして次にギルバートは、真剣な眼差しで眉目秀麗の青年を見た。
 
「マシュー・リュート中佐」
 
 ギルバートが言い、そこでやっとバジルはリュートという名前をどこで聞いたのか思い出した。あの時植物園で倒れたためハリー先生の診療所へ連れて行ったが、服装や雰囲気が違うため気が付かなかったのだ。
 
 ――でもあれ? さっきの話の流れ……ということは……
 
「貴殿に対しても問いたい。忠誠心は血よりも重いか」
 
 男たちは窺うような目をマシューに向けている。
 一方、先ほどいなかったマシューは、なぜこのように訊かれているのか真意を測りかねているだろうとバジルは心の中で気になった。
 だがやはりマシューはこの国の軍人で、オルド隊長と同じように偽りのみえない声で問いに答えた。
 
「私は――偽りなく王太子殿下に忠誠心を示します」
 
 ギルバートは念を押すようにマシューを見つめる。だがそれ以上は何も訊かず、ギルバートは表情を緩めると、先ほどまで宰相がいたソファにマシューを座らせ、自分の右側のソファにはジェームズ、そしてバジルはオルドの横に腰を掛けるように促した。 
 バジルは咄嗟に断ったが、ギルバートは優しいが有無を言わさぬ態度で平民であるバジルを座らせた。
 勘が良く、ギルバートが平民街へ通う手助けをしたこともあるジェームズはすでに気が付いているのか心情を表に出さないだけかは不明だが、特に何も気にしていないようだ。
 一方のオルドは合理的で冷静と噂される王太子と現在まで最低限の関わりしか持っていない。もちろんオルド自身は血統主義では全くないが、それでもこの王太子が平民に対してしている異例ともいえる態度に驚きを隠せない様子が若干だが感じられた。

 重く張り詰めた空気が充満している室内で、丁度よく蒸された頃合を見計らいジェームズがお茶を注いでいく。濃いめに淹れられた熱い茶が乾いた喉を潤し、まだ終わりそうにない話し合いの前に、張り詰めていた身体をほんの少しほぐしてくれた。

 それでもバジルは、掃除が完璧に行き届き塵一つなく、至る所まで装飾が施されているこの執務室に王太子と貴族たちと共にいる自分を、とてつもなく場違いだと思う感情は消せそうになかった。

 だが無礼だと思いつつも顔を少し上げると、フィルがあの濃い青い瞳にバジルを温かく写し、昔と変わらない幼馴染のお兄ちゃんフィルとして微笑んだ。 
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