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視える後輩看護師の話⑧
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一週間後、桃太と結城は穏やかな秋の日差しの中、目的地へ続く道をともに歩いていた。静かな住宅街だ。街路に並んだ落葉樹は、既にその葉の色を秋の装いへと変え始めている。
桃太は隣に並ぶ結城をそっと見た。いつもに増して仏頂面ではあるが、人目を引く容姿であることには変わりない。今日は桃太の服ではなく、薄手の黒いニットに同じく黒のテーパードパンツを履いている。平日の午後というあまり人通りの無い道すがらでさえ、通り過ぎてゆく人々は必ずと言っていい程結城をちらちらと目で追っていた。しかし結城は人の視線を全く気にも留めていない。人から注目されることに慣れており、尚且つ外見に全く重きを置いていないのだ。襟元から覗く白い首筋は痣ひとつない。桃太の手料理で栄養状態は良いはずだが、その肌は相変わらず血色不良であった。
「……桃太さん?俺の首に何か付いてますか?」
他人の視線は意に介さない癖に桃太のそれには目敏く気づいた様子で、結城は少し首を傾げる。
「……いや、悪い。何でもない」
「……そうですか?」
この一週間、結城との同居生活は続いていたが、特に二人の間に何かがあったという訳でもない。最初の生霊の『障り』を受けてから、桃太は結城がいない時に何度か夢を見た。夢の内容はいつも同じような内容だったが、最初の時のように高熱が出ることはなく僅かな倦怠感が残る程度で済んだ。桃太が思うに、それは結城がいつも自分の痕跡を桃太に残すようになったからだ。結城は生霊が結城不在の時に現れるのだと考え、それならば自分の存在を示すものを残してはどうか、と桃太に提案した。もう『汚す』『穢れ』などの言葉を使うことが無くなりホッとしていたが、その結果がこれだった。服の上からは見えない位置に付けられる痕。必要に迫られたとは言え桃太は毎回憤死しそうな思いでそれに耐えた。結城は「唇にしてませんし」と言うが、これは世間一般ではキスマークと呼ぶ代物ではないのか。今も桃太の左の鎖骨の辺りに、昨夜結城が吸った痕が残っている。桃太は無意識にその場所に触れてしまったことに気づき、これは自分の身の安全を守るために必要なことだ、と感情的な意識を振り払った。
「桃太さん、もう直ぐじゃないですか?」
結城はスマートフォンのマップアプリを見ながら、桃太に問いかけた。
桃太の夢の中に何度も現れた女性。桃太は確かに見覚えがあった。恐らく彼女だ。
「ああ……」
閑静な住宅地の中に、その店はこぢんまりと建っていた。一階が店舗で二階が居住スペースの極ありふれた外観の和菓子屋だ。桃太は数年前に一度だけその店を訪れたことがある。その頃よりやや裏寂しさが漂っている気がするのは、桃太の思い過ごしだけではないだろう。ショーケースには黄金色の餡が掛かったみたらし団子や、ふっくらとした小豆餡のおはぎが並んでいる。店先から中を覗くと、薄暗い室内には誰もいないように見えた。
結城が心配そうに桃太の顔を見ている気配がする。桃太はもう一度左の鎖骨辺りに触れ、正面を見据えたまま頷いた。
「……すみません」
少し大きめの声で奥に呼び掛けると、奥の方から妙齢の女性の声がする。パタパタと店に出てきたのは、60代位の女性だった。
「あら、もしかして看護師の……田中さん?」
「ご無沙汰しています」
女性は驚いた顔をしたが、すぐに柔らかい笑顔を浮かべる。桃太は彼女に結城を同僚だと紹介し、今日この場所を訪れた目的を果たすためにあることを尋ねた。
「優香さんはお元気ですか?」
優香の名前を口にした時、目の前の女性の笑顔は僅かに歪んだように見えた。しかしすぐに柔和な表情に戻る。
「優香はしばらく入院していたんですが、昨日退院したんですよ。今日はちょっと調子が良くて、散歩に……」
「……田中さん?」
声がした方を向くと、店の数メートル先に一人の若い女性が立っていた。淡い若草色のカーディガンを羽織り、ネイビーのジーンズを履いたラフな格好だ。記憶の中よりも一回り小さくなった志田優香がそこにいた。
「……志田さん」
「田中さん。お久しぶりです」
笑顔で桃太の目の前まで駆けて来た優香は、かなり息が上がっていた。明るい笑顔は以前と変わらないが、近づくとかなり痩せていることが分かる。健康的だった肌も乾燥しカサついていた。
「優香、走っちゃ駄目でしょう」
「大丈夫。今日は本当に調子が良いの」
店先に立つ女性、優香の母は娘を嗜めたが、当の優香はどこ吹く風だ。母親に向かって微笑んで答える。
「それより、田中さんどうしたんですか?お買い物?」
優香は桃太の隣に並んだ結城の方をチラリと見る。結城は無言で優香を見ていた。
「ああ、久しぶりに志田さんのところの和菓子が食べたくなって。あ、こっちは同僚の結城です。大の和菓子好きなんですよ」
「そうなんですね、嬉しいです」
結城は少し頭を下げて「どうも」と言った。今日は愛想笑いも封印しているようで、ずっと仏頂面である。
「志田さん。久しぶりに会えたし、もし時間が大丈夫だったらちょっとお話しませんか?体調はどうですか?」
「私は大丈夫です。お母さん、いいでしょう?」
優香から問われた母親は「奥の部屋を使いなさい」と笑顔で頷いた。
かくして桃太と結城は店舗奥の応接室と思しき場所へ案内され、並んでソファに座った。小さな卓を挟み、桃太と結城の前に優香が座る。湯気が立ち上る湯呑みがそれぞれの前に置かれ、緑茶の良い香りが室内に漂った。
「まさか田中さんとまた会えるなんて、思ってもなかったです」
「本当に久しぶりですね」
志田優香は、三年前に桃太が担当した患者だった。年齢が近いこともあり、桃太も彼女のことはよく覚えている。結腸がんのステージIIで、手術ではリンパ郭清まで行われたはずだ。三年前はまだ26歳だった。
「お母さんから聞いたんですが、昨日まで入院していたんですか?」
「はい。実は、がんが再発してしまって……このままだと手術が出来ないので、がんを小さくするために化学療法を受けているんです」
優香の白いシャツの上から、鎖骨の下あたりに円形の盛り上がりが見えた。恐らく、化学療法のためにCVポートを留置しているのだろう。CVポートとは、皮下埋め込み型中心静脈アクセスポートのことである。ポートのシリコンゴムに針を刺し、そこから薬液……主に抗がん剤や高カロリー輸液が投与される。末梢の静脈だと抗がん剤の血管外漏出のリスクが高く、PICCカテーテル(末梢留置型中心静脈カテーテル)は管理が難しい。そのため繰り返し化学療法を行う患者はポートを留置していることが多いのだった。
「担当の高知先生が今は市民病院にいらっしゃるので、私もそこで治療を受けています」
優香の担当医は今年の一月に桃太が勤務する病院を辞め、今は市民病院で働いていると聞いていた。優香も担当医に付いて行ったのだろう。
「そうだったんですね」
優香は緩く頷き、桃太を見た。その目線は複雑な感情を湛えているように思える。
「……二日間の治療だったんですけど、副作用が強くて。治療が終わった後も暫く点滴を受けていたんです」
優香は気丈に微笑むが、痩せ細った体とやや落ち窪んだ瞳からその壮絶さは窺い知れた。思案するように視線を揺らした後、ゆっくりとした口調で続ける。
「……副作用で辛かった時、私何だか無性に……、田中さんに会いたかったんですよ」
優香の真摯な表情に、桃太は言いようの無さを感じた。何と言葉にすべきか、頭の中では様々な感情が渦巻いているが上手く言語化が出来ない。
優香の担当になったのは、ちょうど桃太が今の病院に転職して間もない頃だった。以前の職場は内科病棟であったため、周手術期看護の経験がほぼ無かった桃太は日々奮闘していた。そんな中、優香の大腸がん開腹手術の術前、術後の看護に携わったのである。
「三年前、初めて手術を受けた時。田中さんの優しさと笑顔に凄く救われました。手術が終わった後、『志田さん、お疲れ様でした。手術終わったよ』って、田中さんが自分のことのように安心した表情で言ってくれたことを今も覚えています」
「志田さん……」
桃太は当時のことを思い出し、胸の底が熱くなるような気がした。外科病棟はがんの検査から看取りまでを行う。優香の担当になった頃は上手く立ち回ることが出来ず、後悔をしたこともあった。
「本当に会いに来てくださって、心から嬉しいです」
優香はそう言って微笑む。結城は一言も喋らず、桃太と優香の会話を聴いていた。結城には今、何が視えているのだろうか。
「うん。志田さん。僕の方こそ本当に……、今日会えて良かった」
優香は大きく頷き、桃太は優香の手を握った。冷たくて細い指だ。今目の前の優香からは何の邪気も感じない。それは桃太に結城のような特殊能力が無いからかもしれないが、彼女は純粋な思いから桃太との再会を望んでいたのだろう。
帰り際、桃太はみたらし団子を二本と草餅を二個買った。
「田中さんに会って元気が出ました。またいつでもお団子買いに来てくださいね。結城さんも一緒に」
優香はそう言って団子が入った包みを結城に手渡す。結城は不思議そうにその手を見つめていたが、頭を軽く下げそれを受け取った。
「ではまた来ます」
「お気をつけて」
志田親子に見送られ、桃太と結城は和菓子屋を後にした。すっかり夕方の風景となった住宅地に、やわらかな西陽が注ぐ。並んだ二人の影が歩道に長く伸びていた。その陰を目で追いながら、終始言葉数が少なかった結城がようやく口を開く。
「……桃太さんが生霊の本体に会うと言った時、俺は反対しましたよね」
生霊の正体が分かった後、桃太は実際に会ってみようと決意し結城にそう告げた。しかし結城はそんな危険なことはさせられないと猛反対したのだ。
「俺は彼女が俺に会いたがってると分かったんだ。だから会いに行こうと思った」
桃太は夢の中でぼんやりとだが、あの苦痛が何に由来するものかは分かっていた。恐らくがんの再発か転移かが原因で、彼女が抗がん剤の治療を受けていることも。会って何か力になれるどうかも分からなかったが、生霊になってまで桃太に接触をして来たのだ。どうにかしてその願いを叶えたいと思った。
「もし万が一、何かあったらどうするつもりだったんですか?」
結城は枯渇した魂がどんなに貪欲かを知っている。希求するほど手に入れたいものがすぐそばにあるならば、無理矢理にでもその手に掴もうとするはずだ。結果、手に入れたものが自分の腕の中で汚れ壊れてしまうことになろうとも、瞬間の欲には抗えない。
「……結城がいなかったら、俺だって会いに来ようとは思わなかったよ」
そう呟いた桃太は前を向いている。地面に映る影ではなく、その先に伸びる道だ。桃太は照れくさそうに鼻の頭を掻きながら笑った。
「ありがとうな」
足を止めて向き直ると、同じく結城もその場に立ち止まった。傾きかけた日差しが結城の顔に淡く陰影を作っている。どこか苦々しい表情に、桃太は既視感を覚えた。
「……俺は何も……ただ付いて来ただけです」
「結城」
桃太は軽く溜め息を吐いた。いつもこうだ。どうしてこんなにこいつは自己肯定感が低いのだ。桃太は半ば呆れて両肩を下げる。相対し、目の前の結城は伺うように桃太を見ていた。結城は自分を卑下する上に、感受性も恐ろしく鈍いし共感性も乏しい。対外的には社交的である反面、自分の世界の中で生きていると言える。桃太はここ最近の濃密過ぎる付き合いで、結城には言葉にしても本意が上手く伝わらないことの方が多いのだと理解していた。
「いい加減、俺がお前を信頼していると言うことを分かってくれ。でないと俺の……結城に対する全ての感情が、お前自身に否定されているみたいに思えて辛い」
「桃太さん、それは……」
「結城、俺の言葉をそのまま受け止めることはそんなに難しいか?」
なおも言い募ろうとする結城の言葉を遮るように、桃太が続けた。結城は明らかに困惑している。拗らせていた期間が長すぎたせいで、他人の言葉を額面通りに受け取ることが出来ないのだ。桃太は自分の根気強さを心の中でひとり賞賛した。最終手段として、今の混沌とした内情を打ち明けるしかないのか。自分でさえも整理が追いついていないのに。
桃太は徐ろに結城の両腕を掴むと、その手に力を込めた。柄にもなく緊張をしているようだ。
「正直、お前は俺にとって後輩以上の存在だ」
「え?」
案の定、結城はさらに眉根を寄せた。桃太はこれほどまでに言葉を紡ぐことが難しいと感じたことは無い。
「俺は、結城を可愛いと思っている……」
言葉にしてみると、こんなにも滑稽な響きになるものだろうか。桃太は消え入りそうな語尾を噛み締め、大きく脱力した。桃太たちの横を、下校途中の無邪気な小学生たちが通り過ぎていく。男二人が向かい合い、微動だにしない姿との対比がシュールである。どれくらい経過しただろうか。それが例え数秒だったとしても、桃太には悠久の時に感じられた。居た堪れなくなり、桃太は俯いたまま結城の腕を揺すった。
「……何かリアクションを取ってくれ」
「桃太さん……」
結城が微かに微笑んだような気配がし、桃太は顔を上げた。そこにはいつものように三白眼で桃太を見つめる結城がいる。
「桃太さんは、やっぱり俺のことをポメラニアンだと認識しているんですね」
「……」
だからどこの世界線にこんなに仏頂面のポメラニアンがいるんだよ……。愛くるしい小型犬の結城を想像してみたが、絵面がギャグでしかない。
桃太はさらに項垂れ膝が崩れ落ちそうになったが、結城がその肩をそっと支えた。桃太の体を引き上げその場に立たせると、両手を取る。
「俺は、桃太さんの言葉をそのまま受け取っていいんですよね?」
「……ああ」
桃太は目の前の少し柔らかくなった表情の結城を見て、どう解釈したにしろ結城が自身を前向きに捉えることが出来たのならもうそれでいいと思った。ポメだろうが何だろうが、桃太が結城のことを『可愛い』と思っていることが伝わったのなら。
嬉しそうな様子の結城は、桃太と並ぶと再び歩き出した。相変わらず表情が乏しいが、これが結城の『嬉しそうな様子』であるのは桃太には分かる。結城の手には団子が入った袋が下げられていた。桃太はふとそれに目を止める。
「今日、結城から視て志田さんの様子はどうだった?」
「……同じでした」
「同じ?」
「桃太さんのところに来ていたのは、彼女で間違いありません。同じ痕跡がありました」
「そうか」
確信はしていたものの、解答を突きつけられると遣る瀬無さが鈍く襲いかかる。たった二週間ほどの関わりであったが、志田優香の心の拠り所が当時の桃太との記憶だったのだ。
桃太はポツリと尋ねた。
「……なぁ、やっぱり俺の魂がどうとかって今回のことと関係あるのか?」
結城は歩きながら顔を横に向ける。駅まではあと十分足らずの距離だ。初秋の昼間の時間は短く、もう間も無く逢魔が時を迎えようとしている。ガードレールの向こう側は崖になっていて、高い建物も無く空が一面に見えた。薄いグラデーションを描く空の下の方には、宵の明星が輝いている。
「もちろんそれもあると思いますが、それだけじゃ無いです」
「どういうことだ?」
「……今回、彼女に会ってそれが分かりました。俺も志田さんと同じで、桃太さんに救われていますから」
結城はそう言って笑うともう一度前を向いた。それ以上言葉にする気が無いのか、黙々と歩き続ける。桃太は肝心なことを聞くことが出来ず、つい拗ねたような口調で結城に食い下がった。そのまま夕闇に溶けていきそうな心許ない腕を掴む。
「だから、それがどういうことか知りたいんだけど」
結城は桃太の行動に少し驚いたようだが、軽く溜め息を吐くとその腕を掴んで手のひらに指を絡ませた。駅はもう目前だ。無人駅だが、学生の姿もまばらに見える。
「手を繋いで帰りましょうか」
「は?」
「可愛い俺のささやかなお願いです。いいでしょう?」
かなり昔に流行った某CMばりにウルウルと見つめてきた結城に、桃太は絶句するしか無かった。そういえばあのCMはチワワだったか、とぼんやりと思ったが、はぐらかそうとしているのが分かり渋面になる。結城はそんな桃太の顔を見て、ウルウル顔のままぷっと吹き出した。
「桃太さん、暫くの間我慢してください。実はまだ少しだけ、彼女の思念が付いてきてるんです。多分これに」
そう言って結城は反対の手に持った団子の袋を持ち上げた。それを聞いて桃太の顔が青ざめる。『生きている生身の人間』ならば怖さは感じなかった。例えその正体が分かっていたとしても、目に視えないものの存在は須く桃田にとって恐怖の対象となる。
「かなり弱い思念なので俺もここに来るまで気づかなかったんですが、どうやら『駅』に帰るというイメージがあるようですね。ほんの少しだけ、引き留めたい気持ちがあったんでしょう」
「大丈夫なのか?」
「多分」
「多分って……」
「だから手を繋いで帰るんです。桃田さんはこんな往来で俺にキスされたいんですか?」
「……」
結城の言葉で全身瞬く間に熱くなった桃太は、もはや無言で結城に従うしか無かった。
「家に着いたら、二人でこの団子を美味しくいただきましょう。そうすれば、彼女も納得するはずです」
「……?」
納得と言う言葉に少しばかり違和感を覚えたが、桃太は一刻でも早くこの恥ずかしい状況から逃れたくて結城と一緒に電車に飛び乗る。幸い帰宅ラッシュの電車内は混雑しており、誰も桃太と結城の手に目を向ける者はいなかった。いや、結城の顔をチラチラ見ている女子高生はいたが。
桃太のアパートに到着した頃には、日もとっぷりと暮れていた。桃太と結城は買ってきた団子を全て平らげると、お互い示し合わせたように顔を見る。
「……旨かったな」
「はい。俺は甘いものが好きなので、また食べたいです」
「じゃ、また一緒に買いに行こう」
「ぜひ」
静かな室内は何の変化もない。桃太の胸は煩いくらい拍動していたが、テーブルの向かいに座る結城は落ち着いていた。
「これで終わったのか……?」
「人間の執着に終わりはありません。彼女が納得し、一旦落ち着いたと言うだけです」
「……マジか」
終わりはない、のか。
桃太はへなへなと机に突っ伏すと、気の抜けたような声を出した。しかし結城は桃太に過酷な未来予想を容赦なく突き付ける。
「それに、これから先も別の事案で同じようなことが起こる可能性大です」
「え!?」
「桃太さん、無自覚ですから」
無自覚と言われても、生まれもった魂レベルの話ならば桃太にはどうしようもない。悪い霊とは無縁と言えど、生霊による霊障を毎度受けるとなるとかなり負担が掛かるし、何より視えない何かが自分に付いていることが恐ろしい。
「……俺はこれから先、一体どうやって生きていけばいいんだよ……」
桃太は机に額を擦り付けたまま頭を振ると、そのまま動かなくなった。自分のこの名前と魂とやらが恨めしい。これまで少し怖がりなだけで、何の特異性も無く普通に生きて来た。なのにどうしてこんなことになってしまったのだろう。
「もう、一生俺と一緒にいるしかないですね」
不穏な言葉を耳にして、桃太は勢い良く顔を上げた。結城は三白眼を細めて笑っている。
「プロポーズかよ」
「そう捉えてもらっても構いません」
涼しげな顔の結城は、桃太の頭を引き寄せゆっくりとその唇に口付けた。また勝手にキスをされたことに桃太は納得がいかなかったが、あまりにも優しいその感触にそのまま押し黙る。触れていたのはほんの数秒。まるで厳かな儀式のようだった。
「……最後のひと押しでした。これで本当に分かってもらえたと思います」
唇を離した後、結城はそう言って軽く息を吐いた。肩の力が抜けたように眉尻を下げると、桃太の頬を名残惜し気に撫でる。
「また了承も得ずにキスをしてしまってすみません」
「……別にいいけど」
桃太は結城が喜ぶより先に「彼女に納得してもらうためだろ」と付け加えた。『納得』が何に対してのことなのかは分からないし、このキスに何の効果があったのかも不明だが、触れた箇所はまだ僅かに温もりが残っている。桃太は何とも言えないもどかしさを感じながら立ち上がると、キッチンに向かった。まただ。最近どうも自分の感情を名状し難い。こう言う時は美味しいものを食べるに限る。
「腹も減ったし、何か作るかな」
腕まくりをしながら冷蔵庫のドアを開ける桃太を、結城はいつもの三白眼で見つめていた。真っ白な耳の端を、ほんのりと赤く色づかせながら。
続
桃太は隣に並ぶ結城をそっと見た。いつもに増して仏頂面ではあるが、人目を引く容姿であることには変わりない。今日は桃太の服ではなく、薄手の黒いニットに同じく黒のテーパードパンツを履いている。平日の午後というあまり人通りの無い道すがらでさえ、通り過ぎてゆく人々は必ずと言っていい程結城をちらちらと目で追っていた。しかし結城は人の視線を全く気にも留めていない。人から注目されることに慣れており、尚且つ外見に全く重きを置いていないのだ。襟元から覗く白い首筋は痣ひとつない。桃太の手料理で栄養状態は良いはずだが、その肌は相変わらず血色不良であった。
「……桃太さん?俺の首に何か付いてますか?」
他人の視線は意に介さない癖に桃太のそれには目敏く気づいた様子で、結城は少し首を傾げる。
「……いや、悪い。何でもない」
「……そうですか?」
この一週間、結城との同居生活は続いていたが、特に二人の間に何かがあったという訳でもない。最初の生霊の『障り』を受けてから、桃太は結城がいない時に何度か夢を見た。夢の内容はいつも同じような内容だったが、最初の時のように高熱が出ることはなく僅かな倦怠感が残る程度で済んだ。桃太が思うに、それは結城がいつも自分の痕跡を桃太に残すようになったからだ。結城は生霊が結城不在の時に現れるのだと考え、それならば自分の存在を示すものを残してはどうか、と桃太に提案した。もう『汚す』『穢れ』などの言葉を使うことが無くなりホッとしていたが、その結果がこれだった。服の上からは見えない位置に付けられる痕。必要に迫られたとは言え桃太は毎回憤死しそうな思いでそれに耐えた。結城は「唇にしてませんし」と言うが、これは世間一般ではキスマークと呼ぶ代物ではないのか。今も桃太の左の鎖骨の辺りに、昨夜結城が吸った痕が残っている。桃太は無意識にその場所に触れてしまったことに気づき、これは自分の身の安全を守るために必要なことだ、と感情的な意識を振り払った。
「桃太さん、もう直ぐじゃないですか?」
結城はスマートフォンのマップアプリを見ながら、桃太に問いかけた。
桃太の夢の中に何度も現れた女性。桃太は確かに見覚えがあった。恐らく彼女だ。
「ああ……」
閑静な住宅地の中に、その店はこぢんまりと建っていた。一階が店舗で二階が居住スペースの極ありふれた外観の和菓子屋だ。桃太は数年前に一度だけその店を訪れたことがある。その頃よりやや裏寂しさが漂っている気がするのは、桃太の思い過ごしだけではないだろう。ショーケースには黄金色の餡が掛かったみたらし団子や、ふっくらとした小豆餡のおはぎが並んでいる。店先から中を覗くと、薄暗い室内には誰もいないように見えた。
結城が心配そうに桃太の顔を見ている気配がする。桃太はもう一度左の鎖骨辺りに触れ、正面を見据えたまま頷いた。
「……すみません」
少し大きめの声で奥に呼び掛けると、奥の方から妙齢の女性の声がする。パタパタと店に出てきたのは、60代位の女性だった。
「あら、もしかして看護師の……田中さん?」
「ご無沙汰しています」
女性は驚いた顔をしたが、すぐに柔らかい笑顔を浮かべる。桃太は彼女に結城を同僚だと紹介し、今日この場所を訪れた目的を果たすためにあることを尋ねた。
「優香さんはお元気ですか?」
優香の名前を口にした時、目の前の女性の笑顔は僅かに歪んだように見えた。しかしすぐに柔和な表情に戻る。
「優香はしばらく入院していたんですが、昨日退院したんですよ。今日はちょっと調子が良くて、散歩に……」
「……田中さん?」
声がした方を向くと、店の数メートル先に一人の若い女性が立っていた。淡い若草色のカーディガンを羽織り、ネイビーのジーンズを履いたラフな格好だ。記憶の中よりも一回り小さくなった志田優香がそこにいた。
「……志田さん」
「田中さん。お久しぶりです」
笑顔で桃太の目の前まで駆けて来た優香は、かなり息が上がっていた。明るい笑顔は以前と変わらないが、近づくとかなり痩せていることが分かる。健康的だった肌も乾燥しカサついていた。
「優香、走っちゃ駄目でしょう」
「大丈夫。今日は本当に調子が良いの」
店先に立つ女性、優香の母は娘を嗜めたが、当の優香はどこ吹く風だ。母親に向かって微笑んで答える。
「それより、田中さんどうしたんですか?お買い物?」
優香は桃太の隣に並んだ結城の方をチラリと見る。結城は無言で優香を見ていた。
「ああ、久しぶりに志田さんのところの和菓子が食べたくなって。あ、こっちは同僚の結城です。大の和菓子好きなんですよ」
「そうなんですね、嬉しいです」
結城は少し頭を下げて「どうも」と言った。今日は愛想笑いも封印しているようで、ずっと仏頂面である。
「志田さん。久しぶりに会えたし、もし時間が大丈夫だったらちょっとお話しませんか?体調はどうですか?」
「私は大丈夫です。お母さん、いいでしょう?」
優香から問われた母親は「奥の部屋を使いなさい」と笑顔で頷いた。
かくして桃太と結城は店舗奥の応接室と思しき場所へ案内され、並んでソファに座った。小さな卓を挟み、桃太と結城の前に優香が座る。湯気が立ち上る湯呑みがそれぞれの前に置かれ、緑茶の良い香りが室内に漂った。
「まさか田中さんとまた会えるなんて、思ってもなかったです」
「本当に久しぶりですね」
志田優香は、三年前に桃太が担当した患者だった。年齢が近いこともあり、桃太も彼女のことはよく覚えている。結腸がんのステージIIで、手術ではリンパ郭清まで行われたはずだ。三年前はまだ26歳だった。
「お母さんから聞いたんですが、昨日まで入院していたんですか?」
「はい。実は、がんが再発してしまって……このままだと手術が出来ないので、がんを小さくするために化学療法を受けているんです」
優香の白いシャツの上から、鎖骨の下あたりに円形の盛り上がりが見えた。恐らく、化学療法のためにCVポートを留置しているのだろう。CVポートとは、皮下埋め込み型中心静脈アクセスポートのことである。ポートのシリコンゴムに針を刺し、そこから薬液……主に抗がん剤や高カロリー輸液が投与される。末梢の静脈だと抗がん剤の血管外漏出のリスクが高く、PICCカテーテル(末梢留置型中心静脈カテーテル)は管理が難しい。そのため繰り返し化学療法を行う患者はポートを留置していることが多いのだった。
「担当の高知先生が今は市民病院にいらっしゃるので、私もそこで治療を受けています」
優香の担当医は今年の一月に桃太が勤務する病院を辞め、今は市民病院で働いていると聞いていた。優香も担当医に付いて行ったのだろう。
「そうだったんですね」
優香は緩く頷き、桃太を見た。その目線は複雑な感情を湛えているように思える。
「……二日間の治療だったんですけど、副作用が強くて。治療が終わった後も暫く点滴を受けていたんです」
優香は気丈に微笑むが、痩せ細った体とやや落ち窪んだ瞳からその壮絶さは窺い知れた。思案するように視線を揺らした後、ゆっくりとした口調で続ける。
「……副作用で辛かった時、私何だか無性に……、田中さんに会いたかったんですよ」
優香の真摯な表情に、桃太は言いようの無さを感じた。何と言葉にすべきか、頭の中では様々な感情が渦巻いているが上手く言語化が出来ない。
優香の担当になったのは、ちょうど桃太が今の病院に転職して間もない頃だった。以前の職場は内科病棟であったため、周手術期看護の経験がほぼ無かった桃太は日々奮闘していた。そんな中、優香の大腸がん開腹手術の術前、術後の看護に携わったのである。
「三年前、初めて手術を受けた時。田中さんの優しさと笑顔に凄く救われました。手術が終わった後、『志田さん、お疲れ様でした。手術終わったよ』って、田中さんが自分のことのように安心した表情で言ってくれたことを今も覚えています」
「志田さん……」
桃太は当時のことを思い出し、胸の底が熱くなるような気がした。外科病棟はがんの検査から看取りまでを行う。優香の担当になった頃は上手く立ち回ることが出来ず、後悔をしたこともあった。
「本当に会いに来てくださって、心から嬉しいです」
優香はそう言って微笑む。結城は一言も喋らず、桃太と優香の会話を聴いていた。結城には今、何が視えているのだろうか。
「うん。志田さん。僕の方こそ本当に……、今日会えて良かった」
優香は大きく頷き、桃太は優香の手を握った。冷たくて細い指だ。今目の前の優香からは何の邪気も感じない。それは桃太に結城のような特殊能力が無いからかもしれないが、彼女は純粋な思いから桃太との再会を望んでいたのだろう。
帰り際、桃太はみたらし団子を二本と草餅を二個買った。
「田中さんに会って元気が出ました。またいつでもお団子買いに来てくださいね。結城さんも一緒に」
優香はそう言って団子が入った包みを結城に手渡す。結城は不思議そうにその手を見つめていたが、頭を軽く下げそれを受け取った。
「ではまた来ます」
「お気をつけて」
志田親子に見送られ、桃太と結城は和菓子屋を後にした。すっかり夕方の風景となった住宅地に、やわらかな西陽が注ぐ。並んだ二人の影が歩道に長く伸びていた。その陰を目で追いながら、終始言葉数が少なかった結城がようやく口を開く。
「……桃太さんが生霊の本体に会うと言った時、俺は反対しましたよね」
生霊の正体が分かった後、桃太は実際に会ってみようと決意し結城にそう告げた。しかし結城はそんな危険なことはさせられないと猛反対したのだ。
「俺は彼女が俺に会いたがってると分かったんだ。だから会いに行こうと思った」
桃太は夢の中でぼんやりとだが、あの苦痛が何に由来するものかは分かっていた。恐らくがんの再発か転移かが原因で、彼女が抗がん剤の治療を受けていることも。会って何か力になれるどうかも分からなかったが、生霊になってまで桃太に接触をして来たのだ。どうにかしてその願いを叶えたいと思った。
「もし万が一、何かあったらどうするつもりだったんですか?」
結城は枯渇した魂がどんなに貪欲かを知っている。希求するほど手に入れたいものがすぐそばにあるならば、無理矢理にでもその手に掴もうとするはずだ。結果、手に入れたものが自分の腕の中で汚れ壊れてしまうことになろうとも、瞬間の欲には抗えない。
「……結城がいなかったら、俺だって会いに来ようとは思わなかったよ」
そう呟いた桃太は前を向いている。地面に映る影ではなく、その先に伸びる道だ。桃太は照れくさそうに鼻の頭を掻きながら笑った。
「ありがとうな」
足を止めて向き直ると、同じく結城もその場に立ち止まった。傾きかけた日差しが結城の顔に淡く陰影を作っている。どこか苦々しい表情に、桃太は既視感を覚えた。
「……俺は何も……ただ付いて来ただけです」
「結城」
桃太は軽く溜め息を吐いた。いつもこうだ。どうしてこんなにこいつは自己肯定感が低いのだ。桃太は半ば呆れて両肩を下げる。相対し、目の前の結城は伺うように桃太を見ていた。結城は自分を卑下する上に、感受性も恐ろしく鈍いし共感性も乏しい。対外的には社交的である反面、自分の世界の中で生きていると言える。桃太はここ最近の濃密過ぎる付き合いで、結城には言葉にしても本意が上手く伝わらないことの方が多いのだと理解していた。
「いい加減、俺がお前を信頼していると言うことを分かってくれ。でないと俺の……結城に対する全ての感情が、お前自身に否定されているみたいに思えて辛い」
「桃太さん、それは……」
「結城、俺の言葉をそのまま受け止めることはそんなに難しいか?」
なおも言い募ろうとする結城の言葉を遮るように、桃太が続けた。結城は明らかに困惑している。拗らせていた期間が長すぎたせいで、他人の言葉を額面通りに受け取ることが出来ないのだ。桃太は自分の根気強さを心の中でひとり賞賛した。最終手段として、今の混沌とした内情を打ち明けるしかないのか。自分でさえも整理が追いついていないのに。
桃太は徐ろに結城の両腕を掴むと、その手に力を込めた。柄にもなく緊張をしているようだ。
「正直、お前は俺にとって後輩以上の存在だ」
「え?」
案の定、結城はさらに眉根を寄せた。桃太はこれほどまでに言葉を紡ぐことが難しいと感じたことは無い。
「俺は、結城を可愛いと思っている……」
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嬉しそうな様子の結城は、桃太と並ぶと再び歩き出した。相変わらず表情が乏しいが、これが結城の『嬉しそうな様子』であるのは桃太には分かる。結城の手には団子が入った袋が下げられていた。桃太はふとそれに目を止める。
「今日、結城から視て志田さんの様子はどうだった?」
「……同じでした」
「同じ?」
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確信はしていたものの、解答を突きつけられると遣る瀬無さが鈍く襲いかかる。たった二週間ほどの関わりであったが、志田優香の心の拠り所が当時の桃太との記憶だったのだ。
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「もちろんそれもあると思いますが、それだけじゃ無いです」
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「……今回、彼女に会ってそれが分かりました。俺も志田さんと同じで、桃太さんに救われていますから」
結城はそう言って笑うともう一度前を向いた。それ以上言葉にする気が無いのか、黙々と歩き続ける。桃太は肝心なことを聞くことが出来ず、つい拗ねたような口調で結城に食い下がった。そのまま夕闇に溶けていきそうな心許ない腕を掴む。
「だから、それがどういうことか知りたいんだけど」
結城は桃太の行動に少し驚いたようだが、軽く溜め息を吐くとその腕を掴んで手のひらに指を絡ませた。駅はもう目前だ。無人駅だが、学生の姿もまばらに見える。
「手を繋いで帰りましょうか」
「は?」
「可愛い俺のささやかなお願いです。いいでしょう?」
かなり昔に流行った某CMばりにウルウルと見つめてきた結城に、桃太は絶句するしか無かった。そういえばあのCMはチワワだったか、とぼんやりと思ったが、はぐらかそうとしているのが分かり渋面になる。結城はそんな桃太の顔を見て、ウルウル顔のままぷっと吹き出した。
「桃太さん、暫くの間我慢してください。実はまだ少しだけ、彼女の思念が付いてきてるんです。多分これに」
そう言って結城は反対の手に持った団子の袋を持ち上げた。それを聞いて桃太の顔が青ざめる。『生きている生身の人間』ならば怖さは感じなかった。例えその正体が分かっていたとしても、目に視えないものの存在は須く桃田にとって恐怖の対象となる。
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「多分」
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「……」
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「……?」
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「ぜひ」
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「……最後のひと押しでした。これで本当に分かってもらえたと思います」
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「……別にいいけど」
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「腹も減ったし、何か作るかな」
腕まくりをしながら冷蔵庫のドアを開ける桃太を、結城はいつもの三白眼で見つめていた。真っ白な耳の端を、ほんのりと赤く色づかせながら。
続
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