大江戸大迷惑〜迷宮無頼剣〜

十三不塔

文字の大きさ
19 / 50
第一章 大江戸騒乱変

密談

しおりを挟む



  迷宮を征服する。
 そうと決めたからにはすぐにでも飛び出していきたいところだが、相手が相手だけに事を急ぐことはできぬ。
 勢いと気概だけで突破できる甘いものでないことは身を持って承知している。あすこには夥しい人智を超えた魔物と、悪辣な仕掛け、そして魔性を凌ぐ手練れたちが潜んでいるのだ。

 とはいえ、俺には目先の仕事があった。月の兎をひとまずは蘇生させねばならぬ。魍魎街へ降りて蘇生の呪法を使える者を探すべきである。冬季とはいえ、屍の腐敗が進むのは避けられぬ。いっそ屍礫となってしまえば腐敗を案ずることもないのだが、それも地上ではどうしようもない。

「雪之丞よ、まずは魍魎街へ降りるか」
「駄目だよ、樋口さん。あんたは放逐刑で迷宮へ這入ったから忘れちまってるんだろうが、正面から這入るには公儀の許しがいる。職能を授けられてはじめて降りられるのだ」
「‥‥だったな。すっかり抜けてたぜ。七面倒な」

 幕府は迷宮を飯の種にしているのだ。
 職能と手形を得てはじめて人は迷宮へ足を踏み入れることができるが、それには幾らかの銭を支払わねばならぬ。お上に不満など抱いたことはなかったが、こうしてみみっちく絞り取られると、むかむかしてくる。数年前に起こったご政道批判の波を思い出す。竹内式部、山県大弐、馬場文耕、安藤昌益らがお上《かみ》に反旗を翻し厳しく処断された。いまなら俺もやつらに肩入れしてやりたい気分である。

「おいらがひとりで潜るって手もあるが」
 雪之丞は弓術仕という職能をすでに得ている。

「それもいいが、この女の面倒におまえの手を煩わせるのは気が進まねえ」
「裏の道もあるが」と周囲を伺いながら雪之丞は声をひそめた。

 俺たちは庭の喧騒より離れて道場に上がり込んでいた。弟なら咎めるところであるが、父親はまるで頓着しない。正面には妙見大菩薩の名号がある。綺麗に拭き清められた道場を眺めれば弟の苦労も知れた。母は他界した。与太者の父と兄を横目に、あいつはひとりで道場を守ってきたのであろう。労苦を慮ってやるべきであったかもしれぬ。

 雪之丞は道場に据えてあった弓を取ると弦を弾いた。弓鳴りは破邪の響きである。そうして俺は気を取り直す。

「魍魎街の連中は手形なんざ持っちゃいない。勝手に住み着いてやがる」

 蛇の道は蛇。
 つまり迷宮へ手引きする裏の組織が存在するということだ。入口さえもひとつではないことはわかっている。そちらの道であれば煩瑣な手続きは要らぬが、公儀の恩恵を受けることもできぬだろう。何より一線を踏み越えた時には、寺田のような防人どもが敵に回ることとなろう。
「ふむ」

 ――表と裏。どちらの方途を採るべきであろうか。

「麟堂さんの塾なら、一番手っ取り早く職能と手形を貰えるよ。樋口さんの腕だったら剣術仕のその日に貰えるだろうさ。一応の試験があるが、あんなのは形だけのもんだしな」
「あるいは」と俺は思う。鼬小僧の伝手を使えば裏の道を案配してもらえるやもしれぬ。どちらを選ぶか。考え処ではある。

 麟堂の震央舎に席を置くのか。あるいは群盗どもの一味になるか。
 悩ましい選択であったが、俺の心はすぐに定まった。

「両方だ。俺たちはどんな手を使ってでも迷宮を平らげなきゃいけねえ」

 ありとあらゆる知識が要る。すべてを盗み取って利用してやろう。たとえ盗人からでも、だ。後々ややこしいことになるかもしれぬが、その時はその時である。

「ふん、あんたらしいね。あくどい顔してるぜ」
「よし、なら手始めに盗人どもの巣に向かうか。この女のことも相談できるだろうよ」

 そうして俺は暗夜に棲まう者どもと、再び、いや三度《みたび》交わることになるのだった。

× × ×

 吟孤は不愉快を隠さなかった。
 その理由のひとつは、俺がひとりではなかったことだ。的屋の女を通じて俺たちは鼬小僧の一味と落ち合うことにしたのだったが、雪之丞だけであるならまだしも、得体の知れない骸も引きつれてきたのだから猫目の呪禁仕の表情も曇ろうものである。

「しかも、そいつは江戸の滅茶苦茶にした女だってんだろう? 戯れも大概にしな。あたしらの一味があの大火でどれだけの損害を被ったか、知らないわけじゃないでしょうに」

 刻は丑三つ時。場所は大川にかかる永代橋の下である。
 大火以前は二文の通行料を取っていたが、混乱の最中、いまやそれもうやむやであった。

「ああ、そこを頼む。おまえらの力を借りたい」
「どうする頭領?」

 吟孤は端正は顔を鼬小僧に向けた。傍らには薊野《あざみの》も控えていた。

「そうさな。弓術仕の方は、ひとりでも仲間を増やしたい窮状であるからして歓迎しねえでもねえが、遊女の方は面白くないねぇ。他の連中が納得しねえだろうし」
「そこをなんとかならねえか。俺はあんたらのために身の粉にして働くつもりだぜ」
 どうだか、と吟孤は唇を尖らせた。
「まぁまぁ、お吟よ、そうむくれるなって。このお侍があたしらを都合よく利用しようってことはわかってるよ」
「だったら」
「それでも、だ。こちらにも旨味はある。それに過去のことをいつまでも引きずっても仕方あるまいよ。もし、この人がたとえ上辺だけでもあたしらに忠実に立ち振る舞うってんなら、うちの連中も説得してみようじゃねえか」

 俺が鼬小僧に加勢しようと身を乗り出したところを雪之丞が割って入る。
「そうしてもらえればありがたいね。お互いに利を引き出す。そんな関係でいいじゃないか。信頼だの義理だのを掲げて裏で探り合うよりはよっぽどかすっきりすらぁ」
「うむ。薊野は、樋口さん、あんたを妙に気に入ってるみたいだしな」
 俎上に挙げられても薊野はむっつりと押し黙ったままだ。西瓜の中身がどうなってるかは浅い付き合いでは見て取れぬようである。
「どうだい? 吟狐」
「わかったよ、二人が賛成ならね」
 不承不承、吟孤は納得する。

「なら、決まりだ。さっそくだが、その女の骸を地上でしばらく保管するってのは引き受けよう。うちの術者が呪法で作った氷室がある。魚を貯めておく場所だったが、支障はあるまい。ただし、保つのは七日が限度ってところだよ。それまでに引き取りにこなきゃ朽ちるに任せるほかはない」
「ああ、充分だ」
「で、さっそくだが、こちらの仕事もこなしてもらおうか」

 鼬小僧の薄い唇が、にたりと笑みを含んだ。

「任せておきな」
「話を聞く前から安請け合いしていいのかい。ま、どちらにしろあんたには断る術はないがね」
「もったいぶらずに早く言えよ」
 俺はこの男を好きになれぬであろう。いずれ寝首を掻き合う、そんな予感がした。
「あんたは防人・藤見麟堂と知己だろう?」
「顔見知りって程度だがな」
 どうやらこいつは俺の身辺をあらかた調べ上げているらしい。
「奴の私塾、震央舎《しんおうしゃ》に入ってもらいてぇのさ」

 俺と雪之丞は思わず顔を見合わせた。まさにそれを目論んでいた矢先だったからである。まさか、そこまで知ってはおらぬだろうが、出来すぎた偶然に驚きを隠し切れない。

「大烏《おおがらす》ってのを知っているだろう?」
「ああ、でかくて黒い鳥居だろう。迷宮でお目にかかったよ」

 あれは物の怪であると思われていたが、寺田はそれを迷宮を自在に行き来するための通路だとほのめかしていた。

「あれを手に入れたい。あれが高度な呪法であるのか、迷宮の物の怪を飼い慣らしたものなのかはわからないがね。その秘密を知りたいのさ」
「確かにありゃ便利だな。おまえらが迷宮に隠れ里みてぇなもんを拵えるのなら、喉から手が出るほど欲しいのも頷けるぜ」

 鼬小僧の掲げる地下国家の夢想を俺は信じているわけではない。魍魎街は階層が浅いために公儀の手が入る心配があるが、深層部にそれを作るなら、まさに真に自由な場所となるに違いない。大烏は人と物資を運び込むためにも地上と地下深層の道程を極端に縮めるためにも必須と言えよう。

「あるいはやつらの大烏を無効にする方法もあるかもしれないだろう。あたしらの国ができた暁には、やつらに干渉されたくはないからな」
「まあ、そうなるか」
「塾に入るのは、そこが一番麟堂と近づける場所だからさ。あたしらの一味は素性がはっきりしねえ者ばかりなんでね。あんたなら手っ取り早い」
「盗みは得意じゃねえと言ったはずだが。ま、贅沢言える立場じゃない」
「そういうことさ」

 頭巾で口元を覆った鼬小僧からもう笑みを見て取ることはできぬが、笑っているに違いない。それにしても無神経で粗暴な俺が間諜の真似事をせねばならないとは人生わからぬものである。

 ともかく取引は成立した。これで意気揚々新たな船出よと浮かれたが、ひとつ大事なことを言い忘れていた。金の無心である。
「そうだ、塾に入るには銭が要る。ところが生憎無一文と来てる。悪いが用立ててもらえねえか」

 吟孤は嫌な顔をして肩をすくめた。

 ずっと無言でいた薊野が刳り抜いた穴のような眼の奥からおぼろげな光を放たれた。

「お主はなぜその女の息を吹き返そうとするのだ?」
 唐突な問いかけに俺は一呼吸を置いて返事をした。
「まず最初に殺せなかったこと、二度目は殺しちまったことに負い目を感じてるのさ。どちらも馬鹿げたしくじりだ。この女に対してちゃ俺がどう振舞おうと、それは間違いになっちまう気もするが。そういう相手が誰にだっているだろう?」
「伴侶か」

 ――運命か、というのと等しい響きを俺は聞き取った。

「珍しいね。薊野が他人の色恋なんぞに関心を示すなんて」と吟孤。
 何も答えない薊野を代弁するように鼬小僧が弁をぶった。

「死人に焦がれるのも一興だろう。伴侶の面影を探して黄泉路へ下るなんざ、伊弉諾《イザナギ》と伊弉冉《いざなみ》の物語のようじゃないかい。結構結構」

 その言い草に、俺は不穏な空恐ろしさを覚えた。かの神話の成り行きは言うまでもない。冥府を下った男は決まって恐ろしいものに直面するのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

処理中です...