大江戸大迷惑〜迷宮無頼剣〜

十三不塔

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第二章 迷宮顛倒変

雲外鏡

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 地下七階層。
 ここは烈風の階層である。どこからともなく常に強烈な風が吹きすさんでおり、侵入者の足を踏み迷わせる。単純な構造ではあった。地図を眺めれば、目的である雲外鏡の出没地点は一目瞭然なのだったが、逆風を避けるならばかなりの遠回りを強いられることになる。

「七面倒な」

 地図には迷宮を吹く風のおおよその向きも描き記されていたものの、それとて絶対ではない。臨機応変に進路を定めつつ前へ進まねばならぬ。こんな時に呪禁仕や符術仕がいれば、風の影響を無化あるいは低減させる術を使えるのだったが、残念ながら俺はひとりぼっちときている。

 そこへ風に乗って何やらものものしい音が運ばれてくる。

 ――ガチャガチャと硬いものが触れ合い、軋む音。

 甲冑の武者が三体。
 俺は瞬時に反応した。迷宮にこのような重装備で潜る探降者はいない。手甲や具足、鉢金を身につけることはあれど戦国さながらの武者鎧をまとう人間はついぞ見かけたことがない。
 
 となれば――。

「怪しのモノか」
 つまりは敵であった。迷宮の捕食者ども。空武者《うつろむさ》と呼ばれる妖魅がそれである。付喪神となった甲冑たちが過ぎ去った戦乱に餓えて彷徨っている、哀れな化け物共だ。

 対峙したことのない未知の敵。動きは緩慢だが、どこを攻めたらいいのかとんとわからぬ。もう少し廻鳳に迷宮の下層について聞いておけばよかった、と今更ながら後悔がよぎる。

 卒然、三体の鎧はこちらに猛進してきた。追い風を背に受けて、転げるようにして駆けてくる。鈍重な体躯の欠点を帳消しにする突進力であった。

(くそ、逃げるか、それとも)

 逡巡はいつも命取りになる。なんとか一体をいなしたものの、俺の重心は風に煽られて見事に傾いだ。転倒し、動きを止めてしまえば袋ろ叩き――いや嬲《なぶ》り殺しになるに違いなかった。

「いや、いっそ這うべきか」
 決断は早かった。

 身を低くすれば暴風の影響を最小限にすることができるはずであった。愛刀〈無忌鎮永〉を鞘に収め、柔《やわら》の構えを取る。剣術の体捌きを捨て、家伝の無足の法で音もなくにじり寄る。弱点はどこだ? 霊眼でもって敵を探れば、三体それぞれのがらんどうの体躯におぼろげな明滅が見えた。

 ――キンッ!

 武者の錆びた刀が迷宮の床を討つ。間一髪で俺はそいつの股下を潜り抜けた。
 赤黒い瘴気を吐く、最後の武者の喉元へ俺は〈セデックの蛮刀〉を叩きつけた。現身を持たぬ物の怪を打ち砕くには、これが相応しい。手応え充分。あっけなく崩れる甲冑。立ち上がりざまに振り向けば、今度はこちらが風上であった。

「禍渦応雷《かかおうらい》」
 背に風圧を感じながら俺は呪言を呟く。

 刀を握ったまま印を結ぶのにもようやく馴れてきた。俺の胸先五寸のあたりに球電が形成されて残る武者たちに向けて飛んでいく。同時に二体の武者たちが感電し、痙攣したように微動を繰り返す。焦げた臭いが風下へ流れていく。が、風上の俺の鼻腔に触れることはない。油断せぬように〈セデックの蛮刀〉をそれぞれの明滅部へと差し込めば、やがて甲冑は安い骨董品へと還ってしまった。

「呪法も効くじゃねえか、こいつもな」
 と俺は廻鳳に貰ったばかりの刀を見やる。

 いきあたりばったりの戦術だったが、どうやらうまくいったようだ。剣技・体術と呪法の連携もだんだんと掴めてきたようだ。

(さて、お次は面の使い心地だが――こいつを試すにゃいささか勇気がいるな)
 ひとりごちつつも獰猛な笑みを湛える自分に俺は気付く。

(樋口よ、てめえ、楽しいのだな。たったひとり地の底で命のやり取りをするのが楽しくて仕方ねえんだな)

 束の間、風が止んだ。俺は足元の死した甲冑から状態の胸当てを戦利品として拝借する。野ざらしになった武者の怨念など俺には毛ほどにも感じられぬ。拾った武具はこうして活用してやるのがせめてもの供養である。

 地図は目的地への到着がまもなくだと示していた。凪の静けさの先に獲物が待っているはずだった。

 × × ×

 風は止んだまま――通路の突き当りに異教の祭壇がある。

 何らかの儀式が行なわれたことは間違いがない。石組みの祭壇には薬草と屠られた獣の頭骨が乗っている。風もないというのに肉を削がれた獣の顎がカタカタと鳴る。濃厚な瘴気がその場に立ち込める。何かが近づいているのが肌に感じられる。

「やっとこさ、お出ましになるのかい」

 雲外鏡。鏡の化生《けしょう》。
 化生と化粧。女がひとり眉墨を引き、頬紅を塗るならば、そこには必ず鏡というものがある。

 鏡を俺はもちろん知っている。だが、そこに顕現したのは、俺の知っている鏡ではなかった。巨大な蠢く銀の塊。大量の水銀がひとかたまりとなって浮遊しているとも見える。その表面には奇妙に歪んだ己の姿が映し出される。

「不細工な自分がいっそう間抜けに見えやがる。てめえは不愉快な化け物だ」

 ぐにゃぐにゃと形を変える度にそこに反映する俺の姿もまた――ゆらりゆらりと異形へと変じていくのであった。醜い己の自我を反照されるような苦痛がある。羞恥と無防備のあわいにあって俺は小さく悶えた。

 それにしても敵はどんな行動も起こさない。
 なのに俺は心を鷲掴みにされる。

 ――は不愉快な化け物だ。

 その台詞は雲外鏡に向けたものなのかそれとも己自身に向けたものなのかわからなくなる。たぶん両者に向けて俺は言い放ったのである。

「ぶっ殺してやる。おまえは醜い」
 おそらく俺は正気を欠いていた。
 迷宮において理性というものは案外とあっけなく痩せ細るものなのだ。とりわけ、たったひとりの風無き袋小路においては。

 やみくもな焦燥感が無数の錐のように全身を突き刺す。自傷の念がふつふつと沸いて出てくるのである。迷宮には身体だけでなく心へ刃を突き立てる敵がいるのだ。それはどんな膂力や顎よりも厄介だ。いや、雲外鏡には加害の意志すらないのかもしれぬ。ただ、精神の内奥を映し出す、まさしく鏡のような存在としてそこに在るだけなのかもしれぬ。

(俺は人ではない。人のフリをした獣だ。死ね。ここで死ね)

 ついに俺は〈無忌鎮永〉を抜いて、切っ先を己の腹に向けた。
 鏡の中の化け物も、同じ仕草で自害を試みようとする。そうだ果てろ、と俺の中の自虐の声が叫ぶ。死して朽ち果てるのだ。路傍の罪なき民を数知れず毒牙にかけてきた俺だ。たとえ生まれ持っての性がそれを命じたにしろ、決して許されることではない。

 そうして銀色の無定形の化け物を前に、俺が刀の柄に力を込めた時、懐から、女の貌《かお》がこぼれ落ちた。呉女の面であった。カラカラと笑うような音を立てて面は迷宮の床に低く弾んだ。

(そうだ。こいつを被れば……俺は俺を見ずに済む)

 素早く面を拾い上げた俺はためらいなくそれを装着した。
 鏡と素顔の間に滑り込んだ一枚の面。
 濡れた和紙のように肌に張り付く面は、見る者を惑わす雲外鏡の魔力を即座に遮断してくれたが、呉女の面そのものもにも魔性が宿っている。

「……くっくっく。美しいな、それでいて醜い」

 ――Fair is foul,きれいはきたない。 and foul is fair.きたないはきれい。

 麟堂の書物から漏れ聞いた異国の響きが耳に蘇る。時と場所を違えながらも共鳴する何かがそこにはあった。言霊の紙魚《しみ》が頁から溢れ出したあの晩の光景が脳裏に点りながら、殺意の勾配を俺は駆け上がる。破壊の水位が嵩を増す。

「割れろ鏡ィ! こちとら女々しく自省してる暇なんざねえんだ!」

 俺は〈鎮永〉を振り回したが、水銀のごとき塊に刃が突き抜けるばかりで手応えがない。雲外鏡を腕力で傷つけることのできぬという廻鳳の話は本当だったようだ。しかし、俺の煮えたぎる感情は攻撃の手を止めようとしない。泣き笑いしながら全てを殺傷したくなるという面の作用は半分は真実であった。

 泣きたいのは悲しいからでない。笑いたいのは楽しいからではない。

 心と表情が分離してしまっているから、すべてが仮面なのである。そしてすべての表情が仮面となった人間はたやすく泣きもすれば笑いもする。ただ、残るのは生類の下らぬ芝居を幕にしようという乾き切った虚ろな殺意だけなのだ。この面を打った工人は、そのような極限の心象をどうして表現しようとしたのであろうか。

「なんて代物だ。魂までも冷えてく」

 こんな面を長く被っていればどうにかなってしまうであろう。
 ただ一時、力を借りるのだ。この冷え切った殺意で目の前の敵を屠ったら、すぐに捨ててしまいたい。俺は心底そう思った。

 しかし、面は俺を離さなかった。
 敵を打ち砕く方途を囁いてくれる。というよりも青白い女は否も応もなく俺を突き動かすのであった。冷たい声が謡う。

 ――剣に呪力を。毀傷《きしょう》の念を。そうすれば刃は魔性を断つでしょう。滅殺しなさい。好漢偉丈夫ならば容赦は無用。無慈悲こそが慈悲。

「わかったよ」
 俺は刀に呪力を纏わせた。

 麟堂に指導されたゆっくりと居合を抜く修練は実はこのためのものであったのだが、俺は苦手だった。己の気を器物に馴染ませ、通貫させるのはなかなかに難しい。だが、そんな弱音を吐いている場合ではない。

 続いて、セデックの蛮刀を左手に取った。
 こちらはもとより強力な呪具であるから、ただ振るだけでよい。そもそも雲外鏡を屠るためにこそ、この得物は都合がよかったはずである。が、そんなことは心をかき乱す敵を相手取っている最中には思い至らなかった。

 俺は両手に剣を構えた。
 家伝の飛白夢到流に二刀の業《わざ》は伝えられていない。かの新免武蔵の『五輪書』なら麟堂の書庫で流し読みをした程度である。付け焼刃だったが、身体の方は自然と動いた。まるで何十年も二刀を手に修羅場を潜り抜けてきたような気分であった。

「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰?」
 それを口にしたのは誰であろう。面の女かそれとも俺か。

 鏡は答える代わりに砕け散った。
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