50 / 50
第三章 明和攪乱変
神州大日本聯邦
しおりを挟む「聞かせてくれまいか。備中でいかな禍事が起ったのですか?」
寺田宗有は、船頭に扮した白焚乱《しらたきろん》に訊ねた。そして何故、我々を襲うような真似をしたのかと。
「腕に覚えのあるもんを探しておった。だらに党が息を吹き返すためにゃ新しい力がいる。やつらの抗うにはわしらの呪力じゃ追っつかねえ」
「回天楼」横合いから俺は口を挟んだ。動かしているのは口だけではない。白焚とやらの代わりに船を漕いでいるのだ。まったく渡し賃は返してもらうぞ。
「うん。あの男の剣は格別だ。火の女も」
「その女ってのは月の兎か?」
「名は知らぬ。江戸を焼いた女だという」
間違いない。やはり月の兎は回天楼に加わっているのだ。仔細の知れぬ謎めいた伍・回天楼はかの漆羅漢と互角の戦いを繰り広げたという。
「あなたの仰る剣客とは誰なのですか?」
御守は絡繰りの手入れに余念がない。潮風は絡繰りを錆びさせるので油を差すのであろうか。こうするうちにも船は桑名へ向かって進んでいくのである。こいつらは涼しい顔しているが、船が進むのは、俺の労苦のお蔭だということをてんからわかっていない。
「弥助。だんだらの羽織をまとったかの者は、仏頂寺弥助と呼ばれておった」
「仏頂寺弥助か」
その名を聞いた瞬間に俺の胸の奥に激しい焔が生じた。赦し難い仇敵となる名だと直観が告げたのたのである。
「それほどの腕前なのか。ここにいる寺田よりも? 言いたくねえが、この防人の業前は尋常のものではないぜ」
「剣の窮理を求めて精進する一介の剣術家とは違う。あれは異端の剣よ。この世の、いやこの世界のものとは思えぬ。道理を捻じ曲げたような悪逆の業には我が党の呪術も太刀打ちできなんだ」
「ふーん」などと言っているうちに接岸した。「ともかくてめえが俺らを襲ったのは間違いねえ。せっかくいい加減に酔ってたのに醒めちまったよ。どう落とし前をつけんだ」
船酔いを忘れてしまったのをいいことにそこを逆手にとって俺は因縁をつけた。
「わしらに助勢を願いたい」
揺れる船底から、地べたに降り立ったとたん、白焚は伏して請うた。
さすがの俺も毒気を抜かれ、おいおいと顔を上げさせた。五烈の一たる備中だらに党の長が頭を下げるなど前代未聞であろう。麟堂も、魑魅魍魎というに似つかわしい人外の五烈にあってだらに党だけはまともで信用に足ると言っていた。なるほどちったぁ人倫礼節をわきまえているらしいな、と俺が言えば「どの口でそれを言うんです」と御守がちくり嫌味を言う。
「彼奴等は突如として現れた。わっしらが居を定めた山城に火を放ち、呪剣の一閃で山肌をえぐり取った。だらに党の庇護を受ける領民たちをことごとく殺して回り、川を血で赤く染めたよった。仏頂寺とまみえて生き延びたは、わっしのみ」
忸怩たる思い。癒えることのない悔恨の情が青白く男の全身を染め抜いている。一言一言に凄惨な痛みの記憶が響く。
「やつらの目的はいかなるものなので?」潮風が寺田の鬢のほつれ毛をなびかせる。
「わからぬ。回天楼はなんの言挙げもなしに途轍もない暴威のみを刻み込んだのだ」
「何し負う備中だらに党が手も足も出なかったとするならば――」御守は攻略を糸口を探ろうと視線を宙に泳がせる。しかし正体も目的も不明の無法者であるだけにどんなとっかかりも見えやしない。
「わっしの術を破ったあんたたちとなら、彼奴らに一矢報いることができるやもしれん。このまま西へ下るのであれば、案内人があって損はない。なにしろもうこの先は江戸とはまるで違う世間が広がっちょる」
「なんだいそりゃ」
「まもなく関所がある。その向こうは異界よ」
「異界なら慣れてる。何しろ俺らは迷宮潜りだからな」
「そうではない。知っておろう。江戸のその外では時の流れようがまるで違ったことを。江戸が停滞している間に、外では長い月日が流れたのだ。もはや江戸は文化の中心ではない。むしろ立ち遅れた未開地よ」
「へー」己がその原因だと知りつつも、まるでピンとこないまま俺は気怠く頷いた。
「この御仁を信用したわけではないが――この話には一理ある。我らが助力するかどうかは置いても、いったん道案内を頼むのは良策ではないでしょうか」と寺田。
「罠かも」御守は俺よりも慎重で疑い深い。
「いーじゃねーか。寝首を掻かれるかもしれねーが、迷宮でくたばる気分に比べりゃ地べたで死ねるならなんぼか幸せだぜ。まずは伊勢まで。それでどうだ?」
「決まりです」
害意はないと見たのであろう、重々しく寺田が眼を細めた。
御守はまだ何か言いたそうであったが、ひとまずこの場は収めることにしたようだ。それにまだ船酔いが残っているらしく、しつこく食い下がる元気もなさそうだった。
四人となった一向は、街道をゆっくりと進んでいく。
意外にも健脚だったのは御守で、全身を覆う絡繰りの大部分を取り外した簡素版とはいえ、それでも六貫もあろうかという装備を背負いながらの道中において、音を上げるどころか男たちの速度に決して遅れを取らなかったのだから大したものだ。
生来、気さくで明るい質であろう白焚乱であったが、やはり大きな喪失のあとである、時折鬱屈とした面差しになることもあった。猪のような面相だったが、不思議と憎めない愛嬌がある。この男には、金九字の脊川黙雷にはない柔和な魅力があるのと同時に強者揃いの伍を従える威風も見えた。なによりあれほどの呪力を船の上で行使できるのである。底知れぬ実力者であるのは間違いない。そんな白焚に俺たちは道々西国の様子を訊ねがら、欠けている知識の外堀を埋めていくのであった。
「なんだ、この道は、こんなにがっしり圧し固めた道は江戸にもねえぞ」
白焚からぶんどった握り飯を頬張りながら俺は言った。
飛来する米粒を避けながら、白焚がこともなげに説明するには、これは舗装道路と呼ばれるものらしい。なんでも瀝青材料でもって道を固めているという。伊勢の国の石薬師宿を過ぎたあたりで道は閉ざされていた。
「ここから先は別の領域なんだ」
「なんだ、このギザギザの針金は?」
「鉄条網というものだ。この境界線は琵琶湖のほとりまで延々と続いておってな、外からも内からも出入りを禁じられてる。江戸とその周辺は災央圏と呼ばれ、迷宮を擁した未開地として忌み嫌われちょる」
「じゃあよ、外のやつらは己らをどう定めてんだよ」
「神州大日本聯邦。お主らは聯邦に属さぬ野蛮な旧民というわけよ」
粗末な板塀と鉄条網で大地が切り分けられているのである。瀝青の道はその先へ続いているに違いないが、向こう側は見えない。これは恐ろしいことだ。天下の首府たる大江戸がこの国の最果て、辺境と見なされる時代が来るとは。
「どうやってあちらへ行くのですか?」
御守が小首を傾げれば、寺田はむっすりと息を吐く。
「ふむ。腰のものでこじ開けてもいいが、それもいささか」
「心配すんねえ。あちこちに穴が空いてんだ。分りにくいが、そこから出入りできるって寸法よ。ここから塀沿いに北に向かえば――」
言いかけた時だった。
壁の向こうから轟轟と唸り声、獣のようでもあるその音が瞬く間に接近したかと見れば、一気に塀は破砕され、あちからより何かが飛び出してきた。
「なんだぁ?!」
それは禍々しい鉄塊であった。
突進してきた物体の青黒い横腹には土煙がたなびいて、はっきりしとした仔細はわかぬものの、空け放たれた彼方の風光は眼に新しい。
かの迷宮とは異なっていたにしろ――そこは別天地であった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
【時代小説】 黄昏夫婦
蔵屋
歴史・時代
江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。
そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。
秋田藩での仕事は勘定方である。
仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる