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2.赤い手紙①
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「都賀ちゃんお願い!この通り!」
パン!と小気味いい音を立てて拝むようなポーズを取る女子高生に、俺は心底困り果てる。
ファミレスの一角で俺と向かい合っているのは、勤務先のアルバイトの作草部さんだ。ただし普段の明るい表情は影を潜めて不安げな眼差しをしている。
「マジで他に頼れる人いないの!ね?お願い!」
「そうは言ってもなぁ・・・」
「あの、ご迷惑をかけて本当にすみません。芽依、もういいから」
「いい訳ないよ!お願いだからもっと危機感持って!」
・・・さっきからこの会話のループである。作草部さんの隣に座るのは、彼女の友人、小倉 里紗さんだ。少々ギャルっぽい作草部さんとはタイプが異なり、癖のない黒髪をゆったりと背中に流したお嬢様のような雰囲気をしている。
「まだ何かされた訳じゃないし、あんまり騒いでもよくないと思う」
「何かされてからじゃ遅いんだってば!」
作草部さんは苛立ちに任せて目の前のコーラを一気に呷った。すげぇな、若者。俺だったら途中で噎せそうだ。俺は黙って目の前の少しだけ温くなったブラックコーヒーを啜る。
事は二時間前に遡る。職場のスーパーの事務所に、神妙な面持ちの作草部さんが顔を出した。
『ちょっと、相談に乗ってほしい、です』
たどたどしい丁寧語で切り出した彼女に、てっきり仕事の悩みかと思って二つ返事で引き受けた。ところが作草部さんの抱えていた問題は幼馴染の友人の事だと言う。面識もない女の子の話を何故俺に、と内心で首を傾げた。それでも一度は引き受けてしまったのだから最後まで聴くのが筋だろう。
『多分・・・ううん、絶対ストーカーだよ。変な手紙が家に届くの』
『変な手紙って?』
『血みたいな赤い字で数字が書いてあるんだって』
何でも、三日に一通程度の割合で自宅ポストに投函されている手紙は、手紙と呼ぶにはお粗末なメモのようなものだそうだ。二つ折りにされた紙の真ん中に赤いインクで漢数字が書かれているが、それ以外に特徴はない。封筒にも入っておらず知らない間に投函されている。
『誰がポストに入れて行くのか見張ろうとしてもダメなんだ。いつの間にか寝ちゃってたり、目を離した一瞬の隙に届くって言ってて・・・』
『警察には相談した?』
俺は至極当然の質問をする。作草部さんは悔しそうな顔で力なく項垂れた。
『手紙が送られてくるくらいじゃ、動けないって言われた。パトロールは強化するらしいけど、それだけ』
ま、そうだろうな。俺は溜息を吐く。決定的な出来事でも起きない限り警察の対応としてはパトロール強化が常套手段だ。警察の姿にビビるような相手ならいいんだけど。残念ながら世の中の犯罪者全員が警察を恐れている訳じゃない。
『都賀ちゃんに頼むのはおかしいって分かってる。でも、周りの大人は質の悪いイタズラだから気にするなって相手にしてくれない。あの子に何かあったら、私ヤダよ・・・!』
思い詰めた表情で言い募る彼女に、だけど俺がしてやれる事なんてない。十分承知している。分かっているはずだったのに。
『問題の手紙、俺にも見せてもらえる?』
俺の口はうっかりそんな言葉を吐き出していた。
仕事を終えた後で待ち合わせ場所のファミレスに入った。店の中では先に退店していた作草部さんと件の友人が重い空気を漂わせて話し込んでいたが、二人とも俺に気づくと立ち上がって軽く会釈をしてくれる。
「初めまして。小倉 里紗です。お忙しいところわざわざすみません」
「ごめんね、都賀ちゃん。相談乗ってくれてありがとう」
そこ座って、と作草部さんが自分の前の席を示す。やって来た店員さんにホットコーヒーをお願いして椅子に腰を下ろした俺の目の前に、何枚かの紙が差し出された。
「これがさっき言ってた手紙?」
「うん」
目線を小倉さんへ向ける。彼女はテーブル上の紙を無表情にじっと見下ろしていた。
「二週間くらい前から里紗の家のポストに届き始めたの。順番は、これで」
作草部さんが手紙を並べ替えると、俺はある事に気づく。
「・・・カウントダウン?」
真っ赤な漢数字は四十九から始まり、四十四、三十八、という具合で不規則に減っていた。妙な状態だがカウントダウンと捉えていいだろう。問題はこの数字が何を表しているのか、だ。中途半端な数から始まっているし数の減り方はメチャクチャだし意味が分からない。
「気味が悪いでしょ?どこのどいつか知らないけど、絶対に捕まえて警察に突き出してやる!」
意気込む作草部さんの横で小倉さんがそっと息を吐いた。
「この程度のイタズラじゃ相手にされないってば。うちの両親だって登下校の送り迎えしてくれてる。私は平気」
おや、手紙を貰った張本人は案外冷静だ。もっと怯えてるかと思ったけど強がりでもなく本当に落ち着いている。
コーヒーを一口飲んでソーサーに戻すと、小倉さんから「すみません」と切り出された。
「お仕事後でお疲れなのに、相談に乗って頂いてありがとうございました。お礼にコーヒー代は支払わせて下さい」
「ちょっと、里紗!」
「いいの。犯人だってそのうち飽きて止めるでしょ。きっと怖がる私達の反応が見たいのよ」
そうだろうか。本当にそれだけ?俺はぼんやり考えて、ふと疑問に思う。当事者がそれ程危険を感じていないというのに、俺の方がモヤモヤと蟠りを抱えるのは何故だろう。鉛でも飲み込んだみたいに胃が重くなっていく。
「相手に心当たりはないんですか?」
念のために質問してみたが、小倉さんは残念ながらありません、と首を横に振る。
「最近誰かとトラブルを起こした記憶もないです。変な紙が届くだけなら別に無視しておけば」
「無視したって二週間も届いてるじゃん!」
「うーん。二週間じゃまだ飽きないくらいには気が長いのかも」
顎に指先を当て他人事のように語る小倉さんに、隣の作草部さんが呆気に取られた表情を向けた。まぁ、すぐに眦を吊り上げて「吞気にしてる場合!?」とお説教していたけど。対する小倉さんも「芽依が騒ぎ過ぎなの。会社の上司まで呼び立てて。気持ちだけで十分だから」と呆れ顔だ。
「・・・・・・」
俺はまたコーヒーを口に含む。少々温くなっていても香りがよくて美味い。疲れた心身に染み渡っていくようだ。
カップに口をつけたまま、チラ、と真っ赤な漢数字へ目を向ける。再びずしりと内臓が重くなった気がした。口内に残ったコーヒーの香りが急速に苦々しくなっていく。
テーブルの向こうではどうやら女子高生二人が押し問答を始めたらしい。いい、よくない、放っておこう、放っておけないと応酬が続く。興奮して喉が渇いたらしい作草部さんは豪快にコーラを飲み下し、淡々としているように見える小倉さんも目の前のオレンジジュースをグラスの半分近く一息に口へ流し込んだ。
「都賀ちゃん!」
突然矛先が俺に向いて思わず肩が跳ねる。不安げな目で両手を合わせ、お願い!と頼まれれば可愛い部下だし力になってあげたいと思ってしまう。が、しかし。一会社員の俺にどうにか出来る案件か?警察にも相談済みなら正直俺の出番はないだろう、と頭を掻きながらテーブルの上で存在を主張する不気味な手紙を見つめた。筆でしたためたような力強い文字。他に差出人の手掛かりもない。・・・・・・うん。作草部さんには悪いけど、やっぱり俺じゃ役不足だ。
「小倉さん、作草部さん、ごめんね」
俺は眉を下げながら三人分の会計伝票を手に取った。
「・・・・・・知ってました、馬鹿だって事は」
夜の暗闇に包まれた庭。そこに面した縁側へ腰掛け、俺に一瞥もくれずに時嗣が吐き捨てる。後輩に冷たく詰られても俺は正座で項垂れていた。誠に申し訳ございません。返す言葉もございません。
「何ですか、今度は探偵にでもなりたいんですか」
「どちらかというと探偵の助手になりたいです」
言うに及ばず探偵はお前で、と正直に答えると時嗣から盛大な溜息が零れる。盛大過ぎて全身の酸素吐き出してないか?俺のせいだけど。強制的にすっかり事情を聞かされた彼は渋い表情で乱雑に頭を掻いた。
「素人の一般人が簡単に解決出来るとでも?普通のスーパーマーケットの従業員が?」
仰る通りでございます。俺は益々項垂れた。
十日程前。ここ時嗣の家で生まれて初めて怪奇現象を体験した。あまりの恐怖と混乱で這う這うの体で自宅へと逃げ帰った事はまだ記憶に新しい。俺の予想を遥かに上回る恐ろしさを味わったんだから無理もないだろう。自業自得だって?もげるレベルで耳が痛い。
あれから刺激を求める事はしなくなったが、時折不思議な気配を感じるようになってしまった。幽霊としっかり遭遇した事で第六感が鋭敏になったのでは、というのが時嗣の見解である。そういったアレコレを相談するうち、しょっちゅう時嗣の家へ入り浸るようになった。木の温もりを感じる和の家屋と畳に味を占めたのは家主に伏せているが。もちろん迷惑料として手土産もバッチリ持参の上だから大目に見てほしい。時嗣は面倒そうにしながらも家に上げてくれるし、透けて見える柴犬も慣れてしまえばめっぽう可愛い。・・・今日は玄関で対面するなり牙を剥き出してギャン吠えされたけれど。うん、きっと虫の居所が悪かっただけだよね。もう落ち着いてるし。鼻に皺寄せて時々唸ってるけど。全然近寄らせてくれないけど。
「先輩から『今日行っていい?』ってメッセージが来たのでまたかと思えば・・・」
「何か色々ごめんなぁ!」
平伏して謝意を示しつつ、自分の脇に置いていたバッグから白い紙を取り出す。あの手紙だ。
先程ファミレスで席を立った俺は会計伝票と散らかった手紙をまとめて右手に掴んだ。ごめんね、この手紙預からせて、と言い添えて。
小倉さんは訝し気にしつつも頷いてくれ、作草部さんは「都賀ちゃん・・・!」と目を潤ませていた。本当は会計だけ済ませて帰ろうと思っていたのに、何故だか無性に手紙の存在が引っ掛かったのだ。置いて帰ってはいけないような、作草部さん達に返してはいけないような気が。
「変な内容なんだ。漢数字って何の意味だと思う?」
紙面を広げて時嗣に見せる。彼は害虫でも見るかの如き視線を寄越した。途端に大人しくしていた柴犬が毛を逆立てて立ち上がり、けたたましく吠え始める。
「ストーカーの送ってくる手紙にまともさなんて求めないで下さいよ」
柴犬の首の辺りを軽く撫でて宥めながら時嗣が冷たい目で俺の手元を眺めた。色素の薄い切れ長の瞳は狐の目を思わせる。
「まぁ、その危険物は預かってきて正解だったかも知れませんね」
「時嗣・・・!お前本当はいい奴だよな!仕事仲間の事が心配なんだろ?俺と一緒にストーカー退治しよう!」
諦めた様子で話に乗ってくれた後輩に感動で暑苦しく近寄った。片や彼は縁側を滑るように移動して俺から無慈悲に距離を取る。ちょっと待って、傷つくぞさすがに。
打ちひしがれる俺を余所に時嗣は黒縁眼鏡を鈍く光らせた。
「というか、放っといたら死にますからね、その小倉さんって子」
「・・・・・・は?」
闇に沈んだ庭の片隅で、ハルゼミの軽やかな鳴き声が場違いに一度だけ響いた。
パン!と小気味いい音を立てて拝むようなポーズを取る女子高生に、俺は心底困り果てる。
ファミレスの一角で俺と向かい合っているのは、勤務先のアルバイトの作草部さんだ。ただし普段の明るい表情は影を潜めて不安げな眼差しをしている。
「マジで他に頼れる人いないの!ね?お願い!」
「そうは言ってもなぁ・・・」
「あの、ご迷惑をかけて本当にすみません。芽依、もういいから」
「いい訳ないよ!お願いだからもっと危機感持って!」
・・・さっきからこの会話のループである。作草部さんの隣に座るのは、彼女の友人、小倉 里紗さんだ。少々ギャルっぽい作草部さんとはタイプが異なり、癖のない黒髪をゆったりと背中に流したお嬢様のような雰囲気をしている。
「まだ何かされた訳じゃないし、あんまり騒いでもよくないと思う」
「何かされてからじゃ遅いんだってば!」
作草部さんは苛立ちに任せて目の前のコーラを一気に呷った。すげぇな、若者。俺だったら途中で噎せそうだ。俺は黙って目の前の少しだけ温くなったブラックコーヒーを啜る。
事は二時間前に遡る。職場のスーパーの事務所に、神妙な面持ちの作草部さんが顔を出した。
『ちょっと、相談に乗ってほしい、です』
たどたどしい丁寧語で切り出した彼女に、てっきり仕事の悩みかと思って二つ返事で引き受けた。ところが作草部さんの抱えていた問題は幼馴染の友人の事だと言う。面識もない女の子の話を何故俺に、と内心で首を傾げた。それでも一度は引き受けてしまったのだから最後まで聴くのが筋だろう。
『多分・・・ううん、絶対ストーカーだよ。変な手紙が家に届くの』
『変な手紙って?』
『血みたいな赤い字で数字が書いてあるんだって』
何でも、三日に一通程度の割合で自宅ポストに投函されている手紙は、手紙と呼ぶにはお粗末なメモのようなものだそうだ。二つ折りにされた紙の真ん中に赤いインクで漢数字が書かれているが、それ以外に特徴はない。封筒にも入っておらず知らない間に投函されている。
『誰がポストに入れて行くのか見張ろうとしてもダメなんだ。いつの間にか寝ちゃってたり、目を離した一瞬の隙に届くって言ってて・・・』
『警察には相談した?』
俺は至極当然の質問をする。作草部さんは悔しそうな顔で力なく項垂れた。
『手紙が送られてくるくらいじゃ、動けないって言われた。パトロールは強化するらしいけど、それだけ』
ま、そうだろうな。俺は溜息を吐く。決定的な出来事でも起きない限り警察の対応としてはパトロール強化が常套手段だ。警察の姿にビビるような相手ならいいんだけど。残念ながら世の中の犯罪者全員が警察を恐れている訳じゃない。
『都賀ちゃんに頼むのはおかしいって分かってる。でも、周りの大人は質の悪いイタズラだから気にするなって相手にしてくれない。あの子に何かあったら、私ヤダよ・・・!』
思い詰めた表情で言い募る彼女に、だけど俺がしてやれる事なんてない。十分承知している。分かっているはずだったのに。
『問題の手紙、俺にも見せてもらえる?』
俺の口はうっかりそんな言葉を吐き出していた。
仕事を終えた後で待ち合わせ場所のファミレスに入った。店の中では先に退店していた作草部さんと件の友人が重い空気を漂わせて話し込んでいたが、二人とも俺に気づくと立ち上がって軽く会釈をしてくれる。
「初めまして。小倉 里紗です。お忙しいところわざわざすみません」
「ごめんね、都賀ちゃん。相談乗ってくれてありがとう」
そこ座って、と作草部さんが自分の前の席を示す。やって来た店員さんにホットコーヒーをお願いして椅子に腰を下ろした俺の目の前に、何枚かの紙が差し出された。
「これがさっき言ってた手紙?」
「うん」
目線を小倉さんへ向ける。彼女はテーブル上の紙を無表情にじっと見下ろしていた。
「二週間くらい前から里紗の家のポストに届き始めたの。順番は、これで」
作草部さんが手紙を並べ替えると、俺はある事に気づく。
「・・・カウントダウン?」
真っ赤な漢数字は四十九から始まり、四十四、三十八、という具合で不規則に減っていた。妙な状態だがカウントダウンと捉えていいだろう。問題はこの数字が何を表しているのか、だ。中途半端な数から始まっているし数の減り方はメチャクチャだし意味が分からない。
「気味が悪いでしょ?どこのどいつか知らないけど、絶対に捕まえて警察に突き出してやる!」
意気込む作草部さんの横で小倉さんがそっと息を吐いた。
「この程度のイタズラじゃ相手にされないってば。うちの両親だって登下校の送り迎えしてくれてる。私は平気」
おや、手紙を貰った張本人は案外冷静だ。もっと怯えてるかと思ったけど強がりでもなく本当に落ち着いている。
コーヒーを一口飲んでソーサーに戻すと、小倉さんから「すみません」と切り出された。
「お仕事後でお疲れなのに、相談に乗って頂いてありがとうございました。お礼にコーヒー代は支払わせて下さい」
「ちょっと、里紗!」
「いいの。犯人だってそのうち飽きて止めるでしょ。きっと怖がる私達の反応が見たいのよ」
そうだろうか。本当にそれだけ?俺はぼんやり考えて、ふと疑問に思う。当事者がそれ程危険を感じていないというのに、俺の方がモヤモヤと蟠りを抱えるのは何故だろう。鉛でも飲み込んだみたいに胃が重くなっていく。
「相手に心当たりはないんですか?」
念のために質問してみたが、小倉さんは残念ながらありません、と首を横に振る。
「最近誰かとトラブルを起こした記憶もないです。変な紙が届くだけなら別に無視しておけば」
「無視したって二週間も届いてるじゃん!」
「うーん。二週間じゃまだ飽きないくらいには気が長いのかも」
顎に指先を当て他人事のように語る小倉さんに、隣の作草部さんが呆気に取られた表情を向けた。まぁ、すぐに眦を吊り上げて「吞気にしてる場合!?」とお説教していたけど。対する小倉さんも「芽依が騒ぎ過ぎなの。会社の上司まで呼び立てて。気持ちだけで十分だから」と呆れ顔だ。
「・・・・・・」
俺はまたコーヒーを口に含む。少々温くなっていても香りがよくて美味い。疲れた心身に染み渡っていくようだ。
カップに口をつけたまま、チラ、と真っ赤な漢数字へ目を向ける。再びずしりと内臓が重くなった気がした。口内に残ったコーヒーの香りが急速に苦々しくなっていく。
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「都賀ちゃん!」
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「小倉さん、作草部さん、ごめんね」
俺は眉を下げながら三人分の会計伝票を手に取った。
「・・・・・・知ってました、馬鹿だって事は」
夜の暗闇に包まれた庭。そこに面した縁側へ腰掛け、俺に一瞥もくれずに時嗣が吐き捨てる。後輩に冷たく詰られても俺は正座で項垂れていた。誠に申し訳ございません。返す言葉もございません。
「何ですか、今度は探偵にでもなりたいんですか」
「どちらかというと探偵の助手になりたいです」
言うに及ばず探偵はお前で、と正直に答えると時嗣から盛大な溜息が零れる。盛大過ぎて全身の酸素吐き出してないか?俺のせいだけど。強制的にすっかり事情を聞かされた彼は渋い表情で乱雑に頭を掻いた。
「素人の一般人が簡単に解決出来るとでも?普通のスーパーマーケットの従業員が?」
仰る通りでございます。俺は益々項垂れた。
十日程前。ここ時嗣の家で生まれて初めて怪奇現象を体験した。あまりの恐怖と混乱で這う這うの体で自宅へと逃げ帰った事はまだ記憶に新しい。俺の予想を遥かに上回る恐ろしさを味わったんだから無理もないだろう。自業自得だって?もげるレベルで耳が痛い。
あれから刺激を求める事はしなくなったが、時折不思議な気配を感じるようになってしまった。幽霊としっかり遭遇した事で第六感が鋭敏になったのでは、というのが時嗣の見解である。そういったアレコレを相談するうち、しょっちゅう時嗣の家へ入り浸るようになった。木の温もりを感じる和の家屋と畳に味を占めたのは家主に伏せているが。もちろん迷惑料として手土産もバッチリ持参の上だから大目に見てほしい。時嗣は面倒そうにしながらも家に上げてくれるし、透けて見える柴犬も慣れてしまえばめっぽう可愛い。・・・今日は玄関で対面するなり牙を剥き出してギャン吠えされたけれど。うん、きっと虫の居所が悪かっただけだよね。もう落ち着いてるし。鼻に皺寄せて時々唸ってるけど。全然近寄らせてくれないけど。
「先輩から『今日行っていい?』ってメッセージが来たのでまたかと思えば・・・」
「何か色々ごめんなぁ!」
平伏して謝意を示しつつ、自分の脇に置いていたバッグから白い紙を取り出す。あの手紙だ。
先程ファミレスで席を立った俺は会計伝票と散らかった手紙をまとめて右手に掴んだ。ごめんね、この手紙預からせて、と言い添えて。
小倉さんは訝し気にしつつも頷いてくれ、作草部さんは「都賀ちゃん・・・!」と目を潤ませていた。本当は会計だけ済ませて帰ろうと思っていたのに、何故だか無性に手紙の存在が引っ掛かったのだ。置いて帰ってはいけないような、作草部さん達に返してはいけないような気が。
「変な内容なんだ。漢数字って何の意味だと思う?」
紙面を広げて時嗣に見せる。彼は害虫でも見るかの如き視線を寄越した。途端に大人しくしていた柴犬が毛を逆立てて立ち上がり、けたたましく吠え始める。
「ストーカーの送ってくる手紙にまともさなんて求めないで下さいよ」
柴犬の首の辺りを軽く撫でて宥めながら時嗣が冷たい目で俺の手元を眺めた。色素の薄い切れ長の瞳は狐の目を思わせる。
「まぁ、その危険物は預かってきて正解だったかも知れませんね」
「時嗣・・・!お前本当はいい奴だよな!仕事仲間の事が心配なんだろ?俺と一緒にストーカー退治しよう!」
諦めた様子で話に乗ってくれた後輩に感動で暑苦しく近寄った。片や彼は縁側を滑るように移動して俺から無慈悲に距離を取る。ちょっと待って、傷つくぞさすがに。
打ちひしがれる俺を余所に時嗣は黒縁眼鏡を鈍く光らせた。
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