貴族子女の憂鬱

花朝 はな

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第四話 俺様な婚約者候補⑧

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 「お嬢様!」

 ドアの向こうでエレンの泡を食った声がする。

 顔見せの後すぐ、事の経過を母様に報告しようと手紙を書いた。その後は宿舎から一歩も出ることなくひっそりと暮らす。あの王子の所為で何もできない状態になっていた。カイサは私の家にいた護衛騎士の残りと侍女の残りを急遽呼び寄せることにし、母様に報告をしたそうだ。暗殺の許しも請うたとカイサが真顔で言っていたため、本当かどうかはわからないが、カイサの腹に相当据えかねたのだろう。

 そして今日は顔見せをした後、二日後になる。思いもかけない方が訪ねてきていた。

 「ヘルマン・フルトグレーン侯爵とベアタ夫人がご到着なされました!」

 「ええっ?!」

 慌てて宿舎にしている一軒家の階下にある応接室に急ぐ。

 私がこの学園に入学するに際して、後見人になっていただいた方が居る。ルンダール王国のヘルマン・フルトグレーン侯爵とベアタ夫人だ。

 ルンダール王国はログネル王国と祖を同じとする同胞の国だ。ログネルはもともと遊牧民で、ログネル王国をたてた民はフレドホルム族と呼ばれていた。そのフレドホルム族はアルトマイアーという大陸の名もなき時代に、大陸の中央部の草原に暮らしていた。ある時、そのフレドホルム族は大きく二つに分裂した。分裂の原因ははっきりとはしない。草原の牧草地を巡って争ったとか水源地をわがものにした欲深い一族を襲撃して失敗したとか、いろいろの説がある。とにかくフレドホルム族は大きく二つに分裂したのだ。そのうちの一つが西に向かい、もう一つは東に進んだ。そして西に向かった種族の一支族がログネルを建てた。帝国の支配に立ち向かい帝国を瓦解させたのち、国力を充実させたのが我がグリングヴァル家だ。西に向かったフレドホルム族はログネル王国に集約したのだが、東に向かったフレドホルム族はどうなったか。

 東に向かったフレドホルム族はログネルのように発展はせず、細々と暮らした様だった。さらに東に向かったフレドホルム族は分裂し、一部は中央の草原に戻り、遊牧して暮らした。そしてログネルが出来たときに、友好を求めてグリングヴァル家に使者を派遣して誼を通じてきた。当時のグリングヴァル家の当主はその血に絆されたか、使者を歓待し友好を結び、建国の援助をした。中央のフレドホルム族は国名をルンダールとし、ログネル王国に倣い国の基礎を整えた。シュタイン帝国に侵略されたときにもルンダールはログネルの支援を受け国土を守り抜くことができた。まあ、その所為か、シュタイン帝国はログネルへ矛先を向けてきたのだが。

 今回私が留学するに際し、私の後見人になってくれたのは、そういう繋がりのある縁深いルンダールの貴族のお一人だ。この学園のあるアリオスト王国の西がルンダール。私の曽祖父の従兄がフルトグレーン侯爵のお爺様に当たり、その縁で私の後見人になってくださっている。

 部屋に入ると、非の打ちどころのないパリッとしたコートを身にまとった侯爵が、にこやかに座っていたソファから立ち上がり頭を下げてくる。お隣に腰を下ろしていた侯爵夫人も優雅に立ち、礼をする。

 「頭をお上げください」

 お二人が頭を上げるのを見て、座っていただく様に促す。

 「立ち話もできませんので、お座りください」

 「・・・」

 お二人は無言のまま、腰を下ろした。

 「ど、どうなされたのですか?」

 侯爵お一人で見えなかっただけ、緊急のことではなかったのだろうと考えたが、反対だった。ものすごく怒っておられたようだ。ちらりと見ると、ベアタ夫人のハンカチを握りしめた手がぶるぶる震えている。侯爵の方も肩に力が相当入っているのか肩が持ち上がっていた。

 「・・・王女殿下」

 「はい?」

 「・・・不快な思いをされたと聞いて居ります」

 「はいいい?」

 固く引き結んだ口から低い声が出てくる。

 「・・・アランコの子倅めが、ログネルの王女殿下に偉そうな態度に出たと報告を受けたのですよ」

 「はあ・・・」

 これはカイサが報告を急ぐあまりこのアリオスト王国の隣国であるルンダールの重職にあるフルトグレーン侯爵に連絡を入れたのだろう。どうやら急ぎの連絡はフルトグレーン侯爵を経由して出すことに決められていたようだ。それで、フルトグレーン侯爵がやってきたということのようだ。

 「ここに来る前に、アランコの王子とか抜かす子倅の場所を聞きにアリオストの王城に寄りましたが、牢から放免したとのことで判らずじまいでした」

 「お、王城によられたのですか・・・」

 「然り。私とアリオスト王のチェーザレは、ルベルティ大学の同期なので、よく話すのです。まあ、最近は王としての仕事が忙しくなったようで、なんとか時間を作ってあやつの私室で会うのですがね」

 当時の頃を思い出したのか、侯爵の表情が緩む。

 「そ、そうでしたか」

 「チェーザレはあまり把握はしていない様子でしたが、あの子倅は思惑があって殿下の居られた喫茶室に押し掛けたと言ったようです。殿下、この話は本当のことですか?」

 ルンダールの重臣であるフルトグレーン侯爵の目がきらりと光った。

 「・・・恥ずかしながら私とお相手の方との顔見せでした」

 視線を外しながら答える。

 「・・・ほほう。そのお相手というのは、アランコの子倅とは別の人物ということでよろしいですか?」

 「・・・はい」

 「・・・ふむ、なるほど。
 子倅の語ったことには、警邏隊の尋問に自分の婚約者が別の男とあの喫茶室にいた、その不逞の証拠をつかむためだと言ったそうです」

 その人物について質問してくるかと思ったのだが、侯爵はそれに触れなかった。

 「・・・」

 「そうすれば無理やり結ばされた婚約を破棄し、なおかつログネル王国側の有責で相手を決め直せるとかほざいたそうでして。容姿は相当のものだが、身分が気に食わん、などとも言っておったようです。良い身分にすることができれば良いが、まず無理だろう、自分に合うのは頂点に立つという娘だとか」

 「・・・面白い冗談ですわね、旦那様」

 にこにこ笑う侯爵夫人。

 「そなたもそう思うかね」

 「はい、とても。特に頂点に立つ娘と言うところに可笑しさを感じますわ」

 「無知は罪よな」

 「・・・」

 侯爵ご夫婦の会話を聞きながら、私は言葉もなく座っていたのだが、侯爵が夫人に向けていた視線を戻す。

 「・・・殿下、お伺いしても?」

 何について聞かれるのか。あのアランコの王子との関係についてだろうか。

 「・・・どうぞ」

 「あの子倅との婚約はなされたのですか」

 やはり関係について聞かれた。

 「いえ、しておりません。あの方は絶対無理です。あのような自分勝手な方は私の好みではありませんし、あのような方が王族になるのは国のためにもならないと考えます」

 我ながら強いと思われる口調で否定する。

 「でしょうな」

 「ふふふ、殿下のいやだと思っている気持ちが、わたくしにもわかりましたよ」

 侯爵夫妻は笑ってはおられるが、もう怒りは解けただろうか。

 「・・・婚約するつもりはもうないのですね、殿下?」


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