そして悲しみは夜を穿つ

38 蒲田にて（19）

　まるですべての見取り図を知っているように、木島は階段を上がっていき、怜れんの自室の入口に向かっていた。ノックもせず、いきなりドアを開ける。
　舌打ちをする沢城にかまわず、木島はずかずかと部屋に入っていった。
　怜は簡易ベッドに横たわったまま、目をつぶって反応しなかった。入口に立っている沢城からは死んだように見える。今までも、トラブルの後はこんなふうになっていたのを沢城は知っている。だが今回は、いつも以上に怜の具合が悪そうに見えた。紙のように白い顔で、怜はぴくりとも動かない。
「怜」
　意外なほど優しい声で、木島が声をかける。沢城はぎょっとした顔で木島の背中を見た。さっきまで敵意むき出しの狼のような雰囲気だった男が、ベッドの端に腰かけ、そっと怜の髪に触れた。
　怜はそれでも動かなかった。さすがの木島も少し焦ったらしく、手首で脈を取り、手の甲を怜の口の前に持っていって呼吸を確かめている。
「怜。目を覚ませ、怜」
　頬を軽く叩かれても、怜は反応しない。溜息をつくと、木島は怜の足元にくしゃくしゃになっていた毛布を広げ、それで怜を包み始めた。
「おいあんた」
　声をかける沢城を無視し、木島は怜を横抱きにすると立ち上がる。軽々と怜を持ち上げ、部屋を出る木島に、沢城は焦った。
「どうするんだ」
「連れて行くと言っただろう」
「意識がないんだぞ？！　何をするつもり」
　木島は振り返ると沢城をぎろりと睨んだ。
「必要とあれば病院に連れて行く。私に任せろ」
　そのまま階段を下りていく背中を、沢城は追った。木島は階段を下りると、食堂の中を堂々と突っ切っていく。怜を落としそうな気配は微塵もない。従業員たちが気づき、皆が後を追う。
　戸がなくなった入口を抜け、メルセデスの横で立ち止まった木島は、食堂の方を振り向いた。
「ドアを開けろ」
　群がる従業員や労働者たちの中から抜け出て、沢城は近づいていった。
「なぁ……ほんとに連れて行くのか」
　よく通る声が沢城に指示する。
「ドアを開けろ」
「頼むから」
　すがるような顔の沢城に、木島が溜息をつく。深い声が従業員全員に響き渡る。
「いいか。悪いようにはしない。この子にはまだやるべきことがある。だから連れて行く。だが私が責任を持って、無傷で怜をこの場所に戻すと約束しよう。その間、全員でここを守れ。下手に武力に持ち込まないこと。抵抗しなければ、江藤はお前たちを害することはない。よく話し合い、怜が戻るまでこの場所を失うことのないようにしておけ。わかったら助手席のドアを開けろ」
　仕方なく、沢城はドアを開けた。木島は毛布ごと怜を助手席に座らせ、シートベルトでその体を固定する。身を起こし、最後に全員を一瞥すると、木島は食堂の仲間たちの目の前から、怜を連れて去って行った。