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第1章 天使か悪魔か
(3)
しおりを挟む若い彼は2日もすれば、普通に自分で起き上がれるようになった。
わが診療所にはジュリー看護師の他に、週に2日、食事の世話をしてくれる通いの家政婦さんがいた。
サマンサという、こちらはだいぶ年齢が上のご婦人だ。父の代からの患者さんでもあり、母が死んでから独り暮らしになった僕を不憫に思ってか、助けてくれている人だ。
「ジュシュアは手先が器用だね。これで仕込めば、私が来る必要はなくなるかもしれないね」
ジョシュアは人懐こいところもあって、サマンサとはすぐに仲良くなった。
貧血でヘタレているときに、栄養を与えてくれたのを恩義に思っているのか。彼自身もサマンサの言うことはよく聞き、起きられるようになってからは料理を手伝うようになっていた。
「そう? じゃあ、これからは俺がイーサンの食事の世話をするよ」
「何を若い者が言ってるんだ。サマンサ、ここに来るのが大変になったのか? 給金が安いのであれば、もう少し上げることはできるよ?」
僕は心配になってそう言った。親切で始まったとはいえ、これはれっきとした彼女の仕事だ。
「イーサン先生、そんなことはないですよ。でも、本音を言えば早く奥さんをもらって欲しいけれどねえ」
これまた藪に蛇がいたようだ。
「僕はまだ26歳ですよ。結婚の話はもう少し待ってください。まだ医者としても半人前ですから……ジョシュア!」
言葉が終わらないうちにジョシュアが崩れ落ちた。貧血を起こしたのだ。手術の日からまだ四日しか経っていない。本調子のわけがない。
「困った子だ」
僕はまた彼を抱きかかえ、今は彼の病室になっている両親の部屋へ連れて行こうとした。
「先生」
後ろから、サマンサが声をかけてくる。
「ジョシュアは、どこから来たんですか? いい子だとは思うけれど、厄介なんじゃないかと。うちの人も心配してるんです」
この四日、僕はまだジョシュアときちんとした話をしていなかった。くだらない世間話はするくせに、肝心な話になると彼は疲れたと言って黙ってしまう。そんなことの繰り返しだった。
この頃ではもう諦めて、そのうち自分から話すだろうと思うようになっていた。一方で、彼が何者か知りたくない自分もいた。何かが壊れて、彼がここからいなくなってしまう。もしかしたら、僕はそれを恐れるようになっていたのかもしれない。
「心配かけて申し訳ない。ちゃんと話をします。なに、怪我が治ったら出ていきますよ。こんな田舎町、彼には退屈でしょうから」
そう笑うにとどめるしか、今の僕には出来なかった。
「先生、ごめん。俺、また倒れたんだね」
彼をベッドに横たわらせシーツをかけてやると、ジョシュアは気が付いた。
「まだ無理をしてはだめだ。君は元々栄養状態が良くなかったみたいだから。若いから治りは早いけど、もう少し療養が必要だ」
「良かった……」
「良くはない。何を言って……」
「先生。俺、まだここにいたいんだ。先生のそばにいたいんだ」
彼は細い指を伸ばして、僕の頬に触れた。僕はぞくりとしながらも、その指を右手で丁寧に剥がした。
「やめなさい。そんな顔しなくていい。心配しなくても今君を追い出すようなことはしない」
ジョシュアの青い目は、それでも僕を見つめるのをやめない。まるで誘っているかのようだ。僕の心がまたざわざわと波を立て出す。
「本当に?」
「本当だ。だから安心して治療に専念しなさい」
危険なサインを感じながらも、僕はこの場を去ることができないでいる。弱っている患者を診ているだけだと自分に言い聞かせながらも、彼の青ざめた頬と唇に吸い寄せられていく。
「君は、どこから来たんだ?」
彼のウェーブのかかった前髪に触れる。柔らかい絹糸のような金髪が指に絡む。この手を引っ込めなければと僕は自らを諫めようとするが、魔法にでもかかったように動けない。
「よその街から来たんだよ。先生に会いに、来たんだ」
「嘘を言うな。僕は君を知らない」
「そうだね。でも、俺は知ってたんだ。本当だよ……」
誘う目をしてジョシュアは僕の手を取った。そして自分の唇のところへ持っていこうとする。
「からかうなと言っただろ」
僕の自制心がようやくのところで働いた。さっと手を引っ込めると席を立つ。寂しそうな双眸が僕の目の端に映った。
「もう休みなさい。眠ることが今は一番大切だ。それと食事。目が覚めたら一緒に食事をしよう」
ジョシュアは何も言わずに頷くと、目を閉じる。また長い睫毛が束になって青い瞳を閉じ込めた。
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