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第8章 噂
(6)
しおりを挟む「マリア、来たんだ」
なんの抑揚もなくそう吐き捨てる彼に、僕はついカッとなった。僕はジョシュアの腕を掴み、乱暴に家に引き入れた。
「何? どうしたんだよ、イーサン、痛いよ!」
喚くジョシュアに応えもせず、僕は居間へと彼を連れ、腕を握ったまま迫った。
「一体、君はどこに行ってるんだ? 内緒にするのは今日までだ。返答によっては容赦しない」
「容赦しないって、どういうことだよ」
「マリアが今……僕に……求婚してきたんだ」
一瞬、時が凍り付いたのかと思った。くっ、とジョシュアが息を呑む音だけが聞こえ、双眸を見開いて僕を見た。
「それで、どうしたの? まさか、イエスって言ったんじゃないよね」
震えるような声でジョシュアはそう聞いてきた。
「そんなこと言うわけがないだろう!」
そう吠えながら、僕は勘違いをしていたことに気が付いた。ジョシュアは何も知らなかった。マリアに入れ知恵したんじゃあなかったんだ。それなのに、僕は自分の怒りを抑えられない。
「ジョ……」
そう言いかけた僕に、突然ジョシュアがキスをした。僕はまだ彼の手首を握ったままだ。その腕をそのまま僕の後頭部に持っていき、無理やりキスをしてきた。
「な、なにをするんだ。やめないか」
「なんで? 俺のこと好きなんだろう? マリアのことなんか考えるなよ!」
僕はジョシュアの体を突き飛ばした。居間の壁に背中を打ち付けた彼は青い瞳をめいいっぱい広げて訴えている。
「そうはいかない。彼女は僕らのために結婚しようと言ってくれたんだ……」
彼女を好きだと思ったことはない。それでも、僕のような者のために、あんな提案をしてくれた彼女に済まない気持ちが湧きおこる。
「どういうことだよ?」
「自分と結婚すれば、僕たちはこのまま一緒にいられるから。三人で暮らそうと言ってくれたんだ」
ジョシュアが黙った。それでもまだ険しい目つきで僕を見ている。
「でも、そんなことさせるわけにはいかない」
「当たり前だよ。何考えてんだ、彼女。ただイーサンといたいだけなんじゃないの?」
「そんな風に言うな! 僕たちは……」
「僕たちは何? 愛し合っちゃいけないとでも言いだすの?」
「違う! そうじゃなくて……」
僕たちは、誰かに迷惑をかけてはいけないんだ。ひっそりと誰の目にも触れないように、二人きりで生きていかなければならないんだ。そうしなければ一緒にいられない。それを、ジョシュアはわかっているのか。
「俺は、何も悪いことはしていない。イーサンが好きなだけだ」
「そんなことはわかってる」
「わかってないよ。イーサンは何もわかっていない!」
ジョシュアはそう言い捨てると、僕の体をすり抜けた。
「ジョシュア! どこに行くんだ」
「俺はイーサンと一緒にいるためなら何でもする。そう言ったろ?」
「止せ、何をするつもりだ!? ジョシュア!」
玄関の扉を開け放ち、ジョシュアが走っていく。初夏の陽は長い。まだ夕暮れも下りない明るい空の下、ジョシュアの姿が見える。僕は必死になって追いかけたが、いつしか見失ってしまった。
――――一体……どこへ行ったんだ。ジョシュア、愚かなことはしないでくれ。
肩を落とし、僕は元来た道をたどる。午後の診察がそろそろ始まる頃だ。戻らないわけにはいかない。けれど、後ろ髪を引かれる思いでいっぱいだった。
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