毒を食らわば皿までと【完結】

紫紺

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第1章 憧憬

憧憬 4



 2006年~

 しかし……事態はそれで終わりとはならなかった。

 その男が姿を消してから、3年後の2006年4月。穗隆は13歳、中学2年生になったばかりだった。

 母の響子が自殺した。あの例の蔵で首を吊った。

『おまえは、寂しかったのか?』

 自殺する前の晩、穗隆の部屋に母がやってきた。それまで反抗期らしきものもなく、親子の間に特に問題はなかった。
 だが、蔵で母を見て以来、穂隆は彼女と心を通わせることはなかった。一方で、父の期待通りの人間になろうと勉学に励み、『良い子供』を演じてきた。
 母はその穗隆の沈黙の笑みを、どう感じていたのだろうか。

『なんで? 僕は今の生活に満足しているよ。僕は父さんの望み通り、国家試験に合格して警察庁に入る。母さんも期待していいよ』

 そう言って、貼り付けた笑顔を向けたのだ。

 夫婦の関係はどうだったろうか。それは穗隆にはあずかり知れないことだ。だが、植木職人との不倫を父が知らないはずもなく、母は針の筵に座り続けていたのかもしれない。

「響子は辛かったのかもしれないな。彼女には、この家の正妻は重すぎる荷だったのだろう」

 葬式が終わり、穗隆と二人になった居間で、清隆が寂し気に呟いた。

「お父さん、僕はお父さんと一緒にいたいです。一生懸命勉強して、警察庁に入庁します」

 ここでの暮らしを失いたくなかった。真顔で訴える穗隆に、清隆は何度も頷いた。

「当たり前だろう。おまえは賢い子だ。期待しているぞ」

 身長は伸びても未だ小児体型が残る息子に、暖かい眼差しを向けた。けれど穗隆には、父の瞳が何故か笑っていないように思えた。



 穗隆は清隆の期待通り、有名進学校、一流大学を経て国家試験第1種に合格する。警察庁へのキャリア入庁を果たした。
 だが、穗隆が宣言した時から既に10年近い。周囲は変貌していた。

 まず、既に清隆は帰らぬ人となっていた。穗隆が大学2年生の時に病死している。家督は長男である異母兄が継ぎ、穗隆は住んでいた皇樹家を出ることとなった。
 それなりの遺産相続はあったが、ほとんどが土地家屋など換金できないものだ。穗隆は学費を出してもらうことを条件に、全てを放棄した。
 それでも異母兄が不憫に思ったのか、清隆に買ってもらっていた車と、少しの株券を譲渡してくれた。

 天涯孤独になった穗隆は、ようやく様々なしがらみから解かれ、開放感に満ち満ちた。大学で出会った恋人との恋愛を謳歌し、少し遅い青春を楽しんだ。
 研修が終わり最初の配属先は、愛知県の某市だった。恋人の秋川朱里(あきかわしゅり)とは遠距離恋愛だ。刑事はひとたび事件が起こると、夜も日もなく休日もない。

 遠距離恋愛の自分たちは、すぐにも別れるだろう。穗隆は覚悟していたが、朱里が辛抱強い女性であったこと、自分自身も仕事に打ち込むタイプだったからか存外長続きした。



 2015年

 入庁から2年目の2015年。穗隆が勤務する所轄の管内で、殺人事件が起こった。ライブハウスで、まだ19歳の少年が殺されたのだ。
 この地域では、老舗で最も有名なロックの聖地。その楽屋の畳敷き20畳ほどの部屋で、彼は仰向けに横たわっていた。

「酷いもんですね。まだ子供だ」
「子供に見えるな。だが、かなりしたたかな子供だったようだぞ」

 面倒見のいい上司、真嶋班長がボールペンで遺体の顎をつっと上げた。首周りの痣は策条痕ではない。浮き出たそれはぼんやりとしていた。
 素手での扼殺だろう。恐らくタオルか何かをあてがったのだ、と真嶋は続けた。もちろん指紋は採れなかった。

 真っ青な顔は苦しげだが、どこか恍惚感も見て取れる。少年は恐らく美しい顔立ちをしていたのだろう。
 死体というのは大抵が見るに堪えないものなのだが、この時、穗隆は不思議と気味悪さを感じなかった。

「どうやら、複数の男と関係を持つ野郎だったみたいだ」
「へえ。ゲイっていうのですか?」

 立ち上がったばかりの捜査本部。被害者、倉敷塁の素性はまだはっきりとしていない。住んでいるところもわからない。
 いつのまにか、この付近にあるライブハウスに入り浸り、売春まがいのことをして生活をしていた。とは関係者からの話だ。

「じゃあ、ライブハウスにいた連中が、相手ってことっすかね」

 先輩たちが馬鹿にして笑う。まだ同性愛者たちが、市民権を得るには難しい時代だ。男色家の男など、軽蔑に値すると決めてかかっている。

「皇樹、明日朝一から関係者の事情聴取をする。おまえなら、連中も話すかもしれんから担当してくれ」
「お、皇子様はそっち系でしたか?」
「違いますよ小林さん! 何言ってんですか、もう……。真嶋さん、了解です。でも、僕に務まるでしょうか」

 先輩たちのからかいに合いながら、穗隆はそう応えた。

「大丈夫だ。とにかくやってみろ」

 真嶋は穗隆の肩を二度ほど叩いた。



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