毒を食らわば皿までと【完結】

紫紺

文字の大きさ
32 / 68
第4章 執着

執着 4



 富山に向かう前、異母兄から電話があった。父、清隆の葬儀後、財産分与が終了してから初めてのことだった。
 皇樹征隆(すめらぎまさたか)。警察庁刑事局長代理が、今の彼の肩書だ。

『穗隆、おまえは皇樹の家に泥を塗ったようだな』

 兄は開口一番、弟をなじった。それに対して、穗隆は反論できない。

「申し訳ございません」
『結果はどうあれ、おまえは地方に行け。それから、今後、皇樹の名を使うことは許さん』

 謝罪の言葉など聞いてはいない。ただ、刑事であることは許してもらえた。それだけでも良しとするしかなかった。
 皇樹の名が使えないのであれば、母方の苗字を得るしかない。母方の祖母とは、数えるほどしか会ったことはないが、京都に健在だ。

 穗隆は母と暮らしていたころから、自分だけは皇樹の苗字でいた。幼い頃は、母と苗字が違うこと、切なく思っていたのだけれど(響子は後妻に迎えられ、ようやく同じ皇樹を名乗ることになった)。
 これで、皇樹家と完全に断絶される。それそのものは、却って喜ばしいようにも思えたが、母の苗字を名乗るのは、生理的に嫌だった。

 ――――贅沢言ってる場合じゃないか。もう、どうでもいい。

 華山に捨てられたのだと。それを実感していくごとに、穗隆はどんどん空っぽになっていった。

『あんたと逃げるのさ』

 そう言っていたのに。一人で逃げた。何日も前から計画して。もしそれが真実なら、理由はひとつしかない。穗隆が最も信じたくないことだ。

 ――――おまえが殺したのか。倉敷塁を。

 何故……? 動機はわからない。だが、もし華山が塁を殺していたのなら、一つだけ間違いないことがある。

 ――――華山は、塁と関係を持っていた。片思いなんかじゃなかった。

 穗隆は、華山の何を見ていたのだろう。どこかでそれを恐れながら、絶対にないと思いたがっていた。全て嘘だったのだろうか。華山の言葉も、穗隆を抱きしめる腕も。
 穗隆にはもう、何もかもわからなくなっていた。深い山を彷徨う迷子のように、どこにもたどり着ける気がしなかった。



 三日間にわたり続けられた捜索は、結局、何物も得ることはなかった。愛知県に戻った穗隆は、日ならずして辞令を受け取る。一週間の謹慎と、島根県への異動を命じられた。

 謹慎中、穗隆は引っ越しの準備に追われていた。このアパートには、まだ二年ほどしか住んでいないし、荷物も多くはないのだが。それでもそれなりの荷づくりと、光熱費の契約解除など、やることは多かった。
 京都の区役所には、既に戸籍を取り寄せ手続き待ちの状態だ。穗隆は、皇樹の名前からようやく解放され、矢吹穗隆になる。

 ――――父が死んだとき、母方の名前に戻すことも考えたのだが。さっさとしておけばよかった。それか、朱里の婿養子になっておけばよかったかな。

 そう考え、それがどれほど愚かなことか思いつき、穗隆はまた作業に戻った。朱里には既に、メールで別れを告げている。合鍵だけは返却しないといけないので、郵送をお願いした。
 どのみち弁償は必須だ。華山の方の鍵は、返ってくるはずもない。朱里からは何度も電話が来ていたが、穗隆は無視した。もう話すことはなかった。

 ――――それとも、これは何かの慰謝料が発生するのかな。婚約したわけでもないけど。

 それどころか、プロポーズもしていなかった。彼女と結婚する未来は漠然とあったのに、夢見ることは一度もなかった。

 毎日使うものは最後に詰める。穗隆は余分なタオルを箱に入れようとして、手が止まった。華山のタオルだった。初めて部屋を訪れた時、華山が穗隆に渡した深紅のライブタオルだ。零れたビールを拭いた。なんとなく、持って帰ってきたのだが。

 ――――タオル……ビール臭かったから洗ったけど、返すの忘れてたな。考えてみれば、あいつの持ち物で、僕が今持っているのはこれだけか。ホントに、捜査情報を知るためだけに寝たのか。舐められたもんだな。

 穗隆はそれでも、そのタオルに顔を埋める。何度もあの男と重ねた夜が、脳裏に浮かぶ。どの夜も、穗隆は華山だけに熱情を注いだ。華山もそうしていたと、信じて疑わなかった。それが偽りだったとはとても思えない。

 ――――あれが偽りでないとしたら、どうして突然消えた。僕の前から何も言わず……。

 その時、唐突に何かが意識の中に浮上した。都合が良すぎる、ただの妄想に過ぎないかもしれない。けれど、ないとは言えない。

 ――――誰かに命を狙われた? 犯人を知ってしまい、危険に晒された?

 自分に言えないのは、警察に知られたくない事情があったから。

 ――――馬鹿な。結局、同じところにたどり着くだけだ。なんて情けないんだ。フラれたことを認めたくないばかりに、馬鹿な空論ばかりが沸いて出る。

 馬鹿々々しい妄想を振り払おうと、頭を激しく振る。そこに、連続で鳴るインターホンが耳を直撃してきた。急いでいるような、怒っているような、そんな切羽詰まった感情を、連続する音が伝えている。

 ――――まさか……

 そんなはずないのはわかっている。でも、もしかしたら華山が……。穗隆は足を縺れさせながら、インターホンのモニターに駆け寄った。
 けれど……そこに映っていたのは。カメラを睨みつける、朱里の姿だった。



感想 3

あなたにおすすめの小説

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。 ※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。

天然で優しいお母さんは最強かもしれない

三園 七詩
ミステリー
俺はある事を除けばただの高校生。 ごく普通の家庭に生まれた。 少し天然だけど優しい母さんと出張の多い父さんの間に生まれた。 一つ変わったことがあるとすれば幽霊が見えることだ。 怖い話も交えた日常ファンタジー風。 ホラーかミステリーか微妙なので一応ミステリーにしてあります。

豊臣の子

四谷軒
ミステリー
慶長19年(1614年)、方広寺鍾銘事件が起こり、豊臣家は刻一刻と、大坂の陣――亡(ほろ)びの道を歩んでいた。 豊臣完子(とよとみさだこ)は豊臣秀勝(秀吉の姉・ともの子。豊臣秀次の弟)と江(ごう)(秀頼の母・茶々の妹)の子であり、茶々の養女である。 完子(さだこ)は、夫の・九条忠栄(くじょうただひで)と共に、豊臣家を守ろうとしていたが、その折り、秀頼が乱行に興じていることを知る。 秀頼の乱行を止めるため、完子と忠栄はその乱行に興じる理由を探る。探っていくうちに、十年前の慶長4年(1604年)に、完子の九条家の嫁入りの前夜に起こった、完子の乳母の怪死事件に遠因があることに気づく。 乳母は、完子の嫁入りの宴に出席したあと、大坂城内の一室で怪死しており、その死体を発見したのが秀頼であった。 秀頼は乳母のことを好いており、十年後の慶長14年(1614年)、その怪死の謎を解く。解いた結果、秀頼は豊臣家の「秘密」――秀頼自身の出生の「秘密」に気づく。その「秘密」は秀頼を狂わせ、秀頼を乱行へと誘(いざな)っていく。 方広寺鍾銘事件の原因となった鍾銘も、狂った秀頼によって「いじられた」ものであり、こうして豊臣家は滅亡への道を突き進み、忠栄や完子の努力も虚しく、大坂の陣へと突入してしまう……。 【表紙画像】不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

再生ホテルー館花琴音の事件簿ー

天咲琴乃 あまさき ことの
ミステリー
かつて聖堂や学び舎だった建物を再生した、 山あいの小さなホテル。 そこには、何かを終えた人間だけが辿り着くという。 元配信者で、現在は歯科衛生士として働く 館花琴音(たちばな ことね)は、 自分自身の心の整理のため、 そのホテルに滞在することになる。 静かな夜、ホテルでは 奇妙な「音」が聞こえ始める。 子どもの名前を呼ぶ声、誰かに似た話し方、 あるはずのない沈黙、拒絶された言葉―― それらはすべて、宿泊者自身が向き合うことを避けてきた過去だった。 琴音は探偵でも、裁く者でもない。 ただ、声と沈黙に関わってきた人間として、 彼らが“自分の音を聞く”のを邪魔しない。 再生とは、 許されることでも、元に戻ることでもない。 壊れたことがあっても生きていけると知ること。 全五話で描く、静かな心理ミステリー。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※表紙をAI君に描いてもらいました。(2026.2.21) ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

【完結】学園ギャンブル

暗闇坂九死郞
ミステリー
頼まれると断れない性格の女子高生・吉高菜々子は、自称ギャンブラーを名乗る謎の男子高生・花屋友成と出会う。花屋の勝負強さに目を付けた吉高は、将棋部の体験入部で行われていると噂されているギャンブル対決に身を投じることになり……!? 【登場人物】 花屋友成………マッシュルームカットに眼鏡の謎の自称ギャンブラー。優れた頭脳と洞察力で相手のイカサマを見抜く。 吉高菜々子……お人好しのクラス委員長。花屋との出会いからギャンブラーたちの世界を覗くことになる。 躑躅森遥………『賭博生徒会』会計。 馬酔木白夜……『賭博生徒会』書記。

俺以外を見るのは許さないから

朝飛
BL
赤池凌平は、成瀬真介と出会い、緩やかに親交を深めてやがて恋人同士になるのだったが、時折違和感を抱いていた。  その違和感の正体が明らかになる時には、もう何もかも手遅れになってしまい……。 (女性と付き合うシーンもあります。) ※ネオページ、エブリスタにも同時掲載中。マイペースに更新します。