毒を食らわば皿までと【完結】

紫紺

文字の大きさ
33 / 68
第4章 執着

執着 5



 東京からはるばるやってきた元彼女を、玄関先で追い返す勇気は穗隆にはなかった。一方的なメールでの別れだ。自分が今回起こした失敗や、皇樹家から追い出されたことも隠さず伝えた。
 それでも、朱里は納得しなかったのだろう。そういう女性だ。一方で穗隆は、華山のことを言えずにいた。

「どうしてここへ……もう僕は、君とやっていくことはできない」
「引っ越しの手伝いに来たのよ。一人じゃ大変でしょ。はい、これ。合い鍵」

 朱里はバックをその辺に置き、キッチンへ入っていった。

「朱里、もういいんだ。ほとんど終わってる」
「そう、じゃあ少し話をさせて」

 冷蔵庫に残っていた缶ビールを二つ持ち、朱里は戻ってきた。そして、何もない床に座る。

「悪いね。もうソファーもテーブルもない」
「島根のアパートは決まったの?」
「いや、向こうはたまたま寮があって。とりあえずそこに入るよ。勤務先には車で行けるし」
「そう……」

 朱里は豪快に喉を鳴らし、缶ビールを飲んでいる。こんな子だったかな。穗隆は、口を半開きにしたまま朱里を見た。

「ねえ、教えてもらえる?」
「君に話すことはもうないよ。捜査情報になるから……」

 穗隆は先回りして申し出を拒否した。なんとなく、彼女の聞きたいことはわかっていた。

「重大な失敗ね」

 メールでそう伝えていた。

『重大な失敗をして、謹慎、左遷となった。皇樹からも追い出され、母方の姓を名乗ることになった』

 もちろん、それだけでは何のことかわからない。それなのに、だからもう別れてくれというのは、自分の気持ちを無視していてズルい。恐らく朱里の言い分はそうだろう。

「それ以上は言えない」
「私がそんなことで、あなたと別れるとでも思ってた? 皇樹の家や、警察庁で出世しそうだから、あなたと付き合ってたと思ってた? だとしたら、随分見縊られたものね!」

 そうだよな。穗隆は俯く。朱里はそういう類の女性ではない。そんなことは十分にわかっている。だからこそ、付き合えたのだから。

「あなたが皇樹の家を、窮屈に思ってたのなんか、とうに知ってるわ。良かったじゃないって思ったくらいよ。なんなら刑事にだって、私は拘っていない。私はね」

 そう言われて、では、自分は拘っているのだろうか。穗隆は改めて考える。
 華山と寝ていたときは、事件のことなどどうでも良かった。まるで他人事のように、早く真犯人が捕まればいいのに、と思っていたぐらいだ。

 ――――だが、今は違う。刑事でなければ華山は探せないし、犯人も見つけられない……。

 穗隆は正座に座り直し、頭を下げる。

「ごめん。ホントに」

 こんなことなら、正直に好きな人が出来たと伝えれば良かった。それがどこの誰とか、言う必要ないじゃないか。
 穗隆は朱里の性格も考えず、メールしたことを後悔した。

「好きな……人が出来たんだ。今更って思うかもしれないけど、これは嘘じゃない。本当のことなんだ。最初から、そう書けば良かったね……。君を傷つけないようにと思ったんだけど、返って傷つけてしまったみたいだ」

 つまみもなしで飲み、もう酔っ払ったわけじゃないだろうが、朱里は据わった目で穗隆を見つめる。

「相手は、あの写真のギタリストね」
「え……」
「しかも容疑者」

 穗隆はそのままの姿勢で、ただ息を呑むしかなかった。青ざめた穗隆を見た朱里は、視線を下へと落とす。

「図星か……」

 ため息とともに零した。

「それは、その……」

 穗隆は思い出した。朱里がこの部屋に泊った時のことだ。すでに帰京した後の部屋に、華山のアーティスト写真が、リビングテーブルの上に置かれてあった。
 元々は、パソコン用の作業机にあったはずのもの。何故、移動したのか不思議に思った。

「か、彼は違う……」
「まだ、嘘を吐く気?」

 言いかけた言葉を、朱里は遮った。そして、再び缶ビールに口を付けると、一気に飲み干した。

「おい、大丈夫か?」
「大丈夫よ。これくらい……それより……私、ずっとわかってた」
「わかってたって。何を?」

 朱里は、空になった缶ビールを洗うため、キッチンに向かった。

「あなたが……同性愛者だってことよ」

 蛇口から流れる水が、シンクに打ち付ける音が聞こえる。間断なくシンクを叩く水音は、缶を洗うためにリズミカルに変化し、やがて止まる。水切りの音だけが残った。

「それは……」
「だから、もういいの。あなたは、私といるときも他の誰かを見てた」
「え……」

 そうだろうか。そんな意識はなかった。穗隆は朱里との日々を思い返すが、心当たりがない。

「あのギタリストの人、穗隆の探してた人にピッタリだものね」
「探してた? どういうこと?」
「なんかな。髪型とか、肌の色とか、目つきとか。それに雰囲気かな。そういう人見つけると、視線が向かってたよ。気が付かなかったの?」

 キッチンから出てきた朱里は、ハンカチで手を拭いた。穗隆は今更ながら、自分がずっと、あの男を無意識に探していたのに気付いた。

「気が付かなかった……」

 朱里はそのまま座らずに、床に放り投げた自分の鞄を持った。

「私は、男に寝とられたのかな」
「あ、いや、えっと、それは……」

 あまりに直接的な言い方に、穗隆はたじたじとするだけだ。たまらず、自分の分のビールを胃に流し込む。

「相変わらずわかりやすい人だね、穗隆は。……もう帰るわ」

 狼狽える穗隆を後目に、朱里はさっさと玄関へと歩き出す。

「待って。送っていくよ」
「いい、一人で帰れる。確かめたかっただけだから。矢吹さん、だっけ。新しい苗字」
「ああ、新しくもないけれど」
「元気でね。あのギタリストの人、犯人じゃないといいね」

 朱里は、彼が行方不明であることを知らない。だから、事件さえ片付けば、穗隆は彼と大手を振って付き合えると思っているのだろう。

「ありがとう。色々……ごめん」

 そうとわかっても、穗隆は何かを言うわけではない。今は、遠路はるばる来てくれた彼女に頭を下げるだけだ。

 頬を引き攣かせた、無理矢理な笑みを見せ、朱里は帰っていった。大通りに出れば、タクシーを拾えるだろう。
 それにしても、ビールをジュースのように飲んで、大丈夫だったろうか。穗隆は彼女の残り香を感じながら思う。それでももう、彼女にしてやれることは何もなかった。

 ――――僕はずっと、奴を探していたのか。いっつか忘れたと思っていたのに。なんとも哀れな話だな。自分で……消し去ったくせに……。



感想 3

あなたにおすすめの小説

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。 ※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。

天然で優しいお母さんは最強かもしれない

三園 七詩
ミステリー
俺はある事を除けばただの高校生。 ごく普通の家庭に生まれた。 少し天然だけど優しい母さんと出張の多い父さんの間に生まれた。 一つ変わったことがあるとすれば幽霊が見えることだ。 怖い話も交えた日常ファンタジー風。 ホラーかミステリーか微妙なので一応ミステリーにしてあります。

豊臣の子

四谷軒
ミステリー
慶長19年(1614年)、方広寺鍾銘事件が起こり、豊臣家は刻一刻と、大坂の陣――亡(ほろ)びの道を歩んでいた。 豊臣完子(とよとみさだこ)は豊臣秀勝(秀吉の姉・ともの子。豊臣秀次の弟)と江(ごう)(秀頼の母・茶々の妹)の子であり、茶々の養女である。 完子(さだこ)は、夫の・九条忠栄(くじょうただひで)と共に、豊臣家を守ろうとしていたが、その折り、秀頼が乱行に興じていることを知る。 秀頼の乱行を止めるため、完子と忠栄はその乱行に興じる理由を探る。探っていくうちに、十年前の慶長4年(1604年)に、完子の九条家の嫁入りの前夜に起こった、完子の乳母の怪死事件に遠因があることに気づく。 乳母は、完子の嫁入りの宴に出席したあと、大坂城内の一室で怪死しており、その死体を発見したのが秀頼であった。 秀頼は乳母のことを好いており、十年後の慶長14年(1614年)、その怪死の謎を解く。解いた結果、秀頼は豊臣家の「秘密」――秀頼自身の出生の「秘密」に気づく。その「秘密」は秀頼を狂わせ、秀頼を乱行へと誘(いざな)っていく。 方広寺鍾銘事件の原因となった鍾銘も、狂った秀頼によって「いじられた」ものであり、こうして豊臣家は滅亡への道を突き進み、忠栄や完子の努力も虚しく、大坂の陣へと突入してしまう……。 【表紙画像】不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

再生ホテルー館花琴音の事件簿ー

天咲琴乃 あまさき ことの
ミステリー
かつて聖堂や学び舎だった建物を再生した、 山あいの小さなホテル。 そこには、何かを終えた人間だけが辿り着くという。 元配信者で、現在は歯科衛生士として働く 館花琴音(たちばな ことね)は、 自分自身の心の整理のため、 そのホテルに滞在することになる。 静かな夜、ホテルでは 奇妙な「音」が聞こえ始める。 子どもの名前を呼ぶ声、誰かに似た話し方、 あるはずのない沈黙、拒絶された言葉―― それらはすべて、宿泊者自身が向き合うことを避けてきた過去だった。 琴音は探偵でも、裁く者でもない。 ただ、声と沈黙に関わってきた人間として、 彼らが“自分の音を聞く”のを邪魔しない。 再生とは、 許されることでも、元に戻ることでもない。 壊れたことがあっても生きていけると知ること。 全五話で描く、静かな心理ミステリー。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※表紙をAI君に描いてもらいました。(2026.2.21) ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

【完結】学園ギャンブル

暗闇坂九死郞
ミステリー
頼まれると断れない性格の女子高生・吉高菜々子は、自称ギャンブラーを名乗る謎の男子高生・花屋友成と出会う。花屋の勝負強さに目を付けた吉高は、将棋部の体験入部で行われていると噂されているギャンブル対決に身を投じることになり……!? 【登場人物】 花屋友成………マッシュルームカットに眼鏡の謎の自称ギャンブラー。優れた頭脳と洞察力で相手のイカサマを見抜く。 吉高菜々子……お人好しのクラス委員長。花屋との出会いからギャンブラーたちの世界を覗くことになる。 躑躅森遥………『賭博生徒会』会計。 馬酔木白夜……『賭博生徒会』書記。

俺以外を見るのは許さないから

朝飛
BL
赤池凌平は、成瀬真介と出会い、緩やかに親交を深めてやがて恋人同士になるのだったが、時折違和感を抱いていた。  その違和感の正体が明らかになる時には、もう何もかも手遅れになってしまい……。 (女性と付き合うシーンもあります。) ※ネオページ、エブリスタにも同時掲載中。マイペースに更新します。