毒を食らわば皿までと【完結】

紫紺

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第5章 覚醒

覚醒 2



(序章から続く)

 穗隆の耳に、炭の弾く音が届く。思っていたのとは違い、しっかりとした骨組みの天井が視界を埋めた。
 背中が少しかゆい。裸の肌に、古い畳のささくれが刺さっているようだ。自分の隣で、男がむくりと起き上がった。

「どうだった? 体は正直だな。もう十分、思い出しただろう」
「思い出した。おまえが、僕を捨てて逃げたことを」

 その言葉に鼻で笑うと、男は穗隆の頬に触れ、また唇を寄せてきた。

「やめろ、華山。何故おまえは逃げたんだ? やはり、おまえが倉敷塁を殺したのか?」

 片手で突き返された華山は、一言も発せず、上から穗隆の顔を覗き込んだ。

「何か言えよ。僕はずっとおまえを探していたんだ。おまえに聞きたくて。本当のことを」

 穗隆は今度は自らの手を伸ばし、華山の顔を両手で包み込む。剃り残された髭の跡が、手のひらにざらついた感触を与える。
 穗隆は自分の方へ、華山の頭を引き寄せた。

「何故だ。おまえは、僕を利用するためにだけ誘ったのか? おまえが本当に愛していたのは、倉敷塁だったのか? だから殺したのか? 答えてくれ、華山!」

 穗隆の双眸から、いつしか涙が溢れだす。しっかりと見据えた華山の顔すらぼやけてきた。

「じゃあ、あんたは俺をどう思ってた?」
「え?」
「あんたにとって俺は、あの男の身代わりだったんじゃないか?」
「それは……」

 どういうことだ? 華山は何を言っている? あの男? あの植木職人のことか?
 穗隆は混乱したまま口走る。

「なんで……知ってる。いや、そんなことはどうでもいい。あんな奴の代わりなはずはない。僕はおまえを……」

 縋るようにそう叫ぶ穗隆に、華山は哀れみの目を向ける。その視線は、胸に痛みを伝えていく。穂隆は頬にあてた両手を、力なく落とした。

「あんたは、母親と寝ていたあの男を、自分の手で葬った。父親に告げ口したのはあんただ。母親の手から奪いたかったのか? あんたの嫉妬深さや執念深さには、全く恐れ入るよ」
「何を……言ってる」

 益々、穗隆は困惑した。何故、何もかもを知っているかのように華山は言うのだ。
 あの夏の暑い日。蝉がうるさく鳴いていた。衣擦れの音。鋼のような背や肩から飛び散る汗。

 ――――父さん。蔵に人が入っていった。鍵が開いてたから……。
 ――――何を見た? いや、もうそれは忘れなさい。悪いようにはしない。


「どうしてあんなことをしたんだ? あんたは、あの男を見ていたかったんじゃないか?」

 穗隆の心の中を見透かすように、華山は続けた。自分に覆いかぶさる華山の双眸を、穗隆は見上げる。

「おまえに何がわかる」
「わからんな。そのことがあんたの母親を苦しめた。彼女の死は必然だった……」
「黙れ。それは僕のせいじゃない」

 男が消えてから3年後、穗隆の母親は帰らぬ人となった。自らの手で命を絶った。

 ――――おまえは、寂しかったのか?

 命を絶つ前夜、母親は穗隆の部屋へやってきた。それが、最後の言葉だった。

「僕は寂しいと思ったことはない。母は、自分こそ寂しくて死んだだけだ。あいつと浮気していたんだ。父さんや僕を裏切って。母が死んだのは、僕のせいじゃない」
「そんなこと一言も言ってないがな。まあ、あんた自身がそう思ってるなら仕方ない」
「思っていない」
「あんたはずっと後悔してた。だから、執拗にあの男の影を追っていた。叶わぬまでも、あんたはあの男に抱かれたかったんだ」
「知ったふうのことを言うな。おまえは……何もわかってはいない。本当の事を……」

 穗隆の声が震える。あの日々のこと、ずっと思い出しもしなかった。ましてや後悔などするわけはない。
 だが、自分が華山に固執するのはそのせいなのか? いや、華山ではなくあの男に。今更? あの不実なだけの男に、何の未練があるのか。

「だから、俺は、あの男の身代わりというわけだ。そっくりの俺を見て、あんたは思った。やっと見つけたと」
「違う」

 弱弱しい声で、穗隆は反論した。確かに、初めて華山に会った時、穗隆はあの男の面影を見た。だからこそ、どうしても手に入れたかったのだ。
 でも、今、思い焦がれているのはあいつじゃない。華山自身だ。そうであるはずだ。それでも、確信を持った声には程遠かった。

「俺への気持ちは、あんたの贖罪でしかない。俺がいなくなったら、また代わりを探すか?」
「華山!?」

 すぐそこで、自分を見ていたはずの華山の姿が忽然と消えた。穗隆は慌てて飛び起きる。さっきまで、あの男に抱かれていたはずの体はとっくに冷え切り、囲炉裏の火も消えている。
 山を登ってきた時に身に着けていた、リュックも靴も何もない。ただ、今にも朽ち落ちそうな山小屋に、ポツンと座り込む自分がいるだけだった。

 ――――どういう、ことだ……

『穗隆、これは夢だ。あんたは長い夢を見ている。さっさと目を覚ませ』
「華山!?」

 もう一度、華山の声がはっきりと聞こえた。辺りを見回すが、姿はない。

『さっさと目を覚ませ』

 華山の声が、頭の中で繰り返されていく。その声に導かれるように、少しずつ、穗隆の意識は覚醒していった。
  



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