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第3章
13 五月病
しおりを挟む結局、俺はその後の就活を乗り切ることができず、唯一内定を取っていた証券会社に進むことになった。
宗志は大学の単位はほぼ取っていたので、キャンパスで会うこともなく卒業を迎える。あいつは卒業式にも姿を現さなかったな。
経済紙で見かけた森嗣製薬の記事では、後継者となる長男、宗志氏が入社、事務系に配属されたとあった。
父親である社長は退院し仕事に復帰はしていたが、実務は専務が取り仕切っている模様とあった。響子夫人が言う、内の敵は彼だろうか。けど、純血の後継者である宗志は頭脳明晰でそのうえ容姿端麗だ。うまくやれるだろう。
――――なんで心配してるのか。おめでたいな、俺は。
証券会社で始まった新人研修はそんなおめでたい妄想を吹き飛ばす厳しさだった。おかげで俺は宗志のことに思い悩む暇もなく日々を過ごすのだが。
そんな過酷な半年間の研修が終わり、店舗に配属されたころ、俺は母校の大学に赴いた。街路樹が紅葉に衣替えする秋も深まる季節、就活が始まる3年生に話を聞かせてほしいとゼミの准教授に頼まれたからだ。
彼は、俺と宗志が結ばれることになった、あのキャンプに同行した人物。五十嵐准教授だった。
「ご苦労さん、いい話だったよ」
勝ち組でもない俺をどうして呼んだのかわからなかったが、同じゼミでまともに就職して在京なのが俺だけだと後で知った。他の連中は起業するヤツや地方銀行に行った奴等など、既に退職した奴もいた。
まあ、それは俺も激しく同意だ。俺自身、腰かけのつもりだったし、その考えは正しかったと日々思うばかりだから。
「いえ、お役に立てて何よりです」
五十嵐は俺を寿司屋に連れて行ってくれた。回ってない寿司に教え子を連れていくほど給料はよくないと思うのだが、投資頑張ってんのかな。
「ところで……おまえ、森嗣と仲良かったよな」
俺にしては珍しく日本酒を舐めるように飲んでいたとき、准教授は突然聞いてきた。大学に行けば、否応なしに思い出す宗志のこと。だがまさか、彼からその名を聞くとは思わなかった。
「はあ、まあ。でも最近は会ってないですよ」
最近、というか、もう1年近く会ってない。
「そうなのか? ま、お互い忙しいから仕方ないか。でも連絡くらい取ってるだろ?」
なんでそんなこと聞くのか。そりゃ、友達なら連絡くらい取るだろうよ。仲良かったんだから。
「いやあ、そう言えば……俺も少し前まで、鬼みたいな研修でボロボロでしたから」
それは嘘ではない。人格を否定され続ける研修になんの意味があるのか知らないが、いや、意味はないな。恐らく教官たちの伝統的なストレス解消に過ぎない。
「そうかあ、いや、実は気になってたことがあって」
「なにか……ありましたか?」
俺が配属された店舗は東京と言っても北部で、神奈川が本拠地の森嗣製薬とは全く接点がない。だから、会社情報も詳しくは知らなかった。
「まあ、久遠の顔見て思いだしたから、気になってたは言い過ぎなんだが……」
酒がそれほど強くない准教授は、鼻の頭を赤くしながら話を続けた。彼の友人に森嗣製薬の主任がいて、最近、その人と酒を飲む機会があったと。
『鳴り物入りで入社した社長の息子が五月病だとかでさ』
彼は五十嵐がその息子の恩師なんて知りもしない。ネタとして盛った話を得意げに話したという。
「五月病?」
「そうなんだ。僕もびっくりしてね。あいつらしくないし……それで詳しく聞いたら、連休明けから会社に来なくなったらしい」
「どこか、悪いんでしょうか……」
「それをおまえから聞きたかったんだけどね」
「すみません……」
「謝ることじゃないよ。けど、ちょっと意外だったな。おまえたちは大学卒業しても付き合いが途絶えないと思ってた」
「はあ、いえ、途絶えたわけではなくて。でも、なんか連絡しにくくなりました」
嘘ばっかりだ。でも、まさか親に言われて別れましたとは言えない。大体、『別れる』という単語が、彼には理解できないだろう。
五十嵐がその話を聞いたのは、お盆休みだっという。だから、少なくとも二ヶ月以上は出社していないことになる。
――――どうしたんだろう。気になるけれど……。
そのあと食べた寿司は、味がしなくなってしまった。
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