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その声

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テンゼルに肩を抱かれたまま、カルミアは家を出た。蹲るように俯いていたリネットが何度も「すまない」と謝る。

「リネット、お願いだから自分を責めないで頂戴」
「……ミア」
「……あの子のこと、お願いね」

微笑むカルミアを見て、リネットは悔しそうに下唇を噛んだ。その唇から血が流れるのを痛ましそうに見つめた後、カルミアは一度自らの家を振り返る。

(どうか、健やかに)

この祈りは意味など為さないかもしれない。それでもカルミアは祈らずにはいられなかった。

「そんな悲壮な顔をせずとも良い。この私の愛人になったからには相当に良い暮らしが出来るのだからなあ」

顎を持ち上げられ、二の腕を触られる。

こんな理不尽に悲鳴をあげるほど、カルミアは弱くない。

なにせカルミアは深窓の令嬢ではないのだから。

彼女が生まれた場所は貧乏な田舎町で、贅沢とは無縁な生活を送って来た。ダエルが勇者になる前はこういった偉そうな人間にだって出くわしてしまうことは多々あった。

そのたびに、カルミアはダエルと共に地を這って生きてきたのである。

ダエルと共にいられるのならば、例え地を這おうが、泥水を啜ろうが耐えることが出来た。愛しい人と共にある。たったそれだけのことが、カルミアの心を強くした。

その鋼のような心を、今は助けてくれたリネットやランネル。そしてなにより愛しい我が子クロエのために使いたい。この卑しい男テンゼルが、この先、リネットやランネル、そしてクロエを脅かすことなどないと保証してくれるものは誰もいないのだから。

カルミアはそんな思いから、ほとんど考えることもせずに決断した。

そっと懐の冷たい感触に手を当てる。あとはこれをこの気持ちの悪い男の喉元に突き刺すだけ。この太った男から大量の血が噴き出す様はさぞ見ものであろう。血を大量に流せば、この男も少しは萎んで痩せてみるかもしれない。

(……駄目ね、ちょっと可笑しくなってきたわ)

妙な高揚感で手が震えた。それに対し不思議と心は凪いでいる。自らを狂っていると思ったことは一度もない。だけどもこの瞬間だけは、狂気という名の魔物が手を貸してくれているような気がしていた。

(さあ、この男を殺して、私も死ぬのよ)

たった一人の愛しい娘を置いていくことがなにより悲しいと思う。

だけれど、これしか方法がない。

テンゼルに己の全てを奪われる前に。全てを終わりにしてしまおう。カルミアは自らの視野が極端に狭くなっていることを感じてはいた。けれど懐に忍ばせた手はもう止まらない。狂気の魔物はカルミアの右手に力を貸した。

その瞳に一線の光が走る。

一陣の風。カルミアの金色の髪がゆらりと踊った。その時。

「……っカルミア!」

その声音に、心臓が縮みあがった。

カルミアは振り返る。

そこにいたのは、カルミアが心を捧げて止まなかった人──……ダエルだった。
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