1 / 9
プロローグ
しおりを挟む
これは最初から、お互いに望まぬ婚約だった。だから結果もまた――……。
「これでようやく、婚約を解消できそうだよ、ヘイゼル・ファンドーリナ公爵令嬢」
目の前に座る、水色の髪の男性、クライド・ルク・セイモア殿下は、そう言いながらニコリと笑って見せた。その晴れやかな笑顔に、思わず私も微笑み返す。
「それは良かったです。手続きの方も順調、ということで合っていますか?」
「あぁ。けれど、これまでの経緯なども含めて、ヘイゼル嬢には迷惑をかけたね」
「いいえ。滅相もありません。クライド殿下にはたくさん助けていただいたのですから、そのようなお言葉は不要です」
そう、もしもあの時、クライド殿下からの申し出を受けなければ、今も私はファンドーリナ公爵家の中で、肩身の狭い思いをしていたことだろう。そして、兄の言いなりになって、どこぞの令息……もしくは金持ちの老齢な貴族のところへ嫁がされていたかもしれない。
「婚約解消となりましたが、私はクライド殿下と婚約できて幸運だったのですから」
「それは嬉しいが、ヘイゼル嬢の想い人に殺されかねない言葉だから、くれぐれも彼の前では言わないでくれよ」
「あっ、そうですね。私もクライド殿下の想い人にも嫉妬されたくはないので、もう言いません」
私は思わず、先日の出来事を思い出した。
クライド殿下が、ミランダ・ロブレードという商人とのスキャンダルを大々的に発表し、大勢の前で私に婚約破棄を言い渡したのだ。そのため、国王様の怒りに触れて、王太子を剥奪された。
けれどクライド殿下には人望があったため、王子という身分までは取られなかったのだ。次の国王になれなくても、自分を支えてほしい、と願う弟君の願いによって実現されたことだった。
私も助けていただいた身であるため、弟君の気持ちは痛いほど分かる。もしも本当に平民に下ったら、全力でお支えしようと思っていたくらいだ。それほどに、クライド殿下は国になくてはならないお人であり、人望の厚い方だった。
けれど当のクライド殿下の目標は、何においてもミランダ嬢と結ばれること。
そのために私と婚約をして、スキャンダルまで起こし、ご自分の名声を地に落としたのだ。そう、一介の王太子が平民と結ばれるためだけに起こした騒動……。
現在、手続き中というのも、私との婚約解消だけではない。ご自分の処分も、である。だからお互いの立場を考えると、こんな風に明るく話をしている状況ではなかった。
しかし、そのあっけらかんとしている姿は、見ていて清々しい。本当に後悔していないことが伝わってくるほどだった。だからだろうか。ちょっと皮肉を言いたくなった。
「それにしても、あれだけの騒動を起こしたというのに幸せそうですね、クライド殿下……目標であった平民にはなれませんでしたのに」
「……だけど僕の本気は父上にも、ミランダにも伝わったから構わないさ」
「王太子の戯言、もしくは一時の感情だと思っている者は、未だにおりますよ?」
ミランダ嬢に誑かされた、という者も少なからずいる。
「知っている。だけどそれを面と向かって僕に言うのは、ヘイゼル嬢くらいだよ? だからまぁ、婚約を持ちかけたわけだけど……」
「さすがにミランダ嬢も、クライド殿下に言える立場ではありませんからね。けれど一応、言っておきますが、私の場合は悪意を持って言っているわけではありませんから」
恩を仇で返すつもりもない。王太子の身分が剝奪されれば、こうして舐めてかかって来る貴族が現れるだろう。いくら今までと同じ、王子であったとしても、だ。
だからこれくらいで、ダメージを負ってほしくはなかった。
「分かっているよ」
「何かありましたら、遠慮なくおっしゃってください。勿論、ミランダ嬢が嫉妬しない程度に、ですが」
「当然だろう? 僕だってヘイゼル嬢の想い人に嫌われたくないしね」
クライド殿下がキメ顔で、そう言ってのけたものだから、思わず笑みが零れた。
それと同時に安堵もする。これから苦難が待ち受けていることをご存知なのに、これほどの軽口を叩ける、その度胸に。
けれど今後のことを思うと、私も人のことが言えた立場ではなかった。
「これでようやく、婚約を解消できそうだよ、ヘイゼル・ファンドーリナ公爵令嬢」
目の前に座る、水色の髪の男性、クライド・ルク・セイモア殿下は、そう言いながらニコリと笑って見せた。その晴れやかな笑顔に、思わず私も微笑み返す。
「それは良かったです。手続きの方も順調、ということで合っていますか?」
「あぁ。けれど、これまでの経緯なども含めて、ヘイゼル嬢には迷惑をかけたね」
「いいえ。滅相もありません。クライド殿下にはたくさん助けていただいたのですから、そのようなお言葉は不要です」
そう、もしもあの時、クライド殿下からの申し出を受けなければ、今も私はファンドーリナ公爵家の中で、肩身の狭い思いをしていたことだろう。そして、兄の言いなりになって、どこぞの令息……もしくは金持ちの老齢な貴族のところへ嫁がされていたかもしれない。
「婚約解消となりましたが、私はクライド殿下と婚約できて幸運だったのですから」
「それは嬉しいが、ヘイゼル嬢の想い人に殺されかねない言葉だから、くれぐれも彼の前では言わないでくれよ」
「あっ、そうですね。私もクライド殿下の想い人にも嫉妬されたくはないので、もう言いません」
私は思わず、先日の出来事を思い出した。
クライド殿下が、ミランダ・ロブレードという商人とのスキャンダルを大々的に発表し、大勢の前で私に婚約破棄を言い渡したのだ。そのため、国王様の怒りに触れて、王太子を剥奪された。
けれどクライド殿下には人望があったため、王子という身分までは取られなかったのだ。次の国王になれなくても、自分を支えてほしい、と願う弟君の願いによって実現されたことだった。
私も助けていただいた身であるため、弟君の気持ちは痛いほど分かる。もしも本当に平民に下ったら、全力でお支えしようと思っていたくらいだ。それほどに、クライド殿下は国になくてはならないお人であり、人望の厚い方だった。
けれど当のクライド殿下の目標は、何においてもミランダ嬢と結ばれること。
そのために私と婚約をして、スキャンダルまで起こし、ご自分の名声を地に落としたのだ。そう、一介の王太子が平民と結ばれるためだけに起こした騒動……。
現在、手続き中というのも、私との婚約解消だけではない。ご自分の処分も、である。だからお互いの立場を考えると、こんな風に明るく話をしている状況ではなかった。
しかし、そのあっけらかんとしている姿は、見ていて清々しい。本当に後悔していないことが伝わってくるほどだった。だからだろうか。ちょっと皮肉を言いたくなった。
「それにしても、あれだけの騒動を起こしたというのに幸せそうですね、クライド殿下……目標であった平民にはなれませんでしたのに」
「……だけど僕の本気は父上にも、ミランダにも伝わったから構わないさ」
「王太子の戯言、もしくは一時の感情だと思っている者は、未だにおりますよ?」
ミランダ嬢に誑かされた、という者も少なからずいる。
「知っている。だけどそれを面と向かって僕に言うのは、ヘイゼル嬢くらいだよ? だからまぁ、婚約を持ちかけたわけだけど……」
「さすがにミランダ嬢も、クライド殿下に言える立場ではありませんからね。けれど一応、言っておきますが、私の場合は悪意を持って言っているわけではありませんから」
恩を仇で返すつもりもない。王太子の身分が剝奪されれば、こうして舐めてかかって来る貴族が現れるだろう。いくら今までと同じ、王子であったとしても、だ。
だからこれくらいで、ダメージを負ってほしくはなかった。
「分かっているよ」
「何かありましたら、遠慮なくおっしゃってください。勿論、ミランダ嬢が嫉妬しない程度に、ですが」
「当然だろう? 僕だってヘイゼル嬢の想い人に嫌われたくないしね」
クライド殿下がキメ顔で、そう言ってのけたものだから、思わず笑みが零れた。
それと同時に安堵もする。これから苦難が待ち受けていることをご存知なのに、これほどの軽口を叩ける、その度胸に。
けれど今後のことを思うと、私も人のことが言えた立場ではなかった。
27
あなたにおすすめの小説
ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、ふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※因果応報ざまぁ。最後は甘く後味スッキリ
記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛
三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。
「……ここは?」
か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。
顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。
私は一体、誰なのだろう?
落ちぶれて捨てられた侯爵令嬢は辺境伯に求愛される~今からは俺の溺愛ターンだから覚悟して~
しましまにゃんこ
恋愛
年若い辺境伯であるアレクシスは、大嫌いな第三王子ダマスから、自分の代わりに婚約破棄したセシルと新たに婚約を結ぶように頼まれる。実はセシルはアレクシスが長年恋焦がれていた令嬢で。アレクシスは突然のことにとまどいつつも、この機会を逃してたまるかとセシルとの婚約を引き受けることに。
とんとん拍子に話はまとまり、二人はロイター辺境で甘く穏やかな日々を過ごす。少しずつ距離は縮まるものの、時折どこか悲し気な表情を見せるセシルの様子が気になるアレクシス。
「セシルは絶対に俺が幸せにしてみせる!」
だがそんなある日、ダマスからセシルに王都に戻るようにと伝令が来て。セシルは一人王都へ旅立ってしまうのだった。
追いかけるアレクシスと頑なな態度を崩さないセシル。二人の恋の行方は?
すれ違いからの溺愛ハッピーエンドストーリーです。
小説家になろう、他サイトでも掲載しています。
麗しすぎるイラストは汐の音様からいただきました!
「無能な妻」と蔑まれた令嬢は、離婚後に隣国の王子に溺愛されました。
腐ったバナナ
恋愛
公爵令嬢アリアンナは、魔力を持たないという理由で、夫である侯爵エドガーから無能な妻と蔑まれる日々を送っていた。
魔力至上主義の貴族社会で価値を見いだされないことに絶望したアリアンナは、ついに離婚を決断。
多額の慰謝料と引き換えに、無能な妻という足枷を捨て、自由な平民として辺境へと旅立つ。
婚約破棄された令嬢は“図書館勤務”を満喫中
かしおり
恋愛
「君は退屈だ」と婚約を破棄された令嬢クラリス。社交界にも、実家にも居場所を失った彼女がたどり着いたのは、静かな田舎町アシュベリーの図書館でした。
本の声が聞こえるような不思議な感覚と、真面目で控えめな彼女の魅力は、少しずつ周囲の人々の心を癒していきます。
そんな中、図書館に通う謎めいた青年・リュカとの出会いが、クラリスの世界を大きく変えていく――
身分も立場も異なるふたりの静かで知的な恋は、やがて王都をも巻き込む運命へ。
癒しと知性が紡ぐ、身分差ロマンス。図書館の窓辺から始まる、幸せな未来の物語。
小石だと思っていた妻が、実は宝石だった。〜ある伯爵夫の自滅
みこと。
恋愛
アーノルド・ロッキムは裕福な伯爵家の当主だ。我が世の春を楽しみ、憂いなく遊び暮らしていたところ、引退中の親から子爵家の娘を嫁にと勧められる。
美人だと伝え聞く子爵の娘を娶ってみれば、田舎臭い冴えない女。
アーノルドは妻を離れに押し込み、顧みることなく、大切な約束も無視してしまった。
この縁談に秘められた、真の意味にも気づかずに──。
※全7話で完結。「小説家になろう」様でも掲載しています。
氷の公爵家に嫁いだ私、実は超絶有能な元男爵令嬢でした~女々しい公爵様と粘着義母のざまぁルートを内助の功で逆転します!~
紅葉山参
恋愛
名門公爵家であるヴィンテージ家に嫁いだロキシー。誰もが羨む結婚だと思われていますが、実情は違いました。
夫であるバンテス公爵様は、その美貌と地位に反して、なんとも女々しく頼りない方。さらに、彼の母親である義母セリーヌ様は、ロキシーが低い男爵家の出であることを理由に、連日ねちっこい嫌がらせをしてくる粘着質の意地悪な人。
結婚生活は、まるで地獄。公爵様は義母の言いなりで、私を庇うこともしません。
「どうして私がこんな仕打ちを受けなければならないの?」
そう嘆きながらも、ロキシーには秘密がありました。それは、男爵令嬢として育つ中で身につけた、貴族として規格外の「超絶有能な実務能力」と、いかなる困難も冷静に対処する「鋼の意志」。
このまま公爵家が傾けば、愛する故郷の男爵家にも影響が及びます。
「もういいわ。この際、公爵様をたてつつ、私が公爵家を立て直して差し上げます」
ロキシーは決意します。女々しい夫を立派な公爵へ。傾きかけた公爵領を豊かな土地へ。そして、ねちっこい義母には最高のざまぁを。
すべては、彼の幸せのため。彼の公爵としての誇りのため。そして、私自身の幸せのため。
これは、虐げられた男爵令嬢が、内助の功という名の愛と有能さで、公爵家と女々しい夫の人生を根底から逆転させる、痛快でロマンチックな逆転ざまぁストーリーです!
お飾りの婚約者で結構です! 殿下のことは興味ありませんので、お構いなく!
にのまえ
恋愛
すでに寵愛する人がいる、殿下の婚約候補決めの舞踏会を開くと、王家の勅命がドーリング公爵家に届くも、姉のミミリアは嫌がった。
公爵家から一人娘という言葉に、舞踏会に参加することになった、ドーリング公爵家の次女・ミーシャ。
家族の中で“役立たず”と蔑まれ、姉の身代わりとして差し出された彼女の唯一の望みは――「舞踏会で、美味しい料理を食べること」。
だが、そんな慎ましい願いとは裏腹に、
舞踏会の夜、思いもよらぬ出来事が起こりミーシャは前世、読んでいた小説の世界だと気付く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる