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第1話 利害関係
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時を遡ること、一年前。
クライド殿下の二十歳の誕生日パーティーに招かれた時のことである。私もちょうど十八歳となり、社交界デビューの年だった。
その頃はまだ、お互い婚約者ではなく、私は候補の一人にすぎなかった。だから、というわけではないけれど、それなりに私も恋する乙女だったのだ。
そう、私には好きな方がいた。名をデニス・ヴェルター伯爵令息。それも嫡男ではなく、三男だった。
仮に私がファンドーリナ公爵家の一人娘だったら、婿養子に迎い入れることができたことだろう。
けれど残念なことに、私には年の離れた兄がいた。すでにファンドーリナ公爵の地位に就いていたため、どうあがいても無理な話であり、さらに私のファンドーリナ公爵家での立ち位置が弱いことも重なって、それは夢のまた夢だった。
「はぁ~」
思わずため息が出た。目の前のテーブルに置かれているカップに映る、何もできない自分に嫌気がさして。すると……。
チリン。
どこからか、綺麗な音色が聞こえて顔を上げる。その途端、呼び鈴を持ったクライド殿下と目が合った。
「退屈そうだね」
「っ! 申し訳ありません」
そうだった。今はクライド殿下とお茶をしている最中。
パーティーとはいえ、婚約者候補に名を連ねていた私を、兄は公爵という地位を使って、無理やりクライド殿下と話をする機会を設けたのだ。
まだ結婚もしていない兄に子どもはおらず。かといって、クライド殿下と年齢の近い妹を無視することはできなかったのだろう。
私の結婚よりも、自分の結婚を考えればいいものを……と言えればいいが、それもまたできなかった。
ファンドーリナ公爵を継げたことでも分かるように、兄は正当な生まれ。けれど私は……妾の子ども。それもメイドの子どもなのだ。
運良く、クライド殿下が先にお生まれになってくれたお陰で、私はファンドーリナ公爵家に受け入れられたけれど……それでも義母には、よく思われていなかったのを知っている。
このような場に呼ばれることも、すべて私がクライド殿下と婚約するためだった。公爵令嬢という肩書も、立場も。今着ているドレスさえも。
「いいよ。実を言うと、僕もこういう席は苦手でね」
「王子……なのに、ですか?」
王妃様を母に持ち、将来は王太子だと誰もが疑わない地位にいるクライド殿下が?
兄はよく言っていた「その地位に生まれた者は、義務を果たさなければならない」と。
だから私に、ファンドーリナ公爵家の血を引いた女として、クライド殿下と結婚をして、王妃となり国母になれ、と。
おそらく、デニス様を好きになったのは、その細やかな抵抗だったのかもしれない。兄の言いなりになって、クライド殿下と結婚したくない、という。
それが顔にも出ていたのか、クスクスと笑われてしまった。
「公爵令嬢の君だって退屈しているのに、僕は王子だからダメだというのは、おかしくないかな」
「私とクライド殿下とでは、そもそも生まれが違います。それを知らないとは言わせませんわ」
素性が明らかでも、婚約者候補の内情くらい、頭に入っている、もしくは誰かが教えてくれるものだろう。
「まぁ、そうだね。でも、僕の弟妹たちの中にも、ヘイゼル嬢と同じ立場の子はいるよ。ヘイゼル嬢のように公の場には出て来られないけれど」
「……私の場合はクライド殿下のお陰です」
こういえば、皆まで言わなくても理解できるだろう。向こうから話題を振ってきたのだから、気を悪くされるとも思えない。
するとクライド殿下は、ニンマリと笑って見せた。
「それならさ、取引をしない?」
「私には取引できるものがありません」
「あるよ。僕の婚約者、という地位が」
「意味が分かりません」
何をおっしゃっているのだろう。私が婚約者になったところで、クライド殿下には、何のメリットがない。あるのはファンドーリナ公爵家という後ろ盾。
けれど王妃様の子で、第一王子であるクライド殿下にとっては、そこまで必要なものではないだろう。
しかしそんな私の態度などお構いなしに、クライド殿下は口角を上げた。
「う~ん。そんなに警戒しないでほしいな。これはヘイゼル嬢にとって、悪い話ではないのだから。むしろいい話だと思うよ。そう、好きな相手がいるヘイゼル嬢にとってはね。確か、ヴェルター伯爵家の三男で、デニスといったかな」
クライド殿下は視線を遠くへ向ける。私は動揺しつつ、同じように視線を動かすと、そこには黒髪に青い目をしたデニス様がいた。
「でも、ファンドーリナ公爵は許してくれないだろうね、きっと」
「それはクライド殿下も、ではありませんか。王太子になるためには、我がファンドーリナ公爵家の後ろ盾が必要だと思いますが」
「うん。母上からも、話をまとめるように言われて困っている」
「は?」
思わず相手が王子であることも忘れて言ってしまった。
だって今、ご自分に必要なことを認めた上で困る、だなんて……意外と頭が……ゴホン。失礼。
「ここだけの話。僕は王太子になりたくない。僕も好きな人がいるからね。その人と結ばれるためには、この地位が邪魔になっている」
「……失礼ですが、お相手の方のご身分は?」
「商団のお嬢さん」
小声で言うクライド殿下。私はやっぱり、と思ってしまった。
相手が貴族であれば、王子の地位が邪魔だとは思わず、王太子にだってなりたくない、などという戯言は言わないはずである。だから相手は自然と、平民だと思った。
「その方もクライド殿下と結ばれることをお望みで?」
「……ヘイゼル嬢は遠慮がないね」
「申し訳ありません」
「いや、だからこそ、この話を持ちかけたわけだけど……勿論、彼女もそれを望んでいる」
しかしそれはクライド殿下が王子だから。王太子に誰よりも近い存在だから、相手もクライド殿下を望まれた可能性もある。だから聞かずにはいられなかった。
「クライド殿下が王太子になりたくないことは、相手の女性もご承知なのですか?」
「彼女が僕ではなく、僕の地位と結婚したがっているのかってことだよね」
「はい」
なんだ。意外と分かっているじゃない。
失礼を承知で、私はクライド殿下のことをただのボンクラ王子かと思っていた。地位を捨ててまで結ばれたい、などと寝物語を言っていたから、もしや夢見る少女ならぬ、王子だったのかと心配になったのだ。
「ヘイゼル嬢。君は随分と失礼だね」
「あらっ、顔に出ていましたか? 申し訳ありません。けれど平民に下った途端、捨てられるよりかはいいのではありませんか? 事前に知っていた方が傷は浅い、とも言いますし」
失礼だと言いつつも、私の物言いを非難しないものだから、またもや思ったまま口に出していた。それはもう遠慮なく。
今度こそ、非難されるのだろうか。それでも、まぁいいか。ある意味、クライド殿下の秘密を聞いてしまっているのだから。
「まぁそうだね。だから僕も当然、聞いたよ」
「それで答えは?」
「僕を受け入れる準備ができていない、と断られたよ。あと僕の準備もできていない、ともね」
「それは平民になったクライド殿下を受け入れる、と解釈してもよろしいのですか?」
受け取り方によっては、遠回しな断り方にも見える。
「どうだろうね。それは僕の今後の頑張りにかかっていると思っているよ」
「まぁ」
思った以上に現実的な方のようだった。クライド殿下だけでなく、お相手の方も。
王子に生まれ、王太子になることが当たり前のように過ごされてきたクライド殿下。
頭がお花畑ではないだけ、我が国、セルモアの王室は明るいと思えた。それだけに、王太子になりたくない、とは……少しだけ残念である。
「だからね、ヘイゼル嬢。君の協力が必要だということは、理解してくれたかな」
見直した途端、まるで獲物を見つけたような表情を向けられて、私はその後に続く言葉を聞くのが怖くなった。
しかし、ここまで聞いてしまった以上、拒否をすることも、逃げ出すこともできない。そう、最初から選択する余地などなかったのである。
クライド殿下の二十歳の誕生日パーティーに招かれた時のことである。私もちょうど十八歳となり、社交界デビューの年だった。
その頃はまだ、お互い婚約者ではなく、私は候補の一人にすぎなかった。だから、というわけではないけれど、それなりに私も恋する乙女だったのだ。
そう、私には好きな方がいた。名をデニス・ヴェルター伯爵令息。それも嫡男ではなく、三男だった。
仮に私がファンドーリナ公爵家の一人娘だったら、婿養子に迎い入れることができたことだろう。
けれど残念なことに、私には年の離れた兄がいた。すでにファンドーリナ公爵の地位に就いていたため、どうあがいても無理な話であり、さらに私のファンドーリナ公爵家での立ち位置が弱いことも重なって、それは夢のまた夢だった。
「はぁ~」
思わずため息が出た。目の前のテーブルに置かれているカップに映る、何もできない自分に嫌気がさして。すると……。
チリン。
どこからか、綺麗な音色が聞こえて顔を上げる。その途端、呼び鈴を持ったクライド殿下と目が合った。
「退屈そうだね」
「っ! 申し訳ありません」
そうだった。今はクライド殿下とお茶をしている最中。
パーティーとはいえ、婚約者候補に名を連ねていた私を、兄は公爵という地位を使って、無理やりクライド殿下と話をする機会を設けたのだ。
まだ結婚もしていない兄に子どもはおらず。かといって、クライド殿下と年齢の近い妹を無視することはできなかったのだろう。
私の結婚よりも、自分の結婚を考えればいいものを……と言えればいいが、それもまたできなかった。
ファンドーリナ公爵を継げたことでも分かるように、兄は正当な生まれ。けれど私は……妾の子ども。それもメイドの子どもなのだ。
運良く、クライド殿下が先にお生まれになってくれたお陰で、私はファンドーリナ公爵家に受け入れられたけれど……それでも義母には、よく思われていなかったのを知っている。
このような場に呼ばれることも、すべて私がクライド殿下と婚約するためだった。公爵令嬢という肩書も、立場も。今着ているドレスさえも。
「いいよ。実を言うと、僕もこういう席は苦手でね」
「王子……なのに、ですか?」
王妃様を母に持ち、将来は王太子だと誰もが疑わない地位にいるクライド殿下が?
兄はよく言っていた「その地位に生まれた者は、義務を果たさなければならない」と。
だから私に、ファンドーリナ公爵家の血を引いた女として、クライド殿下と結婚をして、王妃となり国母になれ、と。
おそらく、デニス様を好きになったのは、その細やかな抵抗だったのかもしれない。兄の言いなりになって、クライド殿下と結婚したくない、という。
それが顔にも出ていたのか、クスクスと笑われてしまった。
「公爵令嬢の君だって退屈しているのに、僕は王子だからダメだというのは、おかしくないかな」
「私とクライド殿下とでは、そもそも生まれが違います。それを知らないとは言わせませんわ」
素性が明らかでも、婚約者候補の内情くらい、頭に入っている、もしくは誰かが教えてくれるものだろう。
「まぁ、そうだね。でも、僕の弟妹たちの中にも、ヘイゼル嬢と同じ立場の子はいるよ。ヘイゼル嬢のように公の場には出て来られないけれど」
「……私の場合はクライド殿下のお陰です」
こういえば、皆まで言わなくても理解できるだろう。向こうから話題を振ってきたのだから、気を悪くされるとも思えない。
するとクライド殿下は、ニンマリと笑って見せた。
「それならさ、取引をしない?」
「私には取引できるものがありません」
「あるよ。僕の婚約者、という地位が」
「意味が分かりません」
何をおっしゃっているのだろう。私が婚約者になったところで、クライド殿下には、何のメリットがない。あるのはファンドーリナ公爵家という後ろ盾。
けれど王妃様の子で、第一王子であるクライド殿下にとっては、そこまで必要なものではないだろう。
しかしそんな私の態度などお構いなしに、クライド殿下は口角を上げた。
「う~ん。そんなに警戒しないでほしいな。これはヘイゼル嬢にとって、悪い話ではないのだから。むしろいい話だと思うよ。そう、好きな相手がいるヘイゼル嬢にとってはね。確か、ヴェルター伯爵家の三男で、デニスといったかな」
クライド殿下は視線を遠くへ向ける。私は動揺しつつ、同じように視線を動かすと、そこには黒髪に青い目をしたデニス様がいた。
「でも、ファンドーリナ公爵は許してくれないだろうね、きっと」
「それはクライド殿下も、ではありませんか。王太子になるためには、我がファンドーリナ公爵家の後ろ盾が必要だと思いますが」
「うん。母上からも、話をまとめるように言われて困っている」
「は?」
思わず相手が王子であることも忘れて言ってしまった。
だって今、ご自分に必要なことを認めた上で困る、だなんて……意外と頭が……ゴホン。失礼。
「ここだけの話。僕は王太子になりたくない。僕も好きな人がいるからね。その人と結ばれるためには、この地位が邪魔になっている」
「……失礼ですが、お相手の方のご身分は?」
「商団のお嬢さん」
小声で言うクライド殿下。私はやっぱり、と思ってしまった。
相手が貴族であれば、王子の地位が邪魔だとは思わず、王太子にだってなりたくない、などという戯言は言わないはずである。だから相手は自然と、平民だと思った。
「その方もクライド殿下と結ばれることをお望みで?」
「……ヘイゼル嬢は遠慮がないね」
「申し訳ありません」
「いや、だからこそ、この話を持ちかけたわけだけど……勿論、彼女もそれを望んでいる」
しかしそれはクライド殿下が王子だから。王太子に誰よりも近い存在だから、相手もクライド殿下を望まれた可能性もある。だから聞かずにはいられなかった。
「クライド殿下が王太子になりたくないことは、相手の女性もご承知なのですか?」
「彼女が僕ではなく、僕の地位と結婚したがっているのかってことだよね」
「はい」
なんだ。意外と分かっているじゃない。
失礼を承知で、私はクライド殿下のことをただのボンクラ王子かと思っていた。地位を捨ててまで結ばれたい、などと寝物語を言っていたから、もしや夢見る少女ならぬ、王子だったのかと心配になったのだ。
「ヘイゼル嬢。君は随分と失礼だね」
「あらっ、顔に出ていましたか? 申し訳ありません。けれど平民に下った途端、捨てられるよりかはいいのではありませんか? 事前に知っていた方が傷は浅い、とも言いますし」
失礼だと言いつつも、私の物言いを非難しないものだから、またもや思ったまま口に出していた。それはもう遠慮なく。
今度こそ、非難されるのだろうか。それでも、まぁいいか。ある意味、クライド殿下の秘密を聞いてしまっているのだから。
「まぁそうだね。だから僕も当然、聞いたよ」
「それで答えは?」
「僕を受け入れる準備ができていない、と断られたよ。あと僕の準備もできていない、ともね」
「それは平民になったクライド殿下を受け入れる、と解釈してもよろしいのですか?」
受け取り方によっては、遠回しな断り方にも見える。
「どうだろうね。それは僕の今後の頑張りにかかっていると思っているよ」
「まぁ」
思った以上に現実的な方のようだった。クライド殿下だけでなく、お相手の方も。
王子に生まれ、王太子になることが当たり前のように過ごされてきたクライド殿下。
頭がお花畑ではないだけ、我が国、セルモアの王室は明るいと思えた。それだけに、王太子になりたくない、とは……少しだけ残念である。
「だからね、ヘイゼル嬢。君の協力が必要だということは、理解してくれたかな」
見直した途端、まるで獲物を見つけたような表情を向けられて、私はその後に続く言葉を聞くのが怖くなった。
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