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第5話 避難地にて
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義母が領地へ行ってからしばらくして、新たなファンドーリナ公爵夫人が邸宅にやって来た。しかし、私はというと……。
「こんなにのんびりしていて、いいのでしょうか。それも王妃様のご実家で」
「いいと思いますよ。ヘイゼル嬢がファンドーリナ公爵家にいる方が、余計に気を遣われてしまいます。義理の妹とはいえ、クライド殿下の婚約者なのですから、ケイティ王女、いえ公爵夫人に悪いですよ」
デニス様に言われて、私は「そうですね」と笑顔を向けた。
特に呼び名に困ってしまうことだろう。
兄、フェリクスの妻となったのはクライド殿下の異母妹である、ケイティ王女様だったのだ。つまり、公爵夫人としては義妹だが、立場が王女になると義姉になってしまう。
だから気安く「ヘイゼル」と呼んでくださるけれど……ケイティ様も社交性がある方ではなかったため、親交を深めるのも難しく。私も気軽にお呼びすることができなかった。
そういった事情から、私とデニス様は今、クライド殿下の計らいで王妃様、つまりクライド殿下の御母上のご実家である、アングラード侯爵家のお世話になっていた。
このまま本当にアングラード侯爵家の養女になってもいいと思えるくらい、ここは居心地が良い。それは偏にデニス様が傍にいてくれるからだろう。
「本当にデニス様がいてくださって、私も心強いです」
実はアングラード侯爵家に来てすぐに、デニス様から名前呼びを強要されたのだ。自分ばかりが名前で呼ぶのは悪いからと。
ふふふっ。ふふふふふっ。もう、この時の喜びといったら、ふふふっ。
それを言うデニス様も勿論、可愛らしかったのだけれど。嬉しさで顔がニヤけそうだった。
表向きは「そんなそんな」と謙遜を装っていないと、はしたなすぎて……多分、目も当てられなかったと思う。
今でも声に出していると顔が……ふふふっ。
「二年前に助けていただいて、さらに今回のことも。これではますます……」
「ますます?」
「……好きになりました」
もうすでに私の気持ちを知っているため、思い切って声に出した。
けれど今の私はクライド殿下の婚約者。やはり迷惑だっただろうか、と俯くと、意外な返事が聞こえてきた。
「ようやくヘイゼル嬢から聞けましたね」
「えっ?」
「お気持ちは知っていましたが、直接お聞きしたわけではなかったので……実は俺の勘違いだったのかと……」
「そ、そんなことはないです!」
私は椅子から立ち上がり、デニス様に向かい合った。
「公爵邸にいた時は、兄や義母に悟られるわけにもいきませんでしたし、クライド殿下との約束もありましたから。想いを伝えることも、アピールすることだって無理だと思っていました」
「だから機会を作らせてもらいました」
「え? それでは、この間の件はわざと?」
「はい。ヘイゼル嬢の境遇をどうにかして差し上げたかったので、クライド殿下にご相談した結果、あのような処置を取らせてもらいました。そもそも不思議だとは思いませんでしたか?」
「それは……」
確かに思った。ファンドーリナ公爵邸にいれば、嫌でも誰が権力を持っていて、誰が仕切っているのか、手に取るように分かるはずだからだ。
ましてやデニス様は王室の直轄である近衛騎士団に所属している身。上下関係が厳しいと言われているところだから、そういう点は聡いと思っていた。
それなのに、義母に喧嘩を売ったのだ。不思議に思わない方がどうかしている。
私は素直に頷いた。
「正直、護衛という立場からは逸脱した行為でした。しかし、騎士というのは単純で。自分に向けられた好意を、素直に喜んでしまう生き物なのですよ」
「そ、それは……つまり、デニス様も?」
「でなければ、そのように呼ぶことを求めません」
「っ!」
デニス様は私の手を取り、跪いた。ここはアングラード侯爵邸に用意された私の部屋だから、他の誰かに見られる恐れはない。仮にあったとしても、騎士の誓いに見えるだろう。
けれどこの成り行きで、それは有り得ない。だけど!
「私はデニス様に好きになってもらえるような要素など……」
「ヘイゼル嬢は俺と添い遂げる気はないのですか?」
「えっ! あ、あります! ありますけど……私のどこが良かったのでしょうか!」
デニス様と同じ目線で話をしたくて、私はその場にしゃがみ込んだ。
「可愛いところです」
「かっ……!」
「あと俺の印象とクライド殿下から聞いた印象の違い、でしょうか。そこも含めて可愛いのですが、ざっくばらんな態度をクライド殿下にだけ見せているのが許せないというか。ヘイゼル嬢といる時間は俺の方が長いのに、そういう素振りを見せてくれないのが残念で仕方がありません」
つまり、嫉妬してくれたってこと? それくらいで私のことを……でも!
「無理です! クライド殿下はどうでもいい、というか取引相手だから、そのように接するだけで。デニス様に対する態度の方が特別なんです!」
「……特別」
「当たり前ではないですか。好きな人にはよく思われたいし、ざっくばらんな態度なんてできるはずはありません!」
今だってデニス様に手を握られて、こんなにもドキドキしているのに。
「それにデニス様だって、私に対する態度が普段のお姿なのですか?」
「っ!」
「私だって、気さくに話していただきたいです」
すると突然、デニス様は返事の代わりに私を横抱きにして、ソファーの上に下ろした。「えっ、あの……」と驚いているのも束の間、左側に重い物でも置かれたのか、体が傾き……。
「おっと」
デニス様に抱きついていた。そう、普段は護衛として座ることのなかったデニス様が、隣に座ったのだ。
「す、すみません!」
体をすぐに起こそうとしたが、逆にデニス様の手が私の背中に触れ、身動きが取れなくなった。
「さっきヘイゼル嬢のどこが良かったのか、と聞いたけど」
頭上から降ってくるデニス様の口調に、私の体が全身熱くなったのかのような衝撃を受けた。そう、急にタメ口になるなんて、不意打ちもいいところだ。
確かに、気さくに話してほしいとは言ったけど……こ、心の準備が……!!
「隙がないように見えて、結構あるところかな」
「そ、それは抜けているということですか?」
「違う。手助けしたくてもできないけれど、見逃さなければできるから、目が離せなくなる。そのタイミングを逃したくなくて」
「だからあの時、義母様に……」
逆に私は竪琴の腕前をデニス様に聞いてもらえている、絶好のチャンスだと浮かれていた。義母に揶揄されても構わない。竪琴は私の得意楽器だったからだ。
「あれは、心地よい雰囲気を邪魔された腹いせだよ。とても綺麗な音色で……また聴かせてくれないか?」
「良かったです。あの後ドタバタしていて、デニス様から感想を聞くことができず、残念に思っていたので」
「俺は音楽のことはサッパリだから、ヘイゼル嬢が求めている返答は言えないぞ。剣一筋の無骨者だから」
思わずデニス様の厚い胸元に顔を当てた。私と同じように、早い鼓動。それだけで嬉しくなった。本当に私のことを、好いてくれているのだと思えるほどに。
「私は音楽家ではないので、高尚な感想など求めてはいません。デニス様が良かった、と思ってくださるだけで十分ですし、また聞きたいと言われただけで舞い上がってしまいます。私もまた、単純なので」
「可愛いな」
「えっ?」
顔を上げようとした瞬間、デニス様に頭を撫でられ、再び同じ体勢になる。それが心地よくて、私もデニス様の背中に腕を回した。
「だからこれからも守らせてくれないか?」
「勿論です!」
「……一週間後、クライド殿下が正式に王太子となられる。廃位されるために、あらゆる策を講じているから、当然ヘイゼル嬢も無事では済まないだろう」
「覚悟はできています」
そうでなければ契約婚約などしない。
「不足の事態が起きても、ヘイゼル嬢だけはなんとしてでも守る」
「私も良い結果となるように頑張りますわ」
だってこれからのことなんて、誰にも分からないのだ。いや、たった一人を除いては、と言った方が正しいのかもしれない。
そう、クライド殿下を除いて……。
「こんなにのんびりしていて、いいのでしょうか。それも王妃様のご実家で」
「いいと思いますよ。ヘイゼル嬢がファンドーリナ公爵家にいる方が、余計に気を遣われてしまいます。義理の妹とはいえ、クライド殿下の婚約者なのですから、ケイティ王女、いえ公爵夫人に悪いですよ」
デニス様に言われて、私は「そうですね」と笑顔を向けた。
特に呼び名に困ってしまうことだろう。
兄、フェリクスの妻となったのはクライド殿下の異母妹である、ケイティ王女様だったのだ。つまり、公爵夫人としては義妹だが、立場が王女になると義姉になってしまう。
だから気安く「ヘイゼル」と呼んでくださるけれど……ケイティ様も社交性がある方ではなかったため、親交を深めるのも難しく。私も気軽にお呼びすることができなかった。
そういった事情から、私とデニス様は今、クライド殿下の計らいで王妃様、つまりクライド殿下の御母上のご実家である、アングラード侯爵家のお世話になっていた。
このまま本当にアングラード侯爵家の養女になってもいいと思えるくらい、ここは居心地が良い。それは偏にデニス様が傍にいてくれるからだろう。
「本当にデニス様がいてくださって、私も心強いです」
実はアングラード侯爵家に来てすぐに、デニス様から名前呼びを強要されたのだ。自分ばかりが名前で呼ぶのは悪いからと。
ふふふっ。ふふふふふっ。もう、この時の喜びといったら、ふふふっ。
それを言うデニス様も勿論、可愛らしかったのだけれど。嬉しさで顔がニヤけそうだった。
表向きは「そんなそんな」と謙遜を装っていないと、はしたなすぎて……多分、目も当てられなかったと思う。
今でも声に出していると顔が……ふふふっ。
「二年前に助けていただいて、さらに今回のことも。これではますます……」
「ますます?」
「……好きになりました」
もうすでに私の気持ちを知っているため、思い切って声に出した。
けれど今の私はクライド殿下の婚約者。やはり迷惑だっただろうか、と俯くと、意外な返事が聞こえてきた。
「ようやくヘイゼル嬢から聞けましたね」
「えっ?」
「お気持ちは知っていましたが、直接お聞きしたわけではなかったので……実は俺の勘違いだったのかと……」
「そ、そんなことはないです!」
私は椅子から立ち上がり、デニス様に向かい合った。
「公爵邸にいた時は、兄や義母に悟られるわけにもいきませんでしたし、クライド殿下との約束もありましたから。想いを伝えることも、アピールすることだって無理だと思っていました」
「だから機会を作らせてもらいました」
「え? それでは、この間の件はわざと?」
「はい。ヘイゼル嬢の境遇をどうにかして差し上げたかったので、クライド殿下にご相談した結果、あのような処置を取らせてもらいました。そもそも不思議だとは思いませんでしたか?」
「それは……」
確かに思った。ファンドーリナ公爵邸にいれば、嫌でも誰が権力を持っていて、誰が仕切っているのか、手に取るように分かるはずだからだ。
ましてやデニス様は王室の直轄である近衛騎士団に所属している身。上下関係が厳しいと言われているところだから、そういう点は聡いと思っていた。
それなのに、義母に喧嘩を売ったのだ。不思議に思わない方がどうかしている。
私は素直に頷いた。
「正直、護衛という立場からは逸脱した行為でした。しかし、騎士というのは単純で。自分に向けられた好意を、素直に喜んでしまう生き物なのですよ」
「そ、それは……つまり、デニス様も?」
「でなければ、そのように呼ぶことを求めません」
「っ!」
デニス様は私の手を取り、跪いた。ここはアングラード侯爵邸に用意された私の部屋だから、他の誰かに見られる恐れはない。仮にあったとしても、騎士の誓いに見えるだろう。
けれどこの成り行きで、それは有り得ない。だけど!
「私はデニス様に好きになってもらえるような要素など……」
「ヘイゼル嬢は俺と添い遂げる気はないのですか?」
「えっ! あ、あります! ありますけど……私のどこが良かったのでしょうか!」
デニス様と同じ目線で話をしたくて、私はその場にしゃがみ込んだ。
「可愛いところです」
「かっ……!」
「あと俺の印象とクライド殿下から聞いた印象の違い、でしょうか。そこも含めて可愛いのですが、ざっくばらんな態度をクライド殿下にだけ見せているのが許せないというか。ヘイゼル嬢といる時間は俺の方が長いのに、そういう素振りを見せてくれないのが残念で仕方がありません」
つまり、嫉妬してくれたってこと? それくらいで私のことを……でも!
「無理です! クライド殿下はどうでもいい、というか取引相手だから、そのように接するだけで。デニス様に対する態度の方が特別なんです!」
「……特別」
「当たり前ではないですか。好きな人にはよく思われたいし、ざっくばらんな態度なんてできるはずはありません!」
今だってデニス様に手を握られて、こんなにもドキドキしているのに。
「それにデニス様だって、私に対する態度が普段のお姿なのですか?」
「っ!」
「私だって、気さくに話していただきたいです」
すると突然、デニス様は返事の代わりに私を横抱きにして、ソファーの上に下ろした。「えっ、あの……」と驚いているのも束の間、左側に重い物でも置かれたのか、体が傾き……。
「おっと」
デニス様に抱きついていた。そう、普段は護衛として座ることのなかったデニス様が、隣に座ったのだ。
「す、すみません!」
体をすぐに起こそうとしたが、逆にデニス様の手が私の背中に触れ、身動きが取れなくなった。
「さっきヘイゼル嬢のどこが良かったのか、と聞いたけど」
頭上から降ってくるデニス様の口調に、私の体が全身熱くなったのかのような衝撃を受けた。そう、急にタメ口になるなんて、不意打ちもいいところだ。
確かに、気さくに話してほしいとは言ったけど……こ、心の準備が……!!
「隙がないように見えて、結構あるところかな」
「そ、それは抜けているということですか?」
「違う。手助けしたくてもできないけれど、見逃さなければできるから、目が離せなくなる。そのタイミングを逃したくなくて」
「だからあの時、義母様に……」
逆に私は竪琴の腕前をデニス様に聞いてもらえている、絶好のチャンスだと浮かれていた。義母に揶揄されても構わない。竪琴は私の得意楽器だったからだ。
「あれは、心地よい雰囲気を邪魔された腹いせだよ。とても綺麗な音色で……また聴かせてくれないか?」
「良かったです。あの後ドタバタしていて、デニス様から感想を聞くことができず、残念に思っていたので」
「俺は音楽のことはサッパリだから、ヘイゼル嬢が求めている返答は言えないぞ。剣一筋の無骨者だから」
思わずデニス様の厚い胸元に顔を当てた。私と同じように、早い鼓動。それだけで嬉しくなった。本当に私のことを、好いてくれているのだと思えるほどに。
「私は音楽家ではないので、高尚な感想など求めてはいません。デニス様が良かった、と思ってくださるだけで十分ですし、また聞きたいと言われただけで舞い上がってしまいます。私もまた、単純なので」
「可愛いな」
「えっ?」
顔を上げようとした瞬間、デニス様に頭を撫でられ、再び同じ体勢になる。それが心地よくて、私もデニス様の背中に腕を回した。
「だからこれからも守らせてくれないか?」
「勿論です!」
「……一週間後、クライド殿下が正式に王太子となられる。廃位されるために、あらゆる策を講じているから、当然ヘイゼル嬢も無事では済まないだろう」
「覚悟はできています」
そうでなければ契約婚約などしない。
「不足の事態が起きても、ヘイゼル嬢だけはなんとしてでも守る」
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